28.決戦場 —方眼—-1


 潮騒の音が聞こえる。

「なんと」

 目の前に広がるのは、確かに『海』と呼んでいいものだった。

 上層アストラルでも、海は珍しい。汚染されている場所も多い。時折、幹部が訪れるリゾート地などはあったものの、ほとんどが人工的な環境の『海』だった。テーマパーク奈落にも海を模した場所や砂浜はたくさんあったが、ほとんどがホログラムを使っており、沖まで水があるわけでもない。

 この下層ゲヘナの荒野の広大さを利用した海とは、大きさが違う。

「ほんとーだ、海だ!」

下層ゲヘナに海はないと思っていた」

 ぽつりとつぶやくと、ロクスリーがうなずいた。

「あー。詳細不明な部分は、地図では沼地表記で塗りつぶしてあるからな。うちの基地は入植ギリギリの僻地だから。海に用事のある人間はいないから、大げさに危険そうな沼地表記で塗りつぶしてるはずだよ」

 いってしまえば、広大な水たまりなのだとロクスリーは言う。

下層ゲヘナだって低いところには水もたまるさ。湖沼が多いのはそのせいだけれど、開発が及ばなくて、コントロールできなかった部分が広い水たまりとなった。結果、海みたいになっているんだね」

 危険すぎて早々遠くにはいかないのだとは彼は言う。

「近くのいくつかの島に関しては、多少の開発あとがあるんだけれど、住人が来る前にやめちゃったらしいんだよね。海というか、水っていうのは、汚泥と親和性が高いから。魚釣りにはいい場所だが、ちょっと海の泥の獣はでかくなりすぎるんだよね」

 周りには小さな無人島らしきものがぽつぽつと浮かんでいる。

「わー、これ、おもしろいなあ! あわあわしてる!」

 弟が波打ち際で遊んでいる。これから、決戦の島に乗り込もうという段なのだが、彼は本物の海の物珍しさから、遊びたい気持ちが勝っているようだ。

 近くに見える申し訳程度の桟橋には小舟が何艘かおいてある。離島がいくつかあるため、移動手段として作られたのだろうが、ギリギリ使用に耐える程度のものだ。

「ロクスリー殿、ヤミィの指定の島はどれだろう」

「あの後、一方的に送り付けてきたテキスト情報に座標指定があっただろう。1305550-FN335558……、それを計算すると、おそらく、アレだねえ」

 とロクスリーが顎で指示した先に、いくつかある島の中でひときわ小さな島がある。

「指定時刻は、明朝七時ごろだったが。ロクスリー殿、どうする?」

 うーん、とロクスリーは、見かけのんびりとした口調で言った。

「あの島、浜辺しかないから身の隠しようがないんだけど、さっきネザアスが見ていた黒い集団の気配もない。ということは、多分あの島に身をひそめているわけじゃあなさそうだな。……ま、あの辺は水がきれいなんだろう。中州の時もそうだっただろう。あいつらが泥の獣に近しい存在になっているなら、乾燥地帯より水辺のほうがすき。汚泥の混じっていないきれいな水は苦手だし、水気が少ないサラサラの綺麗な砂も嫌い、と」

「浜辺には、乾燥しているし、取り込むべき生き物などがいない」

 私がそういうと、いつの間にか弟が顔をひょこっとのぞかせる。

「あいつら、かたまってでっかくなってる。多分、お互い食いあって大きくなってるんだ。だから、常に餌ほしいんだな」

「そうだね。……だから何もない砂浜で待機するつもりはないということだね。ただ、砂浜に身を隠して戦えるから、狭い場所で分散するより、だだっ広いとこで戦いたい気持ちもあるんだろう。取り囲むこともできるし」

「ロクスリーのオッサン、どうしよう?」

 と弟が尋ねると、ロクスリーはぼんやり光っているマルベリーをなでやりつつ言った。

「待ち伏せしようかな。ここは素直に先に上陸して、それなりのアドバンテージを取ってやる。アイツは遅刻魔だけど、先を越されたらそれはそれで厄介だし。……逆にこっちから仕掛けてやるよ。それに」

