第2章 偽りの聖女と小さな死の林檎

第10話「偽りの聖女の優雅な日々。ただ、彼女の心は寂しくて……①。」


 飛空船ミルドレッド。城壁都市メイナードから離れて、西方へ移動中。数日以内に、聖フィリス大陸の最西端、海洋都市ヴォルフラムに到着する。魔物が少なく、治安がいい都市なので、彼女への心配も少し減るだろう。



 俺はジョナス・レイン。聖フィリス教会の監察官。


 飛空船の上層に用意された、彼女の部屋に向かっている。ロゼッタ枢機卿の部屋がある機密エリアで、上司へ報告をするついでに、寄ることができるのは都合がいい。【そうだ、俺はロゼッタ枢機卿に報告をしに行く。そのついでに、彼女の部屋を訪れるだけだ……変に意識する必要はない。】



 聖女聖誕祭、あのパレードのあと、彼女はしきりに謝っていた。別にたいした怪我はしていなかった。気にしなくていいと言ったが、それでも頭を下げていたな。【俺が気にしているのは……馬車から落とされたことじゃない……あの時、彼女に信頼されていないと思ったからじゃないのか?】



【信頼か……俺は、彼女のことが……。】



「!?…………。」



 【ミトラ!? タイミングが……。】彼女が、ちょうど娘と一緒に部屋の外にでてきた。もしかして、今の俺の言葉、聞かれたか? 少し焦りを覚える。ミトラは不自然に、何も話さず俯いている。



【ミトラ、おはよう。体調は大丈夫か?】



 「……………。」こくこくと何度も頷いている。俺と話をしたくないのか? それはそれで気分がよくない、嫌な感じだ。彼女は軽く頭を下げてから、横を通り過ぎようとした。



「!?………。」ミトラが驚いている。



 俺が、彼女の右腕を握っている。【しまった……不意に掴んでしまった。このまま逃げられるのも、しゃくだ……。】



【ミトラ、君と話がしたい。】



 「……………。」彼女はまだ無言だったが、自分の左手で、自分の口を覆いながら、やっと話してくれた。



「ジョナス君、腕を離して。掴まれていたら、痛いから……。」



【じゃあ、逃げないな? ミトラ、正直に話して欲しい。


 そうだな……まずは、君の体調が良くないのなら、医務室に行こう。

 俺が、医務室まで君を運ぶよ。】



 「ジョ、ジョナス君、私は大丈夫だから、だから、ちょ、ちょっと離れて!」、俺が近づき過ぎた。彼女が離れて欲しそうに、左腕を伸ばす。手を見せて、俺を制止しようとする。【俺らしくない……俺は何をしている? 彼女に嫌われたくないのに……。】




『壁ドン?……。』



 「…………。」、【…………。】ミトラの娘が、不吉なことを言った様な気がした。我に返って、彼女の腕を離して、距離をとる。彼女は何も話さない。無言が続いて、へんな空気になってしまった。



《あら、ちょうど良かったわ。ミトラ、こっちに来てちょうだい。》



 白髪の高齢の女性が廊下を歩いていて、幸運なことに、ロゼッタ枢機卿がミトラを呼んでいる。彼女はほっとした表情で、娘の手を握って、枢機卿のもとへ駆け寄っていった。


 ミトラは、ロゼッタ枢機卿と話をしながら、部屋の中に入っていく。



 ドンっと、廊下の壁を軽くたたく。俺らしくない、いったい何をしているんだ? きっと早朝に、欲に溺れた権力者ども、うっとうしい手紙を見たためだろう。全部、枢機卿の目の前で破り捨てたので、その時は気分が良かったのだが……。



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《あら、犬歯が生えたの? なんだが、貴方らしいわね。

 気になるのなら、貴方の主治医に診てもらいなさい。》



 「は、はい……。」ロゼッタ枢機卿のお部屋、枢機卿の配下の方が、温かい紅茶をだしてくれる。私の隣の席には、白い少女が座っていて、紅茶を飲まずに、楽しそうに私を見ている。



 私はミトラ。聖リオノーラ学院の学生だった頃の姿です。


 白い少女、この子はとても可愛らしく、『お母さん、大好き!』と毎日言ってくれる。それだけで心が癒されます。でも、今日は、朝起きて顔を洗っている時に、上の歯に犬歯の様なものが二つ、先が尖って伸びていることに気づいた。「最悪です……吸血鬼の歯みたい……。」



 タイミングが悪く、ジョナス君に会ってしまった。ロゼッタ枢機卿様が声をかけてくれなかったら、もっと気まずくなっていたと思う。教会専属の女医さん、マーシーさんに歯を削ってもらおうかな?



《ミトラ、ジョナス君と話していた時、その歯は、彼に見せなかったの? 》



 「えっと、何だか恥ずかしかったので……。」、と笑って誤魔化してみる。《そう……。》と枢機卿様は何か考え込んでしまった。何か変なこと、言ったかな?



《ねえ、ミトラ。私に教えて欲しいことがあるの。

 誰か、好きな男性はいる? お付き合いしている人とか……。》



「……いません、いる様にみえますか。」



《ミトラちゃん、ジョナス君のことはどう思っているの?》



 「えっ? 枢機卿様?」、枢機卿様は含み笑いをされているけど……ジョナス君のこと、私が? 



