三度目に分裂

森本 晃次

第1話 二度目に見ること

「世の中には自分に似た人が三人はいる」

 と言われているが、それを意識している人がどれほどいるだろう?

 話としてはよく聞いても、実際に経験しなければ、オカルトか都市伝説として意識するだけで、その意識はまるで他人事である。

 普通であれば、

――そんなことは信じられない――

 と、頭の中が勝手に判断し、人と話を合わせることはできても、なかなか信憑性はないだろう。

 そんな話は、世の中にはたくさんある。オカルトや伝説が好きで、いろいろ調べる人もいれば、話題として想像を膨らませるのが好きな人は、何時間でも会話していることだろう。

 オカルト小説もたくさんあり、本を読むのが好きな人は、本の世界に入り込む自分に快感を覚えているかも知れない。本を読む醍醐味は想像力にある。そういう意味では、オカルト小説は、その醍醐味を満たしてくれるには、恰好のジャンルではないだろうか。

 真田信治は、大学三年生になって、二年間の大学生活が何だったのか、いろいろ考えていると、実際に思い出されるのは、オカルト小説を読んで、いろいろ勝手な想像をしていた時期ばかりであった。

 本当はそれだけではなかったのだが、記憶に残っているのは、成果として残ったことばかりだと思うようになった。やりたいことがないわけではなかったのに、途中で諦めてしまったり、他の人に取られてしまったりと、達成できなかったことばかりだった。途中の過程がどんなに思い出に残るようなことであっても、最後に何も残らなければ、成果と言えないということを、思い知らされる事例だった。

 高校時代までは、友達も少なく、もちろん彼女もいなかった。自分から友達を作ろうとはしなかったのだから当然のことで、理由としては、

――大学受験する上で、皆競争相手であり、敵なんだ――

 という意識があったからだ。

 友達を作ったとしても、この意識があると、仲良くしていたとしても、それは表面上だけのことであって、心の底では何を考えているのか分からないという思いがあり、

――キツネとタヌキの化かし合い――

 をしているようで、時間の無駄だと思えていた。

 逆に、仲良くしている連中の他愛もない会話を聞いていると、受験戦争に対しての敵前逃亡に見えて、情けなくなってくる。

――俺は絶対にそんなやつらには負けない――

 と、心の中で思っていた。

 そんな彼らを見ていると、まわりを差別化して見ていることに気づく。そんな連中を友達として見ることなどできるはずもない。信治はまわりに対して優越案を感じることで、自分の中の孤独を正当化しようとしていたのかも知れない。

 彼女がほしいとは思わなかった理由もその延長線上にあった。

 クラスメイトの女の子たちを見ていると、数人でつるんでいる連中の中で、まるで女王様のように見えた。

 決して一人でいれば目立つタイプではないくせに、まわりから担がれることで、まるでシンデレラのように輝いて見えるようだった。しかし、実際には受験から逃げている連中に担ぎ上げられた「お飾り」でしかなく、世間を騒がせている新興宗教のたぐいに見えてくるほどだった。

 他の女の子は、実に暗い。絶えず一人でいて、中学時代まで親友だったはずの友達とも、ほとんど会話をすることもなく、たまに話をしているのを見ると、実にぎこちなくて、見ていられないほどだった。

 本人たちもそのぎこちなさに気づいているはずだった。気心が知れていたはずの相手に明らかなぎこちなさを感じるのも感じさせるのも、自分たちの本意ではないはずだ。それを思うと、茶番でしかない学校での生活は、息苦しさ以外の何物でもなかった。

 しかも、学校で習うことよりも、予備校で習うことの方が何倍も受験に際して大切なことだった。実際に予備校では必死になって勉強している連中の中には、学校での授業中居眠りをしている人もいるくらいだ。彼らには下校後が勝負であり、予備校から帰ってきても、家で遅くまで勉強しているのだろう。

 かくいう信治もそうだった。

――どうして、学校なんかあるんだろう――

 と感じるほどで、受験に関係のない学科まで勉強しなければいけないのは、どこか理不尽な気がしていた。高校を、

「大学受験のための、予備校のための予備校」

 とでもいう位置づけで感じていた。

――どうせ、義務教育ではないんじゃないか――

 という思いが強く、学費がもったいないとまで考えていた。

 学校の授業でも、先生はあまり熱心ではなかった。

――どうせ、受験科目ではないやつには、何のためにもならないんだから、居眠りしていたとしても仕方ないよな――

 と考えていたのだろう。

 下手に刺激して、反抗されたり、暴れられでもしたら、自分にとって何らいいことはない。しょせん、学校の先生と言っても、自分のことばかりしか考えていないのだ。

 ほとんどの高校生は、皆そう考えていると思っていた。もちろん、信治もそのうちの一人である。

 高校時代の学校行事ほど嫌なものはなかった。体育祭に文化祭、なるべくなら休みたいと思った。

 一年生の時は、嫌々ながら出席したが、クラスの数人は休んでいた。

――何だ、休んでいる連中だっているじゃないか――

 と思うと、それ以降、学校行事には、一切の興味を示さなくなった。

 高校一年生の時点ですでにクラスとしての機能はマヒしていた。中には一生懸命にクラスを盛り立てようと努力しようとしている人もいたが、まわりのやる気のなさが、逆に彼らの本気度を示していることに気づくと、それ以上、クラスを盛り立てようとはしなくなった。学校側と、生徒の間の板挟みで可哀そうだったのは、先生たちではないだろうか。

 少なくとも信治の学校はそんな感じだったが、他の高校がどんな感じだったのか、信治は知らない。知りたいとも思わないし、楽しい高校生活を送れている高校があったとしても、

――俺には関係のないこと――

 として、意識しないようにしていた。

 そのことが、自分の本当の気持ちに向き合いたくないという意識から来ていることだなどと、思いもしなかった。

 高校三年生の秋口あたりからは、それまでやってきた勉強の反復に入っていた。

――やるだけのことはやったんだ――

 という満足感のようなものが、自分の中にあった。

 その頃から、少しずつではあるが、気持ちの中に余裕のようなものが現れるようになった。

 受験前の大切な時期であり、一番緊張感が高まってくる時期のはずなのに、気持ちに余裕が生まれてくるなど、想像もしていなかった。

――こんな気持ちは初めてだ――

 そう思ってくると、それまでの高校三年間の自分を思い返すようになった。

――俺は何をしてきたんだろう?

 まだ本番の受験を迎えていないので、成果が出ているわけではない。

 成果が残ったものだけが、記憶として残るものだと思っているだけに、何も残っていないのは当たり前のことだった。

 分かっているはずだったのに、あらためて何も残っていないことを思い知らされると、急に愕然とした思いに陥り、寂しさが込み上げてきた。

――ついこの間、中学を卒業したんだっけ?

 高校に上がる時も受験したはずなのに、あの頃とどうしてこんなに違うんだろう?