 とロクスリーは言った。

「どうせならゆっくり寝てたいしな。朝早く起きて移動するのはごめんだよ」

 ロクスリーののんきな口調には、けれど、いつもと違う警戒が昇っていた。


 そうしたことで、私たちは夜半、小舟に乗って島に上陸し、そのまま小舟を陸にあげて一夜を明かすことにした。

 満天の星が輝き、降りそそぎそうな空だった。作り物の投影だとしても、それは美しく、私は息をのむ。

「あにさま、星、綺麗なー」

「うむ」

 こんなふうに弟と星を見ることになるとは、かつては思わなかった。

 先に上陸したことを悟られる点には、あまり不利はなさそうで、我々は火を起こしていた。

 泥の獣は乾燥を嫌う。浜辺は予想した通り、サラサラの乾燥した砂地が続いていた。

 一方、反対側は潮が引いているせいか浅瀬になっていた。これでは、歩いても隣の島まで渡れそうだ。その隣の島には森があり、そこにはよどんだ空気が立ち込めている。彼らはそこで夜営しているのかもしれない。

 ロクスリーは例のいつもは釣り竿にもしている長剣を取り出すと、その刃に自分の指を這わせる。軽く親指を切ったのか、血に紛れた黒いものを白い刃の上にスーッと引くと、刀身がぼんやりとだが青く輝いた。前の戦闘の時も、確かに彼はそれを行なっていた。

「生体エネルギーを流し込んでいるのか?」

「そうだよ。この刀は特別製でね。……マルベリーと同じ灰色物質が使われている。ヤハタ女史のやってた再利用実験の産物だけど、まだテスト段階なんだ。灰色物質と金属がうまく混ざり合わないらしくて、合金としては中途半端なんだってさ。ただ、灰色物質は、われわれと相性が良いから、黒騎士物質ブラック・ナイトを与えて強化できる。で、糸はそれを使った手品だよ」

 つつっとロクスリーは、慣れた手つきでしゅるっと刃に引いた指を絡めるようにして、持ち上げると、青く光る糸状のものがあらわれた。

「これは黒騎士物質ブラック・ナイトを灰色物質で変化させてもらった特製の糸。わたしの生体エネルギーでちょっと青く光っているだろう。わたしの命令次第で自由自在、刃にもロープにもなる。馬鹿力だけで押せなくなったからね、ちょっと色々工夫したんだよ。……どうせ、あいつら数で押し寄せてくるんだろう? そういうことなら、トラップくらい仕掛けてやるさ」

「これ、まじょの力なのか?」

 興味津々な弟は、彼の手元を覗き込む。

「そうだよ。マルベリーの力さ。わたしとレディは協力して戦っているんだ」

「なあ、ロクスリ」

 弟があどけない口調で彼に尋ねた。

「前、ロクスリーのオッサン言ってたよな。一人で戦うより、誰かと戦うと強くなる。特にまじょ、おれたちを助けてくれるって」

「うん、そうだよ。わたしの場合はマルベリーがいてくれるのが大きい。マルベリー達の成績を見て評価は高い。魔女計画自体はまだ進んでいるだろう。黒騎士は叛乱でいなくなるが、魔女自体は増える。白騎士とのカップリングを行い、彼らと協力して戦闘することができるかどうかの実験もなされるだろう。かわいそうだけれど、我々には止められない」

 と、ロクスリーは首を振る。

「そう、いつかの時に、ネザアスには話したことがあるね。黒騎士の精神にも肉体にも、彼女達は健全な影響を与えてくれる。……魔女の力は意外と大きいんだ」

 ロクスリーは薄く赤く発光しているマルベリーを肩にして、言った。

「黒騎士は思ったよりも闇に飲まれやすい存在だ。強いくせに、いざとなるとニンゲンみたいに悩んだりしてしまう。我々の出自がそうさせるのかもしれないし、根本に戦闘に存在意義を求めるところがそうさせるのかもね。ヤミィにしたって、いろいろ悩みはあったろうさ。力を追い求めるだけでいいのか、とか、アマツノくんたちに従うだけの自分でいいのか、剣とはなんだ、とか。ドレイクはまじめだから、その気持ち少しはわかるだろう」

 そう尋ねられ、私はうなずいた。

「気持ちはわかるとは思う。しかし、我々はしょせん、彼らの剣としての黒騎士だ。ただの破壊のための道具。剣も相手を殺すもの。私もネザアスも、戦闘兵器としての自分にも、自分を振るう剣にも、それ以上の意味が見いだせなかったと思う」

「わたしもそんな感じかな。剣に精神性を求めらところまで行かない。わたし、あんまり深く考えないからね。……けれど、アイツは、多分それ以上の何かになりたかった。いってしまえば"本物"になりたかったのかもね」

 しみじみと彼は言った。 

「あいつにもカヨちゃんがいたけれど、……あいつは拒否してしまった。魔女の子がそばにいてくれることで、自分の足元を照らす灯を得られるのに。本物になりたいゆえに、全ての手助けを拒否した挙句、アイツは化け物になった」

