Route : Happy Ending
童話のifは異世界で ①
だが、
────『ルージュの脚本』最終章より
◇
少年は図書室にいた。いた
「──へ?」
並べられた本、ページを
──ここは……森か?
ワンテンポ遅れて少年──
そして目に映るのは──寒そうな木々の緑と、赤。
──赤?
誰かがいた。赤い頭巾をかぶった誰かが、茂みに身を隠すようにうつ伏せになっていた。顔は頭巾で見えず、体格は小柄。スカートを履いてるから、多分女の子だろう。その手中には銃が、
「は?」
銃だった。アニメとかゲームでしか見たことがなかった狩猟銃が、そこにはあった。
これは夢だ。そうに決まっていた。
だから、何が起きようが知ったこっちゃない。夢なんだから。女の子が構える狩猟銃の先に二人組の人間が歩いてたって、彼女が引き金に指を掛けたって、これから誰かが死ぬことになったって、夢だからどうでもいいんだ。
『──本当に?』
そんな声がした、気がした。実際はそう訴えかけてきたのは、口ではなく目だった。
見られた。何もせず、傍観を決め込もうとする瞭雅を、女の子が責めるように一瞥したのが、確かに見えてしまった。目が合ってしまった。
それだけで不相応な正義感と不道徳な罪悪感がむくむくともたげてきて、瞭雅の理性を囁き声で諭してくる。
──おい、殺されそうな人間がいるぞ。
ダメだ。動くな。下手したら死ぬぞ。
──しかも、見殺しにしようとしてんのがバレたな。
やめろ、あのときとはワケが違うんだぞ。
──さあ、どう立ち振る舞うのが『正しい』んだ?
「……待てっ!」
躊躇していたのは、もう夢じゃないって知っていたから。それでも走り出したのは、これが正しいって思ったから。
女の子はもうトリガーに触れている。間に合うはずなんか、ないのに。
ドカン。
そんなチープな擬音では到底表現できない、しかしそうとしか瞭雅には言い表せない轟音が、耳をつんざいた。宙を虚しく掴んだ瞭雅の手、人を無慈悲に殺した女の子の瞳、糸を失った人形みたいに崩れた人の姿、死を濃厚に孕んだ血飛沫の赤。そのすべてが視界に収まったフレームは、まさしく夢と呼ぶのが相応しかっただろう。
だけど、違う。顔面から倒れ込んだときの生々しい痛みが、鼻腔をいっぱいに満たすカビっぽい匂いが、口に入り込んだ土の苦々しい味が、「夢じゃないぞ」って叫んでる。
これは現実だ。そうに決まってしまった。
現実で、人が死んだ。しかも銃で撃たれて。目の前に、その犯人がいるんだ。今からきっと、もうひとりの方も殺されるんだ。瞭雅もきっと、口封じのために殺される。
でも、見殺しにはしなかった。間違ったことはしなかった。
ただそれだけの確かな事実が、瞭雅の恐怖を緩和させる。
「大丈夫ですか?」
そんな声がして、面をあげた。目の前にあったのは小さな手のひら。最悪銃口でも突きつけられていると思っていたのに。
「……殺さねえの?」
ただの素朴な疑問のつもりだったが、声にして初めて失言だと気づく。これではまるで殺してほしいみたいじゃないか。不運にも女の子はしっかりとそう受け取って、
「殺してほしいんですか?」
と、親切心からか彼女は銃を構え始める。
もちろんそんな配慮は御免被りたい瞭雅は、
「待った待ってください、生きてえ、めっちゃ生きたいです!」
「そうですか」
必死の弁解が通じたのか、それとも関心がないのか、彼女は瞭雅から見て三時の方向、つまりは自分で作り出した事件現場をじっと見ていた。何をそんなに眺める必要があるんだろうか。そこには死体しかな
──いや、
そうだ。それがおかしいのだ。あそこにはもうひとりいたはずだ。
逃げたのだろうって楽観視はできなかった。
だって、残されたもうひとりはさっきまで大事そうに撃たれた人間を抱えていたし、こっちの方向を睨んでいた気がするし、灰色のローブに覆われたその背には、女の子と同じく狩猟銃があった気がしたから。
嫌な予感がした。
考えただけで背筋が凍てついて、脳が思考を拒否する、そんな予感。
枝を踏み締める音が、三人分の呼吸音が、三人目の気配が、予感を確信へと変えていく。
「生きたいなら、隠れて」
突然身体を思いっきり押されて、瞭雅は茂みの向こうに転がった。でもその茂みは葉っぱもついておらず、図体がデカイ瞭雅が隠れるには頼りなさすぎる。人殺しをするのに、わざわざ赤を纏うセンスの持ち主には、これで瞭雅を隠せたつもりなんだろうか。これじゃあ、絶対にバレる。息を殺し、もっと奥に身を隠そうとしているとき、
もうひとりが、姿を現した。
血で灰を赤に染めたローブで容貌は徹底的に隠され、背中にあったはずの狩猟銃は手元にあった。そして、
ゆっくりと、
ゆっくりと、
だが確実に真っ直ぐと、
瞭雅の元に近づいていた。
──殺される。
理解した途端、心臓が爆音で警鐘を鳴らし始めた。あまりの鼓動の激しさに、喉から飛び出してこないか心配になるほどに。ドクドクドクドク──リズムを刻む度に、死もまた一歩一歩近づいてくる。
心臓が煩かった。堪えた息が苦しかった。冷や汗をかいて気持ちが悪かった。死ぬのが怖かった。殺されるのが怖かった。目の前の人間が怖かった。
それと同時に、わずかな飢餓感を覚えた。
なぜかはわからない。だが、気のせいではなかった。死が一歩近づく度に、空腹は確かに増幅し、恐怖を麻痺させていく。
もう息は苦しくない。冷や汗もかいてない。殺されるのも怖くない。目の前の、■■だって怖くない。でも、
相変わらず、心臓は煩かった。
あと数メートル。瞭雅は何かに急かされるように手を伸ば
「動くな‼︎」
突如響き渡った女の子の声に、瞭雅は夢心地の酩酊感から引きづり出された。それと同時にローブを着た人間はうつ伏せに倒れ込み、その頭が瞭雅の眼前に晒される。背は赤頭巾の彼女に足で押さえつけられており、頭には狩猟銃が突きつけられていた。
状況が理解できない。あのとき、姿を隠して、息を殺して。それからどうなった?
