沈む

森木林

第1話 深く

 青く光り輝いて見えるのはほんの表層で、少し潜れば、ただひたすらに闇が広がる。そんな海の中。

 見えない、聞こえない、生身では生きられない、人の生まれ持った力だけでは到底及ばない。

 ゆえに挑み、失敗し、学び、知恵を蓄え、技術に還元し、そしてまた挑むを繰り返して来た。


 失敗——文字に起こすだけなら、何と容易なものなのだろうか。

 ただ事件として、しらせとして、人伝に聞くだけの何と軽いものか。


 彼らのを、想像したことは……ありますか?


    *    *    *


「応答せよ!応答せよ!!こちら探査チーム!トラブル発生!……ダメだ、届いてねぇ……」 


 地球に残された最後の秘境と揶揄されることもある、海の底。その道中。

 たった壁一枚——といっても、相当な技術を詰め込んだ揺るぎないものだが——を隔てただけで、そととは打って変わってある程度快適に過ごせる潜水艇内。にもかかわらず、背中とわきに嫌な汗が伝う。


「どうしましょう……」


 真っ青な顔をしたの声は、この狭い船内でもハッキリと聞き取れないほどにか弱かった。もう一人も、口を真一文字に結び、眉間に深く皺を寄せている。

 無理もない。潜水開始から1時間。今まで聞いたことの無い音とともに、突如としてこの地獄が始まった。


 電気系統の消失である。


「どうするもこうするも、俺たちゃ俺たちの出来ることをして、あとは母船うえの連中を信じるしかないだろう」


 そう言いはしたものの、どうして良いかなんてこっちが聞きたいくらいだった。

 試してはみたが、主電動機は完全に止まっており、そのせいでスラスタ(推進力)も仕事をしない。


「とにかく、俺たちは俺たちで、いま出来ることをするんだ。原因だってまだ分かってない。上と連絡が取れた時の為にも、それぞれの仕事を全うするんだ」


 選択肢の無いこの状況で選べる言葉なんて、そうありはしない。そして、この狭い空間で出来ることは、そう多くない。


 考え得る対応を片っ端から試して、いまの状況を確認する。

 その結果、通信系統と航行機能が全停止していること。潮の流れにつかまったのか、少しずつ本来の潜航ポイントからズレてきていること。その行く先は、今なお沈み続けているこのふねの耐水圧では耐えられない可能性があること。

 そして何よりも絶望したのは、例え通信が復活して救援を呼べたところで、今から救助要請をしたところで到底間に合わないであろうことだった。


 つまり、俺たちが生きて浮上する方法は二つだけ。

 奇跡的に通信系統が復活するか、母船の連中が、いまこの瞬間に、一目散に通信の途絶えた俺たちに向かって来てくれているか。


 広い海の中を潮の流れに任せて漂う艇。希望的観測で語ったとしても、後者はイルカでも不可能だろう。

 つまり、俺たちに残された道は一つだけ——理由不明で停止した電気系統を直すか、理由なく、奇跡的に復活するのを待つだけ。


「出来ることがそれしかないなら、やる他ないだろうな……」


 リーダーという肩書が無かったら、どうだっただろうか。一見、冷静に振舞っているように見えるだろうが、その実、この手詰まりの状況に息が苦しくなる。

 俺だったら果たして、彼らのように静かでいられただろうか。

 静かな艇内でじっと俺を見つめる二組の双眸。

 恐怖を押し殺し、俺の指示を待っている二人。


 どうにかしてこの二人と一緒に助かりたい。


 その一心で、絶望を現わしたかのようなこの現実の中の光明を探す。

 まだ、辛うじてだが、非常用のあかりのおかげで、なんとか手元が見える程度の光源は確保できる。となれば、出来ることをする他ない。

 このままいけば、俺たちは艇ごと水圧に押し潰されて弾け飛ぶか、船内に水が流れ込んで窒息するか、どちらにしても、恐らくはその亡骸が陽の光を見ることは二度とないだろう。

 脳裏に浮かぶその光景に、思わず身震いしそうになる。

 それを消し去るようにかぶりを振り、今できる最善手をと手を動かす。


 薄明かりに浮かんだ左手。その薬指の付け根が鈍く光る。

 まだ馴染みの浅い、付けていることに違和感を覚えることもある、永遠を誓った証。



 帰るんだ、必ず——!



 最愛の人に想いを馳せ、あふれ出る不安を押し殺すように、奥歯を強く噛み締めた。

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