第三日目「早すぎる共同生活」

 結局、押し流されるように決まったレイ先輩との保護監督官業務は、開始するにあたり、より円滑かつ効率的に行う為という名目で今よりも広く大きい社宅に引っ越すことが決定した。


 本当は義父オヤジが強引に……。


「三人家族なら今の場所狭いし新しい家を用意しよう!! モロチン経費で!!」


 と、何とも清々しい職権乱用をする為の仮名目なのだが。

 決まった家について聞いたところによると、局から車で8分の所にあるタワーマンションの二十四階らしい。今の2LDKのアパートに比べれば身に余ると言える程のランクアップだ。まあだからこそ変に羽目を外さないように気を付けなければ。


 ともかく、今日の仕事は終わったことだし、今の家に帰るとしよう。

 思い入れが無いと思っていたあのアパートとも、いざお別れになると思うと寂しくなるものだ。

 電車に乗り駅を抜け閑静な住宅街のアパートに戻ってきた。

 よし、リリアは元気にしているだろうか、しているだろうな。

 いつも帰ってくると飛びついて明るい声でお帰りと言ってくれるような子だ。

 元気じゃない訳がない。


「ただいまー」

「「お帰り!」」

「──」


 ──ん? 待てよ。今、声が誰かと重ならなかったか?

 玄関に立ち扉の鍵を閉める体勢から体を戻せない。

 まて誰だ? なんで家に? てか鍵はどうやって突破した?

 いくらでも疑問は湧いて来るがそれよりも思う事が一つだけある。


だと?」


 お帰り、つまり俺の帰宅を歓迎している訳だ。

 現状、俺の帰宅を喜んでくれるのはただ一人、リリアしかいない。

 だが、それにプラスしてもう一人だけ候補として加わった奴を俺は一人だけ知っている。

 しかし、それはあまり考えたくなかった。


 俺は勇気をだして振り返った。

 そこには変わらぬ明るい赤茶の髪の毛と獣耳に尻尾を振って爛漫に笑う獣人の少女が一人。

 そして、そこに加わる最初から居たかの様に律儀に正座して感情の乏しい顔でこちらを窺う鬼の女性が居た。


「……」

「お帰り、マイダーリン」

「なんでいるんだよ、先輩」

「任務、早い方が、いろいろ、いいと思った、から、来ちゃった、てへ」


 只、無表情で首を傾けながらちょびっとだけ舌を出した。

 知らぬ間に家に上がり込み、挙句の果てには、来ちゃったてへだと、それがかわいいと思われる世界線を俺は知りたい。


「任務って、確か来週からですよね、しかも引っ越した後からだって聞いたんですけど!?」

「それ、どこ情報?」

「事務の東出さん」

「あー、私は、局長から、鍵貰ったから、来た、局長曰く、『不束者の息子だが任せたぜ!レイちゃん!! (グッドポーズ)』とのこと」


 フームなるほど、つまり俺は先輩にではなく、あのクソ義父オヤジに一発をお見舞いしてやれば言いわけだ理解理解……いやできないな。


「だからってわざわざこんな早く来る必要ないですよね!? 今日のところはお引き取り願いたい!!」

「そんな、私の家、ここから、真反対、だから、今からだと、着くの、11時ぐらい、しくしく」

「うぅ、だからって家に泊めるのは……」


 いかんここで押されては結局押せば揺らいでなし崩せるチョロい男だと思われてしまう、たとえ先輩だろうと意地を持ってお返しせねば。


「わかった、一人で、真っ暗な夜道、寂しく、帰る事に、する、一人で、真っ暗闇を……うぅ」

「うぐぬ……」


 耐えろ葉加奈はかな水徒みなと、ここで揺らいではチョロい男確定だ。

 既に玄関付近まで歩いている、あと一歩だ。耐えろ、耐えるんだ!!


「おにいさん、おねえさんかわいそうだよ」

「え、リリアちゃん……」


 なんッだと。まさかのリリアからの援護射撃だと!?

 まずい、このままではもしかたら嫌われるかもしれない。

 いやだが、ここで折れては恐らくなし崩し系チョロ男確定……どうする耐えるか?