 確かに、中学時代から、

「高校というところは、大学受験のためのステップにすぎない」

 とまで思っていた。

 高校生活を我慢することで、大学時代に楽しい思いをすることができると思っていた。高校時代というのは、大学生活のための犠牲になる時間としか思っていなかったのだ。

 信治にとっての唯一の救いは、勉強自体が嫌いではないということだった。

 勉強を始めるまでは、少し気持ちの切り替えが必要なのだが、勉強を初めてしまうと、集中しているからなのか、次第に楽しくなってくる。

 集中力を高めると、時間があっという間に過ぎてしまうということを知ったのも、この時が初めてだった。

 勉強の楽しみは、新しいことへの発見であり、何もなかったものから新しいものを作る楽しみに似ていた。芸術ではなく勉強を楽しいと思っていた高校時代は、今までの中で一番現実的だったのかも知れない。

 現実的な自分がこんなに暗い性格になってしまうというのも分かっていたこと、現実的な考えは、どうしても理屈っぽくなってしまう。理屈っぽさとは中学時代までにも感じていたことだったので、高校に入って友達がいなくても、それはそれで問題のないことに思えたのだ。

 そんな高校時代に、結構夢を見たような気がした。目が覚めると忘れていることも多かったのだが、その時々で違う夢だったようだ。

 夢のシチュエーションは違ったのだが、夢に主題があるのだとすれば、その主題は同じだったような気がする。その主題とは、夢を見る上での幹になる部分であり、それが同じであるという意識があるのに、夢を覚えていないというのもおかしな気がした。

――わざと意識して思い出さないようにしているのか、それとも、目が覚める時に思い出せない記憶の奥に、封印しようとしていたのではないか――

 と思うようになっていた。

 高校時代に思い出すことのなかった夢だったが、大学に入学したとたん、急に思い出すようになった。

 かなり前の夢だったということは分かっていたが、最初はそれがいつ見た夢だったのか分からなかった。高校時代に見た夢だったのか、それとも小学生の頃に見た夢だったのか分からない。

 実際に小学生の頃にも、見た夢を意識しながらも、思い出せなかったこともあり、結局気になりながら、思い出すことを諦めてしまったという経緯があったのを覚えていたからだ。

 大学生になって以前に見た夢を思い出す時というのは、孤独を感じている時に多かった。信治が感じている孤独というのは、他の人が考える孤独とは違い、

「寂しくて嫌だ」

 というものとは少し違っていた。

 信治が考える孤独というのは、決して嫌なものではない。むしろ、自分の時間を自分だけで自由に使えるという幸せな時間であり、そのことを分かっていないまわりの連中を、可哀そうだとすら思っていた。

――孤独を楽しめるのは、俺だけなんだ――

 と、孤独を寂しさとして嫌がっている連中を憐れんでいた。

 だから、夢を覚えていないのだと、信治は思っていた。

 覚えていない夢には、自分の他に誰か友達が出てきたような気がする。

 どこかに一緒に遊びに行ったり、スポーツやゲームをしたり、普段したことのないはずのものを夢に見ていたようだ。しかも、夢の中では初めてだという意識はなかった。

 現実にはありえないことだった。

「誰かと一緒に遊びに行ったり、ゲームをしたいなんて思ったのは、中学の頃までだな」

 中学の頃までは、友達の家によく遊びに行ったものだった。

 中学の頃は、自分から動かなくても、まわりが動いてくれた。特に中学に入った頃には、いくつかのグループができたが、グループへの誘いからなのか、

「俺んちに遊びに来いよ。皆も来るからさ」

 と、言って誘われたものだ。

 最初だったこともあり、断る理由もないので遊びに行っていた。人に対して気を遣うことには神経質な親だったので、ただ遊びに行くというだけでは許してはくれなかったが、

「友達から誘われたんだ。皆も来るから、俺にも来いって」

 と言えば、母親も許してくれた。

 逆を言えば、そこまで言わなければ許してくれないほどだったのだ。

 誘われて行ってみると、最初は楽しく遊んでいるだけなのだが、次第にグループへの勧誘を仄めかされる。最初の頃は、

――グループに入ってもいいかな?

 と、他のグループも見てみたいという理由で、最初の誘いは断ったが、もちろん、そのことを口にすることはしなかった。しかし、誘ってきたやつも、自分がまわりと比較してみたいと感じたことくらい、分かっているに違いない。

 しかし、二つ目のグループ以降の誘いには、乗らなかった。母親にいちいち断らなければいけないというのも億劫だったし、一つ目の誘いを断ったその時から、どこかのグループに入ることが情けなく感じられた。

――今から入ったら、一番下っ端だ――

 というのも、大きな理由ではあるが、中立な立場がどれだけ自由かということを、誘われた時に楽しかった思いが残っているのと、客観的にグループを見ていると、中の上下関係が一目瞭然に見えていて、一番下っ端が、一番端にいて、はじき出されそうになっているのが分かる。

 そのままはじき出されればそれでもいいのだが、なぜか窮屈なだけで、はじき出されることはない。

――俺には、そんな立場は耐えることができない――

 と考えていた。

 高校三年生になると、本格的な受験を迎えるようになる。まわりはプレッシャーを感じているのが、目に見えていた。信治は自分もプレッシャーを感じていることは百も承知であるが、それを他の人に悟られるのは嫌だった。

――同じプレッシャーでも、他の連中とは違うんだ――

 という気持ちが強くあり、まわりの連中がプレッシャーに打ち勝つために何をしているかというと、それぞれで慰め合っているところしか見えてこない。

 プレッシャーがあれほどあからさまなのだから、解消するための努力を隠せるはずなどない。表に見えている部分がすべてのはずだ。そう思うと、情けなく思えて仕方がなかった。

 図書館に行くと、自習室というところがあるが、荷物を置いたまま席を離れている連中がどれほどたくさんいるのだろうか。

「友達と勉強してくる」

 と言って家を出て、皆で出かけたとしても、誰もが集中力など持てるはずもない。

 要するに、一人では何もできない連中ばかりなのだ。

 それを思うと、一人で孤独な方が、こういう時は他の人にはない力を発揮する。大体受験というのは、孤独との闘いでもあるのだ。確かに人よりもいい成績を上げればいいのだから、人との闘いなのだろうが、試験を受けるのは個人である。

――まわりは皆敵なんだ――

 という意識が欠如している。

「これも平和ボケの一種なのかな?」

 そう思うと、民主主義の掲げる「多数決」であったり、「助け合い」の精神など、何の役にも立たないのだ。

 確かに、

「人は一人では生きていけない」

 と言われてはいるが、いつもいつも誰かと一緒というわけにもいかない。その区別がつかない連中が、高校時代には多かった。

 人と協調しているように見えるが、一人、孤独を感じている人間から見れば、誰もがしょせん、自分のことしか考えていないようにしか見えなかった。

 受験というプロセスは、普段人とつるむことで、孤独や寂しさを感じないようにしようと思っている連中にとって、人生の関門ではないかと思う。

 本当の自分が表に出てくる。プレッシャーに勝てるかどうか、その人の技量が試されている。いつまでもまわりの環境に騙されて、受験へのスイッチが入った人はいいが、入れているつもりで、心の中では、

