白拍子よすがと式神にゃまとの妖日記

水花光里

第1話悪霊退治にいざ参る

 

淡く煙るように桜の花びらが舞い散る夕暮れ時、上賀茂の神社の境内では、春の満月を祝う奉納舞が執り行われていた。

 お参りを済ませ帰ろうとしていた彼は、聞こえてきた甘く優しい歌声に、足を止めて振り返った。

 春の宵、集いし諸人

 めばえし喜を歌い祝いまする 

 散りゆく桜惜しむなかれ

 咲き誇りはかなき命の美しきかな

振り返り仰ぎ見れば、夕彩ゆうあやに染まり、朱と金で煌びやかに彩られた本殿は明り取りの松明たいまつで照らされ、地上に浮いた極楽浄土を映し出しているかのように荘厳なたたずまいでそこにある。

 声の主はどこだろう。その本殿から渡された回廊の先に目が釘付けにされる。

桜が今は盛りと咲き誇り、人々にこの春一番の姿を見せている中で、目を奪われて離すことができないものがそこにあった。

 その薄桃色の花に包まれた境内の舞台の上にある、一人の白拍子の姿。

 白い水干に赤い長袴。桜の花の中に浮いているように見えるその白拍子は、白い袖を翻すたびにその袖から薄桃色の桜の花ひらがひらと舞う。まるで、その袖、いや、白拍子自体が花びらで出来ているのではないかと錯覚する。花びらを全て散らしてしまったら、その白拍子はこの世からはかなく消えてしまうのではないかと思えるほど、清らかで淡い夢の中にいるような感覚だった。

「何という美しさだろうか…」

思わず、つぶやいていた。その姿が、心の中に焼き付けられてしまったように離れない。わきあがる感情が、叫びだしそうにわいてくる。

 消えてしまう前に、抱きとめて腕の中に閉じ込めてしまいたい…と…。

衝動…、欲望…、本能…、心の奥底に眠っていた意識が目覚める予兆を感じる。 

九条義経、今や都で彼の名を知らない者はいないだろう。彼が望めば、大体の女人は手に入る。その彼が舞姫に心を奪われ、他の者は何も目に入らないほどにひたすら舞う姿に見入っていた。



 よすがは、視線を感じて、ハッと振り返るが、其処には誰もいなかった。白拍子と言う仕事柄、不思議な事に出会うのも、よくあることなのだが、どうも、誰かに見られている気がする。

「よすが、どうしたにゃん?」

 おかっぱ髪の男の子の姿をした、にゃまとは、何時ものようによすがの袖にしがみついてくる。

 そして、くりくりとした大きな愛らしい瞳で見上げて聞く。

 にゃまとは、猫の姿が本来の姿だが、大抵は可愛らしい男の子の姿でよすがに使える式神である。

「今誰かに見られていた気がして…、誰かいる?」

 よすがは一応式神のにゃまとに尋ねてみる。

「沢山いるにゃん。そして、皆よすがを見つめているにゃん」

 ああ、やっぱり聞かなければよかった・・・。式神のにゃまとは、妖、物の怪の類が全部見える。よすがも、見ようと思えば見えるが、あえて見ないようにしている。

 やっぱり沢山いるのかと、ぞっとして身震いするとにゃまとも同じようにぶるっと身震いする。にゃまともあまり妖が好きではないらしい。

 この家は、何故かやたらと物の怪や、妖などがよってくる。たまり場のようだ。閉口するが、家賃が安いので我慢するしかない。

 物の怪の類は、見えて気持ちのいいものでは決して無い。顔から、血を流していたり、五体そろっていれば、まだいいほうで、頭が無く体だけで、どうしてほしいのか聴くことも出来ないものや、元から人間ではないだろうと思われる、口が裂け、むき出しの牙をがちがちさせ、長いつめをした手をわきわきさせて獲物をほしがっていたり、おぞましい姿をしたものが殆どなのだ。

 しかも、へたに目を合わせれば、恨みつらみをぶつけられるのが落ちだ。

長い髪で薄青白い顔を殆ど覆ったその髪の隙間から恨めしそうに、突き刺すようなつぶらな瞳で、一身に見つめられると、ついつい、どうしたのかな? どうしてほしいの? と、声を掛けざる終えなくなる。そうしたら最後、延々と恨みつらみを聞かされ続けなければならない。聞くだけならまだいい。まあ、気持ちは重く、憂鬱になるが…。挙句の果ては、恨みを晴らしてくれと、付きまとわれる。妖は、飽きるとか、あきらめるとかがない。思いを晴らすまで永遠と付きまとわれる。

だからといって、簡単に人の恨みを晴らせるものでもない。しかも、その相手が生きているとも限らないのだ。仮に、見つけられたとしても、だれそれさんの恨みを晴らしに来ましたといって、何が出来るというのだ。沢山聞かされた恨み言を聞かせればいいのか? そんな話にわざわざ付き合ってくれるような、奇特きとくな人はいない。

