第2855話・近衛の親子
Side:久遠一馬
ミレイが産んだのは男の子だった。元気な産声を上げてみんなを喜ばせている。名前は
ふたりでいろいろと考えた中でミレイが気に入ったものだ。一月の睦月から一字を選んだ。ちょっと意外だったが、みんなで楽しんでいた頃のように子供たちも仲良くしてほしいというものがあったらしい。
年始の慶事ということでおめでたいと皆さん喜んでくれて、例によって尾張の町は大騒ぎになったが、領民の皆さんもお祭り騒ぎに慣れたのか大きな問題は起きていない。
そんな賑やかで楽しい正月を過ごし松の内が過ぎると、近江から知らせが届いた。近衛晴嗣さんと義輝さんの会談を近々行うことで晴嗣さんが納得したというものだった。
太陽暦だと三月、季節はそろそろ春になる頃だ。
「ようやくだな」
ホッとしつつ、エルたちと今後のことを相談する。
「本意ではないのかもしれませんが、これ以上、意地を張ると手遅れになりますから……」
エルも言うように、最早、晴嗣さんだからと許される保証はない。今年はオレとお市ちゃんの婚礼と東西足利の婚礼がある。その前に和解しないと細川晴元のようにいつまでも無視されることを懸念したらしい。
史実だと割と好き勝手に動いた人だけど、この世界では彼が史実のように動くことはないのかもしれないな。
史実よりも名声と権威を持つ父親である稙家さんとの対立が、彼をいつまでも苦しめるのかもしれない。偉大な父を持つ息子は時として迷走することがある。
「悪い人じゃないんだけどね」
公卿としては誉め言葉じゃないだろうな。
彼は彼なりに朝廷のために考えている。ただ、史実の足利義輝のようにやることなすこと裏目に出ている。
少し気になるのは最近の晴嗣さんの本音がこちらに伝わってこないことだ。近衛家の家人ですら稙家さんに伝わる可能性があると察して本音を口にしなくなったらしい。
まあ、公卿としては、安易に愚痴をこぼしたり本音を言ったりするよりはこれでいいのだろうが……。
誇り高い人だ。今回の騒動で彼は誰に怒りの矛先を向けるんだろうか? それだけが気掛かりだ。
Side:近衛稙家
愚かな倅も、内匠頭の婚礼より遅れると取り返しのつかぬことになると察したか。
されど、まだまだ甘い。
世のことを知らず、上辺だけ頭を下げて持ち上げる者らの相手しかしておらぬせいか、未だに世のことをなにも理解しておらぬ。
内匠頭と大樹は甘い故、手を差し伸べておるが、かつての吾ならばあやつの好きにはさせることはなかった。
今でも本音ではあやつを野放しにしとうないところもある。あやつは朝廷と近衛家を危ぶめた。その罪は重い。
やはり……、内匠頭の慈悲は己と他者を危ぶめることもあるの。朝廷を重んじ本来の形を気にしすぎることと、吾への義理で縛られておるように思える。
命を奪うとまでは言わぬが、さっさと関白から引きずり降ろして近衛の家督を取り戻して追放するべきであろう。
内匠頭よ。まことによいのか? その甘さが故に大乱となった時、心優しきそなたは持ちこたえることが出来るのか?
吾とて、いつまでもそなたを助けることなど出来ぬのだぞ?
二条公ならば上手くやれるかもしれぬが……、公卿としては倅の力も侮れぬ。古き世を望む者らと共に日ノ本を割る覚悟があれば……。
「ふう……」
いかんな、少し外に出るか。迷い悩む時に、屋敷に閉じこもり考えを巡らせるのはあまりよいことではない。それでは倅と同じではないか。
もう春だというのに冬のような寒い風が吹いておる。
あのような倅としたは吾の罪。倅の出方次第では償うべきは吾なのかもしれぬの。
Side:近衛晴嗣
内匠頭の婚礼は夏前、それより遅れると若狭管領の二の舞いになる。それにあの男、見限ると一切の助けも出さぬからな。
見る影もないほど落ちぶれた、若狭管領や堺の町の噂を聞くと他人事とは思えぬ。
共に内匠頭が日ノ本に来る前は大きな力を持っていたというのに、生かすことも殺すこともせぬまま生き地獄のような有様だ。
されど、大樹と父上を止められるのは内匠頭しかおらぬ。両名とも内匠頭に惚れ込んでおるからな。
「春か……」
障子を開けると僅かに芽吹く庭が見える。
公家、坊主、武士、町衆……、誰も信じられぬ。あれだけ大樹や三国同盟の悪口を言うていた者らが大勢いたというのに、吾のことばかり巷に広まり己らは止めたのに聞かなんだという噂になっておるとか。
そもそも斯波と織田が気に入らぬと、貢物と共に嘆願にきたのはあやつらぞ。にもかかわらず……。
父上は、内匠頭に近衛を譲りたいのであろうな。聞いたわけではないが左様な気がする。日ノ本の外の王である内匠頭に近衛の家督を継がせる。それにより朝廷を守り日ノ本と久遠を近衛が繋ぐ形にしたいのではと思える。
内匠頭が受けるのかは吾には分からぬ。会えば人の良さげな男であることに変わりないのじゃが、なにを望むのか今一つ分からぬからな。
朝廷を重んじる姿勢を見せつつ、朝廷を盛り立て変えるのは己らでやれと突き放す男。ならばこちらが変わるのを待つのかと思えば、左様なこともなく着々と東国を統べようとしている。
ふと、昨年のうちに内匠頭から届いた文に目を通す。丁寧な楷書体で書かれた文にあやつの学徳の高さが分かる。それ故に、恐ろしい。
内匠頭の本音は朝廷の打倒ではあるまいか?
己が国と三国同盟の敵は朝廷であろう。己がおらぬようになった世で東国を再び朝廷の名の下で従え、久遠の国も……。
三国同盟が気に入らぬ者らが待っておるのは、その時だ。内匠頭は誰を討つことで己の国と三国同盟を守る? 朝廷の名の下で敵になるならば朝廷を討つほうが安泰ではあるまいか?
吾が内匠頭ならば……。
愚かなのは吾か、それとも内匠頭を信じる院や主上か。いずれであろうな?
関白はもう退いたほうがよいのかもしれぬ。関白として務めを果たさんとする吾を疎ましげになさる主上をこれ以上支えられぬ。
あり得ぬとは思うが、久遠が日ノ本の帝となることがあっても吾は生き残らねばならぬ。父上と大樹は吾が一連の責を負い、関白を退くと言えば此度は納得しよう。
連綿と連なる日ノ本を守るために皆の和を重んじて三国同盟に異を唱える者らをまとめようとしたが、肝心の奴らに裏切られた。
吾を軽んじ裏切った罪、決して許さぬぞ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます