陶の夢

有谷帽羊

 これ、いいかも。言いながら、ふうりは右腕をすうと伸ばし、少しばかり肉付いてまろみのある手首の先、しなやかな骨と節の動きは瞬時にかたちを作り出し、そうしてもっとも伸ばされた五本の指それぞれの先端で薄く膨れた指の腹が、皿のおもてにそっと触れる。触れた端から、それらの指は皿の表面に厚く塗られた、硝子のように透きとおる釉薬の上をさらりと撫でて、それからふうりの右手は皿を掴み取る。ゆっくりと傾けてゆく、そのたび釉薬が反射してきらめく、光の動きを、ふうりの目はどこまでも追いかける。調査官のようなまなざしの、その瞳に浮かぶ一粒の光を見つめながら、わたしはだんだんに思い浮かべている。

 あれは、まだずっと幼い頃、確か小学生にも満たない年頃の記憶。ふうりは熱中していた。ひらいた五本の指先を、水たまりに浸してほどよく水滴をまぶす。その手を水滴が落ちてしまわないよう、下を向けたまま慎重に移動させ、やがて辿り着いたわたしの剥き出しの膝頭に、そっと触れて五つの水滴を落とす。指の動きで、水滴の並びは線にも円にもなった。雨の降った翌日ならば、ふうりはいつもその遊びをしていた気がする。

 とっくに忘れていてもおかしくはない遠い昔の日々のことを、なぜ今になっても鮮やかに思い出せるのだろう。わたしは気を取られてしまって、そのために、こちらへ向けて「どう?」と問いかけるふうりの声を、もう少しのところで完全に逸してしまいそうになる。慌てて見ると、ふうりの瞳は既に皿から離れ、わたしの目を訝るような視線で見上げている。

「また『違う世界』に行ってたでしょう?」

「いや、そうじゃなくて」

「いい加減、治した方がいいと思うよ。その妄想癖」

 わたし以外の人は、わからないんだからね。怒ったように嘆くふうりに、わたしは、ははあ、と変な笑い方で答える以外の逃げ方を未だ知らない。けれど既に二十年以上そうして逃れてきているのだから、たぶん一生同じ逃げ方しかできないだろう。わたしの曖昧な笑い声を聞いて、今度はふうりが仕方がないとでも言うように、息を吐くような笑いを返す。これもまた幼い頃から決まりきった彼女の受け方で、だからそれも合わせてわたしとふうりとのやり取りは、いつまでも同じテンポを刻むような気さえする。

「ねえ、で、これどう?」

 ふうりが持っていた皿を渡されて、わたしはようやくじっくりと皿そのものを見る。皿は、ところどころが波打ついびつな円形をした、割と厚みのあるタイプのもので、透明釉の下に塗られた土そのもののような色味の彩色も含め、民藝品のようだな、と声には出さず思う。

 別に民藝品が嫌いというわけではないが、なにか違う気がしたのも事実だ。わたしは皿をふうりの手元に返し、口を開く。

「悪くないけど、ちょっと重いんじゃない?」

「あー、言われてみれば」

 ふうりは両手に皿を持ちなおし、腕を上げ下げして重さを確かめようとする。

「日常使いするんでしょう?」

 追い打ちをかけるように、すかさず畳みかけると、

「そうだよねえ」

 こくこくと大げさに頷いて、ふうりは皿を元あった場所に戻す。それからわたしの方は振り返らずに、隣の棚へ移動し始める。

 その後ろ姿を眺めながら、ふうりは納得してはいないのだな、となんとなく悟られる。決して不機嫌というわけではなさそうだが、自分が直感で選んだものにケチをつけられたことに少しばかり不愉快になっている。それでもふうりはわたしに文句を言うこともなければ、反論しようともしてこないのは、ふうりもふうりでわかっているのだ。あの皿は重たすぎる。使っていくうちきっと早いうちに後悔することになるだろう。デザインだって今はよくとも、すぐに地味に思えてくるはずだ。しだいに離れゆく背中の向こうで、ふうりはそんなことを思い浮かべ、決してわたしを無視したいのではない、けれどただちょっとばかり置き去りにしてやりたい。

 そうして彼女の望みどおり置き去りにされてやったわたしは堪えきれずくすりと笑う。本当にふうりのこういうところはいくつになってもどうしようもないな。ふうりからわずか数歩分だけ離れた距離からそんなことを思えるのはある種の贅沢にも思われて、嬉しさを感じる。背中が翻り、ふうりの顔が再びわたしの視界に現れる。

「ねえ、これは?」

 手招きしながら笑顔で問う、ふうりはもう、先ほどのことはすっかり忘れ果てている。





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