しかし、状況を説明してくれるような親切な存在はここにはいない。瞭雅を置いたままどんどん話は進んでいく。
「私は王妃殿下の任務で貴様を監視していた! 情に厚い貴様が、王女殺害の命をきちんと果たすかどうかをな。案の定、貴様は王女を逃した。よって私は代わって王女を排除し、これから貴様を処罰するところだ。分かるな」
瞭雅に対してのあの恭しいものとは違い、非常に高圧的な態度でそう言い聞かせる。ローブの人間は小さく頷いた。
「だが、できるならば奪う命は最小限に抑えたい。だから貴様にチャンスをやろう。なに、難しいことじゃあない。貴様はただ黙って、自分が王女を殺したことにすれば良い。どうだ。簡単だろう」
沈黙。これは何かを考えている間だ。けれど、それでもどうしようもなかったのか、数秒後には白旗があがった。
「……分かった。言う通りにしよう」
「そうか。物分かりがよくて助かるよ。では早速王妃殿下に報告を。死体の処理は私の方でしておこう」
女の子は背から足をどかし、銃口は突きつけたままその場を立ち去っていく。
出来のいい劇を見ていた気分だった。
日本には王妃も王女もいないし、任務で殺人なんてあるわけないし、銃刀法違反を堂々と破る人間なんてものもいないからだろう。現実味がない。嘘っぽい。それでもここは、土の味がする紛れもない現実なんだ。
つまり、ここは日本ではないどこか。なぜ言語が日本語なのかは置いていて、とりあえずそれだけはわかっ──
「お待たせしました」
「……っ!」
心臓が一瞬止まった。声すら出ない驚きだった。そのあと、停止した分を取り戻すかのようにバクバグと痛いくらいに鳴る。女の子がいた。死体の処理をしているはずの赤頭巾の女の子が、なぜか瞭雅の前にいた。
「その……何の用で?」
聞くのは怖い。でも、聞かずに殺されるのはもっと怖い。意を決した割にはおずおずとした瞭雅の疑問に、彼女は首を傾け、
「知りたくないのですか?」
そして、「そんなわけないよね」とでも言うように笑って、
「あなた、日本から来たんでしょう。私も同じです」
同じ境遇の人間との邂逅。状況が状況じゃなければ、もっと喜べたのだろう。されど彼女は殺人鬼。むしろ同郷だということが、異常さを浮き彫りにする。
「なんで、殺した」
「殺すとは人聞きの悪い。私は人なんて殺してませんよ」
さすがにそれは無理がある。再度三時の方向を確認する。濃厚な鉄の匂い。赤いカーペットで眠ったまま、ピクリとも動かない人間。あれで生きてるって言われても、信じろというのはできない話だ。そもそも、さっき自分自身で「王女の死体」だと言っていたじゃないか。
「納得できていないようですね」
「そりゃあ、そうだろ」
殺人の供述として、これほどひどいのはなかなかない。
もっとマシな言い訳を捻り出そうとしているのか、彼女は思案げに空を見上げて、
「……貴方は物語の登場人物を、私たちと同じ『人』だと判断するんですか? 登場人物が死んだら、そのような展開にした作者を人殺しと呼びますか?」
意図の読めない急な問いに言葉が詰まった。だが、長くは続かない。当然だ。答えは分かりきっているのだから。
「するわけねぇじゃん。フィクションだぞ?」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、彼女はニヤリと口角を上げた。
「ええ、そうです。フィクションです。現実には存在しないものです。そしてこの『世界』、それと同じですよ」
「はあ?」
「ここは、ある人間の真っ赤な嘘から作られた、虚構の『世界』です」
意味がわからない。あれか。殺したことを嘘と言って信じてくれなかったから、今度は世界ごと嘘だと言い張ってるのか。
狂ってやがる。
隠そうともしない瞭雅の嫌悪感は、トチ狂った彼女でも気づけるものだったのだろう。理解を示さない瞭雅に向けて吐いた、やれやれって副音声がつきそうな溜め息とともに、
「今にわかりますよ。ほら」
死体の方を、指差した。
「…………は?」
脳が、やっと口笛みたいな音に気づいた。いつぞやにどっかで聴きたことのある、鳥の声。
ウソが鳴いていた。
「なんで、動いてる」
ああ、そうだ。これはきっと嘘だ。
──いいや、現実だ。
そうに決まっている。
──もう諦めろ。
お前だって、とっくのとうに気付いてんだろ。
これは現実なんだ。そうに決まってしまったんだ。
ウソの声が段々と煩くなる。
「やっぱり。白雪姫は不死身だったんだ」
少女がそうポツリと呟いた。
ほら、また繋がった。
女王に命を狙われている王女。命令に反き、王女を森に逃した猟師。そしてここにくる時、配架の途中で落としてしまった本があったじゃないか。
その本は童話『白雪姫』。
ここは────白雪姫の世界だ。
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