 そっちにしてみれば、逆に恨みを持っていたりする。両方の板ばさみになったりしたらもう、収集が付かなくなってお手上げ状態だ。

 喧嘩両成敗と言う言葉は、結構当てはまる事が多い。勝手にやってくれ! と言いたいところだが、片方が亡霊とあってはそうも言えない。何とか折り合いを付けさせてさせるのは本当に骨が折れる。

 本来、白拍子が本職なのであって、人の恨みを晴らすのは、違う職業の人に任せるべきだと割り切る事にした。

 今は、知り合いの陰陽師にもらった、見えなくなる護符を身につけて見ない事にしている。

 そんなわけで、にゃまとに聞いてみたのだが、沢山いる中から、視線の主を捜さなければならないのかな? できれば見たくない…。

「…」

「あ、新顔もいるにゃ。神様の使者かにゃ? よすが

に何かお願いがあるのかもしれないにゃ」

にゃまとは、よすがの着物の袖の隙間から顔を出してのぞいている。

「え! 神様の使者? それは、綺麗?」

「綺麗な白い狐にゃ」

よすがにしがみつきながら、くりっとした大きな瞳で見上げる。

「それなら、お話を聞いてみようかしら…にゃまと、ここに呼んで」

「はいにゃ」

 にゃまとは、小さな素足で、とことこと歩いていくと先程視線を感じた辺りで話をしている。ああ、やっぱりさっきの視線は神様の使者だったのか、探さなくても済みそうだとホッとする。

 彼らは綺麗な女の子と男の子の姿でよすがの前に現われた。二人とも白い着物を着ていて、男の子はおかっぱ髪で、女の子は長いさらさらな、…二人とも白い髪色だった。色白の、綺麗な整った顔立ちはやはり人間離れしていたが、美しいのでよすがは気に入った。

 男の子は、白夜びゃくや。女の子はと沙夜梨さよりと名乗った。

 さすが、神様の使者だけあって、お行儀がよくて礼儀正しい。よすがの前にちょこんと正座してちゃんと手をついてお辞儀をする。

 彼らが言うには、家主がなくなって久しい家に祭られた小さなやしろが、彼らの本殿らしい。

 忘れ去られた彼らの主は、徐々に霊力が失われ弱ってしまっている。そこに付け込まれ、屋敷の中に悪霊がはびこり始め、このままでは、悪霊に取り込まれた邪神になってしまうという。

 二人を、最後の力を振り絞って屋敷から逃がしてくれたのだそうだ。

 二人は、何とか主を助けたくて、都で一番といわれる、白拍子のよすがなら、主を蘇らせるらせる事が出来ると、助けを求めてきたようだった。

 つまり、奉納の舞を舞ってほしいという事らしい。これは、よすがにとって本来の仕事なのだから、助けてあげたいと思う。

「お話は分ったわ。でも、いくら、誰も住んでいないからといっても、そのお屋敷の持ち主がいる筈よね。その主を探して、お話してみないと、勝手には入れないと思うのよね。お社を祭るような、大きなお屋敷みたいだし、きっと、由緒ある家柄だと思うわ」

「はい、源の頼朝様由来のお屋敷です」

「え! 源の…」

 今や、平家が滅んで源様が随一ずいいちの有力者だ。そんな大物とお近付きになれたらすごい幸運だが、いくらよすがが、都で名の売れた白拍子だとは言え、身分が違いすぎる。そんな雲の上の方に相手にされないのではないか、門前払いになるのが落ちではないかしら…。

 よすがは悩む。

 肘おきに寄り掛かって頭を抱えていると、なにやら表が騒がしい。「たのもー」と、声がする。

「あら、誰か来たのかしら」

「はい。おそらく、源様の御使者の方と思います」

 白夜がしれっと言う。

「え?・・・」

 一体何が起こった? 頭が追いついていかない。源様? あの雲の上のお方の御使者が、何で我が家に? いくら、御使者とはいえ、こんな粗末なあばら家に…。ワザワザお越しいただいた…? どうして? 訳が分らなくなって、よすがは、思考を放り投げる。

「え! どうゆうこと?」

「頼朝様に、二人でお願いしてきました」

「白夜は、人の夢の中に入るのが得意なんです」

沙夜梨が、こそっと小さな声で言う。

「頼朝様の夢枕にたったってこと?」

「はい。簡単に言うとそういうことです」

沙夜梨は、またこそっと小さな声で答えた。

 そうか、それで源様の御使者が、粗末な我が家に訪れたというわけか…。こ、こんな粗末な座敷にいくら使者とはいえ、お迎えするの? どうしよう、座布団も粗末なものしかないのに…。

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