拝啓、生きるを探す私へ
生きること。それが今、とてつもなく重く感じている。
文字を書くことは私の生きることといっても過言ではない。
と、思う。
の癖に文字というものが浮かばなくなっていくのが困る。
息をすることが生きることならば、私は生きることを強制されているのだろうか。自分が生きたいと感じなくても勝手に心臓は動いてしまうし、肺は空気を取り込んでしまう。
別に死にたいってわけじゃない。でも、何かの拍子に、それこそ子供を守るスーパーヒーローみたいに死ぬっていうのは脳のどこかに頑固な汚れみたいにこびり付いて落とす気もない。
日々は楽しいで満ち溢れている。それは分かる。一日が終わって結局楽しかったな、なんて感じながら眠りに落ちるんだから。
だからと言って生きたいかと問われると答えに困る。
幸運な人生を歩んで来たおかげで死にかけた経験なんてものはない。
だからこの答えが出ないのだろうか。
保険証の裏の、ドナーの表記をいつまでも記入できないでいる。
生きたいのか分からない癖して、誰かをちょっとでいいから生かしたいと思う癖して奇跡なんてものを捨てきれずにいる。
私は生きたいんだろうか。
ぐちゃぐちゃの心とずっと共に生きたいのだろうか。
勝手に動く心臓も、保険証を裏返してボールペンが持てないでいるのも、楽しかったって一日の終わりに思うのも。
どれも決定打に欠けるのだ。
終わりがないと落ち着かないのだ。
宝くじが当たったら、車を買って、どこか、静かだけど便利な場所に家を建てて、大型犬を一匹飼って、その子が死んだら死のうと思う。
そういうのがいいのだ。
そういうのでいいのだ。
ありもしない死のビジョンを描いて私は生活しようと思う。
人はどうせいつか死ぬのだ。
私はどうせ言葉が出なくなって、文字が書けなくなって、死ぬのだ。
生きることも終わりのあるものなのだ。
全部全部終わりがあることなんだ。
いつか終わることを、うだうだ考えていたところで結論は終わりなんだから重く感じる必要はないんだ。
やはり私は物書きだったらしい。
効率的なタイピングの位置に手は無い。でもこうしてキーボードを打つことが結局のところ一番いい、私らしい吐き出し口だったようだ。
そう、いつか終わるんだ。
だからどうせ終わるんだから生きてたって別にいいか。
結局死ぬんだからさ。敬具
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