第9話 ハチスの出張
「これからも、頑張ります。あなたのお役に立てるよう」
彼からそう宣言されたのはいいが、いきなり出張するとは思わなかった。
遠出ではないが、教区中の教会や修道院を周る宣教活動があるらしい。司祭は大層忙しく、ハチスもその手伝いで駆り出されるのだという。
昨日、帰ってから料理をしていた。留守の間の作り置きを作ってくれたのだ。
それから一睡もしていないはずだが、天使に休息は必要ないらしいからしょうがない。
「では、行って参ります」
「ああ……」
「どうかされましたか?」
「いや、別に」
ハチスは首を傾げる。
「寂しいんですか?」
「いや、全然」
「……大丈夫ですよ。私は必ず帰ってきますから」
「うるせえな。さっさと行けよ」
ハチスは微笑んだ。
「はい。それじゃあ、行ってきます」
玄関から出て行く後姿を、俺は見送った。
動画編集をしていると、腹が鳴った。時計を見ると午後一時だ。作り置きを食べるのはなんだかもったいない気がして、代わりにコンビニでおにぎりを買ってきた。
「……はあ」
夕食の時に、ハチスと一緒に食えないのかと思うといまいち食欲が出ない。
俺は部屋を掃除することにした。あいつがいないうちに綺麗にしておいてやろう。
そう思い立ったのが運の尽きだ。俺は、部屋の隅々まで掃除機をかけ、トイレットペーパーを交換し、ベランダの窓を拭いた。それだけで疲れてしまった。
いつの間にか夕方になっていた。西日が眩しい。俺は伸びをして、窓を開ける。ハチスが遠くから飛んできたりしないかと目を凝らしていたが、空しくなってやめた。
ふらつきながらキッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。中に並んだ作り置きから一つ選び、俺はそれを電子レンジで温めた。
一人で食べる食事は味気ない。
でも、美味かった。食べ終えるとシンクに置いておく。
「風呂は……まあいいか」
俺はベッドに倒れ込んだ。ハチスの匂いがした。自浄作用的な能力を持っている彼に匂いは無いと思うのだが、記憶から蘇っているのかもしれない。幻臭? 幻臭ってなんだ。枕に顔を埋める。彼のことを考えると胸が苦しくなる。
俺は彼を愛しているのだろうか。
いや、そんなことはない。断じて違う。これは愛じゃない。
俺は、ハチスに依存しているのだ。彼がいないと生きていけない。畜生神様め。余計なことをしてくれたものだ。
「クソッ」
俺は舌打ちをした。
しかし、これは俺の一方的な感情なのだ。ハチスにとっては俺よりも神のほうが大事だし、俺の願望より神の命令を優先させるんだろう。
俺の願望とは、そもそもこの世から消えることだった。それを邪魔したのは神様──そしてハチス自身だ。
彼は俺を幸せにすると言った。
俺の今の願望はハチスが俺だけのものになること。俺だけのことを考えるということ。俺だけを愛すること。つまり、ハチスが神に背くような存在になればいいのではないか。ハチスが、天使であることをやめればいいんじゃないか。しかしおそらく、彼が天使でなくなったら、俺のこの生活は崩れてしまう。それは嫌だった。ハチスにはずっと天使でいてもらわないと困るのだ。
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