西暦2222年の勇断

そうざ

The Brave Decision in 2222 AD

 命を繋ぐ電子音――ガラス越しの視線――現れては消え、消えては現れる人影――繰り返される夢――。



 2244は西暦2243年の2243に会いに行った。

 三浪中で、今の俺の気持ちが一年前の俺に解って堪るかと激高しながら自慰行為に耽っている頃だ。

 ところが、2243は居なかった。

 2244が遂にケムール工科大学原子物理学科に合格した事を伝えてやりたかったのに、このタイミングの悪さも人間性を表している。


 2244は西暦2242年の2242に会いに行った。

 二浪中で、今の俺と一年前の俺とを一緒にするなと罵倒しながら自慰行為に耽っている頃だ。

 ところが、2242は居なかった。

 他でもない2244態々わざわざ遠方からまかり越してやったというのに、無礼にも程がある。


 2244は西暦2241年の2241に会いに行った。

 一浪中で、今の俺じゃなくて一年前の俺が馬鹿なんだと憤慨しながら自慰行為に耽っている頃だ。

 ところが、2241は居なかった。

 どいつもこいつも2244を無視してどういうつもりなのか、いつもは出不精の癖に糞生意気だ。



 2244が存在する西暦2244年は、時間遡行システムがまた一歩進展した年として歴史に刻まれるに違いない。

 それまでの、僅かの限界値が漸く解禁され、三年前までの遡行が合法となったのだ。

 それなのににも会えないなんて、これでは高額な教習代を支払って時間遡行免許を取得した意味がないではないか。そもそも一回遡行するだけで幾ら掛かると思ってやがる。

 愛想も小想こそも尽き果てた。

 堪忍袋の緒が切れた。

 腸が煮え返った。

 鶏冠とさかに来た。

 

 そうだ。

 

 俺はいつだって自己嫌悪の虜だった。猜疑し、羞恥し、嫉妬し、俺にとって俺の存在自体がシャドウだった。

 思春期を経て一挙に肥大した嫌悪の腫瘍かたまりは、受験戦争の圧力プレッシャーに依って更に畸形化の一途を辿って腐乱し、悪臭を放っていた。


 各年に俺が居ない理由がやっと判った。

 厳密に表現するのならば、


 俺は俺を嫌悪しながらも完全には否定出来ずにいた。

 自死は怖い。自死は辛い。自死は痛い。

 だったら、過去の俺を殺ってしまえば良い。痛くも痒くもなく存在していた事実すら闇に葬れる――そう考えたに違いない。如何にも俺が考えそうな事だ。


 俺は一年前に遡り、一年前の俺を殺そうとした。しかし、そこに俺は居ない。一年前の俺はその一年前に遡り、一年前の俺を殺そうとした。しかし、そこに俺は居ない。一年前の俺は――。


 晴れて受験戦争を勝ち抜いたこの2244も、違法者になって時間ときを遡り続けるべきだろうか。

 何の為に――俺を止める為に――止めてどうなる――俺は勝者になった――俺達はその実、勝者を憎んでいなかったのか――俺は何処まで行っても俺を認められない。


 もし、俺達の誰かが積年の私怨を晴らしたその時、俺達は綺麗さっぱり消え去る。2244も消える。ならば、態々下らない勇気を振り絞る必要はない。この期に及んでも日和見ひよりみ主義だ。


 俺達は今頃、究極の自死を完遂する為に揃いも揃って俺の生誕年まで遡っている筈だ。

 天啓という程ではない。どの年齢の俺も、普段は意識下に潜んでいる、夢の中でだけ顕在化するの意味を僥倖と覚ったのだ。


 新生児集中治療室のガラス越しに刺すような視線で2222を見詰める人影の群れ――あの男達が何者なのか、今ならばその面貌までがはっきりと見える。

 保育器の中で高度集中治療を受けながら、なけなしの本能でせいにしがみ付こうとする絶対的弱者みじゅくじの俺を、俺達は何の躊躇もなく手に掛ける事が出来るのか。

 答えは日ならず導かれるだろう。

 西暦2244年へ戻った2244は、念願だった筈の大学まなびやでその瞬間を静かに覚悟している。

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