後に跡(のちにあと)

山猫拳

1.渡会楓の秘密

1-1◆渡会 楓の秘密

 明日は母の命日だ。帰りに九鬼屋くきやに寄って、琥珀糖こはくとうを買わなくては。お弁当の卵焼きを口に入れ、そのふわりと広がる甘みで、琥珀糖のことを思い出した。


 夏になると母は琥珀糖を作ってくれた。正確には途中まで。


 まずは砂糖と粉寒天を色とりどりのシロップやジュースと一緒に煮詰につめ、冷蔵庫で冷やし固める。

 次に冷蔵庫から取り出して、菱形にカットして並べていく。


 きらきらとした見た目、舌にのせると伝わる、ひんやりとした感触、そして甘さ。私はあれが琥珀糖だと思っていた。


 けれどそれは、未完成品だった。その後一週間程かけて表面を乾燥させたものが、琥珀糖だったのだ。本物の琥珀糖になるには、もっと時間が必要だった。私はいつも乾燥させる前の、未完成品を食べてしまっていた。


 本物の琥珀糖を食べたのは、小学二年の時。母が和菓子屋の九鬼屋で買ってきたものだ。かすみの奥に色を閉じ込めたようなそれは、母の手首に巻き付くブレスレットによく似ていた。私がそう言うと、確かにフローライトに似てるねと、笑った。


 歯を立てると、硬そうに見えた外側は、しゃりしゃりと割れた。あのブレスレットも食べれるような気がした。琥珀糖を見つめては口に入れ、を繰り返している私を見て、いつも途中で食べるから、知らなかったでしょう。と言ってまた笑った。


 それ以降、乾燥まで待つことをこころみた。しかし、あの輝く姿を見ると、早く食べたくなってしまう。つまんでいるうちに、乾燥を待たず口の中に消えた。


 そんな調子だったので、本物が食べたいときは、九鬼屋の琥珀糖をせがんだ。母も九鬼屋の琥珀糖は、ガワの硬さと中の柔らかさが絶妙と言って、とても気に入っていた。


 そんな母が死んだのは五年前。夜、私が眠っている間の出来事だった。私が眠った後に、父と母はレイトショーを観るために外出をした。その帰り、父が運転する車が事故を起こし、同乗していた母は死んだ。


 横断歩道へ自殺目的で飛び出してきた人を、け切れずいてしまって、車は電柱と塀に激突した。飛び出してきた人も亡くなった。


 一年半にわたる裁判の末、父は執行猶予しっこうゆうよ付きの判決を受けた。交通刑務所で服役ふくえきすることはなかった。けれど裁判後、父は家に帰って来なかった。


 突然父と母がいなくった広い家に、私はしばらく一人で暮らしていた。中学の卒業を機に母方の姓を名乗り、今は叔母の祥子しょうこさんと二人で暮らしている。二人での暮らしは、もう一年半になる。



かえで、昨日塾行ったときに、キモい画像教えてもらったの。これ、この服何色に見える?」

 隣に座ってパックのミルクティーを飲んでいる菜月なつきが、スマホを差し出す。画面に映っているのは、ミニ丈のドレスがハンガーにつるされている写真だった。ドレスの生地は白色。スカート部分は、段々に金色のレースがい付けられている。これの何がキモいのだろうか。


「え……白と、金?」

「うわ、あたしと逆だ! あたしは青黒派」

「へ? 青黒?」


「そ、これ見る人によって白と金に見えたり、青と黒に見えたりするらしいよ」

 菜月がスマホ画面を、ずいと突きだす。目を細めたり、角度を変えたりしてみるが、とても青と黒には見えない。


「うそだぁ、青と黒なんてどこにもないよ?」

「だからぁ、そういうキモいっていうか、ナゾな画像なんだってば。楓は白金なんだ……もしかしたら楓には、もっと違う色に見えるかもって思っちゃった。本当、綺麗な色だよね」

 菜月は私の瞳をのぞき込むように、顔を近づける。


「見え方は同じ、普通だよ」

 少し湿った風が髪を乱し、視界を妨げた。雲の切れ間から太陽の光が差し込む。ようやのぞいた梅雨つゆの晴れ間に、中庭で菜月とご飯を食べている。


 ほのぼのするような幸せだなと、思う。父の事故後のすさんだ日々を思えば、またこうして楽しく学校で過ごせている日常が、どれ程大切で壊れやすいものか、今は分かる。


度会わたらい

 背後から名前を呼ばれて、どきりとして振り返る。物理の中田先生だ。

「あ! 先生! これ、この服何色に見えます?」

 菜月が今度は先生に画面を突き出す。


「ん、青と黒の縞模様……」

「え? 白と金じゃないの?」

 菜月と先生の顔を交互に見て尋ねる。私の様子を見て、先生が何かを思い出すように、眉を少し上げて斜め上を見上げる。


「あ……あぁ。これ、何年か前にも出回ってたな。色の恒常性だろ?」

「コウジョウセイ?」

「ちょっと待って……たぶん探せば簡単に出てくる……」

 菜月と一緒に先生を見上げた。先生はスマホを取り出して、画面を操作する。


「これ、何色に見える?」

 先生の差し出したスマホの画面は、灰色一色になっている。

「え……? 灰色です」


 菜月も灰色だねと言ってうなずく。先生は画面の上に二本指を置いて、画像をどんどん小さくする。さっきの灰色は丸い形だと分かる。さらに画像をピンチインすると、緑色のフィルターが掛かった画面に赤くて丸いトマトが置かれている写真が出てきた。画面をおおいつくしていたはずの灰色はどこにもない。


「じゃあ、このトマトは何色?」

「えっ、赤く見える……なんで?」


「トマトは赤色だと思っているから、脳が勝手に赤色の補正ほせいをかけてるんだよ。これと同じ現象が起きてるんだ。さっきの写真は、環境光かんきょうこうの方向が良く分からない上に、色合いが微妙だから、人によって補正が変わる。青黒に見える人と、白金に見える人がいるんだよ」


 先生の説明で、コウジョウセイは恒常性なのだと思った。目で見ているものは、そこにる現実なので、誰が見ても同じだと思っていた。同じ画面を見ても、全く違う色に感じる。色という客観的なものですら、自分の思い込みで見ているというのか。


「あたしは、一緒にキモがって欲しかっただけなのに……」

 菜月が溜息ためいきらしつぶやいた。

「菜月、キモかったよ! だって同じ画像なのに意味わかんない」

「そうだよね! 楓」


「いや度会、今日通院だろ? 時間変更なし?」

 何の感慨かんがいもなく、先生が会話を切る。


「はい。先週と同じ四時半です」

「じゃあ、四時に駐車場な」

 はいと言うかわりに頷く。顔を上げると先生は、すでに校舎に戻っていた。


「いいなぁ、楓。中田と週一ドライブ!」

「ちょっ……そんなんじゃないよ」

 私は整形外科に通院している、中田先生の車で。さかのぼること一か月前、交通事故にあった。両親に続き、自分も交通事故に巻き込まれることになるとは、思いもよらなかった。


fig.1

https://kakuyomu.jp/users/Yamaneco-Ken/news/16817330660509526715



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る