「人と争いたくない」

 などと、この期に及んで考えている人間の化けの皮が、その時剥げるのだ。

「いい気味だ」

 としか思えない。

 人を欺いてまで、さっさと受験スイッチを入れて、自分だけ悟られないようにグループから抜けてしまい、さらりと受験に成功する連中を見ていると、憎い気もしてくるが、考えてみれば、

「これほど、人間臭いと言える人はいないのではないか」

 と思うと、

「騙される方が悪い」

 という結論に達する。

 もし、信治も自分が孤独という世界を愛するようになっていなければ、騙される側だったことは想像がつく。それだけに騙される側の気持ちも分からなくもないが、もう一人の自分が、

「お前は騙される連中とは、格が違うんだ」

 と言っているように思えてきた。

 格の違いはどうであれ、騙される方が悪いという考えは、最初からあった。

 最初から一人なら、騙されることもないのだ。結局、グループというまわりの人に背負ってもらいたいという甘い考えが、言葉巧みに乗せられて、架けられた梯子に上ったはいいが、気づかない間に梯子を外されて、下りることができなくなってしまった情けない男になってしまうのだ。

 ただ、心の中で、

「人を騙すのは、騙される人よりも、騙す人の方が罪は重い」

 という考えが強くあるのも事実だ。

 考え方と、感じ方とで、それぞれに隔たりがあるのだろうが、それは、大学に入ってからの、

「理想と現実」

 という考えの中で、差が出てくるという理屈でもあった。

 大学生になると、高校時代の夢を見るようになった。

 自分はすでに大学生になっているのに、まわりのクラスメイトはまだ高校生だった。最初は、自分だけが大学生になったことに優越感を感じていたが、どうも雰囲気が違う。自分が大学生になっていることがおかしいようだった。

 一緒に入学した連中には、信治のことが見えていない。高校時代のクラスメイトには見えているようなのだが、見えている信治は、まだ高校生だった。

――自分の夢の中に、もう一人の自分がいるということなのか?

 そう思うと、目の前にもう一人の自分が現れた。

「真田君」

 クラスメイトの女の子から声を掛けられるもう一人の自分、それに答えようともせずに、まったくの無表情の自分は、彼女が見えていないのか、振り向くことさえしない。

――そんな、彼女のことを好きなはずなのに――

 確かに、好きな女の子から声を掛けられると、金縛りに遭ったように何も言えなくなるということはあるのだろうが、その時の信治は、彼女の存在が分かっていないのか、まったくの無反応だった。声を掛けられているということすら分かっていないのではないかと思えるほどだった。

 しかし、彼女の方も、ショックを受けているわけでもない。サラリと踵を返すと、それ以上何も言わずに立ち去っていった。

 ホッとした気分がしたのと同時に、彼女が何も反応しなかったことはどうなのだろう?

 そのままお互いに何もなかったかのようにすれ違っていったが、悪びれた様子はどちらにもない。

 その様子を見て、これが夢の中であることが分かった。むじろ、夢だということに気づかなったことが不思議なくらいだった。

――こんなところで、理想と現実の狭間を見てしまうなんて――

 夢なのだから、現実であるわけはないが、現実に近い夢に思えてならなかった。

 今までにはありえなかったことだが、彼女から声を掛けられるなんて。それこそ夢のような気分になってしまっていた。

――夢の中のもう一人の自分は、本当の自分なのかも知れないな――

 潜在意識が、声を掛けてきた彼女に対して、どうしていいか分からない自分を想像し、理想に近づけているのだとすれば、夢の中での「理想と現実」は、限りなく近いものなのかも知れない。

――夢の中の自分は、何かを考えているのだろうか?

 それは、潜在意識の中に思考が含まれているかということを意味していた。

 夢を見ている自分は、確かに何かを考えている。しかし、夢に出てくる自分は、まったくの無表情であり、何も考えていないように思う。潜在意識の中だけで行動しているので、思考は存在しないという考えが、夢の中での主人公である自分に対して感じた。

――じゃあ、夢を見ていて、今こうやって考えている自分は何なんだ?

 夢と現実の間に存在する、理性であったり、潜在意識であったり、そんな思いが浮かんでいた。肉体が存在しているわけではなく、意識だけが勝手な想像をしているのだ。

 信治は、もう一つ不思議な感覚にとらわれていた、

――夢の世界にもう一人の自分がいるのであれば、現実世界にも、もう一人の自分がいるのかも知れない――

 という思いだ。

 ただ、夢の世界のように、何かができるというわけではなく、誰にもその姿は見えない。存在すら感じない。そんな自分である。

 現実世界のもう一人の自分の存在は、誰にも知られてはいけない。もっとも、現実世界の人間の発想では、もう一人の自分の存在を感じることなどできないだろう。

 その理屈は、今の信治には分かる気がした。

――現実世界で、自分以外のまわりの人の存在を意識している間は、もう一人の自分の存在を知ることなどできない――

 という思いだ。

 孤独や寂しさが嫌で、誰かがそばにいてくれなければと思っている人には永遠に分かるはずはない。たとえそれが家族であっても同じことだ。親や子供、そして奥さんの存在を「他人」だと思えない限り、もう一人の自分を知ることは永遠にできないと思えた。

 そのことを悟らせてくれたのが、大学に入って見るようになった高校時代の夢だった。

――俺は、やっぱり孤独が好きなんだな――

 孤独が好きな自分だから、こんな想像ができるのだと思った。

 しかし、現実世界でのもう一人の自分の存在を知ったからと言って、何があるというのだろう?

 別に、もう一人の自分が現実世界での自分を助けてくれるわけではない。ただ遠くから見ているだけで、決して表に出ようとはしないのだ。

 しかしそれでも信治は、

――そのうちに必ず自分を助けてくれる――

 と思っていた。

 孤独を好きな自分だから、その存在を認めたのだ。他の人のように、存在を知られることもなく消えてしまうことをどう思っているのだろう? 感情があるとすれば、

「誰にも意識されずに、存在だけでこの世から消えてしまう事実を、運命として受け入れることなんかできない」

 と思っているかも知れない。

 だが、逆に今の信治のように、

――孤独が一番だ――

 と思っているとすれば、運命を甘んじて受け入れることができるだろう。もう一人の自分がいる世界とは、どういう世界になっているのか、まったく想像もつかなかった。

 信治は、夢の中で自分以外の人が出てくることを不思議に感じていた。出てくることは別にいいのだが、現実世界での彼らとは、どこかが違っている。

 信治を無視して、自分たちだけの世界を形成しているのは、現実世界と変わりはないのだが、夢の中での信治は、そんなまわりが気になってしまっていた。

――どうして、あいつらはまだ高校生なんだ?

