第23話 ねえ、あの日に何があったの。
ふー、ふー。
何度か息を吹きかけて、たった今注文したラテを飲む。
まだまだ熱いから、ほんの少しだけ。
途端に、泡立ったミルクの優しい香りがスーッと身体の奧まで広がっていく。
無意識に肩に力が入っていたのか、その力を抜く。そうすると幾分か気持ちが楽になった気がした。
緊張が解れ、狭まっていた視野が広くなる。
世間は暦の上では秋らしいが、外は夕方といえどまだ暑い。そんな中で温かい飲み物を頼むのは自分でもどうかと思ったけど、冷房が効いているこの空間において結果的に良かった。全国に展開されている珈琲店の中はお洒落度合いが妙に高い。洗練された家具、計算された緑の量。とても居心地が良くって、度々利用をしていた。
店内では流行りのポップスではなく、落ち着いたクラシックが流れる。曲名こそ知らないが、聞き覚えのあるメロディは心にゆとりを持たせてくれる。
昔から、日本語の歌詞を耳に入れたくない時があった。考え事をしている時は特に思う。無遠慮に、押し付けるように耳に入り込んでくる歌が時々嫌になるから。
幸せを唄う歌詞が気に入らない気分だってあるし、綺麗な言葉だけで並べられた恋愛の曲を受け付けなくなる時もある。もちろん非嘆に暮れるような曲も。
だからこそ歌詞の無いBGMは大歓迎だった。
こんなことは友達には言えないというか、言うまでもないこと。
矛盾しているかもだけど、音楽自体は好きなんだけどね。
・・・おっと、私、
ついつい、この場のあまりにも寒々とした雰囲気に目を背け、物思いに耽ってしまった。
いや、そもそもなんで私が緊張するんだよ。
ふざけるような雰囲気でないのは確かで。自分でも意図せず空気の読めていない言葉が出そうになるが、物理的に口をふさぐ為、再度ラテを口に入れる。
うん、甘い。
なんか自分のキャラクター像が壊れているように思うが気にしないでおこう。
さて、腰掛けるとポフっと沈むソファの気持ち良さを堪能しながら、改めてこの現実と向き合う。
確かに居心地の良いはずの店内なんだけど、私の座っているフロアの奥の席は、現在進行形で殺伐とした空気に包まれていた。
幸いにも私たちの他に利用者が周りにいないことで、遠慮なく、そして容赦なくその会談が始まっていたのだ。
臨戦態勢に入っている友人である
いや、笑顔を浮かべているんだけどさ、私にはその笑顔は恐怖の感情しか出てこない。普段は笑うとできる可愛らしいエクボも、今はその恐ろしさに拍車を掛ける要素となっている。
この間話した時は、『それとなく聞いてみるね』なんて言っていたように記憶していたが、いつの間にか方向転換をしたようだ。
私が一緒に聞きたいと言ったからなんだろうか。
この場で咎められることはないはずの私がブルっと身震いしそうな感覚に陥るが、しゃんとしないと・・・。
そんな千鶴に対するのは
柔らかな雰囲気の白のニットセットアップ。足元のブーツとの相性が良く、ウエストがキュッと締まるデザインにより、そのスタイルの良さが際立っている。ハーフアップにした髪型も彼女によく似合っていた。
調和の取れた目鼻立ち、関わる皆を明るくさせる太陽のような性格。普段の彼女は自信に溢れ、カーストのトップに所属する。憧れの感情を持つ人も多いだろうし、そして多くのものを持つ側なのだろう。
私はそれほど多く絡んだことがないけど、彼女が大学内でもキラキラしたグループに所属しているのは当然のことだと思っていたのだ。
が、今の彼女への形容としては相応しくない。
間違いなく普段の彼女のイメージとはかけ離れているのだ。
パッと見ただけでわかる程の焦燥感。オドオドとぎこちない挙動で、落ち着きがない。さっきからこちらの機嫌を伺うことばかりで余裕がない。
それでもそんな彼女の状態には触れないまま、3人で幾つか話をして、本題へと切り込んでいく。
話を広げていく千鶴はまるで台本を用意していたかのようで、思いの外スムーズに場の準備は整う。
「めぐみちゃん、今日はたくさんの講義があってお疲れのところ呼び止めちゃって改めてごめんなさい」
そう言って頭を下げる千鶴は本当に申し訳なさそうな表情をしていた。
「ううん、大丈夫だよ。私にも話したいことがあったから・・・」
最後の方は小さく、消えるような声。
「そうなの?じゃあ良かった。このメンバーで遊んでから、まだ数日間しか経ってないけど・・・何だかずっと話をしていない気がするよね」
「これまで毎日いっぱい話をしていたもんね。ごめん。あれから色々忙しくって顔を出せなかったんだよね・・・」
取り繕うかのような笑み。
忙しくって、ね。
まあそれが無難な返答なのか、それともただの時間稼ぎなのか。触れてほしく無いよう濁しているようだが、それだけでは乗り切ることは困難だろう。
あの日以降、めぐみは私たちを避けて学校生活を送っていたことと認識している。千鶴だってそう受け止めているのだろう。千鶴やめぐみが属するグループの他のメンバーたちも同じだ。
私の方はグループが違うし、そもそも会わないから何とも思わないけど、千鶴やそのグループの他の女の子たちはこれまで毎日のように過ごしていたんだろうから。
親友と思っていた彼女が急に余所余所しい態度になり距離を取ろうとするんだから驚くよね。
それにしても私や千鶴を避ける理由は察するが、他のグループの女の子を避ける意味がわからない。
私たちが言いふらしているとか思ったか・・・?
