第2856話・一つの道
Side:坂井大膳の庶子(僧侶)
青い海と黒い船が見える中、春の心地よさを感じつつ土を運ぶ。
共に働く者らの表情はよい。決して豊かとは言えぬ者たちのはずが、嘆き悲しむことなく明日を夢見る。
育ての父と共に諸国を巡ったが、かような顔をする民が暮らす地はなかった気がする。生まれ故郷というほどの思い入れもない地だが、一度は来てみて良かった。
大八車というものから土を下ろすと、汗を拭いつつ空を見上げた。
「まさか縁もない者を食わせてくれるとはな……」
野垂れ死にするのもいいと思うていた。ここに来るまでは亡き父の遺髪を届けるために托鉢などしたが、もう生きる必要もない故、なにも食わずに行けるところまで行こうと決めていた。
その時、あの御仁がオレの前に現れた。あれは父の遺髪を寺に弔って二日ほど過ぎた頃だったか。
「少しよろしいか? 某、河尻左馬丞と申しまする」
若くはない。老齢と言える頃でそれなり以上の身分の武士だと分かった。さらに名乗った名に聞き覚えがあった。
「拙僧になにか御用でございましょうか?」
罪人として捕えると言われても逆らう気はなかった。河尻様の様子からただ事ではないと察して覚悟を決める。
少し場所を変えるということで近くの飯屋に入ると、奥の間に案内された。なにも言わぬのに二人分の飯を頼むと、特に口を開くことなく静かな時が過ぎた。
「さあ、召し上がってくだされ。生臭は入っておらぬ故、ご案じ召されるな」
「ありがとうございます」
白い飯と味噌汁だ。いつ以来であろうか? 父が生きておった時に、旅先で食わせてくれて以来だ。いかにして銭を用立てたのか分からぬ。ただ、食うて美味いと言うと喜んでくれてな。
食えることに感謝しつつありがたく噛みしめておると、瞬く間に完食した。
それを見届けた河尻様はようやく口を開かれた。
「某、実は織田大和守家の始末をしておりましてな。貴殿が今は亡き坂井殿の子ではないかと聞きまして……」
あの住持様が漏らしたか。致し方ないことだ。生きるということはしがらみもあろう。黙っておるわけにもいくまい。
「庶子であったと聞き及んでおります。長きに渡り逃げたことまことに申し訳なく、いかなる罪も甘んじて受けまする」
「……庶子である貴殿に罪はございませぬ。もとより坂井殿の子に罰を与えてはおりませぬ故。もっとも、他の子は縁者が引き取り寺に入れておりますが」
ああ、亡き父が案じたのは杞憂であったか。ただ、今更なことだ。父との旅は楽しかった。誰ぞに寺に入れられるよりは遥かに幸せな日々だった。
「左様でございましたか。わざわざ教えて下さり、ありがとうございまする」
実の父は今も悪評があるくらいには非道なことをしておったらしい。もっとも、いずこの国も同じようなことをしておる者が山ほどいた。
特に父は今や日ノ本で知らぬ者がいない久遠様の屋敷を襲撃したことで、この国では今も許されぬままだと聞いたが……。
「あれから年月が過ぎております。織田家では坂井殿のことも因縁とせぬように考えておるところ。貴殿から見れば勝手なことと思われましょうが」
ああ、オレが恨み騒ぐことを懸念しておられるのか。ならば殺してしまえばよかろうに。わざわざ人目が付かぬように飯屋に連れてきて話すほどのことではあるまい。
「信じていただけるか分かりませぬが、某の父は共に旅をした父だけでございます。その前のことはすべて忘れました」
なにも望むものはない。ただ、許されるならば父の子として死にたい。
「左様でございますか。もし望まれるならば仕官なり暮らしが成り立つようにするつもりで参りました。無論、守護様と織田の大殿の許しはございます。いかがでございましょう」
戯れ言……ではないらしいな。さすがに驚くわ。仏の弾正忠らしいということか? されど、今更、武士となっていかになる。
「ひとつだけ願いがございます。亡き父の家族に父は最後まで立派だったと伝えていただけたら。あとはなにも望みませぬ」
オレの願いに河尻様は驚くこともなく笑みを浮かべた。
「分かりました。確かにお伝え致そう。もしなにか困ったことがあれば、某のところを訪ねてくだされ」
「お心遣い感謝致します。ただ、某は旅の僧としてあるがままに流れるつもりでございます故、二度とお会いすることはないと心得ます」
最後に河尻様は織田領を旅するならば、その地の代官所を訪ねて賦役にて働けば飯と銭を稼げると教えて下された。
「では僧侶殿、良き旅路を……」
見送って下される河尻様を見て、ふと実の父はいかな男だったのか知りたくなったが、聞かぬほうがよいと思い直し忘れることにした。
関わりとうないのは今も変わらぬ。
あとは……、このあとか。飯を食うたことで随分と落ち着いた。
いつ死んでもいいと思うていたが、亡き父に助けてもらったこの身体が朽ち果てるまで生きてみようと思う。
いずこかで聞いた。忠義は生きて尽くせ、罪は生きて償えという言葉を思い出したのだ。父から貰った命、粗末には出来ぬ。
「賦役か。確かにいいかもしれぬな」
托鉢などしたところで、僧侶として未熟なオレでは役に立つほど祈ることは出来ぬ。僧侶となったのは亡き父を弔うためだ。
ならば、働いたほうがよい。働いて父だけのために祈りたい。
「それにしても……」
因縁とせぬようにか。いかな理由があったのか知らぬが、敗れた者にあるのは敗者という汚名だけだ。
今更、坂井家の因縁を減らしたとて誰も得をするまいに。オレには関わりなきことだがな。
さて、いずこに行こうか。北に行き美濃に向かうか、いやまてよ。ここまで来たのだ。噂の黒船が見てみたい。南の蟹江に行こう。
賦役は蟹江にもあるのであろうか? まあ、なければないでなにか働き口を探すか。
罪がないと知ったことで織田領も堂々と旅が出来る。実のところ旅の途中では、織田領の噂を聞くことは多かった。亡き父は興味深げに噂を聞いていて懐かしそうにしておったのだ。
オレがおらねば帰りたかったはずだ。
父上の代わりに尾張を見聞して、織田領を旅してみよう。いつか父上に会うた時に土産話となるようにな。
うむ、そうしよう。
河尻様に感謝せねばな。おかげでオレは己の思うままに生きることが出来る。
※今年最後の更新になります。
本年も大変お世話になりました。
持病の悪化と入院などありましたが、皆様のおかげで連載を続けることが出来ました。
どうかよいお年をお迎えください。
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