第26話 黄金の秋
日は沈んだ。
しかし
黒と白のモノクロームに満たされる林の中は、木々の枝葉がつくる
そのうちの一条に、レルシアがいた。
「……嘘だ」
しかし、言葉とは裏腹に、嘘でないとわかってしまった。むしろ、いろいろなことが
アランは後に続ける言葉を見つけることができず、黙った。
父が、私を殺そうとしている。
それも、あろうことか、レルシアを使って。
知らず知らず、拳を握り締めていた。
今、アランの胸中にふつふつと湧き上がってくるのは、ただ、怒りだった。
悲しみなどない。もともと父に愛情など感じたこともない。
幼いころより、抱き上げられた記憶も、やさしい笑顔を向けられた記憶もない。それらを与えてくれたのは、すべてセレオスの祖父母だった。
父は、母のことなど愛してはいなかったのだろう。
ただ自分の王位の安定のためだけに、親子ほども年の違う母を妻に娶り、子をなしたのだ。
そして、後妻とその子供のために、不要になった自分を殺そうとしている。こんなにもあっさりと。
吐き気がする。
握りしめた拳は、爪が手のひらに食い込むほども力がこもる。
ふざけるな。
心の中で思ったつもりだったが、口に漏れていたらしい。
レルシアの顔から微笑みが消え、悲しみだけが残って、彼女は目を伏せた。
「申し訳ございません、アラン様。お命を、ください」
彼女が再びアランを見たとき、その目には恐ろしいほどの殺気がこもっていた。その目を見たアランの体が反射的に緊張した。
レルシアが動いた。
アランの体が無意識に反応する。体は後ろに動いた。
今までアランの首があった場所を、レルシアの剣が横
ぎりぎりのところで、剣はアランの
「待て、待ってくれ、レルシア」
アランは叫ぶが、レルシアは無言でさらに足を一歩踏み出す。
そして再度、剣を横に薙ぐ。
今度はアランは大きく下がり、それをかわした。
「君とは」
距離を取ろうとするが、レルシアはさらに踏み込んでくる。
アランはやむをえず剣を抜いた。
「戦いたくない」
再び彼女が切りつけ、アランはそれを剣で受け止めた。
凄まじい衝撃に、手が痺れそうになる。
父。
父の命で動く、レルシア。
アランの中で、
続けてレルシアが放った突きをさばくと、アランは、レルシアの胴を狙って剣を振った。
だがその攻撃は、難なく防がれた。
いや、たとえ当たっていたとしても、相手は鎧を着ているのだ。胴を狙った攻撃では、相手を殺すことなどできない。
アランは続けて、二度、三度と攻撃を加える。
しかし、どれもレルシアの剣の鋭さとは比べ物にならない。
技術が、ではない。殺気がこもっていないのだ。当然、どれも
アランはそれでようやく自覚した。自分には、レルシアは斬れないのだと。
「レルシア、頼む、思い直してくれ」
答えの代わりに、剣が返ってくる。だがアランは続ける。
「私は、お前のことが……」
アランの胸中が、絞り出されるように言葉になろうとした。しかし。
「やめて」
攻撃が止まり、これまでになく鋭い声で、レルシアがアランの言葉を制した。
「聞きたくない。聞いてどうなるというの」
レルシアは首を振り、手に持つ剣の切先が揺れた。
* * *
木々が行く手を阻む。
足元は暗く、何が潜んでいるか判然としない。
悪くすれば、窪みに足を取られたり、折れた枝を踏み抜いたりして、大怪我をする危険もある。
だが、セレオスは構わず、やみくもに街の方向へ進んだ。
アランにもしものことがあったら……。
考えただけで、目の前が暗くなり、胸が締め付けられるように苦しくなる。
段差につまずき転びそうになるのを、木の幹をつかんで踏みとどまりながら、セレオスは強く思う。
アランだけは。
アランだけは必ず自分が守る。
何を犠牲にしても。
この身で足りるのならば、喜んで捧げよう。
――そう、あの時のように。
思い出すのは、あの幼き日。
黄金の秋。
十年前のその日。
どこまでも晴れ渡り、目が痛いほどの青空が広がる、ある秋の日。
幼いセレオスはアランに従い、森を訪れていた。その日、アランが初めて王の狩に随伴を許されたのだった。
猟師が犬を連れて先頭を歩き、その後を馬に乗った王と貴族たちが行く。そしてその後を、従者や側近たちが馬や歩きで、ぞろそろと続く。
セレオスとアランはそのさらに後ろの最後尾を、馬でついて行った。