 いやでも、ここでリリアに嫌われるのはもっとこう、精神を抉り取ってくるタイプのダメージを負う可能性が、どうすれば……まてよ、リリアに言われたからしょうがないよねって事にすれば? 子供の優しい気持ちは尊重しないといけないよねルートだったらどうだ。

 そうだそれなら行ける、子供の気持ちは尊重しないとねって事なら仕方ないもんね。

 これは俺がチョロいからじゃない!

 リリアには申し訳ないがここはリリアを言い訳道具にさせてもらおう……。


「はぁ、分かりましたよ……リリアちゃんもこう言ってるので、今日のところは泊っていってください……」

「ッ!! 本当? 感謝、感激、雨、あられ、じゃあ、お言葉に、甘えて、イェイ」


 さっきまでが演技だったかのようだが、まあ、いいだろう無理矢理でも自分を納得させておこう……あと、義父オヤジは今度殴ろう。

 そうして俺の言葉を聞いた先輩はあっという間にキッチンへ回り冷蔵庫を開けた。

 人の家の冷蔵庫を勝手に開けんなとも思うが今は落ち着いて、先輩の動向を窺う。


「食材沢山、ある、葉加奈、自炊男子? 凄い、もてそう」

「褒めてくれるのは嬉しいですけど、別に、自炊男子って訳じゃないですよ。只、リリアちゃんに惣菜ばかりってのが嫌なだけです」


 そう、先輩の率直で素直な褒め言葉は嬉しいが別に俺は自炊男子って訳ではない。

 リリアが来てから自炊を良くするようになっただけだ。

 俺だけならまだしも、育ち盛りの子供にスーパーの惣菜ばかりというのはどうにも気が引けるのだ。

 だが、そのおかげか、最近はよく帰りにスーパーに寄ることも増えたし、タイムセールや特売品という言葉に敏感になった気がする。

 結果的に金の使い方が少しまともになれたような……


「葉加奈らしい、優しい、考え方、私は、好き、きっと、いい親に、育ててもらった。局長は良い人、だから」

「どうすっかね? 俺、あんまそこらへん分からないんですよ」


 冷蔵庫からキャベツと豚肉を取り出している先輩を尻目にリリアを抱き上げている俺の言葉に先輩はどこか怪訝な目をしていた。


「──? 局長、良いお父さん、その息子なら、優しくない、訳ない」

「ん? ああ、先輩は知らないんですね」

「知らない? 何か、違った?」

「え、ああ、えーと……」


 手を止めた先輩が俺を問いただす。濁そうとも思ったが、俺の言葉で引っ掛かりを作ってしまったせいか先輩も引く気は無さそうだ。

 うーん、先輩は職場の上司というだけで、別に深い関係ではない。

 これを言うことでこれからの生活中に変に気に掛けられる様なことは御免だ、言うべきか言わぬべきか──。


 いや、どうせこれから共同生活が始まるんだ、今言わずともいずれ言う事になるのかもしれない。それなら、その時期が早まっただけで済む話だ。


「実は俺、両親をガキん時に亡くしてんすよ。人亜紛争の波で家の下敷きになって俺だけ生き残っちゃいましてね──まあ、そんなこんなで潰れた瓦礫の中で放心してた俺を局長……今の義父オヤジが拾ってくれたんですよ。だからつまり、その、義父オヤジと血の繋がりはないんです」


