百合乱れ咲け地雷原

鳩紙けい

01:あなたを殺す

 自分を愛せる人間は、決して他人を愛さない。


 〇


『あなたを殺します。理由は自分の胸に聞いてください』


 生まれて初めて貰ったラブレターには、規則的でありながらも情熱的に踊る文字が並んでいた。真っ黒な便箋に真っ赤な文字という配色は、達筆も相まって彼岸花を連想させる。この手紙を家に持って帰ると火事になるかもしれない。


 学校という窮屈な箱に押し込まれ一日過ごし、ようやく解放されると思った矢先にとんだサプライズが待っていたものだ。


 靴箱にラブレターだなんて今時えらく古典的だけど、この胸の高鳴りを味わえるのだからまだまだ捨てたものじゃない。 


 ここが女子校ではなく。

 もしくはわたしが女の子じゃなかったなら。

 封筒を見つけたと同時にたまらず踊り出していたと思う。


 けれども残念ながらここは女子校で、わたしは間違いなく女の子だ。今日までの十五年間、どこをどう振り返ってもわたしが女の子であることに異論はない。


 というかそもそも、これはラブレターじゃなかった。

 小細工無しの殺害予告だ。


 封筒に書かれた宛名から分かる通り疑いようもなくわたしへ宛てられた代物で、うっかり場所を間違えちゃった、と古典的を重ねることはしなかったらしい。


 一度周囲を見回してみる。人の姿も気配も無い。

 前後にある靴箱の裏をそれぞれ確認してみたけれど、やはり誰もいなかった。


 攻撃的な個性をお持ちであるからいきなりクライマックスも考えられたが、執行までの猶予を与えてくれる程度には理性があるらしい。


 いや、もしくはわたしの平穏を正体不明の相手に対する恐怖で塗り潰してやる、という精神攻撃の線も考えられるか。もしかすると明日も届くのかもしれない。

 陰湿だ……。


 相手がわたしでなければ効果的だっただろう。


 いつもひとりぼっちの寂しい高校生であるわたしには遊び相手が自分しかいない。ということは必然、命を狙われる状況のシミュレーションをはじめ、数々の空想を日々作り上げているのだった。


 わたしと瓜二つのお姫様が異世界からやって来て、暗殺を依頼され追ってくる殺し屋に勘違いで襲われたり。


 見るからに怪しい人達の見るからに怪しげな取引を偶然目的してしまって口封じのため追われたり。


 絶海の孤島で名探偵とジェイソンと怨霊が一緒になってジャンルごった煮の危機に見舞われたり。


 空想の中では幾度となく命の危機に瀕してきた。


 しかし今のところ悲劇が訪れたことは無い。わたしはしぶとく逞しく生き延びてきたのだ。わたしを殺すのはわたしにも難しい。


 それを踏まえた上で問題となるのが、目下の脅威は現実のものであるという点だ。

 気持ちの準備が万全でも、実際の生存率はわたしの想定より遥かに低いだろう。

 肌触りの悪い生々しい殺意から逃げ切れると断言は出来ない。


 怖すぎる。

 一度落ち着こう。


 手紙に書かれた通り自分の胸に手を当て、ここまで過激な情熱を向けられた原因を探ってみる。


 こんな事を実行する人間は一人浮かぶけど今回は関係ないはずだから、となるとやっぱりもう一つの、昨日首を突っ込むことになった鮮度の高いあれだ。


 現実に根付く明らかな心当たりが鼓動となって主張をはじめる。


 わたしはそれを無理やり左手で押し戻し、大袈裟に首を左右に振って、怯えた風にしながら言った。


「な、なんのことかなー。わたしは幼馴染に嫌われてるしなぁ。不思議だなぁ」


 念のため声量を大きくアピールしながら、外靴に履き替え、この手紙をどうするべきか迷いつつ裏返してみると、そこには続きと思われる文章が整列していた。


『追伸――その貧相で可哀想な胸が喋るかどうかは分かりませんが。いえ、きっと無理に決まっています。シンデレラバストだなんて別称もありますけど、あなた如きがシンデレラのような華々しいストーリーを夢見るなんて図々しい。忌々しい。身の程を弁え縮こまっていてもらえると踏み潰しやすくて助かります。死ね』


 どうして追伸の方が長いのよ。考えて書きなさいよ、無計画め。後半になるにつれて文字が大きくなってるし。


 気持ちは分からなくもない。まず率直な思いを書いた後、ふつふつと怒りが湧いてきてあれやこれやと付け加えたのだろう。わたしもよくやる。


 さて、わたしの交友関係が広く観察眼が優れていれば、これらの情報からでもある程度当たりを付けられたのかもしれないけど、残念ながらぼっちの節穴。分かったのはわたしよりも豊かな体型をお持ちだということくらい。


