7-5◆中田 朔の真実

 見るからに賃料ちんりょうの高そうなマンションだった。フロストガラス張りのエントランスラウンジがまず目に飛び込む。


 ガラスの奥には、間接照明のあかりほのかに見える。その手前に黒い石造りのアプローチがあり、木目調の大きなドアがある。


 ドアの手前に明らかにマンションの住民でなさそうな男女が立っている。背が高く短髪で、ジャージ上下の男性と、茶色の長い髪に、腹が見えるほど短いTシャツとジーンズの女性。女性はうちの学校の永山だ。


 あんな目立つところに立っていると、マンションの住民が不審に思って通報してないか、心配になる。少し離れたところに車を停める。

「まだ警察は到着してないみたいだな。ちょっとあの二人のとこ行ってくる」

「先生、私タニに確認したいことがあって、私も一緒に……。邪魔しないようにするので」


 渡会わたらいは裁判記録を読んだことで、あの事故に何か疑問が湧いたようだ。ただ単純に自殺であることを証明する何かかもしれない。


 現場に傘がなかったのは死ぬつもりだったから、雨にぬれても気にならなかった、とも取れる。どちらかというとネガティブな解釈ができる事実だ。


 俺は無言でうなずいて、渡会と一緒に道路を渡り、マンション前の二人に駆け寄る。

「カ……渡会さんとだれ?」

「えーっ? なんで中田と渡会さんがセットなの? やっぱり? そういうかんじ?」


 永山が面白いネタを見つけたと言わんばかりに嬉しそうに叫ぶ。どういうかんじか分からないが、否定するのも面倒に感じてきた。否定したところで、自分の思いたいように話を捏造ねつぞうするのが女子高生だ。


「あ、違うの……その、小谷くんに少し聞きたいことがあって、それで警察署で会った先生に無理行って一緒に」

 電話ではタニと呼んでいたはずだが、妙によそよそしい。


「先生……? もしかして例の?」

 小谷君が永山の方を見て顔をくもらせる。


「そうそう、例の! もう、今すぐ優亜ゆあを連れ出して来たい! ユウタ……じゃなかった浩太来たらさ、鍵奪ってあたしらだけで救出しようよ」

 勘弁して欲しい。ここに着く前に犯人が戻って来なくて良かった。


「とりあえず、ここから離れて。かなり目立つから。で、三人はもう家に帰ってもらえる?」

 小谷君は、俺のことをじろじろと上から下まで見る。ジャージ姿も相まって、一昔前のヤンキーのようだ。眉根を寄せた表情から、敵意をくみ取れることもその効果を高めている。


 初対面から嫌われているようだが、ここに突っ立っているわけにはいかないので、永山と小谷君の手を引っ張って自動ドアの前から見えないように道の端まで移動させる。


「あの、小谷くん。さっき電話で少し聞いた飯島浩太って人のこと、もう少し教えて。優亜を拉致らちしようとしたって言ったよね? どうしてそんなことになったの?」


 小谷君は俺の方をじろりとにらんでから手を振りほどき、渡会に向き直る。

「優亜ちゃんが、クラブに行ったときに声かけてきたらしい。梨花りかも一緒だったんだよな? ユウタに会った時のことだよ。はじめは普通に見えたって聞いたけど」


「そう! あいつら、高校生探して声かけてたの。はじめっからタダでヤるのが目的。一応高校生は入店できないってなってるから、色々ウソついてて、こっちも後ろめたいし。何してもバレないって思ってたんだよ。手口も慣れててさ。梨花たち以外にも絶対被害者いるよ。優亜がクラブの中で大暴れしてくれたおかげで、無事に帰れたんだけどさ」


「たまたま出会っただけなんだ……。優亜を誘拐できたのは何故? 学校とか教えたの?」

「どうしてだろ……あたしらお互いに名前しか知らない……あれからずっとクラブには行ってないはずだけど」


 永山は、考えるように頭を傾けて小谷君を見上げる。

「それは、もしかしたらオレが原因かも……。優亜ちゃんが持ってた情報からユウタの正体が飯島浩太だって突き止めて、教えたんだ。オレは警察に突き出してやろうって思ってたんだけど、優亜ちゃんは、もしかしたら……自分でアイツをらしめるつもりで近づいたのかも……」


