第24話 憎しみの坩堝(るつぼ)
手に手に
よだれをこぼしながら牙をむく魔狼も数匹混じる。
統率なく、雑然と、群れをなして走り来る。
アランは、自分が震えているのに気づいた。
恐怖なのか、高揚による武者震いなのか、自分でもわからない。
レルシアの顔を横目でちらとうかがった。
彼女は引き締まった、しかし落ち着いた表情で、じっとオーガたちを
「殿下」
騎士団長ファルロの声。
アランは振り返り、うなずいた。
ファルロの声が響いた。
「騎士団、出るぞ」
アランたち十三人の騎士が、オーガに向かって出撃した。
一斉に走り出す馬。
みるみる速度を上げ、すぐに最高速に達する。
真っ向から、互いを目掛けて突撃するオーガと騎士たち。
双方が
しかし。
その直前、騎士たちは進路を左にずらした。
同時に、陣形が縦長の列に変形する。列は、オーガの右翼をかすめてすれ違う形になる。
その接触のざま、アランたちはオーガたちに向かって剣を
血しぶき。
オーガの悲鳴。
走りながら武器を使わねばならぬオーガに対して、馬上で武器をふるうことに専念できる騎士たちは圧倒的に有利である。
騎士たちはそのまま、速力を落とすことなく駆け抜けた。
オーガの群れは騎士たちの動きを追い、進む方向を変えようとする。だが、一部そのまま走り続けようとする者もいて、多少の混乱が生じる。
そこへ、騎士たちが、駆けて行った先で旋回して戻ってきた。
今度はオーガの集団の左翼をかすめて走る。
やはり、かすめざまに剣を
流血。オーガたちが数匹、地に転がった。
再び、騎士たちは走り去っていく。
馬の速度を剣撃の威力に変え、一瞬の接触で被害を与えながら、反撃のいとまを与えず距離を取る。騎兵の真骨頂である。
人間よりも体格の大きいオーガたちとはいえ、馬の重量には勝てない。
まずは、アランたちが一方的に被害を与える形をつくることができた。
しかし、オーガたちもようやく混乱を収束させつつあった。
上官のオーガが、あたふたするオーガを殴りつけ、力づくで収めていく。
そこへ再度、アランたちが迫った。
オーガの上官たちはこれに対抗すべく、手下のオーガたちを追い立てた。
彼らは左右に大きく散らばる。
アランたちの進路をふさいで、包み込もうというのだ。
アランたちの前にオーガが立ちはだかる。
「オーガのくせに、こざかしい」
ブロワの声が響くと、騎士団長ファルロが叫び返す。
「構わん。全員、突っ込め」
オーガの群れに、騎士たちが突っ込んだ。
騎馬突撃。加速した馬の重量をぶつけるその突貫力は強大だ。
巨体のオーガといえども耐えられず、前衛にいた数匹が吹き飛ばされた。
騎士たちはそのまま群れの中に突入し、
さらに数匹のオーガを討ちとることに成功した。
しかし、オーガの群れは厚みがあり、さすがの騎馬突撃でも群れを抜けることはできなかった。
そのため、群れの中で、馬の脚が止まる。
こうなると数の差がものをいいはじめる。
たちまちオーガたちが、アランたちの周りを囲もうとする動きを見せた。
「撤退だ」
騎士団長ファルロが即座に指示を出す。
騎士たちは素早く方向を転換し、囲みを脱出した。
続けて、ファルロが指示を出す。
「このまま街まで逃げるぞ」
アランたちはそのまま、オーガたちに背中を見せ、街へ向かって逃走を始めた。
オーガたちは彼らが逃げるのを見て、にわかに勢いづき、後を追い始めた。
しかし、騎兵の足は速い。
オーガを置き去りに、みるみるうちに距離を離していく。
そして、あっという間に、街の外壁近くまで帰り着いた。
「まずは、お見事」
声をかけたのは、傭兵隊長のガリスだった。
彼ら傭兵部隊は、いつの間にか外壁近くのこの場所へ移動していたのだ。
騎士団長ファルロが、片手を上げてそれに応えた。
騎士たちと傭兵たちは、改めてオーガに対するべく陣形を組んだ。
そして、迫りくるオーガを待ち構える。
一方オーガたちは、傷つけられた怒りもあり、最初よりも激しい勢いで彼らに迫ってくる。
そして、彼らまであとわずかの距離に迫った。
その時、ファルロが叫んだ。
「今だ、放て」
その声が響き渡るや否や、街の外壁の上から、オーガたち目掛けて矢が放たれた。
