第35話 エピローグ:清楚ときどき痴女、ところによりヤンデレ

 思うに人は、醜く、浅ましく、愚かな存在なのではないだろうか――と、経験からわたしは思うのです。


  ***


 聖くんへの恋心を自覚したあの日から、わたしの世界は鮮やかに色づいて見えるようになりました。

 恋をすると世界が華やぐ、とはよく音に伝え聞く表現ではありますが、どうやらそれは真実のようです。実際にわたしの世界は、恋に落ちる以前と以後とでは色の見え方すらはっきりと違って見えるようになったのです。


 美しいものはより美しく輝き、醜いものはいっそうくすんで見えるような……そんな感じに世界は変貌したのです。それこそ、フィルターについた汚れを綺麗な布でしっかり拭い取ったかのように。


 そんな世界で、何よりも美しく輝いて見えるのは聖くんでした。聖くんが視界に現れれば、その眩しさに思わず目を細めてしまうほどでした。彼の前では自分の一挙一動が気になるようになってしまいました。良い笑顔を向けることができているだろうか、みっともなく見えたりしないだろうかと、そんなことばかり気にしてしまうようになりました。


 その一方で、聖くんがわたしと特別に仲良くしてくれることに優越感を覚えるようにもなっていきました。わたしの世界では彼は特別。わたしにとっては聖くんがすべて。だからこそ、彼の関心を最も惹いている存在がわたしであればと何度も何度も願ったものです。


 そんな風にして想いを募らせていくうちに、彼へ思いの丈を伝えたいと考えるようになりました。つまり告白ですね。告白して、付き合って、キスをして……当時はそこから先の知識がなく想像すらもできませんでしたが、彼と結ばれることを考えると体の、特に下腹部に熱すら覚えるようになっておりました。


 しかしそうなると、どうやって告白するべきか、という問題にぶち当たります。


 口頭? 無理です言えません。恥ずかしくてどもったり、言葉に詰まったりしそうですし、何よりその場でフラれたら泣きます。死にます。

 ラブレター? 聖くんは文章を読むのが嫌いだったので却下です。以前、わたしが好きな小説をお勧めしたところ、その小説を原作として描かれた漫画を読んできたのです。その時に彼は、「文字だけの本とかダルくて読めねーんだよなー」とボヤいておりました。なのでラブレターも無理です。聖くんに負担をかけたくありません。


 しかしそうなると、他にはいったいどうやって想いを伝えれば良いのでしょう?

 ……聖くんのことを考えて、考えて、考え続けて、やがてわたしは答えに辿り着きました。


 聖くんでも読めるもの。

 すなわち『漫画』で告白すればいいのだと。


  ***


 結果的に漫画での告白は失敗に終わりました。

 いいえ、失敗というよりも、惨敗と言った方がいいでしょう。なぜならそれは、聖くんに『告白』だということすら気づいてもらえなかったのですから。


 どうしたものか、と当時は頭を抱えそうになりましたが、聖くんはわたしの漫画をいたく気に入ってくれたようなので、それはそれでまあいいかと思い直しました。

 また、聖くんの強い勧めで、わたしは漫画(の体裁で描かれたラブレター)を漫画賞へと応募することにしました。


 実際のところ、こんなものが受賞するなどとは思っておりませんでしたが、なぜか高い評価を獲得して編集がつき、中学に上がる頃には読み切りで単行本を出版することとなっておりました。


 世間というものは分からないもので、これがヒットしてしまいました。ただのラブレターなのに。思うに世間というものは、暇を持て余すあまりに他人の色恋にくちばしを突っ込みたがる性質でも持っているのではないでしょうか?


 ともあれ、そんな風にして漫画家としてのデビューを果たし、様々な縁もあって雑誌などでインタビューまで受けてしまったわたしですが……中学一年の夏休みが始まる直前、ある事件が起きました。


 小学生の頃にわたしのことを『地味ブス』と言って蔑んでいたはずの男子から、『お前と付き合ってやるよ』と言われたのです。


 その話を、少しだけしましょう。


  ***


 話といっても、大した内容ではありません。


 その日、わたしは放課後の清掃当番でした。


「じゃあ俺、終わるまで図書室で待ってるわ」と言って教室を出ていった聖くんの背中を見送ってから、同じ班の男子二人と女子一人、合計四人で教室の清掃を行っておりました。


 といっても、床を箒で掃いてゴミをまとめ、机の天板を濡らした布巾で磨くだけの簡単な清掃です。四人でやれば、十分と掛からず清掃は完了しました。


 それからすべてが終わったところで、同じ清掃班だった男子(名前はもう覚えてないし顔も記憶にないけれど)が、「村月、このあとちょっといいか?」と話しかけてきたのです。


 聖くんを図書室で待たせているので、正直迷惑でしたが、一応「なんですか?」と言葉を返しました。同じ班だった残りの二人は何かしら空気でも察したのでしょうか、そそくさと教室から立ち去っていきました。