 今でも、両親の顔は思い出せない。

 瓦礫に紛れて写真なんかも全滅したせいで、両親を辿る手掛かりはほとんど消え失せた。

 覚えてるのは、瓦礫の中で薄れる意識を必死に保っていた俺を、瓦礫から引き上げ出し助けてくれた大柄な亜人と、俺を拾ってくれた今の義父オヤジぐらいだ。

 それより前を思い出しても、両親の事だけは記憶を辿ろうとすると頭痛がするから考えられなかった、それは今も変わらず続いている。


「まあでも、別に辛くはないし今だってこうピンピンとしてますんで、心配なんてしないで下さいよ」

「──ごめん、不躾な、質問だった」

「だから、やめてくださいって、そんな昔のこと、あんまりもう覚えてないんすから」

「わかった、葉加奈が、そう言うなら、そうする。それじゃあ、晩御飯、私が、作るから、待ってて」


 先輩がフライパンをコンロに乗せ、まな板に取り出した食材を乗せた。


「先輩、料理出来るんですか?」

「格技訓練室でも、言った、料理、少しなら、出来る。腕は、期待して、良い、龍の背中で、眠るつもりで、待ってて」

「えーっと、『大船に乗ったつもりで』みたいな慣用句ですか? 異界で言う所の」

「その通り、ごゆるりと、待ってて」


 そう言って先輩は少しというには出来過ぎな位素早く、軽快な音を立てながらキャベツをざく切りにした。


「葉加奈、ボウルって、どこにある?」

「ああ、上の右から二番目の棚です」

「ありがとう」


 先輩はボウルを二つ取り出すとそこに刻んだキャベツを移し、続いてピーマンを細目の千切りにした、それをキャベツと同じボウルに移して、もう一つのボウルにパックの豚肉を開いた。


 遠目から見ていたが先輩は予想以上に手際がいい、これで少しなんて何とも謙遜した物言いだと俺は思う。

 ごゆるりと、と言われたので俺はひたすらにリリアと一緒にテレビの子供向けアニメを見ていた。その間にも様々な音が聞こえて来た。


 豚肉にニンニクチューブを少し入れ軽く揉み込む音とニンニクの食欲を誘う香り。

 野菜の焼ける空きっ腹に響く音。

 火が通って来たのか、肉も入ってからはニンニク風味の付いた豚の脂身の仄かに甘く香ばしい焼肉の香りが空腹をさらに刺激してきた。

 途中から、調味料が入ったのか、さっきまでの香りから一転、仄かに刺激的で、それでいて塩気のある中に広がる甘みのある甜麵醬の様な中華の香りが漂い、俺もやっと何を作っているのか分かってきた。


「先輩これって……」

「そう、葉加奈の、予想、たぶん、当たり、言ってみて?」

回鍋肉ホイコーローですよね?」

その通りイグザクトリー


 少し微笑みを浮かべた先輩はフライパンいっぱいに出来た、回鍋肉ホイコーローを得意げに見ていた。食器の場所は俺が一番よく知っているので一人ずつの皿に盛り分けるのは俺がやり先輩には手渡した三人分の食器に白米を盛ってもらった。