待ち構えていた守備兵が、矢を射かけたのだ。
突然の攻撃に、矢の中を逃げまどい、悲鳴を上げるオーガたち。しかし身を隠す場所などない。オーガたちは互いに、自分の隣のオーガを盾にしようと、
オーガたちの胴体に、頭に、腕に、足に、矢が突き刺さる。
このままいけば、壊滅的な被害を与えられる。そう思われた。
しかし、ほどなく矢が止まった。
矢が尽きたのだ。
戦時ならともかく、平時の矢の備蓄など知れている。ありったけの射手と弓、矢をかき集めても、これが限界だった。
「すみません。我々は、ここまでです」
外壁の上から声が降ってきた。
「ご武運をお祈りします」
「ご苦労だった。あとは任せろ」
アランが剣をかかげ、応えた。
しかし、オーガはなおアランたちより多い。
アランは再びレルシアを見た。
今度はレルシアも視線に気づき、こちらを見た。彼女は微笑し、小さくうなずいた。
アランが周囲に向かって叫ぶ。
「みな、ここからが本番だ。敵の数は減った。手負いも多い。死力を尽くせ。援軍が来るまで、何が何でも持ちこたえるんだ」
おう、と応える声が響き、そして総力戦が始まった。
アランたちは背後を取られるのを避けるため、街の外壁を背にしていた。
それをオーガたちは半円状に取り囲み、攻撃を加えてくる。
ここまでの戦いでいくらか減らせたとはいえ、なおオーガの数は多い。
だが、騎士たちも戦士たちも、熟練の精鋭である。
そして、二名いる魔術師は、ふたりとも補助魔法が得意な者だった。
これは、この局面ではありがたい。
一名が、防御や俊敏さを補助する魔法を使い、もう一名が、怪我の回復を請け負う。
状況は、まずもって互角に持ち込むことができていた。
――このまま、なんとかやれる。
アランがそう思った、その時だった。
彼の前に、ひときわ大きなオーガが現れた。
片目がつぶれている。
ディゴブロである。無論、アランはその呼び名を知らない。
ディゴブロは他のオーガたちを押し分けながら現れると、雄叫びを上げながら、アラン目掛け棍棒を振り回した。
その勢いに、アランが押し込まれる。
盾を持つ腕に、ものすごい衝撃を受けた。
思わず体勢を崩しそうになるところへ、さらにディゴブロが棍棒を振りかざす。
「殿下をお守りしろ」
騎士団長ファルロが叫ぶ。
アランの隣にいた騎士が素早くフォローに入った。アランのすぐ横に馬を寄せ、ディゴブロに向かって剣を突き出す。
しかしディゴブロはそんな動きをものともせず、棍棒で騎士を殴り倒した。
騎士はひとたまりもなく吹き飛び、落馬した。
「お前ら、王子を」
傭兵隊長のガリスも部下に指示を出す。
傭兵二名がアランの前に出て、ディゴブロに
しかし、ディゴブロの勢いは止まらない。
棍棒を左右に薙ぎ払ったかと思うと、二名の傭兵は左右に吹き飛ばされていた。
「なんて奴だ」
瞬く間に三人がやられた。
先制攻撃に成功し、こちらに傾いていた流れが、あっというまに
「アラン様」
馬を寄せてきたのはレルシアだった。
彼女の鋭い攻撃がディゴブロを襲う。
だが、彼女の腕をもってしても、ディゴブロに攻撃を当てられない。こちらの動きに素早く反応し、あるいは避けられ、あるいは棍棒で防がれる。
ディゴブロは並外れた巨体と怪力だけでなく、まるで野生動物の様な俊敏さと反応速度を有していた。
アランも攻撃に加わる。
アランとレルシア、二人は息を合わせ、ディゴブロと戦い始めた。
ディゴブロの攻撃をアランの盾が防ぎ、その隙にレルシアが剣を振る。
あるいはレルシアが防ぎ、アランが攻撃する。
しかしディゴブロはそれをものともせず、激しく咆哮しながら、凄まじい攻撃を繰り出してくる。
二人は必死にそれを防ぐ。
しばらくの間、そのような攻防が続いた。
何度かは、レルシアの剣がディゴブロをとらえることもあった。
しかし、ディゴブロの皮は硬い。致命傷には至らない。
二人がディゴブロを止めているおかげで、周囲の戦闘は何とか持ちこたえてはいる。
だが、状況は厳しい。
少しずつ、オーガの数を減らせてはいる。
だが、それ以上にこちらも消耗している。何人か、倒れたまま動かない者もいる。魔術師も肩で息をし始め、回復が追いつかなくなっている。
