言葉、お届けします。
翔
いらっしゃいませ
汗が、額を流れ落ちて机に落ちた。拭うことも、顔を上げることも出来なかった。
机ひとつ分向こう側に、担任の
机の上には、もう何枚目かわからない、模擬試験の成績表。折れ線グラフも棒グラフも、右側にがくんと落ち込んでいる。
「
「……すみません」
「謝れって言ってるんじゃないよ。前の模試から今まで何してたの?」
「……」
「言えないの? 言えないよね、この成績じゃ何もしてないってことだよね」
「すみません」
阿部先生が、姿勢を崩した。
「あのね、何度も言ってるけど、勉強ってそんなに簡単じゃないからさ」
「はい」
「前回親御さんたちに何て言われたんだっけ? 前も怒られてたよね」
「はい……」
「率直に聞くけどさ、新月はなんで勉強しないの」
「いや……勉強、してないというか」
「してないよね」
「は、はい」
「なんで?」
「……しても、出来るようにならないじゃないですか。将来の夢もないのに、続ける理由も見つかりません」
「試してもないのに言わない」
「……」
正論が嫌いだった。
そんなことは言われなくたって分かっているから。それを武器にされたら、怠惰な私は何も言えないから。
自分が逃げているだけだと、真正面から自覚せざるを得ないのが、怖くないわけない。
何も知らないくせに、と思う。
私がかけて欲しい言葉も知らないくせに、と。
先生の言葉が正論であればあるほど、無駄な反抗心が細々と燃え上がる。
大した反論材料もないのに、だ。
汗と一緒になって、涙が溢れた。
この場面に直面しても、まだ危機感を持たない自分に、ひたすら焦ったのだ。
みんなやっているのに、と思えば思うほど、私には他人と同じことすらできないのだと、惨めさが増していくだけで。
思い出さないようにしているのに、いつも言われる言葉が次から次へと浮かんでくる。
「やらなきゃいけないことも出来ないなら遊ぶな。部活はやめろ。友達なんて必要ない」
「そんなにやりたくないなら高校辞めて働け、さっさと家を出ていけ」
「妹の前であんまりなことしないでよ、反面教師にしか使えないじゃない」
両親が嫌いだ。
妹が嫌いだ。
家族が嫌いだ。
頼んでもないのに産んで、自分の価値観にしかない理想を押し付ける母親も、優秀な妹と比較して私を失敗作と評する父親も、勉強と運動の才能も親の愛情も手にしておいて「お姉ちゃんばっかり」と喚く妹も、全部。
「新月さ……」
必死に先生の顔を睨んで嗚咽を抑えているが、そろそろ限界だった。
「泣けばいいわけじゃあないからな」
うるさい。
泣いて許して貰おうなんて思ってない。
そもそも泣きたくなんて、ない。
キッと睨みつけても、阿部先生はそれ以上何も言わなくて、それがまた悔しかった。
「じゃあこれからどうするかちゃんと考えてくるんだぞ、今日は帰っていいよ」
「……さよなら」
「はいさようなら」
阿部先生が私を気遣ってくれていることは分かった。
普段からよく話す部類に入る生徒だし、愚痴も聞いてもらっていて、時々心配して言葉をかけてくれる。
でも、どうしても先生が正論で説教してくるときだけは、好きになれないのだ。
乱暴に鞄を掴んで教室から逃げ出した。
ああ、どうしよう。
私はどうすればいいんだろう。
この先何になるんだろう。
勉強も出来ない、人に感謝も謝罪も伝えられない、そんな私は何の役に立てるというのだ。優秀な同級生や妹の顔が頭の中をぐるぐると巡り、また焦った。
涙も乾いてきた頃、やっと最寄り駅に着いた。いつもより長い帰り道だったけど、まだ電車に乗る気にはなれなかった。
家に帰りたくない。
もう一度説教が待っている。
何か美味しいものでも食べようと、適当に近くにあった店に足を踏み入れた。
普段は小洒落た店なんかは気後れして入れないのだけど、今日は逆に踏ん切りがついた。
見た目に惹かれて選んだ店だったが、店内も好みの雰囲気だった。
茶色が基調の、こぢんまりしたお店。沢山の観葉植物に囲まれた、数席とカウンター席のみで構成されている。
入り口の真横にある棚には、コーヒー豆や調味料なんかがずらりと並んでいる。
カウンターの奥で、おそらく洗い物をしていたのだろう若い男性が、顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
「お待ちしておりました、麻里様」
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