S団地
荒城美鉾
202 髙橋優子
優子は夜八時半のインターホンには出ないようにしていた。
出ても誰も返事をしないからだ。いたずら、というわけではない。
以前、待ち構えてドアスコープを覗いたり、ドアを開け放ったこともあるが、外には誰もいなかったのだ。
優子の住まいは団地の二階で、飛び出したとき、上にも下にも人影はなかった。たとえいたずらしたのが陸上選手でも、ここまで早く逃げられるか疑わしい。というわけで、優子はインターホンに出るのをやめたのだった。
この日も、8時半きっかりにインターホンが鳴った。
優子はじっと固まる。
数秒して、何も動きがないことを確かめ、そっと動き出した。
そういえば、以前一度、インターホンを押されたことがあった。出ると、若い女性がそこに立っていた。
「高橋直哉さん、います?」
高橋という男は、上階に住んでいる男だった。
生活音が四六時中うるさい男で、優子も文句を言いに行ったことは一度や二度ではない。
「高橋直哉さんちは上です。うち、同姓なんですけど他人なんです」
「そうでしたか。すみません。私、妻なのですが、今日から一緒に住むことになりまして。よろしくお願いします」
女は嬉しそうにそう言ったのだった。幸せそうに。
その日、優子は暗くなってから帰宅した。友達との話が存外に盛り上がってしまったのだ。子供の話をしすぎたかもしれない。子供の話はいくらしても尽きないものだ。
ふと時計を見た。あと一分で八時半だった。もしかしたら、ここにいれば何も起こらないのでは?
鍵を取り出した優子は、そのまま玄関に立ち尽くした。電波時計の秒針が八時半を通過する瞬間、優子は思わずインターホンを凝視した。
カチ、とインターホンの押される音がした。目の前で、インターホンのボタンが沈んで、上がってきた。ピンポーン、と間の抜けた音が家の中から聞こえる。
室外灯の下で、蛾がはためいていた。
幽霊って、ボタン押せるんだ、とぼんやり思った。
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