第10話 昭和⑤ 夏の夕方の列車に乗って帰る

 あの日、豊と父親は夕方の5時前に加世田駅に戻ってきた。


 改札口の上に掲げられた時刻表を見ると、あと30分ほどで伊集院行きの列車が出るはずだった。

 しかし鉄道の出札口には誰もおらず、隣のバスの出札口だけが、時々現れる客の対応のために駅員が現れるのみ。


 豊は、改札口の柵に手を付きながら、静かな駅構内を眺め渡した。


 強烈な西日が改札口から待合室へと差し込んでいた。改札口の白いペンキの柵の周りには、改札鋏からこぼれ落ちた切符の白い欠片が散らばり、光を受けている。

 構内には、エンジンを止めて、眠ったように休む、何両かの朱色のディーゼルカー。


 やがて、出札口に駅員が現れ、切符を売り始めた。それからまたしばらくして、別の駅員が改札口に立った。


「改札を始めます」


 その声に応じて改札口を通ったのは、豊たちを含め6人だけ。


 ホームで列車を待つ間、昼過ぎに加世田に着いた時に豊を驚かせた客車や貨車の廃車体を間近に、じっくり見た。

 昔現役だった頃は、ペンキを塗られて油を注され、大勢の乗客や貨物を乗せて、大きい空の下を走っていたであろう車両たち。

 それが風雨に曝され、木造部分のペンキは剥げて朽ち果て、鉄製部分は錆にまみれ、白骨かミイラになった屍のように、西日を受けてただ側線に停まっている。


 ホームを挟んで反対側には、十メートルにも満たない長さの小さな車両が、これも全身赤錆び、窓ガラスもほとんど割れた姿で夏草に埋もれている。

 父親は言った。


「父さんが子供の頃、南薩線には、万世や知覧に行く支線もあったんだ。そこを走っていた車両だ」


 ただ茫然と眺めていると、伊集院の方角から警笛の音が小さく聞こえてきた。

 やがて、流線型の朱色のディーゼルカーが線路の向こうに現れ、頻繁に警笛を鳴らしながら、そして車輪がレールにぶつかる音をけたたましくたてながら近付いてきて、激しく軋む音とともにホームに停車した。


 降りてくる客も数えるほどで、豊たちが乗り込むと、すぐに伊集院に向けて発車。


 その帰りの様子を、豊はよく覚えていない。


 ただ、超早場米の田んぼが西日を受けて金色に輝いていた事、松林の中が暗かった事は妙に印象に残っている。

 そして父親は、いつもの気難しい顔でもなく、加世田に着くまでの柔和な顔でもなく、ただただ無表情に眠るでもなく目を閉じて、列車の揺れに身を委ねて、そして日置に着くまで煙草を一本も吸わなかった。

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