「飯島が事故の証言をしたことも、優亜は知ってたんだよね……。他は? どんなこと知ってたの?」

 渡会がやけに飯島について知りたがっている理由が良くわからない。


「あぁ、仕事。高森総合病院の医者ってことと……あとは、裁判に証人で呼ばれたときに嘘いたって自慢してたことぐらい……かな」

「嘘……?」

 渡会はそのまま黙り込む。飯島と証人というワードに聞き覚えがある気がした。


 ふと、後ろから人が近寄ってくる気配を感じた。振り返ると痩せた彫りの深い顔をした四〇代前後とみえる男が立っている。年月が顔のしわに刻まれているが、すぐにわかった。

「あ、相……」


「お父さん!」

 渡会が俺の言葉をさえぎって叫んだ。俺の方をちらりと見ると、相澤と俺の間に割って入る。

「どうしてここにいるの?」


 相澤は渡会を見つめて、ふと俺の方に目をる。相澤は俺のことを覚えているのか、一瞬驚いた様に目を開いたが、すぐに目を伏せて少し頭を下げた。


かえで、ここにいるのは良くない。すぐに離れてくれないか?」

 相澤が深刻な面持おももちでお願いする。俺はただ茫然ぼうぜんと立ち尽くしている。今すぐに相澤に詰め寄りたいが、この状況でそんなことをするわけにはいかない。


「え……? おじさん?」

 小谷君は、口を半開きにして相澤を凝視する。小谷君は相澤と面識がある様子だ。渡会とは所謂いわゆる幼馴染おさななじみみたいなものか? 永山が小谷君の様子を見て不思議そうにしている。


 小谷君と渡会がよそよそしい呼び方をしているのは、二人が中学まで一緒だったことを永山に隠しているから、かもしれない。


「良平か? ……すまないが、皆を連れて帰ってくれ」

「いや、けどオレの……いや、女の子が監禁されてて。犯人が部屋に帰ってくる前にここで捕まえたいんだよ。だからまだ帰れないんだ」


「飯島だろう? 大丈夫、私もここで彼を待っているから。そういう事情なら部屋には入れさせない。だから君たちは帰りなさい」

 小谷君と永山は顔を見合わせる。相澤は渡会に、一緒に帰るようにともう一度促す。


「もうすぐ警察も来る。俺も賛成だ」

 どういう理由か分からないが、相澤と俺の意見はここでは一致していた。


「俺は残って、須藤すとうが無事に救出されたら連絡するから」

 あからさまに不満そうな小谷君への配慮もあるが、相澤と二人になれるまたとないチャンスだ。


「かまわないですよね?」

 相澤の方を振り返る。相澤は、あぁと小さくつぶやいてうなずく。渡会が俺の腕をつかんで心配そうに見つめる。その手をそっと包んで少し頷く。渡会も小さく頷き返す。


「わかった……あとは二人に任せた方がいいと思う。永山さん、小谷くん帰ろう?」

 渡会が二人の手を取ってそう言うと、二人とも半分納得してないような様子ではあるが一緒に歩き出す。駅の方角に向かって歩く3人が小さくなるまで黙って見送る。


「俺のこと、憶えてますか?」

 振り向きざまに、相澤に問いかける。相澤は目線を下に落として、息をく。


「覚えています。今でもまだ夢にみますから。事故の瞬間と、裁判所でじっと座って聞いた、あなたやご両親の声……。けど、どうしてここに?」


 自分だけが随分と苦しんでいるみたいだが、おまえに俺の苦しみが分かる筈はないだろう? そう言って胸倉をつかんで陽奈子ひなこを返してくれよ、と言ってやりたい。


 けれど渡会に掴まれた手の感触がその衝動を思い止まらせた。こぶしを握りしめたまま深呼吸をする。


「監禁されているのがうちの生徒で、成り行き上偶然です」

「なぜ、楓と一緒に?」

「監禁された生徒が彼女に連絡を。あなたこそ、どうしてこんなところに居るんですか?」

 相澤は困ったように眉を寄せて少し黙り込む。


「本当は……楓たちと一緒に、あなたも帰って欲しかったが……。飯島のことをずっと調べていてね。彼と話がしたくてしばらく張ってたんだ」

「飯島……そうだ、確か証人で呼ばれていた。あの飯島?」


 飯島という男の証言が、飲酒運転の疑惑を生んだ。確か小谷君は証人として呼ばれた飯島が嘘をいたと言っていた。裁判で飲酒運転は、証言が曖昧あいまいで採用されなかった筈だ。結果的に嘘になったともとれる。


「今更何を? 彼の証言に振り回されたから文句でも言いに?」

「飯島の証言は……私たちを映画館で見たと言う話そのものが嘘だった。だから、彼に確かめなくてはいけないことがあってね」


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