 その三人が廊下へと消えていくのを見計らってから、話しかけてきた男子は口を開きました。


「村月ってさ。最近、なんつーかその……凄いよな」

「はぁ……」

「漫画家デビューとかしてよ、雑誌とかにまで写真付きで乗って。芸能人みてぇ。めちゃくちゃ美人になってるし」


 芸能人と漫画家は違くない? と思いながら、わたしはその言葉を聞き流しました。

 それから、


「もう行っていいですか?」


 と彼に言葉を返します。


「あ、いや。話ってのはそれじゃなくて、なんていうかこう……俺たち、付き合わねえ? みたいな」

「…………は?」

「てか、付き合ってやるよ。な、いいだろ? 村月って今付き合ってるやついないだろうしさ」


 ……何言ってるんだコイツ? と思いました。

 言ってる内容を最初は上手く理解できませんでした。しかしだんだん不愉快になってきて、最終的にわたしが口にしたセリフは、


「すみません、失礼します」


 でした。


「ちょ、待てよおい! 聞けって!」


 教室を出ようとするわたしの背中に、そんな言葉がかけられてきます。

 しかし彼の言葉に耳を傾けるだけの価値があるとは思えず、その場から逃げ出すようにしてわたしは駆け足気味に教室を出ました。


 後ろからは、


「ちょっと有名になったからって調子乗ってんじゃねえぞ!」


 という言葉が残酷にも追いかけてくるのでした。


  ***


 以来、似たような輩が増えました。


 わたし自身、聖くんに少しでもよく見られたいからという理由で、容姿に以前より遥かに気を遣うようになりました。漫画家としての成功も世間的には収めたこともあり、そういった外面的な部分からわたしに興味を持つ人も増えたのです。


 そういった背景から、それまではわたしに見向きもしていなかったはずの人からの告白を頻繁に受けるようになりました。


 ある人は「君がとっても美人だから」と言いました。ある人は「漫画を読んで感動した、きっと人柄も素晴らしいに違いない!」と言ってきました。ある人は「だって芸能人ってなんかいいじゃん」と言ってきました。


 そういう人たちを見て、なんか下らないなぁ、と思うようになりました。元から好きだったわけではありませんが、こうした経験を重ねるうちに、わたしは男性という生き物に対して酷く嫌悪感を覚えるようにすらなっていったのです。


 それと同時に、並行してとある確信・・もまた強めていきます。


 そう。

 この世界で、わたしが触れたいと思える男性は聖くんだけである、という確信である。


  ***


 その確信が深まっていくうちに、わたしは「やはり聖くんに改めて告白するべきじゃないだろうか?」と考えるようになっていきました。


 しかし、小学生の頃とは状況も価値観も違います。

 聖くん以外の男性を強く嫌悪するようになったということは、聖くんに対する依存的な感情もまた深まっているということでもあります。


 フラれたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、という感情は、告白を意識すればするほどに日毎に深まる一方でした。

 そしてその恐怖を慰めるためにわたしが手を出したのが官能小説です。官能小説を通じて、快楽の海に飲まれてしまえば、そこにあるのは心地よさと安らぎだけ。物語の世界の男女はわたしと聖くんの二人だけ。そのことにひどく魅力を覚え、空想の聖くんに何度満たされたことでしょうか。


 それでも空想は現実ではありません。やがて覚めます。そして気づきます。聖くんとわたしとが未だ結ばれていない・・・・・・・ということに。


 性知識と快楽で一時、自身を満たしても、それは繋がり・・・ではありません。


 嗚呼。

 聖くんと繋がりたい。繋がりたい、深く、魂が融合するほどに、どこまでも。


  ***


 そんな風に彼を求めれば求めるほどに、喪う恐怖に身震いします。

 かつて漫画と称してラブレターを聖くんに渡した頃のわたしはもういません。あのような蛮勇を、今さら発揮することなど叶いません。世界は醜く愚かで浅ましく、その恐怖からわたしを守ってくれるのは聖くんだけで、しかし愛を言葉にすれば喪失の可能性が付きまとう。


 その恐怖から気持ちを紛らわせるために、わたしは自分の中の感情を仕事と快楽で満たします。


 現実の恐怖に対する麻酔という意味では、わたしにとっては漫画を描くことも、自慰も、大した違いはありません。

 それがお金になるのかならないのかも、あまり興味はありません。


 わたしが欲しいのは昔からたった一つだけ。

 聖くんとの間に、確かにそこにあると信じられるだけの「繋がり」だけだったのです。


  ***


 そうして、求めて、求めて、求め続けて……そして同時に怯え続けて、高校に上がって半年が経って、それでもまだ聖くんに何も告げられないでいた、ある日のこと。


「……どうしたの、せいくん? こんなところに呼び出して」


 わたしは聖くんから、学校の校舎裏へと呼び出されました。


「あ、ああ……ちょっとな」


 少し恥じらうように、聖くんがわたしから少し視線を逸らせる。

 それからなにかを言おうとして、口を開いて、でもまた口を閉じて頭を片手でわしわしと引っ搔き回して、そして今度は真っ直ぐこちらへ視線を向けてきたかと思うと、ぐっと拳を握りしめはっきりした声でその言葉を口にした。


「麻栗! これまでずっと隠してきたが、俺は麻栗のことが好――」


 彼の言葉を途中まで聞いた時点でわたしの感情は一瞬で爆発した。


「やったぁ、嬉しい! わたしもずっと待ってたの! 聖くん好き♡! わたしも聖くんのこと大好き!」

「……はへ?」


 聖くんもわたしのことが好きだった!

 聖くんもわたしにことを想ってくれていた!


 嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい!

 こんなに嬉しいことなんてない! 言葉で言い表すことなんてできやしない!


 感情に身体を支配されていた。それまでわたしを苛んでいた喪失への恐怖と怯えが一瞬で消し飛び、魂の求めるがままにわたしの身体は動いていた。


「ん、ちゅぅぅぅぅぅ♡」

「ん゛ん゛!?」


 この時、すでにわたしは知っていた。


「聖くん、好き♡ 好き好き♡ わたしもずっと好きだった好き♡」

「ん、ちょ、麻栗やめ……んぶっ!?」

「はぁ、ん、聖くんの唇おいしぃ……ちゅ、んちゅ、じゅる♡」

「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っ!?」


 ――この世界で一番カッコいい人は、今目の前にいるこの人聖くんなんだっていうことを。

 だからわたしが聖くんを世界で一番幸せにしてあげたい。


 わたしの全部を使って、幸せに。

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