2-2◆中田 朔の秘密

 駅に着くとすで度会わたらいは、ロータリーの傍にたたずんでいた。足首まであるロング丈の青っぽいノースリーブワンピースにスニーカーという出で立ちだ。補導された生徒の元に呼ばれた時も思ったが……。


 私服だと高校生か大学生か、ぱっと見で判別するのは難しい。約束の時間にはまだ五分あるが、すぐにこちらに気付き、笑顔を見せて車に乗り込んでくる。


「おはよう。早く着いたんだな」

「おはようございます。いえ、さっき着いたばかりです」


 度会は、何も気付いていないだろう。自分の父親が殺した女は、俺の恋人だった事も、自分の接触事故は、故意に起こされた事故だった事も。あの時、ブレーキを踏んだ俺は、中途半端な復讐者だ。だが、相澤に繋がる細い糸はつないだのだ。復讐はまだ終わったわけではない。


 しかし、病院で会ったのが彼女の叔母だったと分かった時は、きもを冷やした。彼女は裁判所に、一度も来た事がないはずだ。全く覚えのない顔だった。


 彼女が相澤の新しい妻であり、相澤から口止めをされて、相澤の存在を隠しているとばかり考えていた。しかし、親戚と分かって思い返してみると、叔母の方もやや瞳の色が薄く、細長い指先の形や、全体から受ける印象など、確かに二人は似ていた。



 他愛もない話をしているうちに、市街地を抜けて、海岸沿いの国道に出る。ここから先は長い一本道だ。再び内陸に入って行く前に半島方面へ分岐する道がある。その道の先にある橋を渡ると、今日の目的地がある。


 平生ひらお水族館は水族館としては中規模で、どちらかというと、家族向けだ。陽奈子ひなことこの水族館に来たことはない。

「こっちからだと、海沿いなんだ……」

 度会が、窓の外に目をってつぶやいた。おそらく、両親と暮らしていた時に、行ったことがあるのだろう。昔の住所からだと、ひたすら半島の先端に向かって、市街地と山の間を横断することになる。


「前にも、来たことある?」

「あ、えっと……小学生の時に一回」

「家族向けのイベント、多いもんな……。もしかして思い出させてしまうかな」


 やはり、彼女は両親と平生水族館に行ったことがあった。当時の住所から、親子で遠出をするなら必ず候補に上がる施設だと思い、ここを提案した。


「いえ、実はほとんど見てないんです。私、迷子になってしまって……」

 反射的に助手席に目線を移すと、こちらを見ていた度会の色の薄い瞳が、目に入る。すぐに目線を落として、しっかりしてそうなのに意外だな、と適当に笑って返しを入れる。接触事故以降、彼女の薄色うすいろの瞳を、まともに見ることが怖い。



 道路にうずくまっている彼女の肩に手を掛け、声をかけた。彼女がゆっくりと顔を上げた時、薄茶色にややうぐいす色が混じったような瞳に、裁判所で見た姿が重なった。


 その瞳に、自分の顔が映って見えた。冷酷になりきれもせず、罪のない子供を傷つけたひどく情けない男が、美しい鶯色がかった虹彩こうさいに、縁どられていた。薄色の瞳を見ると、あの時映った自分の姿を、思い出してしまう。


「全然、しっかりしてないですよ。入ってすぐの大きな水槽で、魚が泳ぐのを追いかけてたら、いきなり迷子になって……どうしていいか分からなくて泣いてたら、泣きすぎて鼻血でてくるし。で、迷子センターに連れていかれて、そこでずっと寝転がって天井見てて……、無事迎えに来てくれたんですけど、鼻ティッシュだし、ぐ帰宅ですよ」

「それって結構、強烈な思い出じゃない?」


「そうですよね……。けど、結局中は見れてないので、今日はちゃんと水族館を楽しんで、黒歴史を消せると思ってます」

「子供らしい、可愛い思い出じゃないか、消すことないだろ」


 もしも、あの事故が無かったら、陽奈子と結婚していたと思う。迷子になった娘か息子を、探したりすることもあったかもしれない。叶わない未来の空想など、無意味だが。


「えっ、か……あの、先生は、どんな子供だったんですか?」

「まぁ、普通かなぁ……。サッカーでボールを顔で受けて、鼻血出したり、とかはあるよ」

「鼻血の事はあんまり言わないでください。……サッカーはあまり得意ではない……?」

「そうだな。下手な方だと思う」


「他は? 好きなこととか、苦手だったこととか」

「質問、雑だなぁ。もう少し分解してよ。」

「色々知りたくて、つい……。えっと、じゃあどれにしようかな。そうだ……バスケ! いつから始めたんですか?」

「質問の方向性を変えてきたか。……小学生。確か、小六……いや、小五の二月くらい、だったかな。同じクラスの友達に誘われて、やり始めたなぁ」


 普通、親しくなりたい相手には沢山質問をする。相手と自分の共通点を見つけ、互いに共感することで、今の関係よりも先に進めたいと思うからだ。

「小学生から……、いつまで? まだ、続けてるんですか?」


 彼女は少なからず、親しくなりたいと思ってくれている。今日の誘いにのってくれるか、確信はなかったが、彼女の俺に対する好意を利用すれば、個人的に連絡を取り続けることは、難しくはないと思った。


「中学は部活やってて、高校では、部活は入らず息抜きにたまにやってたかな。大学でまた部活入って、週の半分以上はやってたな……。卒業してからは、年に数回ってとこだけど。それでも続けてるって言っていいなら、まだ続けてる」

「えっ、大学の部活って、週の半分も練習あるんですか?」


 素直な感情がのった言葉に答えていると、彼女を利用して相澤へ復讐しようとしている事を、少し忘れてしまいそうになる。

「部活だと、しっかり試合も練習もやれるよ。サークルだと、飲み会の方が多いかな。大学入ったら、部活とかサークルとか色々勧誘されるんだけど、例えばバスケでも部とサークルじゃ内容全然違うから、気をつけたほうがいいよ」


「大学生って、なんかまだまだ遠いってかんじ、します……」

「二年後には、なってるかも知れないだろ。正確には二年もないから、油断してるとすぐだよ。そういえば、二年の一回目進路調査が、来月あるんだけど、度会はもう進路決めてるのか?」

「え……まだ、はっきりとは決めてないですけど……。勉強してみたい事はあります……」

 少し言いにくそうに、度会が言葉をつなぐ。


「勉強してみたいってことは、気になる学部があるってことか?」

「まだ、誰にも話してないんですけど、法律について勉強したいなって、考えてて……」


 父の弁護に奔走ほんそうする弁護士を見て、憧れを抱いたのだろうか。俺は事故以来、弁護士に対して、あまり良い感情を持てなくなった。法廷での弁護士は、相澤を弁護するために、揚々ようよう詭弁きべんをふるった。


 俺は一度検察側の証人として呼ばれた。そこでは、二人の仲が上手くいっていなかったかのように言われた。小さなすれ違いを指摘され、何度も責められた。

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