3-5◆須藤 優亜の秘密

「先生って、誰来るんだろ……生活指導の内海うつみかな……」

「中田だってさ。うっちゃんは、自宅で酒飲んでたからダメ。梨花りかの担任の橋本ちゃんは、若い女の先生だから、この時間この街はダメ、で優亜ゆあの担任が来るんだって。中田来る前に、メイク直していい?」


 あたしの質問に、梨花りかよどみなく答えると、鞄から鏡を出して、取れかけたつけまを直そうとしている。

「中田か……、メイク直し意味ないんじゃない。あいつさ、ゲイかもよ?」

「はぁ? 何それ、何?」

 梨花が鏡を机の上に放り出して、笑いながらあたしをのぞきこむ。


「担任になった時に、結構誘ったけど、全然反応しないんだもん。あたし、あんな相手にされなかったの、岡谷と中田くらいだよ」


「岡谷! あぁ、西高の三年ね。あいつはそうだね……。男が好きだったもんね! つか、既に手出してたの、知らないんだけど!」


「出してないよ。出せなかったの」

「えーやだ、夢壊すこと言わないでよ……。わりと隠し撮りアップされてて、梨花よく見るんだ。ちょくで言って一緒に撮らせてくれるタイプじゃないじゃん?」


 梨花はそう言ってスマホのアプリを開いて、写真を見せる。


「あっ、でもさ、度会さん? って良く中田と一緒にいるよ。たぶん三組の、色素薄い感じの、真面目そうな子。何かさ、すごい良い感じに見えるんだけど……。いやー、やっぱさ、単に優亜がタイプじゃなかっただけじゃない?」


「だったら、むかつくな……」


 言われてみると、中庭で中田と話している髪の長い子を、何回か見た気がする。あれがワタライさんなのだろうか? 顔はわからない。どんな子だろう。


 向こうから引き戸を開ける音がして、誰かが交番に来た。更衣室のドアは全開になっているので、話声と内容から、中田と梨花の母親だと分かる。


「梨花……! あんたは、本当にもう……」

 梨花の母親が部屋に入るなり、梨花の顔や腕を確かめるように撫でて、両腕をつかむと、椅子から立ち上がらせる。


「どこも何ともない?」

「平気、何ともないよ」

「良かった……。お友達は?」

 梨花の母親は、梨花の背中に手を回しながら、あたしの方を覗きこむ。くりっとした目と小さい口が、梨花に良く似ている。化粧っ気はなく、連絡をもらってから、急いでこちらに向かって来たのがわかる。


「体調は最悪だと思うけど、大丈夫、何もされてないよ。ちょっとヤバめのおっさんだったけど」

 梨花が少し笑いながら答える。


「梨花! 自分たちがどんな……、危ないことしてるか、分かってるの? 何もされてないから大丈夫とか、そういう問題じゃないの!」

 梨花の母親が、突然声を荒げる。


「勉強会なんて嘘ついて! 強姦されて、殺されていたかもしれないのよ! 今だってね、梨花を怖い目に合わせた奴ら、見つけてぶん殴りたい。もし何かあったら、そいつら、殺しに行ってるから!」

 梨花は目を見開いて、じっと母親を見つめている。不意に目を閉じると、頭を母親の肩に、もたせかけた。


「……ごめん……本当は、めちゃめちゃ怖かった……」

 梨花の頭をそっとでる。梨花の事を、初めて羨ましいと思った。

「すいません……、少し良いですか?」

 中田が顔をのぞかせる。


「先生、この度は、すみません。ご足労いただきまして……」

 梨花の母親が、梨花を抱きしめたまま中田に頭を下げる。


「明日は、自宅待機としてください。橋本先生から、聴き取りの電話を入れると思います。明日夕方の職員会議で、今後について方針を決めて、またご連絡します。今日のところは、早く帰って休んで下さい。私は、須藤の親御さんが来られるまで、ここに居りますので」


 中田に促されて、梨花たちが出ていく。退学まではいかなくても、停学か謹慎きんしん、ボランティア活動とか、何らかのペナルティは科せられるだろう。梨花達を見送って暫くすると、中田が更衣室に戻って来た。