「!? い、いや、あのロゼッタ枢機卿様、私は別に、彼のことをー。」



《嫌いではないでしょう? 私の部下の若い子に聞いても、

 彼は高身長で、知的でカッコイイと言っていたわよ? 

 彼、若い子たちから人気があるそうね。》



 ジョナス・レイン監察官。客観的に見れば、知的で物静かな性格。冷静に、着実に任務をこなす。霧の上位魔術―招魂魔術で証拠を見つけ出し、敵を欺き、時には体術で悪者を打ち倒す。若い聖職者から見れば、まさに正義のヒーローにうつるのでしょう。


 でも、彼も人間だ。怒る時はすごく怒る。人並みに失敗もする。


 そう、彼が嫌いな汚職や詐欺の事件になると……。聖リオノーラ学院の学生だった頃、ジョナス君が、詐欺師を見つけて、問答無用で、殴っていたことを思い出した。その時、彼は留置場・ぶたばこに、まる1日収容されていた。それでも、彼は外に出てきた後、詐欺師を捕まることができて、とても嬉しそうだった。



「ロゼッタ枢機卿様、彼はとても正義感の強い人です。

 でも、正義のヒーローではありません。

 怒る時は、すごく怒ります。

 苦しいことがあっても、いつも頑張っている普通の人です。


 悪者を捕まえて、少しでも世の中を良くしたいと、

 頑張っているのは、とても尊敬できます。私の大切な友達です。」



《友達ね……貴方たちは、自覚が足りない。この点は、素直じゃないわね。

 まあいいわ、そこまで急ぐことではない……。

 

 ミトラ、貴方も向き合う必要があることよ? 

 ミトラちゃん、これ、見てくれる?》



 「? 手紙の切れ端?」箱に入った、ばらばらの紙の切れ端。誰かがちぎった様で、手紙の内容は分からない。「紹介」、「子息」という単語だけ読めるものはあった。中身の手紙はないけど、それが入っていたと思われる、空っぽの封筒はある。小さな宝石や金粉などで装飾されていて、とても高そうな封筒です。これを使って、手紙を書いて送った人は、きっと裕福な商人や貴族の方なのかなと思ってしまう。



「ロゼッタ枢機卿様、これはいったい……。」



《聖女である貴方への婚約、結婚前提のお付き合い、お見合いの手紙よ。

 100通以上届いていたわ。》



 「えっ?……婚約?」、誰かも知らない、分からない人と結婚?! 絶対にいや。枢機卿様の命令でも、絶対にいやです! 私が恐る恐る、枢機卿様を見ると……。



《大丈夫よ、安心しなさい。勝手に婚約を決めたりしないわ。

 それに、届いていた手紙は、全部ばらばらになってしまった。


 貴方の友人が、私の前で、わざわざ招魂魔術を行使してね。

 【こんな穢れた手紙、吐き気がします】だって……。

 謝罪の手紙とか、その後始末も、彼にお願いしたいところだわ。》



 「ジョナス君が……。」、それは嬉しい。私のことを考えて、枢機卿様に叱責をされてもいいと行動してくれたと思うと、普通に嬉しくて笑顔になる。ロゼッタ枢機卿様も、くすくすと笑っておられる。



《はあ、まったく……自分の気持ちに、もう少し素直にならないとだめよ?

 大切な人は、すぐにいなくなってしまうものだからね……。》



 「は、はい……。」と私が返事をすると、ロゼッタ枢機卿様は姿勢を正した。きりっと表情が引き締まって、いつもの枢機卿様に戻っておられる。



《この話は、この位にしておきましょう。

 ミトラ、貴方に命じます。まず、海洋都市ヴォルフラムにて、

 貴族のご令嬢とお茶会してきなさい。


 これも、貴方が立派な指導者になるために必要なことよ。

 安心して、ノルンちゃんと一緒に行動できる。

 これから立ち寄る、別の都市でも、随時、お茶会に参加すること。



 そして、そのお茶会で、ロンバルト大陸出身で、

 貴方が心から信頼できる者を、親友をつくりなさい。


 貴方が都市にいる時は、上空で、飛空船ミルドレッドが周辺警備を行う。

 ジョナス監察官か、主治医のマーシー、どちらかと一緒に行動すること。



 貴方の身の安全のため、各都市間の移動は、飛空船ミルドレッドで行います。

 ミトラ、何か質問は?》



「あの、お茶会は、貴族の方だけでしょうか? 

 その、貴族の方だけだと、息がつまりそうで……。」



《紹介状のある、お茶会に参加してくれたら、あとは貴方の自由な時間よ。

 その時間を使って、慣れ親しんだ場所に行ってもいいわよ?

 ただし、必ずジョナス君か、女性の付き人と一緒に行動しなさい。いいわね?》



「はい、承知いたしました。」



《ああ、言い忘れるところだったわ。

 ミトラ、聖女として、正しく行動しなさいとは言わない。

 

 だけど、貴方は私の推薦を受けて、貴族の社交場に参加することになる。

 この意味が分かるよね? 私を悲しませないでね、ミトラ?》



 「は、はい……精進致します。」、枢機卿様の権威に泥をぬる。彼と違って、そんな恐ろしいこと、私にはできない。そのあと緊張し過ぎて、枢機卿のお部屋をでるまで、どのように受け答えしたか、よく覚えていなかった。



 そんな私に、白い少女が、あるおまじないを、私に優しく教えてくれた。



『お母さん、困っているの? 私がおまじないを教えてあげる!』



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