2.2:Black in White - Epi21

 いきなり、クインは背負っていた大きなバックパックを肩から下ろし、バッグの中をゴソゴソと探り出す。


「これを持っていろ」

「それは何?」

「小型無線機だ」


 クインが亜美に差し出してきたのは、手の平サイズの丸っぽいプラスチックの器機だった。


 亜美は手袋越しで、無線を受け取ってみる。

 ボタンが二つしかない、なんとも簡単な道具だった。


「この“ON”っていうのが、話す時に押すやつ?」

「そう、話している間、ボタンを押し続けていればいい」

「じゃあ、“OFF”っていうのは?」

「電源を切ることだ」


「それだけ?」

「そうだ」

「GPSとか、その程度の機能ってついてないの?」

「ただの無線だ」


 なんだか、おもちゃ屋さんでも買えそうな子供の道具にしか見えない。


「これ、誰に繋がるの?」

「組織にだ」

「――こんなおもちゃみたいな無線で、本当に繋がるの」

「ああ」


 そして、あまりに端的で、簡潔な一言だった。


 ジャケットの立ち襟越しで見えなくても、亜美が少し口を曲げたような顔をしているのは、クインもしっかりと理解している。


「じゃあさ、非常事態、って……、私の判断が非常事態でも、あなた達の判断が違うかもしれないじゃない。どの基準で、“非常事態”って決めるの?」


 その質問は的を得ていた。


 ふむと、クインも考えてみる。


「自身の身に危険が差し迫り、その危険から回避できないか、または、その方法がなく、緊急の対応が必要とされる時や場所だ」


 どこかからの説明書を丸読みしたような定義だ。


「え……? 普通は、平時とは違う緊急した状況、っていう意味じゃないの?」

「それは、単語の意味だ」

「え……?」


 意味と解釈は違う、とでも言っているのだろうか……。

 困惑を隠せない亜美だ。


「ある程度、危険が差し迫ったとしても、その回避方法や対処方法はあるものだ」

「えっと……、その……あなたが、アンチ・テロリストのエージェントだから?」


 しっかり訓練されているから、と?


「そうだ」


 その一語が全てを物語っていた。

 そうですか……と、亜美もただ納得せざるを得ない。


「絶対、ここから動かないように」

「わかった……。身を潜めて、あなたの帰りを待ってればいいんでしょう?」

「そうだ」

「……気を付けてね」


 真っ黒なゴーグルに隠されて、亜美の表情は読み取れない。

 だが、その言葉には、クインを心配している素直な感情が表れていた。


 ふっと、ジャケットの奥の隠れた場所で、クインが少しだけ笑ったのを、亜美は知らない。


 すぐに、クインは亜美をその場に残し、一人で歩き去ってしまった。


 真っ白な大地の中に、たった一つの黒ずくめ。ポツンと浮き立つ異様な色は、すぐに目につくものだ。

 だが、周囲は日が沈み真っ暗になっていた。


 じーっと、亜美が必死で目を凝らして、雪の中に消えていくクインの背中を追っていても、周囲の暗闇が落ちて、もう、雪の中の黒い点さえも見つけることができなくなっていた。


 クインがいなくなってしまって、本当に、こんな山奥のど真ん中で、亜美は一人きりである。

 一人きりになってしまうと、余計に……心配が増すものだ。怖さが増すものだ。


 ネガティブ思考にならない為に、やはり、ここは建設的、生産的な行動が必要になってくるだろう。


 今まで山登りで歩き続けてきたから、亜美の体温も落ちていない。むしろ、新陳代謝が働いて、心拍数も、呼吸も上がってかなりいい状態ではある。


 ここで、いきなり動くことを止めてしまったのなら、することもなく、寒さを直接感じてしまうことだろう。ジャケットは温かくても、やはり、極寒なだけに、体温が下がり始めてしまっては問題になってしまう。


「よしっ」


 まずは、この場所から動かずに、目立たない運動をすることが大事だろう。


 いい案を思いついて、亜美は、まず、自分の足元の雪慣らしをすることにしたのだ。

 ブーツで、雪を潰し、平らにして、足回りだけ四角い平らな場所を作ってみる。


 むぎゅ、むぎゅ。


 軽快に片足ずつ上げて、ブーツで下の雪を平らに慣らしていく。正方形の四角い場所ができると、嬉しくなって、今度は少しだけ足幅を広めてみることにした。


 場所を動かず、行進運動である。

 1、2。1、2。


 軽快に、足並みよく、場所を動かずの行進はうまくいっている。


 どのくらいの間、クインの帰りを待たなければならないのだろうか。次の1時間、ずっと行進している状態は、少々、避けたいものだ……。





 亜美を一人で残し、テロリストがいたと報告されているキャビンにクインが近づいてきて、クインはジャケットから自分の携帯電話を取り出していた。


 真っ黒な画面を少し覗き込むと、暗闇の中で、携帯の画面が明るく輝いた。


 普段は、指紋照合と顔認識方法で携帯電話のロックを解くことが多いが、今は手袋をめているので、顔認識だけのロック解除に設定してあるのだ。


 顔を隠しているジャケットのチャックを少し外し、電話に向かって指令を口に出す。


「現地点から半径100m以内、サーモグラフィ検証、レーザースキャナーで立体形状の測定。実行」


 画面を見下ろしているクインの前で、すぐに、指令の分析結果が映し出された。

 サーモグラフィ検証では、熱反応が発見されなかった。テロリストもいないが、現在、行方不明中の晃一も、この場所にはいないようだった。


 建物のスキャナーの測定により、ほぼ3Dのイメージが浮き上がり、大体の構造は把握することができた。


 クインの目先にあるキャビンは、表向きは、小さなキャビンで、雪に覆われているだけに、ほとんど外界からの発見は難しいだろう。

 一階建てで、リビングルームに、もう一部屋あるかないかの、小さなキャビンだ。


 だが、3Dイメージでは、建物の枠組みが二重になっている場所がある。どうやら、地下室があるらしい。

 まあ、テロリストの拠点なら、秘密の部屋や通路があっても、全く不思議はない。


 今の所、敵はいない。

 人体の生存反応もない。


 まずは、その点の警戒は、そこまで厳しくしなくてもいいようだった。




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読んでいただき、ありがとうございます。

Бу романны укыган өчен рәхмәт.

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