 ロクスリーは、マルベリーと一緒にいた魔女であったカヨがどうなったかを語らなかった。しかし、予想できることだ。

「キミたち二人にも、良い出会いがあって、魔女がそばにいてくれることがあるかもしれない。悲しい魔女達も、キミ達と出会えると幸せになれるだろう。その時は彼女たちの力を迷わずかりて。そのほうが、狂わずに済む。孤独のさなかでも、道を見失わずに済むだろう」

 ふむ、と弟が唸った。

「マルベリーもかわいいし、とても優しいもんな。ロクスリが、かわいがるの、とてもわかる」

「はは、ネザアスはかわいいものがすきだものな。キミならきっといい魔女が相棒につくんだろうなあ」

「でも、まじょ、かわいそうな娘しかいないだろ」

 弟はぽつんと言った。

「かわいそうなら、おれ、魔女いらない」

 そういう弟の言葉は、悲しみがこもっていた。

「そうだね。でも、キミの思いとは裏腹に魔女は作られてしまうだろう。キミは優しいから、そういう子といつか出会ってしまう。その時に、助けてあげればいい。キミなら幸せにしてあげられるよ」

「うん」

 ロクスリーの言葉はあくまで優しい。

「あ、そうだ。良いものをあげよう」

「よいもの?」

 と、ロクスリーは懐に手を入れて、小さく折りたたんだ紙片を取り出した。

「わたしはアナログだから、これ、データで持っているわけではないんだけどね」

 炎にすかしてみせたのは、薄く方眼に線がひかれた紙だ。そこにびっしりと文字と図が描いてある。

「これ、ネザアスにあげる。ドレイクも必要なら、ネザアスから見せてもらって」

「これ、なんだ?」

「これは、マルベリーの設計図だよ。刀についても書いてある。……当初のおもちゃを改造して、灰色物質を入れ込んだときのものと、わたしがこの姿になってここに来るときにオオヤギさんたちに改造してもらった時のもね。オオヤギさんとこのアーカイブからは、このコードで引っ張ってこられるかな。キミは、その小鳥が好きだから、その子を使ってあげればよいかもね」

「まじょ、もし助けるときがあったら、スワロをつかえば、マルベリーみたいなかわいい子になるの?」

「うん。その手助けに君には必要だと思ったんだ。この技術は、公にされていないからね」

「最初の設計図、再改造?」

 私は引っかかって尋ねた。

「改造したのはドクター・オオヤギではなく?」

「この子を最初につくったのは、ヤハタ・ビーティア女史だよ。でも、あっち側からデータ引っ張ってこられることはないだろうからね。当初は金魚の姿だけだったけれど、戦闘能力も高めたいから大八木先生に小鳥の姿に可変できるようにしてもらったけれど、当初の部分は彼にもわからないところが多かったみたいだ。けれど、ヤハタ女史も彼女とわたしのことを気にとがめていたようだったから、あとでデータをくれたんだよ。何かの役に立てばって」

 ロクスリーは目を伏せた。

「かわいそうな魔女の子がもう現れないのが一番だけれど、でも、きっと、職業柄ね、……ネザアスにはきっと役に立つと思ってね」

 そういってロクスリーは紙片を先ほど作っていた青い糸できゅっと結んだ。その青い糸は、説明を信じるとしたら彼自身の黒騎士物質が変化したものだ。

「ちょっとその子を貸してもらえる?」

 ロクスリーは、弟の肩にのっていたスワロ・メイの前に手を出した。弟は素直に小鳥を差し出す。機械仕掛けの小鳥の中には小さな隙間があり、ロクスリーはそこに紙片を挟み込んで糸で固定したようだ。小鳥はその程度では動きは制限されず、無邪気に動いて弟の下に戻った。

「これでなくさないよ」

「ロクスリのおっさん、ありがとう!」

 弟はうれしそうにそっと小鳥にほおずりする。それを見てロクスリーが目を細めていた。

 彼のまなざしはやさしい。しかし、私はそこに違和感を感じた。そして、彼はこう申し出た。

「それじゃあ、先におやすみ、二人とも。明日朝が早いから。キミたちが寝ている間にわたしは罠を仕掛けておくから」

 そういうとロクスリーは立ち上がる。

「意外とやることが多いんだ」

「待ってくれ、ロクスリー殿」

 私は慌てて声を振り絞った。

「どこにいく?」

「どこにって? いや、砂浜に罠をね」

 私は首を振った。

「こんなのは、やはりダメだ」

「ん? どうしたんだい?」

「ロクスリー殿、死ぬ気なのではないのか?」

 私は彼に言った。

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