「リリアちゃん、先輩がご飯作ってくれたよ~」

「はぁーい!!」


 元気よく返事をするリリアのいるテーブルへ食事を並べる。

 俺達も食卓へと姿を変えたリビングテーブルに着き、手を合わせた。


「「いただきます」」


 少しだけ温かみの増した食卓で少しだけ騒がしくなった食事を終えた。


 食事が終わり三人でソファに座りテレビを見ていたが、横を見るとリリアがおねむの様だ。

 ウトウトとしてとろんとしてきている瞼を擦り何とか俺と先輩の腕に抱き着いている。


「そろそろ寝ようか」

「リリア、まだ眠くないもん」

「だーめ、目がとろーんってしてるでしょ? そろそろ寝る時間でーす!」

「うむぅ~」


 リリアの頭を撫でながらそう言ってみるが、どうやらリリアは意地でも寝たくないのか可愛く唸りながら力なく首を振っている。


「ねむくなぃのぉ―!」

「ダメでーす、寝る時間なの! ほら、布団敷くから横になって~」


 布団を敷きながらリリアを見ると、先輩に寄り掛かりながらそれでも寝まいと必死に瞼と戦っていた。


「ほーら、横になって~」

「やぁ~」


 ふわふわとした獣耳をぴたりと閉じて、先輩の腕に絡み付きながらくっ付いている。

 うーん、やっぱり可愛い、ここ一週間生活してきてリリアはかなり可愛いと思ってきたがやはり何処までも底なしの可愛いさを兼ね備えていると改めて実感する。


「俺が、一緒に横に居るから寝よう?」

「リリアねむくない!」


 これはこれは、まさか反抗期というヤツだろうか、イヤイヤ期なんて言い方もするがこうなった時、世の中のお父さんお母さんはどう対処しているのだろう……

 どうやろうとも嫌がるリリアに俺が苦戦していると先輩の救いの手が舞い降りて来た。


「リリアちゃん、もう、寝る時間、だよ?」

「ねむくないもん」

「でも、おめめ、眠そう、少しだけ、横になって、みよ?」

「むぅ~でもぉ~」


 諭す様な先輩の言葉でもイヤイヤを発揮するリリアだが、先輩も引き下がることなく、冷静かつ静かに対応を続ける。


「大丈夫、横に、なってみて、時計の、長い針が、十に、なるまで、耐えたら、起きてても、いい、少しだけ、ね?」

「──わかった……」


 先輩の一枚上手な言い回しに見事につられたリリアが布団に伸びて時計を見た。

 じーっと、じぃーっと、見つめ続ける。

 どうやら、九時五十分まで耐えるつもりのようだ。


「んん、ぎゅうやだぁ」


 先輩は後ろからリリアの事を抱きしめて優しく胸を叩いて眠らせようとしていた。

 リリアは負けじと時計を見る事だけに集中しているようだ。

 じーっと、じぃーっと、じぃぃーっと……。

 そうして見ているはずのリリアの目はいつの間にか閉じていて、口元からは「すぅーすぅー」という、寝息が聞こえて来た。


「眠った、作戦、大成功、イエーイ」

「流石は先輩っすね、長寿の知恵って奴ですか?」


 俺の減らず口に少しだけ頬を膨らませてムッとした先輩がリリアを起こさぬように静かに起き上がった。


「年寄、みたいな、言い方、やめて、妹が、いたから、できただけ」

「先輩ってお姉ちゃんだったんですか」

「うん、26歳、離れた、妹が、いた」

「26歳……」


 鬼の平均寿命は現世こっちの人間の役三倍と聞いた事がある。

 つまり26という文面だけで見ればだいぶ年齢差がある様に見えるが、

 人間の尺度に直せば八年と数か月という事だ。

 そうして考えればそこまで離れた年ではないのが分かる。


「名前はリン、よく泣く、だけど、元気で、可愛い、妹、いつも私に、甘えてた」

「へぇー」

「リリアちゃんと、同じぐらいの、時に、こうやって、寝かしつけてた、から」

「なるほど、道理で手慣れてるわけですね──。って、そう言えばその事で聞きたいことがあるんですがいいですか?」


 俺は思い出したもっとも最初の疑問を聞こうと問う。


「うん、何?」

「先輩とリリアちゃんってどうやって仲良くなったんですか?」


 第一に、ファーストコンタクトからおかしかったのだ、確かに獣人の子は警戒心が皆無と言って良いほどに無いが、これでも一週間の間なるべく他人の事は警戒するように教えて来たつもりだ。

 おかげで、宅配便が来るたびに率先して飛び出そうとしなくなるぐらいには警戒心を付ける事が出来たし。

 だが俺が帰ってきた時はどうだろう。

 何故か既に、最初から何事も無かったかのように先輩とリリアは一緒に居たのだ。

 一体どういうトリックを使ったんだろうか。


「仲良く? 簡単、お菓子沢山、お土産、持ってきた」


 力技だった。

 トリックのトの字も無かった。

 完全にお菓子で釣ってた、そしてまんまとリリアもそれに釣られてた。

 何故だろう、俺の警戒心育み訓練の全てが無駄になった気がする。

 でもまあ、これから長く過ごすことになる訳だから、既に好感度があるのは良い事なのかもしれない。


「それじゃあ、俺達もそろそろ寝ますか」

「ん、でも、布団、一つしか、ない。どうするの?」

「俺はソファでいいんで、先輩はリリアちゃんと一緒に寝たらどうっすか?」

「確かに、でも、葉加奈、ソファで、いいの?」

「俺は別に、てか、どうせもう少ししたら広い家に移る訳ですし、別に構いませんよ。リリアちゃんが来てからずっとそうしてますんで」


俺はいそいそと、ソファに毛布を持ってきて、寝る支度を始める。

先輩は何処か不安そうだったが、特段気にすることなく、ソファに横になった。


「おやすみ、葉加奈」

「おやすみなさい先輩」


暗くした部屋の中で高低差のあるおやすみの言葉で一日を終えた。

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葉加奈さんちの亜人ライフ 神無月《カミナキツキ》 @kaminakituki

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