第29話 最終試験
朝になり、カイルは女臭いベッドの上で目を覚ました。
前夜に激しい運動をしたせいか、心地よい疲労感がある。
今日はいよいよ、試験最終日だ。
(出るか)
早々と身支度を済ませ、蕩け顔のレオナと共に登校する。
予鈴が鳴ると、やはりとろんとした顔のアイリスが教室に駆け込んで来た。
ホームルームの主題は、小柄な転校生についてだ。
「皆さんの新しいクラスメイトです」
とロゼッタが紹介され、拍手が鳴り響く。
そのロゼッタもまた、どこか夢うつつな表情をしていた。
「皆さんこちらも気になってるでしょうから、報告しておきますね。……オークの件はなんの心配もありません。あれは試験用にあえて連れ込んだもので、学院のセキュリティに不備があるわけではないのです」
アイリスは白々しい口調で昨日の事件を弁明した。
傍らではロゼッタが、「……嘘つきの匂い」と鼻をひくひくさせている。
(職員会議でこう言えと命じられたのか)
カイルは昨晩、アイリスから学院の内情を聞かされていた。
地下室のオークは、教師達からすれば寝耳に水だったそうだ。かといって素直に「わけがわかりません」と言えるはずもなく、とりあえず生徒達の動揺を防ぐ方針で決まったのだろう。
「……最終試験に関してですが、こちらは地下ダンジョンを攻略してもらうことになりました。中庭にあった例の場所です」
なんだ、じゃあこのためにオークを用意したんですね、とクラス中に安堵の声が広がる。
だがカイルは、アイリスの変化に気付いていた。
あれは罪の意識を感じている時の顔だ。枕を共にした男には、わかる。
レオナとロゼッタも、アイリスの異変を察したようだった。
「私は教師失格ですね」
廊下を歩いていると、弱り切った声でアイリスが泣きついてきた。
カイルにだけ聞こえる声で、ぽつりぽつりと弱音を吐いていく。
「……生徒と関係を持ったあげく……みすみす危険な試験まで受けさせて……」
そう自分を責めるな、とカイルは小声で慰めてやった。
ロゼッタには鬼畜めいた言動を繰り返し、アイリスには穏やかな包容力を見せる。
複数の恋人をケアするのは、骨の折れる作業である。
「新人の身では、先輩教師の決定には逆らえないだろ。お前が悪いわけじゃない」
アイリスの黒い瞳は、涙に濡れていた。
ちょうど人気がまばらになっていて、誰も見ていない。カイルはふむと頷き、
「お前は悪くない」
と涙を拭いてやった。
それが済むと、早足で中庭へと向かう。
顔を作り直す時間が要るだろうと思い、一人にしてやったのである。
「遅かったわね。何してたの?」
庭に着くと、レオナが待ちくたびれたといった様子で走り寄って来た。
「野暮用だ」
言いながら、カイルは地下室へと目を向ける。入り口付近で、ロゼッタが四つん這いになっていた。その鋭い嗅覚で何を見つけたのか、しゃがみ込んでふんふんと匂いを嗅いでいる。
今日の試験は、あの奥に潜り込む。
魔物退治を行いつつ、余裕があるなら地図も作れとのことだった。
討伐数とマッピングの出来に応じて、単位が与えられるらしい。
要は、体のいい調査隊である。
試験ついでに、ダンジョンの状況を調べてもらいたいのだろう。
まさか自分達の足元すらまともに把握していないとは。この学院は大丈夫なのか、とカイルは呆れていた。
レオナも同じ感想を抱いたのか、意味ありげな視線を送って来る。
「暗い上に密室なんだよね。中で何やっても、バレないよね……?」
全然同じ感想を抱いてはいなかった。いつものレオナだった。
カイルが自分の彼女にも呆れていると、ようやくアイリスが姿を見せた。
「お待たせしました。これより試験を開始致します」
うら若い担任教師は、ほのかに目が赤い。
「今回も班単位で動いてもらいます。四人一組になってください」
A組元々三十三名いたが、そこにロゼッタが加わり、三十四名となった。
これを四人で割ると……八組作れるが、二人余ることになる。
アイリスは少し考えたあと、戦力が過少と思わしき二つの班を、五人組にさせた。
次いで、
「カイル君の班が戦力過剰ですね」
と、さらなる調整作業に入った。