 はあ。どうしてこんなこと言われなきゃいけないの。


 わたしを無害な小動物だと認識してくれるのは大歓迎だけど、実は追い詰められる遥か手前から牙を剥ける鼠なのである。


 もう一度文章を上から下までなぞる。これだけの思うがままを見せつけられると、まさか本気で殺されやしないかと背筋が冷たくなってくる。冷静な判断を願うばかりだ。ガラスの靴のように、頭の中が透き通っていると信じよう。


 ガラスの靴――シンデレラ。

 シンデレラね。

 可愛ければ報われる、そういう感じの話だったっけ。


 まあいいや。

 ガラスの靴って歩き辛そうだな――そんな風に考えていると不意に左側から、カツンと、床にビー玉を落としたような鋭い音がした。


 わたしは最高速で身体ごと音のした方を向く。


 そこに人の姿はなく、音の正体らしき物体も見当たらなかった。


 ラップ現象という霊的な言葉が脳裏をよぎる。


 わたしって幽霊に狙われてるの? 小学生の頃クラスの霊感少女に「あなたは霊感ゼロ。才能無し。ヤバいのに取り憑かれてるのにね」って言われたのに。


 どうしよう、昼休みに衝動買いした塩バタークロワッサンしか持ってない。クロワッサンが嫌いな人はいないから、お供え物としてはかなりいい線いっている気がするけど、黒い虫にホウ酸団子を仕掛けるようなものだし、もしも見抜かれたら余計に怒りを買いそうだ。


 それになにより、これはわたしが食べたい。


 わたしは音のした場所に視線を置いたまま考える。


 これは幽霊の仕業だ。さっさと逃げた方がいい。

 そんなの勿体ない。わざわざ音を鳴らすだなんて構って欲しいんじゃない? 

 獲物を探しているだけだよ。弱そうな。

 悪戯好きの子供霊が遊び相手を探してるんだ。寂しいのかも。

 可能性が無いとは言い切れない。

 そっちの方が面白そうだしね。


 頭の中で始まった恐怖と好奇心の舌戦を呑気に眺めた結果、好奇心が辛勝する。わたしは一歩音の方へ近付いた。


 すると、突然。


 宙を舞う夥しい数の上履きがわたしの行く手を阻んでいた。なんの前触れもなく、初めからここにあったかのような自然さで現れたそれらは、さながら回避不能の散弾だった。


 驚きのあまりろくに動けないまま、飛んできた上履きに全身を叩かれる。痛みはほとんどなかったけれど、一つだけやけに勢いの強い個体が頭にぶつかって、それだけは痛かった。


 今度はポルターガイスト。名前に恥じない騒がしさだ。

 散らばった上履きの片付けは、一旦置いといて。


 次は何を見られるのか楽しみにすらなってきたところで、わたしはある違和感に気付いた。握っていたはずのラブレターがなくなっているのだ。


「あれっ!? え、落とした?」


 上履きだらけの地面を探ってみたけれど手紙は見当たらない。あんなに禍々しい物を見落とすはずがない。


 となると、もしかして。

 証拠を奪われた? いよいよ命が危うくなった際や嫌がらせが激化してきた時に切れるカードとして持っておきたかったのに。


 どういう仕掛けを用いたのかはさっぱり分からないけど……その辺りを考えない相手ではないということは分かった。わたしが読んだのを確認したらすぐに回収するつもりだったのだろう。


 なるほど。

 つまりわたしを狙う何者かは近くにいる。今もわたしの動きを確認できる位置にいる、と思う。


 無理筋だとは分かっていても、わたしの思考は止まらなかった。


 本当に幽霊であれば可能だし、瞬間移動を使えたり、わたしでは思いつかない科学的なトリックが施されているのかもしれない。実に面白い。わたしはにさっぱり分からない。


 好奇心は猫を殺す――窮鼠猫を噛む。

 わたしの好奇心はしぶとく逞しいネズミなのである。

 伊達に毎日一人で妄想を遊び相手にしているわけではないのだ。


 この不気味な現象を前にわたしがすごすご逃げ去るという想定だったのかもしれないが、そいつは些か希望的すぎだと言わざるを得ない。


 わたしは出入口と反対方向、校内へ続く廊下へ向けて駆け出した。逃げられる前に姿を確認してやる。


 休日のソロ散歩で鍛えた自慢の足で地面を蹴っとばし、土足のまま踏み込んだ。


「……あれ? いないじゃん」


 左右に伸びる廊下のそのどちらにも人影はなかった。そもそも足音一つ聞こえない。


 したり顔での行動が空振りだなんてダサすぎる。


 熱くなった顔がどんな色をしているのか想像するまでもない。これは正面の窓から差し込む夕陽に誤魔化してもらうとして。


 改めて昇降口を見て回っても人は居ない。怪奇現象の原因と思しき仕掛けも存在しなかった。


 であれば次は校舎の中を見てみよう。


 世の中にはあと数センチ掘り続ければ見つかったお宝がどれだけあるのだろう。だからわたしはまだ諦めない。猟犬よろしく食らいつき歯を立てて、手掛かりくらいは手に入れてやるのだ。