徐々にアランの、盾を持つ左手の感覚がなくなってきた。
剣を持つ右手の握力がなくなってきた。
だが、あきらめるわけにはいかない。
援軍が来るまで、必ず持ちこたえる。
アランは歯を食いしばり、ディゴブロの攻撃を受け流し、剣を振るう。
そうして、どれくらいの時間が経っただろう。
とてつもなく長い時間にも、わずかの間にも思える。
いつしかアランは、レルシアの言葉を思い出していた。
「おそらく、私がお教えするのはこれが最後になるでしょう」
ケルニにつく前、レルシアはそう前置きをして、言った。
「今まで様々な技術をお教えしました。体の使い方、攻撃の仕方、防御の仕方。しかし、実戦ではそれらすべてを忘れてください」
「忘れる?」
アランが驚いて聞き返すと、彼女はうなずいた。
「いくら頭で理解しても、体に染みついていなければ、実戦では使えません。いわゆる、付け焼刃です」
「……では、すべて無駄だったということか」
「そうではありません。いくらかは、体が覚えたものもあるはず。体が覚えたものは、頭で考えなくとも体が勝手に動きます。だから、考えなくともよいのです」
「では、戦いの中で、何を考えればいい」
「考えるのではありません。大事なのは、感じることです。感じることに集中するのです」
「何を」
「圧と
その時は、彼女が何を言っているのかわからなかった。
圧だの
しかし今。
長い戦いの中で、アランはそれがほんの少し、わかり始めた気がしていた。
ディゴブロの圧を感じているのではないか、気配に気づけているのではないか、そう思えてきた。
実際、アランは徐々に、戦えるようになってきていた。
最初は明らかにレルシアの方がよかった動きが、少しずつ、アランも見劣りがしなくなってきている。
その証拠に、今、二人は徐々にディゴブロを押しはじめている。
そしてついに、二人の連携による攻撃に耐えきれず、ディゴブロの足が一歩下がった。
いける。
アランは、ディゴブロの圧に、隙間を見つけた気がした。
首と肩の間。
それを頭が理解した時、すでに体は動いていた。
アランの剣が、その圧の隙間に吸い込まれるように入っていく。
すべてがスローモーションのように感じられ、アランの剣だけが動く。
そして剣が、ディゴブロの首の付け根をとらえた。
ディゴブロの首を
かに思えた。
しかし。
ディゴブロの首元に当たった剣が、アランの手から抜け落ちた。
気付かなかった。アランの握力が、限界を迎えていたのだ。
そしてアランを、ディゴブロの棍棒が襲う。
とっさに盾で棍棒を受け止めたアランだったが、凄まじい衝撃が彼を襲う。
意識が飛びそうになる。しかし、それを必死にこらえる。
朦朧とする意識の中。
自分を呼ぶ声が聞こえた、気がした。
セレオスの声?
まさか、彼はここにはいない。
彼とは、はぐれたのだ。
幻聴——?
* * *
ようやく追いついた。
馬で駆けるセレオスが見たのは、ケルニの街の外壁を背に、オーガに包囲される人間たちだった。
彼の目は、ディゴブロと戦うアランの姿をとらえた。
全身の毛が逆立つ。
もちろん、怒りのためだ。
横を駆けるエレアディルも、ディゴブロに気づいた。
「よもや、今さら止めはすまいな」
エレアディルの言葉に、セレオスは怒気を含んで一言、「まさか」と答えた。
十八名のエルフたちと、セレオス、ヤルナーク、ムグルク。エレアディルに率いられた彼らは、速度を緩めることなくオーガの群れに迫り、そのまま襲いかかった。
いきなり背後を襲われたオーガたちは、既にかなり消耗していたこともあり、
エルフの剣が、オーガを次々と血祭りにあげていく。
オーガの群れに、エルフたちが割り入っていく。
突然出現した新手に一瞬混乱しかけた人間たちも、彼らがオーガと戦っていることを理解すると、共に戦い始めた。
そんな中、エレアディルは、ほかのオーガには目もくれない。
ただディゴブロだけを狙いすまし、オーガの群れに突き刺された鋭い
アランに一撃を加え、さらに追い打ちをかけようとしていたディゴブロに、エレアディルは猛然と迫り、剣を突き立てた。
だが、寸前に気づいたディゴブロに身をかわされる。
剣はわずかにそれ、背の肉を切るにとどまった。