それに今の返答といい、あからさまに逃げているような言動が表に出ているのを、彼女は自覚しているのだろうか?
「あのね、この場では嘘偽りなく言って欲しいの。・・・ここ最近、私たちのことを避けてたよね?」
逃げ道はないと思わせる言葉。だけど千鶴は穏やかに、寄り添うような声の色で話しかけている。
「・・・」
そんな千鶴の優し気なトーンとは反対に、めぐみの表情は引き攣っている。
「言いにくいこともあるかも知れない。だけどめぐみちゃん、あなたの口から聞かせて欲しいの」
何が、とはハッキリ言わない千鶴の少しだけ意地悪な誘導。
そして遂に本題に触れる。
「―——ねえ、あの日に何があったの?」
もうお互い引くことはできない。
「・・・っ」
質問されたにも関わらず、彼女の目線は下を向いていて沈黙が続いている。
『話したいことがあった』そう言った彼女は、てっきり覚悟は決まっていたんだと思っていたけど、まだ決心はつかないみたい。
・・・ねえ、今更何を迷うの?
私たちが敢えて今日、彼女が1人になるタイミングを見計らって来たということから、あの日のことを話題にするのは察しているだろうに。
それともこのまま心当たりがないとしらばっくれるつもりなのか。
・・・ダメだよ。逃げてても変わらないよ。
思わずそう言いたくなるんだけど、我慢だ我慢。ここで彼女の助けになるようなことは絶対にしない。
千鶴とめぐみとの対話だから。
2人の対話に水を差すようなことは絶対に出来ない。
「・・・えっと、あの・・・」
尚も一向に話そうとしない態度に彼女に対する評価をもう少し下げる。
まあ、今まで逃げ回っていたようなタイプの子だ。嫌な言い方だけど、私的には彼女がどういう選択をしようが関係があまりない。
逃げて逃げて逃げて・・・無理矢理にでも隠して生きていけば良い。
ただ腹が立つのは、覚悟を持って対話しようと試みる千鶴の意思を蔑ろにされること。どういう決断をしようが構わないが、向き合おうとする姿勢を見せない彼女に沸々と怒りの感情が出てくる。
そもそも自分で招いたことだ、何の覚悟もできていないというのは許せない。
自分が被害者だとそう主張したいのだとしたら反吐が出る。
何だかやり切れない気持ちを抱えつつ千鶴の表情を見てみる。
千鶴はというと変わらず笑顔をキープしたまま根気強く、めぐみ自らが話をするのを待っていた。
そして一瞬私の方を見たかと思えば、少しだけ首を横に振った。
何の合図か?
彼女はもうだめ、とも受け止めることができるが、違うように思った。
私が少し前がかりになっていた気持ちを制したのだろう。そう思った方が自然な感じする。
・・・ああ、いつの間にか私の方が極端な思考になっていたようだ。
知らず知らずのうちに強く握りしめていた拳を解く。
今さっきまで水を差さないようにと気をつけていたのに何をやってんだ私は。
千鶴はそんな私を柔らかい表情で見て頷いてくれた。さっきはその目を猛禽類のようなと比喩したが、それは撤回。ごめん!
気を取り直し、私も静かにめぐみを待つことにする。
そうしているとやがて、苦しそうな表情で下を向くめぐみの様子が少しずつ変化していく。
はらっと一筋の雫が彼女の目から溢れていた。
そして流れる涙もそのままに、「ふー」と強めに息を吐き出しようやく私たちに向き合った。
「・・・私、あの時に取り返しのつかないことしちゃったの。
私っ、私ね・・・」
多くを持つ側にある彼女からすると、恐らく人生でもこれほどの痴態など経験がなかったのであろう。
その過ちに気が付いた彼女は、普段の姿からは想像ができない程、余裕がない状態で言葉を紡いでいく。
それはまるで、血を吐くような、見たこともない表情でゆっくりと話し出すのだ。
――――――――――
大変お待たせしました。第23話です。
長らく更新ができず本当に本当に申し訳ありません。
仕事の繁忙期と育児とで心身ともに追い込まれておりました。更新の手を止めてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。
不定期な更新となってしまいますが、何とか続けようと思っておりますのでよろしくお願いします。
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