6-2◆渡会 楓の憂鬱

 父は少しだけ、祥子しょうこさんの方を見ると私に目を戻して話し始めた。

「亡くなった女性……行永陽奈子ゆきながひなこさんの……自殺の決定的な証拠は……ない。状況や僕の記憶から、それが最も納得できる結論だった。僕は、彼女が飛び出してくる瞬間を見たわけじゃない」


「見てない?」

「あの日は雨が降っていて、左側の工事現場のライトが眩しくて……気づいたら、彼女はもう目の前にいた。本当に一瞬の出来事で、彼女が飛び出してきたと思ってた」

 父は机に目線を落として、短く息を吐く。


「弁護士の阿川さんと話して、状況から彼女が自分から飛び出してきた、という内容で弁護の方針を固めた。……彼女を詮索せんさくするのは、やめてあげて欲しい」

「どうして、飛び出してきたってことになったの? 見てないのに」


「彼女は一度、車の前を右から左に渡って行った。けど、遺体には右側に傷がついていた。実際、左側に突然彼女は現れた。一度渡り終えた後、車が接近するのを待って飛び出したということだ。限りなく自殺行為に近いという判決だった」


 渡り終わった後に、わざわざ引き返して自殺をするのだろうか。もしそうなら、どこかに何か自殺をほのめかすものが残っていても良い気がする。

「遺書……とかは?」


「全て状況による推定だ……。彼女のご遺族からすると信じたくないし、僕のことが憎らしかっただろう。……僕もまだ……いや、彼女のことを話すのはやめよう」

 結果として父は、それでどれくらい罰が軽くなったのだろうか。私は複数回開かれた裁判のうち、最初と最後の二回だけ裁判所に行った。


 といってもほとんど外廊下の椅子に座って過ごしていたので内容をしっかり見ていたわけではない。思っていた裁判と父の語る裁判は、少し違った。


「じゃあ、飲酒運転は……」

「いや、それは本当に違う。飲んでない。瑞穂みずほが飲んだビールのカップを、僕が口にくわえているとこを、見られていたらしい。両手がふさがっていて、少しの間そうしていた。それだけだ」

 もしかして、私にメッセージを送ってきているのは、行永さんの家族や、その関係者だろうか。一体、裁判の時どんな話をしたのか。


「祥子さんは、裁判、全部聞きに行ったの? 私、もっとちゃんと知りたい」

「ごめん……、私は一度も行ってないの。けど、裁判の内容を知りたいのなら……裁判記録の申請をしたらいいかも」

「裁判記録……?」


「確か、判決確定後は誰でも申請できるはずよ。楓や達兄たつにいの申請なら、関係者だからかなりの範囲まで見せてくれると思う」

「それ、見たい」


 祥子さんが、父に目線を送る。父は小さく溜息ためいきを吐いて、阿川あがわさんのとこに電話するときに、一緒に聞いておくと言った。


 恐らく父に聞いても、私に直接詳細を教えてはくれないだろう。祥子さんからの提案は、助け船だった。けれど、祥子さんが裁判を一度も見に行ってないのは、意外だ。


 それから、私たちは事故とは関係のない思い出話をして、店を後にした。別れ際、父はまた会ってくれるかと聞いた。今日みたいに立派な店じゃないけど、と付け足して笑う。私は良いよと返した。祥子さんと二人で、父が見えなくなるまで、店の前で見送った。


「お父さん……何か隠してるよね……。祥子さん何か知ってるんじゃない?」

「そうかもね。けど、何もかも話すのが正しいとは限らない。楓も私に話せないこととか、あるでしょ?」

 その言葉にはっとして、祥子さんの方を振り返る。くもりのない清々しい瞳が私に微笑みかける。私はまるで自分が責められているようで、胸がちくりとした。


「……うん」

「大丈夫、楓のお父さんは悪い人じゃない。そして、楓のことを大事に思ってる。だから私も達兄に隠れて、楓に勝手に教えたりはしたくない。まぁ、私も詳しいことは分かってないんだけど……まだ何か調べてるみたい」

 祥子さんはそこで言葉を切った。少し間があって、再び口を開く。


「でも、楓が知りたいという気持ちには答えてあげたい。裁判記録が今できる最大限」

「うん……けど本当に、悪い人じゃないんだよね?」

 祥子さんは、大丈夫と笑いながら、私の肩を抱く。甘い香りが広がる。

 父は一体何を、隠しているのだろうか。

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