王都近隣の森は秋を迎えると、まるで黄金の宮殿へと姿を変える。
澄んだ空気の中、鮮やかに黄葉した木々は、秋の光を受けて黄金色に輝く。
どこまでも続くカラマツは黄金を降らせるかのように落葉し、足元は金色の野となる。
まさに黄金の秋という形容がふさわしい。
その黄金の宮殿の中を、セレオスはアランとふたり、馬を並べて進んだ。
そのうち、どうしたわけか、二人は大人たちの集団から離れてしまった。
美しい景色に
あるいは、何か興味をそそられるものがあり、道を外れたのだったかもしれない。
いずれにせよ、気がついたときには、二人は完全に大人たちを見失ってしまっていた。
もちろん、道もわからない。
あわてて、もと来た道を引き返そうとしたが、すぐにそれもわからなくなってしまった。
二人はしかたなく、途中で見つけた小川をたどって進むことにした。それほど大きい森ではないはずだった。流れに沿って進めば、いずれ森から出られると考えたのだ。
二人とも、どちらかと言えば楽観的な
木漏れ日の輝く美しい森の中ということもあって、不安はなかった。
セレオスはむしろ、予想外の冒険に心が躍っていた。おそらく、アランもそうだっただろう。
しばらく進んだとき、小川のほとりに人影が見えた。
はじめは、狩に参加している猟師かと思った。
もう冒険は終わりか。セレオスは内心がっかりしたのを覚えている。
だが、馬を降り近づいてみると、それは猟師ではなかった。
大人になったばかりというほどの青年。汚い身なりで、地べたに座り込んでいる。一目で、まっとうな人間でないことがわかった。手には瓶を持っている。酒を飲んでいたようだ。
男は擦り切れた頭巾の下から、上目遣いにふたりを見た。
無精髭に覆われた頬はこけ、半開きの口からは黄色い歯がのぞいている。
目が合った瞬間、ふたりは逃げようとした。
だが、振り返ろうとしたアランが、何者かに突き飛ばされた。
アランの体は地面に倒れ込み、散り積もった落ち葉が、黄金の蝶のように舞い上がった。
いつの間にそこにいたのか。
アランを突き飛ばしたのは、やはり汚い身なりの、太った中年の男だった。手には、
「これはこれは、どこのお坊ちゃん方ですかな」
男はたるんだ頬を片側だけ吊り上げて笑った。
「どうするんだい、そいつら」
座っていた青年がのっそりと腰を上げながら尋ねると、太った男は馬鹿にしたような顔で答えた。
「決まっている。身代金を取るんだ。この身なりを見ろ。きっと貴族のガキだ。他へ移る前に、最後にひと仕事だ」
太った男は青年に命じてセレオスを捕まえさせると、自分は倒れているアランに小剣を突きつけた。
「名前は。どこの家のガキだ」
アランが黙っていると、男はアランの脇腹を蹴った。アランの顔が苦痛にゆがむ。
セレオスは怒り、暴れようとしたが、青年に羽交い絞めにされている。子供の力では動けなかった。
男はアランが答えないので、剣を左手に持ち替えて馬乗りになり、アランの顔を殴った。
一発、二発。
「名前を言え」
男が怒鳴りつけたが、アランは何も言わず、睨み返した。
男は馬乗りのまま、少しのあいだ動きを止めた。セレオスからは後ろ姿しか見えない。何かを考えている様子だった。
男はさらにもう一発アランを殴った。それでアランはぐったりとのびてしまった。
すると男は小剣を地面に突き刺し、立ち上がった。
そして、自由になった両手を自分の腰にやり、何やら動かす。
次の瞬間、セレオスの背筋が凍りついた。
男は帯を緩め、下穿きを下げたのだ。
薄汚いチュニックの裾がめくれて、汚い尻がのぞく。
次に、男はアランの着衣に手を付けはじめた。
男の意図を理解したセレオスは、激しく叫びながら暴れた。
だが、青年に背後から腕で首を絞められた。窒息しそうになる。
頭の上から、青年が下品な笑い声とともに、太った男に声をかけた。
「あんたも好きだね」
男はアランの腹辺りに向かってかがみこみ、アランの腰帯を緩めはじめた。
アランはまだ、気を失ったままだ。
男は力任せにアランのズボンをずり下げ、下着に手を掛ける。
その時、必死にもがくセレオスの足が、青年の足の甲を踏みつけた。
あっ、と青年が叫び、首に巻き付いた腕の力が一瞬抜けた。
その隙にセレオスは身体をずらし、青年の腕に噛み付いた。
今度は大きな悲鳴を上げ、青年の腕が外れる。