 大学に入った彼らを想像できないというのが本音なのだろうが、それほど、まわりを見た目でしか判断していないことになる。

――俺は俺なんだから、まわりを見た目で見ていて、どこが悪いんだ――

 と言い聞かせているが、そもそも、言い聞かせなければいけないこと自体、何かが違うように思えた。

 もう一つ気になることがあった。

――夢というのは、一回見てしまうと、どんなに途中で目が覚めてしまって、続きを見てみたいと思っても、その続きは見ることができない――

 と思っている。

 どうしてなのか分からなかったが、その頃から一つの仮説が頭の中を巡っていた。

――夢というものは、覚えていないだけで、本当は最後まで見ているんじゃないだろうか?

 という思いである。

 そして、一度最後まで見た夢を、もう一度見ることはできない。なぜなら、夢が潜在意識が見せるものだからだ。

 潜在意識の中で、どうしても気になっていることを解決したいと思い、夢の中でストーリーを組み立てる。その結論がどんなものであったとしても、最後まで見てしまうと、自分の中では「解決済み」となるのだ。

 だから、同じ夢を二度と見ることはできない。

 どうして、肝心なところで目が覚めてしまったかのように思うのかということは分からないが、夢を見たという意識があるのに、覚えていないという夢が結構あることから、夢を最後まで見ているという考え方には、無理がないように思えるのだ。

 ただ、なぜか覚えている夢というのは、怖い夢が多い。しかも、そのほとんどに、もう一人の自分の存在が残っている。

――もう一人の自分が夢の中に出てくるから怖い夢だと思うんだ――

 とずっと思っていた。

 しかし、

――夢というのは覚えていないだけで、本当は最後まで見ている――

 という理屈を考えると、夢の中では絶えずもう一人の自分が存在していて、何かを暗躍しているのではないかと思うのは、無理なことなのだろうか?

 肝心なところで夢から覚めるのであれば、何も夢として見せなければいいのにとも思った。

 しかし、一度見た夢が、その後の自分の生活に何かの影響がないとどうして言えるのだろうか。

 ひょっとすると、夢に見たことが、現実に起こっているのかも知れない。それを予知能力として現実世界の自分に悟られないようにしているのだが、まったく予知できないことにしてしまうと、その都度、驚きや衝撃に見舞われてしまって、精神的に疲労してしまう。それを和らげるために、夢の中で見たことを記憶の奥に待機させていて、その都度、適切な状態で、本人に意識させないように、精神的なフォローをしているのかも知れない。

 その感覚が時々、

「以前にも、同じような気持ちになったことがあったような」

 というデジャブ現象を引き起こす。

 デジャブというのは、

「精神的な辻褄合わせだ」

 という話を聞いたことがあるが、夢の中の世界と組み合わせて考えると、納得のいくこともあるというものだ。

 逆に言えば、

――夢の世界こそ、現実世界のデジャブなのかも知れない――

 ともいえる。

 目が覚める時、肝心なところまでしか覚えていないのは、夢を見ていて肝心なところになると、

――前にも同じような気持ちになったことがあるな――

 と、デジャブを感じるのかも知れない。

 デジャブを感じると、それまでゆっくりと夢の世界から現実世界に引き戻されていたリズムが急展開し、一気に目を覚ますのだとすれば、そこから先を覚えていないとしても、不思議のないことではないだろうか。

 夢というものを難しく考えてしまうと、しばらく夢を見なくなることがあった。別に夢を見たいと思うわけではないが、あまり夢を見ないと、気になってしまうのは、現実世界で孤独が好きだからではないだろうか。

 それが高校時代であり、特に受験前のことだった。

 受験勉強をしている時は、夢を見るのが怖かった。きっと受験に失敗する夢しか見ないと思ったからだ。

 実際に、一度見た夢では、受験に失敗して、まわりは皆大学生になっているのに、自分だけが予備校に通っていた。少なくとも、自分が受験に失敗するくらいなら、まわりの連中も受験にパスすることなどないだろうと思っていたからだ。

 もちろん、自分を奮い立たせるための感情ではあったが、成績を判断しても同じだった。

――一人コツコツと勉強してきた俺が、集団意識の中で甘い考えの下、勉強してきた連中に負けるわけはない――

 という思いが強かった。

 しかし、夢の中では、まわりの皆も孤独だった。

 下手をすると、今の自分よりも孤独が似合っているように見えて、それまでに感じたことのない焦りを感じるようになった。

 普段の表情ともまったく違う。笑顔はなく、人に媚びへつらう感覚がまったく感じられない。

――俺も、他の連中から見れば、あんな風に見えたのだろうか?

 そうであれば、まわりへの無言の圧力という意味では、これ以上のものはない。

 孤独が威圧感を生むということは最初から分かっていたことだし、集団意識の中での皆の表情は、

――作られた表情――

 にしか見えなかったからだ。

 だから、信治の嫌いな

――人に気を遣う――

 というのは、表情を見ればよく分かる。

 友達や仲間を作ると、人に気を遣うということを避けては通れなくなってしまうだろう。

 だから、大学まではいいが、社会人になるのは嫌だった。

 信治は、最初から理数系を目指していた。大学に進学し、そのまま研究室で自分の研究ができるようになるのを望んだからだ。まずは、大学時代に大学院を目指し、そのまま研究所に入ることができるようになるというのが、自分の進路だと思っていたのだ。

 そのためには、少々の上からの命令に従わなければいけないというリスクはしょうがないと思っている。

 まわりに絶えず気を遣っていることと、上からの命令に従うことは、信治にとって究極の選択である。他の連中からすれば、

「そんなのは、まわりに少し気を遣うだけで、解消できることじゃないか。気を遣って出世していけば、自分が命令を与える立場になる。それを目指すのが、社会に出てからの自分の存在意義なんじゃないか」

 と言われることも想像がついた。

 信治は人と関わりを持っていないくせに、人が考えていることはなぜかよく分かってしまう。ただ、その考えに信憑性があるかどうか分かっていなかったが、実際には恐ろしいくらい人のことが分かっていた。孤独な人間ほど、他の人には分からない何かの力を秘めているのかも知れない。

 そんな信治だが、

――女性と付き合ってみたい――

 とは常々考えていた。

 中学を卒業した頃から、急に彼女がほしいと思うようになったのだが、その思いは、きっと他の人が最初に感じた思いとは違っていることだろう。

 中学時代までは、孤独を欲していたわけではない。友達とつるんでいるのはあまり感心しなかったが、人といると煩わしいとまでは思わなかった。実際に時々話をする友達もいたのだが、その友達とは中学三年生になる頃には、ほとんど話をしなくなっていた。それも、信治から離れていったわけではなく、友達の方から離れて行った。