「須藤、気分どうだ? まだ気持ち悪いか? 本当に病院行かなくていいのか?」

 中田がそばの椅子に腰をおろして、あたしの様子を伺う。あたしは長椅子に寝そべったままだ。座るよりも寝ている方がまだ楽だ。

「もう二回吐いたし、スポドリ二本飲んだから、平気。あとお茶も飲んだし」


 パパの不倫相手が看護師だった。病院には行かないと、警官と梨花に支えられながら何度もわめいていた。


「そっか。受け持ちの生徒が補導されるの初めてで、いや、本当にビビった……。その、これが初めてなのか? 酒飲んだり、クラブ来たりとか」

 学校で見るよりも、随分ずいぶんと幼く感じる。シャツではなく、パーカーを着ているせいだろうか。


「先生が初めてと思うなら、そういうことにしといて?」

 いや、前髪がいつもと違うからだ。学校ではしっかりと立上げ、斜めに流して額が見えるようにしていた。今はその額が完全に隠れている。実は、先生らしく見えるように気を付けているのかなと、少し感心した。


「答えになってない。」

「答えたくなーい。どうせ初めてじゃないって、思ってるんでしょ?」

「分かんないから、質問してるんでしょ。外から見える須藤の印象と、実際中身は全く同じってことでいい?」

 先生ぶった話し方も、あたしの目を見て話すこともいらいらする。


「じゃあ、先に教えてよ、あたしどう見える?」

 中田から見て奥側の足を、ゆっくりと動かして長椅子に寝たまま、ひざを立てる。立てた足からスカートのすぞがずれ落ちて、太股ふとももの付け根近くまで露わになった。中田の目は、あたしの目を見たまま動かない。


「若いって事と女ってことしか取柄が無いから、かまってくれる男を探してる。そのためなら何もでもする。クラブなんて毎日通ってるし、声掛けられれば誰でもついていくし、酒はアル中のおっさん並みに飲んでるし……」

「違う、全然違う!」


 長椅子から起き上がって、中田のパーカーの胸元をつかんだ。


「かまってほしいなんて、思ってない!」

 本当にいらいらする。むかつく、とにかくむかつく、先生のくせに、あたしを見下して。

「あたしに女って価値を付けて、かまってくるのは、あんたたちでしょ!」


「そう思うのは、自分で自分に価値を付けてないからだよ。周りの求めに応じて自分を作ると、生き方まで他人任せになるよ」

屁理屈へりくつばっか言うなよ! 本っ当むかつく……」


 中田にむかつく以上に、言い返せない自分に腹が立つ。どちらでも良い存在のあたしに、価値の付け方なんて分かるわけがない。


「おっと、先生、熱血指導の所すまないが、その子のお母さん来てくれたから、通していいかな?」

 警官が顔を覗かせる。パーカーをつかんでいた手を離した。てのひらには自分の爪のあとが、はっきり付いていた。


「はは……、すいません。どうぞ」

 ママが、更衣室に入って来る。あたしを一瞥いちべつすると、すぐに先生の方に向かって歩を進めた。中田も椅子から立ち上がり、挨拶を交わす。ママは、まるであたしたちの会話を聞いてなかったみたいな態度だ。


「本当に、お恥ずかしい限りです。お休みの所、申し訳ありませんでした。」

「いえ、仕事ですので。ああいった店に行ったことは、確かに悪いことですが、お嬢さんは怖い思いをしています。今日のところは、しっかり休ませて下さい。明日は、自宅待機でお願いします。改めて話を聞かせて頂きますので」


 二人のやりとりを聞きながら、自分の足に、青あざが三か所も出来ていることに気付いた。この足では、見たところで悲壮感をあおるだけか。中田は裸足にサンダルだ。

「優亜、立ちなさい。帰るわよ」

 溜息をついて腕に力を入れ椅子から腰を浮かせる。ゆっくりと両足に重心を移動する。

「はーい……」

 ママは黒のパンプスをいている。髪の毛は、後ろで一つに綺麗にまとめられていた。交番を出て、車が止めてある場所まで一言もしゃべらずに歩く。助手席に座って、シートベルトを引きずり出す。


「優亜の異性にだらしないところ、あの人に良く似てる。そのままじゃ、いつか、何もかも失うわよ。……あの先生、見かけによらず割と良い先生ね。あと、今日一緒にいたお友達の連絡先、ママにも教えて、またこんなことされたら身が持たないから」


 ママはあたしを見てつぶやくと、車をスタートさせる。あたしは顔もパパ似だと、良く言われていた。窓ガラスに移る自分を眺めながら、梨花はいいなぁと、溜息のような言葉が漏れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る