セレオスは腰の小剣を抜いた。
男がアランに向かってかがみこんだまま、何事かと振り返る。
セレオスは放たれた矢のように迫り寄り、抜き放った小剣を男の頭に叩きつけた。
刃は、ごん、という鈍い音を立てて、男の側頭部を打ち割った。
斬られるというより、ほとんど殴り倒されるようにして、男は頭から血を吹き出しながら、横向きに倒れた。
「この野郎」
背後で、青年が叫んだ。
振り向くと、顔を真っ赤にした青年が、腰から短剣を抜き襲い掛かってきた。
セレオスは必死で、小剣を鋭く振って応戦した。
青年は初めこそ、思ったよりも激しい抵抗になかなか近寄れないでいたが、やがて業を煮やし、ついに闇雲に飛びかかってきた。
それはセレオスにとって予想外の動きで、突然の勢いと体格の違いもあり、かわすことができなかった。二人は揉みあいになり、とうとう、背後にあった小川に一緒に落ちてしまった。
大きな
やがて二人が立ち上がったとき、セレオスは腹を押さえていた。
衣服には紅の
斬られていた。
「ガキのくせに。てこずらせる」
男が荒い息で、セレオスを
「だがもう、終わりだ」
セレオスは肩で息をしながら、男を睨み返した。
体が重く、思うように動かない。
だが、アランは自分が守らなければならない。それが、アランの従者たる自分の役目なのだ。
例え、差し違えてでも。
セレオスは相手の攻撃を待った。男が自分に短剣を突き立てた瞬間に、自分も男に剣を突き立てる。そう決めた。それしか、アランを守る方法はなかった。セレオスは、死ぬことを決めた。
しかし、男が攻撃してくることはなかった。
突然、男は前向きに倒れ、水面に
その後ろには、アランが立っていた。
怒りに歪む
男の背には、アランの剣が突き立っていた。
「大丈夫か」
アランはセレオスに駆け寄り、肩を抱いた。
その顔を見て、セレオスはふっと体の力が抜けていくのを感じた。
「しっかりしろ」
アランがセレオスの体を抱きかかえた。
「寒い」
アランに言うと、彼はセレオスを岸まで引っ張り上げ、服をめくって傷を見た。
「大丈夫だ、傷は浅い。頑張れ」
セレオスは弱々しくうなずいたが、ひどく寒かった。
アランは馬を探しにいったが、見つけられずに戻ってきた。今の騒ぎで、逃げ出したのかもしれない。
少し悩んだ末、アランは、ここで助けを待つと言った。
「おそらく、今頃は私たちがいないことがわかって、騒ぎになっているだろう。獲物を探すための猟師や猟犬が、私たちを探しているはずだ」
セレオスは素直にうなずいた。そして、寒い、とつぶやいた。
いつの間にか日が傾き、あたりは薄暗くなり始めていた。
秋の寒さが、体の芯に忍び寄る。
アランは男たちの残した荷物を漁ってみた。擦り切れた毛布が一枚見つかった。薄くて汚い毛布だったが、この際、ないよりましだった。
アランはセレオスの濡れた服を脱がせ、自分も濡れた服を脱ぐと、セレオスの身体に腕をまわして一緒に横になり、毛布をかけた。セレオスを強く抱きしめ、ぴったりと体を寄せる。
冷えてゆくセレオスの体を、自分の体温で温めようとしてくれているらしい。
じっさい、セレオスはアランの熱を強く感じ、心地よい暖かさに包まれた。
最前までの寒さは、どこかへ消えてしまった。
「アラン様」
「なんだ」
「落ち葉が、綺麗です。見上げていると、まるで星が降ってくるようで」
「ああ」
セレオスは右手をそっとアランの背中に回してみた。
手のひらを背中に押し付けると、彼の鼓動を感じた。そうしていると、不思議と安心することができた。
いつしか、彼は心地よい眠りの中へと引き込まれていた。
犬の声がする。
セレオスが目を覚ますと、一匹の猟犬が、彼らに向かって吠えていた。
無論、飼い主に彼らの発見を報告するためであった。
この日以降、セレオスにとってアランを守るというのは、役割や義務などではなくなった。もはやアランを守ることはセレオスの存在理由であり、自分を構成するすべてとなった。
アランに助けられた命、アランを救うために
セレオスが恐れるのはただ、アランを守れずにおいて自分が
それに比べれば、いかなる犠牲も
セレオスは月明かりの下、アランを求めて彷徨う。
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