勢いがあまり、エレアディルとその馬は、ディゴブロに体当たりをする。
ディゴブロは大地に転倒した。
止まりきれず行き過ぎたエレアディルは、即座に下馬して駆け戻る。
盾を投げ捨て、両手で剣を握り締め、ディゴブロの首を狙って、斬る。
ディゴブロは立ち上がれぬまま、それを棍棒で受けた。
今度は左から袈裟斬りにする。
やはり棍棒で弾かれる。
今度は右から袈裟斬り。
弾かれる。
エレアディルは剣を引き、ディゴブロの胴体を狙って突きを繰り出した。
ディゴブロは身をよじったが、剣は脇腹に突き刺さる。
耳を
「
怒りに震える声で言うが、ディゴブロには聞こえていない。
もとより聞かせるつもりで言ったのではない。ディゴブロはエルフ語など解さない。
「我が憎しみを受けるがいい」
剣を引き抜き、血に濡れた
だがディゴブロはそれを手で払い、尻をついたまま後ろに下がった。
いつの間にか棍棒は手放していた。
「どこへ行こうと」
首を狙って剣を振る。
だが、ディゴブロが身を沈めたので剣先は頭部に当たり、硬い頭蓋骨に弾かれる。ディゴブロのこめかみから額にかけてが、ぱっくりと割れ、血が吹き出す。
再びディゴブロの悲鳴が響く。
エレアディルの顔に、残忍な笑みが浮かぶ。
「もっと苦しめ。我が同胞の苦しみを知れ。そして死ね」
再び剣を振る。
ディゴブロが手を上げ、身をかばおうとする。
剣は、右手を
ディゴブロの悲鳴が大きくなる。
それを見て、エレアディルはさらに笑い、すかさずディゴブロの左手も切り飛ばす。
そして、
ディゴブロの口から、甲高く細い悲鳴が上がる。
エレアディルは剣を引き抜いて眼前に突きつけ、
再び、ディゴブロの悲鳴が大きくなる。
そして、
「同胞の苦痛はこんなものではない。同胞の……セオンレイアの!」
エレアディルの剣が、ディゴブロの胸元を深々と貫いた。
一瞬、目を見開くディゴブロ。そして全身の力が抜けていく。
だが。
最後の瞬間。
再び、目をかっと見開いたディゴブロは、剣がさらに深く刺さるのも構わず身を起こす。
そして、鋭い牙を
ぐふ、という声がエレアディルの口から漏れ、喰らい付くディゴブロと喰らい付かれたエレアディル、二人はしとどに血に
その時、誰か叫ぶものがあった。
「竜だ、竜だ」
「竜が来たぞ」
次の瞬間、轟音がしたかと思うと、街の外壁が音を立てて崩れ、上から煉瓦が降り注いだ。
風を切る音が聞こえ、上空から降りてきた巨大な鉤爪が、人もオーガも区別なく引き裂いてゆく。
混乱は極みに達した。
人々はわけもわからず逃げ惑う。
アランを抱きかかえるセレオスは、急に何かの影に入った。
見上げて、愕然とした。
その身を覆う鱗はまるで岩。
その鋭い鉤爪はまるで剣。
巨大な顎を半開きにし、黒く細長い瞳孔が縦に一筋走る金色の瞳で辺りを
その足下では、人もオーガも等しく踏みつけられ、骸と化している。
人の背丈の数倍はあろうかという緑色の竜が地に降り立ち、半身を起こしていたのだ。
セレオスは恐怖に凍りつき、呆然と竜を見る。
竜は少しの間、動くことなくじっとしていたが、やがて大きく口を開け、首を伸ばし、胸を膨らませた。
「まずい、火を吐くぞ」
誰かが叫んだ。
次の瞬間。
その言葉通り、竜の口から激しい火炎が吐き出された。
その勢いは、すべてを焼き尽くすかの様な凄まじさだった。
その場の全員が、死を覚悟した。
だが。
火炎は、人々に届くことはなかった。
途中で見えない壁に阻まれるかの様に止まっている。
セレオスははっとして横を見る。
そこには、杖を掲げて顔をしかめるヤルナークの姿があった。
やがて、竜が火炎を吐き終わると、ヤルナークもがっくりと膝をつく。
竜は少しの間、不思議そうに辺りを見回していたが、やがて、まるでそれまで襲っていた人間たちへの興味を急に失ったかの様に、顔を空に向け、翼を広げた。
そして、助走をつけながら大きく羽ばたくと、空に舞い上がっていく。
人々はただ、それを呆然と見送るしかなかった。
竜は、西の空へと飛び去っていった。
後に残るのは、生き残った人間とエルフとオーガ、そして動かぬ屍だった。
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