――向こうが話をしたくないと思っているのに、俺の方からわざわざ話に行くのは嫌だな――

 と思うようになり、結局疎遠になっていった。

 ちょうどその頃、遅咲きの思春期を迎えていた信治だったが、その友達がどうして疎遠になったのか、ある日偶然見かけた光景が、すべてを物語っていた。

――あんな楽しそうなやつの表情、初めてみた――

 その隣には、一人の女の子がいた。

 笑顔の可愛い女の子を見下ろしながら、表情は完全にデレデレしていて、悔しいがお似合いのカップルだった。

 それを見た時、信治は自分の中で何かが崩れていくのを感じたが、その時は、不思議と悔しくはなかった。

 羨ましいという思いがそのまま嫉妬に繋がり、

――女の子と一緒にいると、あんなに楽しい顔になれるんだ――

 と思うと、友達や集団の中にいる煩わしさとは別の感情が浮かんでくるのではないかと思うようになった。

 身体も子供から大人に変わってくる。

 自分から寄って行かなくても、学校ではグループに入っている連中が、誰に聞かれてもかまわないと言わんばかりに、大声で話をしている。明らかにまわりに聞かせたいのだ。その話は、卑猥で淫靡な話だった。それまでの信治だったら、恥ずかしくて退室していたことだろう。

 しかし、聞こえてくる話に対して、耳は勝手に反応していた。

――淫靡な話をもっと聞いてみたい――

 それは、自分が思春期を迎えた証拠であり、身体が反応してしまい、本来なら頭が身体に命令を下すもののはずなのに、身体の方から、頭を制して、行動を促しているかのようだった。

――動きたくない――

 そう思うのも、身体が頭を制しているからなのだろう。

――淫靡な話と、友達の楽しそうな表情を重ねて考えてはいけない――

 そう思えば思うほど、身体が反応してしまう。

 淫靡な話を聞きたいのは、友達の楽しそうな表情を見たからだと自分に言い聞かせることで、そのまま言い訳に使ってしまう自分が情けなく思う。

 だが、女の子と付き合ってみたいという思いは、それ以上大きくなることもなければ、しぼんでいくものでもないように思えた。そう考えると、将来彼女ができても、結婚しても、この思いは変わらない気がした。

――このままいけば、俺は浮気性になってしまうかも知れないな――

 そんなことを思うと、逆に誰か一人の人とお付き合いをしてみたくなった。その時に、自分の本性が分かると思ったからだ。

 その感情が、

――自分は他の人とは違うんだ――

 という思いを増幅させたともいえる。

 高校に入学してから、受験のためにまわりとつるむことを億劫に考えるようになったのも、この時に感じた、他人との違いが一番大きかったのだ。受験のためというのは、あくまでも、他人との違いを形にする上での過程と言えるだろう。

 信治は、自分が他人と違うという感覚は、自由を欲しているからだと思っている。人が一人では生きていけないという言葉がその人の自由を奪い、必ず誰かを頼ったり当てにしていなければいけないという考えは、逆に言えば、人から頼られることもあるということだ。

 頼られてもびくともしないような精神力の人間であればいいが、下手に助言して、相手の立場をさらに悪くしてしまえば、相手からは恨まれ、自己嫌悪にも陥ってしまう。そんな運命は辿りたくないだろう。

 人の意見に左右されて、間違った道を選んだ人に対して、まわりは、

「最後に決めるのは自分なんだからね」

 と勝手なことをいう。

 こちらが苦しんでいると、

「一人で苦しまないで、まわりの意見を聴くのも一つの手だ」

 というアドバイスをしてくれるが、間違った選択をすると、最後に決めるのは自分だと言われる。

 確かに冷静に考えるとそうなのだろうが、冷静に考えられないから、苦しんでいたんだ。それを簡単にまわりが助言などするものだから、ついつい頼ってしまう。信治はそれを億劫だと感じ、人との関わりを自ら遮断した。孤独とは、自分の中で自由に生きることであり、いかに自分らしさを出せるかということに尽きるだろう。信治がそう思うことにした。

 高校に入学した頃から、女性を見る目が変わってきた。目の前にいる女性を裸にしてみたり、勝手に妄想を繰り返していた。最初はそれを想像だと思っていたが、妄想だと気付いた時には、妄想している自分に興奮する自分がいるのも感じた。

 裸にしてみるのは、自分よりも年上の女性ばかりだ。それまで年上の女性は遠い存在だと思っていたのに、裸にしてしまうと、どんな表情をするのかというのを想像すると、彼女と、それほど距離を感じなかった。恥ずかしそうに訴えるような目は、自分に許しを請う眼をしているのか、それとも何かを欲しがっているようにすら思えた。裸に剥かれた女性がどこを隠しているのかを想像すると、以前図書館で見た、名前は忘れたが、海外の有名画家の絵を思い出した。

――やはり、エロスって芸術なんだ――

 と思うと、裸を想像する自分を正当化できた。

 高校時代はさすがに受験勉強のためになかなかできなかったが、大学に入ると、芸術に勤しみたいと思うようになった。その思いが大学に入学する意義であると思うと、余計にまわりを見ていて、集団意識だけで受験勉強している連中との違いを自分に感じ、余計に孤独を楽しみたくなっていった。

 ただ、欲求に耐えられるだけの精神状態でなかったのは事実で、高校時代に自慰行為に勤しんだのは否定できない。最初は果てた後に、罪悪感に陥ってしまっていたが、途中からは罪悪感に陥ることはなくなった。スッキリすることで、勉強の前に絵画の本を見ることで、

「よし、頑張って勉強するぞ」

 という気分にさせてくれた。

 もし、芸術に造詣の深さを感じなければ、ただ自慰行為を繰り返すだけで、勉強をしても身になったかどうか分からない。孤独に対しての正当性も感じなかったかも知れないし、芸術という概念が、信治の中で、精神的な「潤滑油」となり、いい方にすべてが向いていたのかも知れない。

 一番よかったのは、受験勉強が苦痛に感じられなかったことだ。きっと、自慰行為に罪悪感を感じなくなったことがきっかけではなかったかと思う。逆に自慰行為に対して汚らわしさしか感じていなければ、潤滑油もなかった。必要悪という言葉があるが、罪悪感もある意味、一つの必要悪だったのかも知れない。

 信治が自慰行為のために想像した女の子はいつも決まっていた。

――あれって初恋だったんだろうか?