 右か左か。悩んでも仕方がないので右に向かってわたしは走り出した。


 夕焼け空もエールを送ってくれているけれど、鋭利な眩しさにわたしは右目を細め――右?


 頭の中でバネ仕掛けの疑問符が飛び跳ねる。


 わたしは昇降口から向かって右を選択したのだから、窓は左手側にあるはずだ。それなのに、いま窓は右手側にある。


 つまりわたしは、いつの間にか反転している。

 右を選んだはずが、左へ向かっている。

 あべこべだ。まさか本当に幽霊屋敷だとでもいうつもりなのか。


 現実を侵犯する不明な不気味さに、わたしの足は止まってしまう。身体の芯から込み上げてくるのは、一握りの恐怖が交じった高揚感。


 もしかするとわたしは、とんでもない相手を向こうに回そうとしているんじゃ――と、その時だった。


 倍々に増幅していく緊張が頂点へ達するのを見計らったかのように、背後に明らかな人の気配が表れた。振り返るよりも早く、背後にいる何者かはわたしの首に腕を回してくる。そうして容赦なく締め上げながら、次いでわたしの顎下に尖った物を押し当てた。


 一連の動作に迷いや不手際が含まれていなかったのは、初めてじゃないから、だろうか。


 分からない。けれど分かったこともある。


 わずかに見えた手は透き通る程白かったが、温かい。幽霊ではなさそうだ。


 幽霊より人間の方が怖いとはよく聞く話だけど、今この場におけるわたしはどちらの仕業かが発覚したことで少なからず安心していた。


「逃げなかったことには感心した。でも、だからこそ。ゆくゆくの脅威だと認定する」


 耳元から流し込まれた声は氷のように鋭く、針のように冷たかった。よく通る綺麗な声だ。


 わたしは顎下の凶器らしき物に気を付けながら問いかける。


「……わたしはいま何を押し付けられてるのかな」

「あなたが知る必要はない」


 暴君はそう言って私の質問を突っぱねた。無情にも情報が得られない。

 しかし私は知る権利を持っているので臆さずに追及する。


「何だったら教えてくれる? 名前は?」


 凶器の正体が分からない以上下手に暴れるわけにもいかず、出来る限り穏便に、野生動物を相手にする気持ちで寄り添おうと決めた。


「一年D組――紹沼つぐぬま岬葉さきは


 しかしそんな心遣いは伝わらなかったようで、背後の危険人物はわたしの名前を口にした。

 敵意の溢れる声で。


「……人違いかもよ。落ち着きなって」

「享年十五」

「落ち着こうよぉ……」


 クラスと名前は当然にしても年齢まで把握されていた。


「あなたを殺す。理由は自分の胸に聞いて」


 手紙に書かれていた内容と同じ。


 文字を読んでもどこか他人事のように感じていたが、耳元で、ぞっとするくらいに冷えた声でそう告げられ、ようやくわたしは本当に殺されるかもしれないと怖くなった。


 自然、唇が重くなる。

 後ろにいる人物は小さく息を吸う。


「胸……無いか。ふふっ」


 そう言って笑った。笑われた。笑いやがった。

 お手本のような嘲笑を、見せつけられた。


 こうなると話しが変わってくる。


 とたんに指先まで熱くなるほど熱い血液がわたしの身体中を駆け巡り、恐怖はさっぱり雲散霧消する。空っぽになったわたしの頭の中へ隈なく充填されたのは、怒りだった。


 この感情の発生源はわたしの肩辺りにある。姿は見えなくとも密着している以上、はっきりと分かった。


 空しいほどに平らで文庫本一冊すら支えられない棚板を思わせる空疎な胸元。

 本人の言葉を借りると、貧相で可哀想な胸――シンデレラバスト。


 わたしと同じ。

 ニアリーイコール。

 だから。

 だから、わたしは。


「わたしと変わらないじゃん。アホ」


 自分が活殺自在の状況にいることも忘れ、言ってしまったのだった。

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