学年トップの戦闘力を誇るカイル、学年二位に位置するレオナ、強力な魔法を使いこなすロゼッタ、送りバントが上手いキュウジ。この面子が一つの班に固まってるのは不平等ということで、キュウジは別の班に移動させられた。
カイル班は、三人。
教師としては至って正常な判断であろう。
単にカイル達に気を使って、気心の知れたメンバーに絞ってくれただけかもしれないが。
「先生は皆さんが心配でなりません。危ないと思ったら、すぐに地上へ引き返してくださいね? ……それでは――はじめっ」
アイリスはピッと笛を鳴らし、右手を振り下ろした。
生徒達は、こぞって地下室の階段を駆け下りていく。
魔物の討伐数が評価を左右するのだから、狩り尽くされる前に動こうと考えるのは自然な心理だ。
「俺達も行くか」
カイルが顎で促すと、レオナとロゼッタはぴたりと左右にくっついてきた。息の合った動きである。
ベッドの中で交友を深めたというのもあるだろうが、どうもそれだけではないらしい。
「私とロゼッタって、どこかで会ってるっけ?」
「……初対面。……でも……体が覚えてる……? レオナの動き、わかる」
昨日はどちらかというと険悪な空気が流れていたのに、今日は昔馴染みのような雰囲気が漂っている。
アイリスの時もそうだった。
(旧勇者パーティーの全員が、なんらかの形で前世の記憶を持っている?)
原因は不明だが、それで不利になるとは思えない。
むしろありがたいくらいだ。
カーライルなら何か知っているのかもな、とカイルは指輪への未練を見せつつ、地下室へと降りた。
相も変わらず、通路は暗闇に包まれている。視界の確保が先決だ。
「
「……
カイルとロゼッタは、同時に闇を照らした。
まばゆい光があたりを包み込み、石造りの迷宮が露わとなる。
「……凄い。カイルの魔法、私より出力が大きい。こんなおっきいの初めて。貴方、魔法使い?」
「いいや。本業は狂戦士だ」
「……片手間でこんなに……? 私は魔法使いなのに、この程度……」
しゅんとするロゼッタの耳を、くしくしと撫でてやる。
「そう落ち込むな。言葉を発するタイプの魔法が上手く使えないのはしょうがない。早いとこ無詠唱魔法を極めるんだな。特訓中なんだろ?」
「……私が無詠唱魔法を練習してるの、どうして知ってるの……?」
「お前のことならなんでも知ってる」
ロゼッタは怪訝そうな顔をしていたが、しばらくすると「あうあう」言いながら両手で顔を覆った。
「……も、もしかして……私、昨日の夜、変なうわごとを口にしてた……? 途中から、記憶飛んでる……。どんなお話したか、覚えてない……」
一から前世の縁を説明するのはめんどうだし、ここは勘違いに乗るとしよう。
「ああ。お前は涎を垂らしながら個人情報を囁いてたぞ」
「……う……うぅ……っ」
「はいはいそのへんにしといて。あんま私のロゼッタちん虐めないでよね」
レオナはぎゅうっとロゼッタを抱きしめ、おどけてみせる。
たった一晩で随分と距離が縮んだものだ。
「よほど気に入ったようだな」
「うん。ちっこいしモフモフだし、可愛いじゃない。指輪の件さえなければ、妹にしちゃいたいくらいよ。……私ってそういう趣味あるのかな? なんかこう、この子を見てると放っておけないというか……」
ちなみに前世のレオナは、ロゼッタを抱き枕にしていた前科がある。
別に変な性癖があるわけではなく、小動物っぽいものに弱いだけだろう。
「……あうぅ……息、できな……」
ロゼッタはレオナのふくよかな胸に顔面を圧迫され、息苦しそうにしていた。
そろそろ限界だろう。
カイルは「探索を進めるぞ」と声をかけ、移動を開始した。
少し遅れて、二人の少女がついてくる。ロゼッタは無事呼吸が確保できたようだ。
「今のところ交戦の気配はないわね」
「昨日仲間をやられたばかりなんだ。怖がって出てこないんじゃないか」
そうだといいのだが、とカイルは思う。
しかし鋭敏な嗅覚を持つロゼッタは、
「……オークの匂いがする」
と警告を発した。
「昨日の今日でか。本当に懲りないやつらだ」
「やっぱり指輪を狙ってるのかしら」
ロゼッタは首元のチェーンを固く握りしめる。
「……指輪、オークには渡さない。じーじの遺品、絶対渡さない」
「当然だな」
しかしこの寄せ餌を持っている以上、ダンジョン内のモンスターは皆カイル班に寄って来るのではないだろうか?