 と最初に思ったが、すぐに打ち消した。

 その人は、中学三年生の頃、クラスメイトが連れていた女性だった。

 こちらが聞いてもいないのに、

「彼女は高校二年生なんだ」

 と、自慢タラタラだった。

 その時のドヤ顔は、忘れてしまいたいのに、なかなか忘れることができない。しかし、信治が忘れられないのは、そのドヤ顔ではなく、ドヤ顔の横で黙って連れ添っている女性だった。

 彼女の方が年上だということが分かると、クラスメイトのドヤ顔が、いかにも子供っぽく感じられた。彼女の方が大人で、黙ってその様子を見ている。そんな子供っぽい相手に嫉妬しなければいけない自分が情けなくなり、早くドヤ顔を忘れたかった。

 どうして、その顔が忘れられないのか、最初は分からなかった。しかし、考えているうちに忘れないのは、彼女の顔であり。忘れたくなかった。彼女の顔を忘れないようにするにはドヤ顔を頭から消さないようにしなければいけない。そのことに気づくと、忘れたいと思っているよりも、忘れたくないと思っていることの方が明らかに強いのを感じると、忘れられないドヤ顔にも、

――仕方のないことだ――

 と考えるようになったのだ。

 目を瞑ると、彼女の顔が浮かんでくる。

――こんなことをしてはいけない――

 罪悪感を感じながらもしてしまう自慰行為で想像するのは、彼女だった。

 果ててしまうと、襲ってくる罪悪感に輪をかけるかのように浮かんでくるのは、隣にいたクラスメイトのドヤ顔だった。

「何だよ、一体」

 それでも、欲求不満には勝てなくて、繰り返してしまう自慰行為を、何度か繰り返すうちに、次第にドヤ顔が出てこなくなった。

 その頃になると、罪悪感も薄れていき、自慰行為を正当化する自分の気持ちに整理がついてきている気がしていた。

 その頃から、頭の中を彼女が支配するようになってきた。

 クラスメイトと彼女がどうなったのか知らなかったが、孤独を愛する自分の中で、間違いなく想像上の彼女は自分だけのものだった。

――これが孤独の醍醐味なんだ――

 誰かと関わってしまうと、想像上の人物を自分だけのものにするという意識が薄れてしまう。一人でもまわりに誰かがいると、その人から受ける影響は、まるで太陽と地球の関係のようで、相手の影響で自分が存在できているとまで考えてしまうようになるようで、それが怖かったのだ。

 中学時代までの自分がそうだった。

 孤独を好きになるまでは、自分がまわりから助けられて生きているとしか考えていなかった。どうしてそんなことを思っていたのか考えてみると、考えられることは、

――教育の影響――

 だったに違いない。

 小学生の頃の先生の言葉で、

「先生が子供の頃に見たテレビドラマで、『人という字は、人と人が寄り添うようにできている』っていうセリフがあったんだけど、人は一人では生きていけないって言われたんですよ。だから、親やお友達は大切にしなければいけない」

 と聞かされたことが頭にあったからだ。

 だから、

――俺は、皆に助けられているんだ――

 と思うようになり、その恩恵は目に見えるものだと信じていた。

 しかし、なかなか目に見えて助けられているという印象はない。それでも先生の言葉は忘れられず、

――大人になれば、見えてくるようになるはずだ――

 と思うようになった。

 その後、ふと感じたのは、

――大人になればって、大人っていうのは、いつからなんだろう?

 漠然とそう思うようになった。

 小学六年生の頃だったか、先生に聞いてみたことがあった。

「大人になるって、いつからが大人なんですか?」

 と聞くと、先生は困ったような表情になり、

「個人差があるから何とも言えないな。自分が大人になったと思う瞬間があれば、その前後に大人になったと言えるんじゃないかな?」

 そう言って、先生はホッとした表情になった。一番無難な答えだったからであろう。

「先生は、いつだったんですか?」

「大人というのも、段階があると思うんだ。思春期であったり、社会人になる時だったり、それぞれの節目で、大人を感じることがあると思うんだ」

「思春期というと、青春時代のようなものですか?」

「そうだね。小学生でもテレビドラマとかを見たりすると、思春期や青春時代について、他人事ではあるかも知れないけど、感じるものがあるのかも知れないね」

 と、先生は言っていたが、その通りだと思った。

 その時の先生の話は半分頭の中に残っていた。だから、中学三年生の時に感じた自分の思春期、そこが一つの節目としての「大人」だと思うようになった。

 だが、その時に、

――俺は人から助けられているという感情がどうしても湧いてこない――

 と感じた。

 まだ大人になり切れていないという思いと、青春時代とはかけ離れた高校時代を思うと、憂いしか浮かんで来なかった。

 そこで考えるようになったのが開き直りだった。

――別に大人になんかならなくてもいいんだ――

 まわりに助けられているという思いを払拭し、孤独を愛するようになると、急に気が楽になった。

――自分は、他の連中とは違う――

 という思いを抱きながら、次に考えるのは、

――どこが違うというのか――

 そこを見つけることだと思った。

 自慰行為を繰り返しながら想像した女性の恥じらう姿。ドヤ顔をしていたクラスメイトを黙って見ていた彼女が、この自分に対して許しを請うような表情をするのだ。

 そこで感じた芸術への思い、それが自分の目指すものだと思うと、これが他の連中との違いだと感じた。その時に、自分が他の人の助けを受けているわけではなく、まわりに対しての優位性であることに気が付いた。

 それが勉強への活力になり、孤独を愛する意義になっていった。

 大学に入ってからできた友達と話をした時、

「他人への優位性というのは、大なり小なり誰もが持っているものさ」

 と言った。

 その言葉が信治の頭を強烈に殴った気がした。それまでの自分の考えを打ち消すかのようなその言葉は、ある意味「後退への宣告」のように思えたのだが、すぐに我に返った。

――それでも、自分は自分なんだ――

 と感じたからで、

「でも、優位性をまわりから感じないんだけど」

 というと、

「それは、他の人は皆その優位性を悪いことだって思っているからなんじゃないかな? 人と関わって生きている以上、まわりへの優位性は失礼に当たると思ったり、自分がそう思うことで、相手もそう思ってしまえば、せっかくの良好な関係が崩れてしまう。それを恐れてのことじゃないんだろうか」

「なるほど」

 彼の話にはいちいち説得力があった。

「君は、いつも孤独を感じているようだけど、それは悪いことではない。まわりとは違うという意識が表に出ることも僕は悪いことではないと思っている。だから、僕は君のことが気になったし、友達になってみたいと思ったんだ」

「じゃあ、君も孤独を愛していたのかい?」

「そうだね、孤独は嫌いではないけど、孤独ばかりではなかった。人と関わることを拒否することはなかったし、来るものは拒まずという思いがあったのも事実だね」

「友達は多かったんですか?」

「多いわけではないよ。同士と言えるような考えが近い連中ばかりがまわりにいたので、誰とでも付き合うということはしなかったね」

 彼の話しに納得していたが、

「待てよ。そうなると、偏ったグループができてしまうのではないのかな?」

 というと、

「そうだね。思想という意味では、偏っているかも知れないね。でも、そんなに過激な連中がいるわけではないので、目立つことではないと思う。世の中で、偏った考えの連中を嫌う兆候があるけど、それはあくまでも過激な連中に対してのことであって、でも、ほとんどの人はそうは取ってくれない。考えの偏った連中すべてが、過激なんだって思われてしまうのは、心外なんだ」