これは莫大なスコアを稼いでしまいそうだなと、とカイルはため息をついた。
何から何まで反則――チートだらけだ。
「さっそく一匹お出ましか」
そして、哀れな獲物が引っかかる。
前方に十字路があるのだが、右側からぬっとオークが出てきたのだ。
装備がいいので、ハイ・オークかもしれない。
……ハイ・オーク。
前の世界でレオナ達を食い殺したのは、こいつらだった。
豚人間の分際でエリートを気取る、魔王直属部隊の精鋭兵士。
なぜそんなものがここにいるのか? それはわからない。わかる必要もない。……今は。
カイルは懐のホルスターからダガーを引き抜くと、目にもとまらぬ速さで投げつけた。
「ブゴオッ!?」
狙いすました刃は、豚男の頸動脈を引き裂く。大量に上がった血しぶきが、地下迷宮の床を濡らした。
「くっく……豚は切り刻むに限るな」
楽しい。とても楽しい。けれど残念なことに、ここでこいつを殺すわけにはいかない。
一匹は生け捕りにする必要があるのだ。
こいつらが誰の差し金で、どうやって学院に侵入したかを吐かせるための、情報源が要る。
といっても、人語を解せず、文字も書けないオークへの尋問は無意味だ。
(あの女に頼るか)
カイルは若い女面接官を思い出していた。あの女は他者の心が読める。オークの心を読ませれば、いくらでも情報が引き出せるだろう。
「持ち運びしやすい形にしてやるか」
カイルは……虫の息となったオークをギコギコと解体し、「小さく」してやった。
その状態で回復魔法をかけ、生かさず殺さずのコンディションに仕上げる。
いい具合だ。前より男前になったじゃないか。
カイルは豚頭のオブジェを腰からぶら下げると、にっこりと笑った。
これから先、こいつは延々と仲間の死を見続けることとなる。
(俺が味わった苦しみ、とくと味わうがいい!)
カイルの執念は、誰にも理解されなかった。レオナは「せ、戦利品?」と首を傾けているし、ロゼッタは「……カイル、泣きそうになってる?」とオロオロしている。
「俺はな、お前達を愛してるからオークを殺すんだ。俺の殺戮はキスで、虐殺はハグだ」
血の気も凍る笑いを残すと、カイルは走り出した。もう待ちきれない。
床を走るより速そうだと判断すれば、平然と壁走りも行った。
重力制御の魔法が使える人間に、上だの下だのといった概念は意味をなさない。
「はははははははは!」
天井を走り、眼下のオーク小隊に奇襲をかけた。不意打ちで総崩れになった豚軍団は、一瞬で肉塊に変わった。
死骸を拾い上げると、奥の方でたむろしている一団にブン投げた。
パギャッ! と爽快な音が鳴って、オークの頭が砕けるのが見えた。
次のオークは素手で殺した。
腹を突き破り、内臓をかき回して絶命させてやった。
ブゴォブゴォという苦悶の声は、耳にこびり付いて離れないかもしれない。
ありがたいことである。
寝る前に今の悲鳴を思い返したら、最高の子守歌になるに違いない。羊が一匹……とやるよりずっといいだろう。
カイルにとってオークの断末魔は、極上の音楽だ。
今夜はぐっすり眠れそうだった。
(二十一体。まだ殺せる)
鬼の形相で振り向くと、三頭のオークが前の目に倒れているのを見つけた。
血溜まりに足を滑らせて、転倒したらしい。
可愛い三匹の子豚。童話の世界では狼の敗北に終わるが、生憎ここにいるのは知恵のある魔狼だ。
カイルは最も貫通力のある魔法を唱えると、三頭同時に処分した。末っ子を生かすと狼がやられるんで、一番小さいのから殺してやった、とせせら笑う。
(これで二十四体)
手前に、クラスメイト達ともみ合うオーク集団を見つけた。
――殺す。
修羅と化したカイルは、壮絶な戦果を上げ続ける。
「あいつ、今日はいつになく神がかってんな」
「ははは、無理だよ無理。ここのオークは全部カイルに殺されちまう。俺らのスコアはゼロだわ」
「こんなのもう、野球に例えらんねえよ……」
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