「集団心理のなせる業というところでしょうか?」

「ええ、そこで心の中に秘めている他人に対しての優位性が顔を出すんじゃないかな?」

「どういうことですか?」

「集団心理というのは、自分の中にある何かが表に出てきても、分からないものなんだ。一人の時は表に出さないようにしようと思っていても、集団意識のために感情がマヒしてくると、無意識に隠そうとしていた感情が表に出てきてしまう。しかも、皆も同じような感覚だと思うと、さらに感覚がマヒしてしまう。だから、僕は集団意識は恐ろしいと思うし、嫌いなんだ」

「まったく同意見ですね。普通に最初からまわりに対しての優位性を隠そうとしない方がよほど罪がないように思えますよね」

「そもそも他人に対しての優位性に罪なんてないのさ。逆に他人に対しての優位性がなければ、僕は人間としての存在価値すらないと思うんだ。動物のように本能で生きていれば、優位性は本能に含まれているだろう。人間の場合は本能でその優位性を隠そうとする。他の動物と比べて、恥じらいや隠そうとすることは格段に多い。それが人間だけが進化を遂げてきた原因なのかも知れないが、本能を忘れてしまうとどうなるか、分かるかい?」

「分からないよ」

「人間だけなんだよね。欲得で殺し合うのは。要するに、感覚がマヒしてくるんだよ。いろいろなことを隠そうとしたりするのが、無意識になってくるとね」

 そう言って、苦笑いをした。

 信治は、その言葉を噛みしめながら、本能という言葉を頭の中で反復し、何度も頭を下げていた。

 大学に入った信治は、いきなりサークルを探そうとは思わなかった。大学に入って芸術のサークルに入りたいという思いを抱いていたことは事実であり、その思いが、毎日の受験勉強への活力になったことは事実だった。

 しかし、実際に入学してしまうと、その脱力感も半端ではなかった。それだけ一生懸命だったのだろうが、脱力感はしばらくの間、負の要素しか生まなかった。

――何か大切なことを犠牲にしてきたのではないだろうか?

 この思いが一番強かった。

 何と言っても思春期の時代である。欲望を封印して、孤独を愛することを活力にし、勤しんだと言えば、自慰行為だった。自慰行為に対しても、納得させることはできたはずなのに、大学に入学してみると、またしても浮かんでくる罪悪感。

――どうしたっていうんだ。まるでデジャブじゃないか――

 罪悪感を抱いていた時期がまるで昨日のことのように思い起こされる。

 すると、せっかく大学に入学したにも関わらず、まだ勉強しないといけないという思いに苛まれていた。起きている時はまだマシなのだが、夢に出てくるのは、高校時代の夢、一生懸命に勉強している自分が思い浮かび、次第に他人事のように思えてくる。

 夢は一種類ではなかった。

 ある日見た夢は、一生懸命に勉強している自分の目の前を、大学に入学したクラスメイトの連中が、バカ騒ぎをしている。目の前にまだ勉強している連中がたくさんいるにも関わらず、それを知ってか知らずかお構いなしだ。

――何て礼儀をわきまえない連中なんだ――

 と思いながら、

――やっぱりあいつらと同類でよかった――

 と思う。

 そのくせ、自分だけがまだ勉強しなければならない事態を受け入れることができない。そう思うと、目が覚めた。

 実際には、信治は無事に志望校に入学できた。受験直前まで、

「君のこの成績なら大丈夫だ」

 と、学校の先生からも予備校の先生からも太鼓判を押されていた。

 しかし、それが余計なプレッシャーにもなっていた。家族や先生の目は、

「合格間違いなし」

 を信じて疑わない。これ以上のプレッシャーがあるものか。

 しかも、お約束のごとく、「見事に」入学できてしまうと、今度は何事もなかったかのように皆が覚めてくるのが見て取れた。入学祝をしてくれたり、先生から

「よくやった」

 と言われても、それは、

「当たり前」

 という言葉が前提にあるのだ。

 それを思うと、自分がまわりから踊らされていたことに気づかされる。

――何てことだ。他人とは違うという覆いを抱いて、まわりに関わらないようにしてきた自分が、まわりに踊らされてしまっていたなんて――

 我に返ったとは、まさにこのことだろう。

 紛れもなく自分の実力で入学できたはずなのに、まわりからは、

「家族やまわりの人の応援があったから、入学できたのよ」

 と、まるでドラマの中のセリフのようなことを言われるが、完全に興ざめするだけだ。

――大学受験って何だったんだろう?

 確かに、合格がゴールではないのだが、ここまで打ちのめされてしまうと、何のために合格したのか、悩んでしまう。

 それでも、もうこれで必死になって勉強する必要もない。プレッシャーに圧し潰される自分を想像しながら生活することもない。それだけは嬉しかった。

 そう思うと、気持ちに余裕も生まれてきた。ここで生まれてきた余裕は、最初に感じたまわりに踊らされていたことへの苦悩を包み込むものであった。大学に入ると、それまでのプレッシャーから解き放たれた解放感から、甘い誘惑に負けてしまう人がたくさんいるが、信治には甘い誘惑に負けるということはなかった。

 だが、大学に入学すると、脱力感は半端なく、負の要素を払拭するまでには、少し時間が掛かった。しかし、一度払拭してしまうと、残ったのは「余裕」であった。受験の時期になかった余裕、入学しても、思い知らされたまわりの目、とても気持ちに余裕など持てるはずはなかった。そのうちに大学に入学したら入りたいと思っていた芸術関係のサークルへの想いは、次第に薄れていったのだった。

――独学でやってみるかな?

 本屋に行って、絵の描き方の本を、何冊か買ってきて、いろいろと読んでみた。読みながら実際に自分でも描いてみたが、どうにも納得のいくものが描けるわけではなかった。

「やっぱり、どこかのサークルに所属しないとダメかな?」

 所属してみたいサークルがあるわけでもなく、ウロウロしていた。やはり、それでも時間を費やしてまで参加してみたいと思うサークルは存在しない。

 そのうちに、

――そうだ、サークルに入れば、誰かと関わることになり、集団行動の中で、自由も制限される――

 という当たり前のことに、今更ながら気が付いた。

――どうして気づかなかったんだろう?

 それだけ大学に入ってからの脱力感が、自分の中の思考能力をマヒさせていたのかも知れないと感じた。

 サークルへの興味は一気に薄れてきた。やはり、自分には独学が向いているのだ。

 考えてみれば、コンクールに応募したり、ましてやプロになろうなどと思っているわけではない。孤独を愛しているその代償は、限界にあるということを信治は理解していた。

 だから、高望みするわけではない。

 大学も、もう少し頑張ればワンランク上の大学にも挑戦できたのだろうが、

「入学できたとしても、まわりは自分よりもレベルが上の人が多いだろうからな。俺には、そんなことは耐えられない」

 と嘯いたものだ。

 自分に言い聞かせたと言ってもいいくらいだった。

 独学を重ねている時、家でやるよりも、図書館に出掛けた。家にいると、楽しめるはずの孤独をなぜか感じなかった。

――なぜなんだろう?

 自分に言い聞かせてみたが、環境を変えることで、その理由を知ろうと思ったのだ。

 図書館に出掛けると、まわりに人がたくさんいる。これでは逆効果なはずなのに、少なくとも家にいる時よりも孤独が楽しめた。

 その時、信治は初めて悟ったのだ。

――自分の孤独は、まわりを意識することで成立するものであって、すべてから孤立してしまうと、何が孤独なのか分からなくなってしまう――

 という思いだった。

 要するに、比較対象がないと孤独を感じることができないのだ。

――これって、本当に孤独と言えるのだろうか?

 厳密には、「孤独」とは言えないのかも知れない。

 しかし、信治にとっての孤独であれば、それでいいのではないだろうか。自分が孤独を愛するというよりも前に、自分が他人とは違うという意識が強いということを知ってさえいれば、それでいいのではないだろうか。

 最初、孤独と、他人とは違うという思いが違う土俵上にあると思っていたが、それがそもそもの勘違いだったのだ。

 そのことに気づくと、まわりに人がいなければいけないと感じた。しかし、それは自分がまわりを意識するためでもなく、まわりから意識されるものであってもいけないものではないだろうか。そういう意味で図書館というところは、自習室があり、個人個人で各々の勉強に勤しんでいる。これほどいい環境はないと思えた。

 朝から図書館に出掛け、持ってきた資料とは別に、図書館内の資料も漁りに行く。早朝一番はそれほど自習室に人はいなかったが、一時間近く本棚を物色しても自習室に戻ってくると、すでに人でいっぱいになっていた。

 いや、正確に言えば、皆席を取っているだけという状態だった。席に座って勉強している連中はほとんどおらず、カバンを机の上に置いて、中身を広げることもなく、離席している。

 信治も同じように図書室へと向かったので、皆も資料を探しに行ったのかと思いきや、ほとんど、座席に戻ってくる人はいなかった。たまに戻ってきても、すぐにまたどこかに行ってしまう。そんな連中は一人で来ているわけではなく、団体で来ているのだ。そのほとんどは中学生か高校生、受験勉強をしに来ているようなのだが、勉強しているという様子もない。

――ただの自己満足か?

 図書館に来ることで、勉強したような気になって、一日を無駄に過ごしている。たぶん、この後は、ファーストフードかファミレスに寄って、ドリンクバーとちょっとしたおつまみを頼んで、長時間粘るのだろう。一応テーブルの上に勉強道具を用意して、勉強を始めるのだろうが、すぐに気が散ってしまい、気が付けば、スマホを弄っていた李、マンガを読んでみたり、各々が勝手なことを始めるに違いない。

 中には、雑談に時間を費やす連中もいるだろう。想像するだけで、自分があんな中学、高校時代を過ごさなくてよかったと思わせるのだった。

――これこそ、集団意識の典型的な悪しき例だ――

 と感じていた。

 図書館には、数回しか行かなかった。まわりを見ていると、あまりにも目的の違う人がたくさんいるということが分かった。自分は自分だと思い、一人黙々と勉学に励んでいる人もいる一方で、勉強をしなければいけないのに、それから逃げるかのように、図書館で集団意識を感じることで、勉強をしているような気になってしまっている連中を見ていると、ウンザリしてしまう。

――俺が他の連中とは違うと感じた、その他の連中とは、まさにあいつらのような連中のことだ――

 と改めて思い知らされた。

 それを見ていて、

――一生懸命に勉強している人たちは、よくあんな連中がまわりにいて、気にならないものだな――

 と思った。

 それだけ自分は自分だと思っているのだろうが、信治の意見は違った。

――あれじゃあ、見てみぬふりをしているだけじゃないか――

 と、嫌気が差してしまった。

 苛めだって、傍観者は苛めている連中と同罪だと言われるではないか。それを思うと、信治は勉強もしないで図書館で無駄な時間を使い、さらに人に迷惑を掛けている連中を何とも思わない人たちを許すことができなかった。

――もう、こんなところにはいられない――

 一人で勉強するんだったら、本当に一人になれるところでないといけないと思うようになった。

 実際にはそんな場所を探すのは難しいことなのかも知れない。そういう意味では図書館にいた連中皆、それぞれに可哀そうだと思うようになっていた。そう思えば思うほど、見るに堪えない状態を、なぜ自分が我慢しなければならないのか、バカバカしくもなった。これ以上、やつらに感情を使いたくなかったのだ。

――以前にも似たような思いをしたことがあったな――

 そう思うと高校時代を思い出した。

 しかし、すぐに忘れてしまった。都合の悪いことはすぐに忘れるともいうが、そのたぐいだったのだろうか。

 本屋で、絵に関しての本を買って、本屋の近くにある喫茶店に入って、本を広げて見ていた。

 喫茶店は、図書館に比べれば、明らかに騒々しい。静かにしなければいけない場所ではないし、談話するための場所でもあるのが喫茶店だ。それをわきまえながら本を読んでいると、次第にまわりの喧騒とした雰囲気が気にならなくなってきた。

――シーンと静まり返った図書館よりも、緊張感がない――

 あまりにも静かな場所は却って緊張感を生むもののようだ。

 特に図書館は、

「静粛にしなければいけない」

 という場所であり、勉強が宿命のようになっていて、異様な空気が充満していた。

 密室なのに、風が吹いてきていたような気がした。それは空調によるものではなく、表からの風のように感じられた。その風に安心感を感じられたから、長時間いることができた。まったくの無風だったら、数分ともたなかったに違いない。それを思うと、

――途中、中座が多かった連中には、風を感じることができなかったのかな?

 と思えた。

 かと言って、一生懸命に勉強に勤しんでいた人たちが風を感じていたようにも思えない。明らかに個人個人で別の世界に入り込んでいたように見えた。身体だけがそこにあり、精神は別の場所にあったかのように、微動だにしないその雰囲気に、顔色がどんなだったのかなど、思い出すことはできなかった。

 喫茶店で、本を読んでいると、図書館との違いが明らかで、図書館では感じることのできなかった思いを、今更思い出すことができたような気がした。

 しかし、図書館に戻ろうという気はしなかった。あの場所は自分の居場所ではない。もし、図書館に行くことがあるとすれば、それは試験勉強のために利用するだけだろう。ただ、大学受験のために利用している人の気持ちが分からない。それは、同じ立場でまったく違った行動を取っている連中を同時に見てしまったからだった。

 信治が図書館の夢を見たのは、本屋で買った本を喫茶店で見たその夜のことだった。

 自分は高校三年生に戻っていて、受験勉強をしていた。

 その日に見た夢で感じたことは、

――夢には時系列なんて関係ない――

 ということと、

――やはり、夢の中には主人公とカメラを覗いている自分の二人が存在している――

 ということだった。

 気が付いた時には夢から覚めていた。どんな夢だったのか、ハッキリと覚えていない。しかし、不思議に感じたことがあった。

――以前にも見たような気がする夢だったな――

 そう思うと、最近特に、以前にも感じたり見たと思うことは、すぐに忘れてしまうことのように思えるのだった……。

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