第2673話・消えゆく者
Side:国人の庶子
尾張に来て幾日になろうか。詮議が行なわれたものの、二日ほどであっさりと終わった。他の者の詮議が終わり次第、伊豆諸島に流罪となるとのこと。
「武士か……」
安房からの船も尾張に来てからも、わしは武士として母上も武士の母としての扱われておる。母上など城で勤める下女だった身だ。作法も知らず戸惑うているが、ここではそれを咎められることはない。
見張りの者はおるが、あまり厳しくなく牢に入れられてもおらぬ。飯は日に三食もあり、やることといえば朝な夕なに牢屋敷の庭を少し歩くように命じられておるだけ。
飯は安房の屋敷よりも美味い。母上など最初は間違って運ばれてきたのではと言うていたほどだ。見張りの者に問うてみたのだが、間違いなく罪人の飯だという。ただし武士の罪人が食う飯だとのことだが。
わしと母上は罪が軽い故、扱いがいいとのことだ。
父上と嫡男は武士としての扱いすらされず、もっとも厳しき罪人として牢の中で縛られ口も塞がれたままだとか。
ああ、我らは安房の警備奉行様から密命を受けておる。毒のことを詮議の場以外では決して口にするなとのことだ。我らの見張りや船乗りなど誰にも、なにも言うなと命じられた。
父上が民に毒を盛ろうとし、織田がそれを守った。功として誇るのかと思うたが、いかにやら違うらしい。民を狙うと織田が守ると知られたくないのだとか。
賦役の飯に毒が盛られるかもしれぬという疑いを広めたくない。そう言われた時には、まことの武士とはかように立派なものなのかと驚かされた。
父上は民のことなど従えて当然としか思うておらず、領内の民も逆らうとなにをするか分からぬと恐れていただけ。わしにとって武士と民はその形しか知らなんだからな。
そんな日々を過ごしておると、刑務奉行の稲葉様に呼ばれた。
「そなたの父と嫡男が明日、船で尾張を離れる。同じように日ノ本から追放された者の中でも最も厳しき地に送られる。今生の別れとなろう。望むならば最後に会わせてやるが、いかがする?」
そうか。父上が……。
「ご配慮、感謝しかございませぬ。されど……会わぬほうがよいかと存じまする。父上にとって、わしは命じたことも出来ぬ下郎そのもの。恐らく会うたところでご迷惑をおかけするだけかと」
わしが下郎なのは間違いあるまい。父上の下で散々好き勝手に生きたのだ。それが最後の最後に裏切った。きっと地獄に落ちよう。
ただ、これ以上、騒ぎだけは起こしたくない。助命してくだされた安房にいる方々のためにも……。
「そうか、そなたの働きにより家と一族は日ノ本に残れるのだがな。そなたが働かねば、間違いなく一族郎党日ノ本から追放だった。大殿は仏と称されるほど寛容であるが、だれかれ構わず毒を盛ろうとした者を許すほど甘くはない」
そうだったのか。わしが裏切らねば誰ひとり助からなかったのか。
「悔いが残るならば生きて償え。それがそなたに与えられた罰だ」
「ははっ! 畏まりましてございます」
そういえば所領の間近なところで警備奉行様に捕らえられたのだったな。つまりあそこで偶然捕えられ、わしが従わねば一族郎党がこの世の地獄に送られたと。
いずれにせよ父上と嫡男の命運は尽きていたということなのだな。それを聞いて少しだけ心が軽うなった。
Side:安房の元国人
ここは……尾張なのか?
幾度か逃げようとしたことで、罪人として手足を縛られ、口も塞がれたまま船らしきもので幾日か運ばれたのは確かであろうが。
船から降ろされた時は目も塞がれておったため、いずこなのか分からぬ。
くっ……。わしはかようなところで死ぬような身分ではない。斯波と織田が地獄に落ちるのを見届けるまでは死ねぬ。
なんとか逃げ出すべく思案しておると、牢に近付く人の気配がした。
「飯だ」
朝な夕なと日に二度飯が運ばれてくる。この時こそ、ここから逃げ出す唯一の機会。
飯を運んできた下男と見張りの兵がふたり。口枷と手の縄をほどかれるのを待ち、縄をほどく下男の喉を噛み切る。あとは兵の槍を奪えれば……。
「おい、気を付けろ。こいつ、まだやる気だぞ」
ちっ、雑兵の分際で勘がいい。
「人様に毒を盛ろうなんて奴だ。油断するな」
下郎が! わしは! わしは!!
「それにしても臭せえな。糞尿垂れ流しじゃねえか」
「こいつは地獄行きだからいいんだと。そこらの盗人でも、もっと人らしく罪を悔い改めるための扱いを受けるんだがな」
地獄行き? 日ノ本の外を地獄とこやつらは呼んでおるのか?
「里見といい、こいつといい。人を騙すことしか出来ないからな。もっとも、安房では国人や土豪、寺社までもがこの罪人と同じと思われたくないと必死だとか。おかげであの地は落ち着くだろうとのことだ」
なんだと? 織田が地獄に落ちるのではないのか? 坂東武者の面目まで忘れたか!!
「おい罪人、感謝して食え。日ノ本で食う最後の飯だ。今後、二度と戻ることはないこの世の地獄に運ばれる。誰も己のことなど知らず、悪名さえも残せぬ地に行くのだ」
「おのれぇ! 下郎がぁぁぁ!! わしは! わしは!!」
最後という言葉にわしは近くにいた下男に襲い掛かる!
だが、すぐに兵の槍がこちらに向けられ、殺さぬようにと叩かれる。
「ぐわっ!!」
くっ、こやつら思うた以上に手練れだ。たかが牢番に何故、これほどの手練れが!?
「飯を粗末にする奴は嫌いなんだ」
「もう飯はねえぞ」
暴れた際に最後の飯だった雑炊が入った椀から飯が零れ落ちた様子に、兵らはわしを蔑んだまま再び縛って牢から出ていく。
「ここに入れられた罪人でも、ここまで往生際の悪いのは珍しいな」
「身分があると己の定めを受け入れるもんだがな。そんなことも出来ねえからこんな扱いなんだろ」
殺す! 殺す! 殺してやる!! 織田も斯波も! 安房におる臆病者どもも! 名ばかりの坂東武者も!! 必ず殺す!!
わしは……わしは……。
かような扱いを受けるべき身分では……身分では……。
ああ、殿! お待ちしておりましたぞ!
さあ、織田と北条を蹴散らして里見の武勇を示し、関東副将軍として関東を治めるのでございます!!
某が殿と里見を関東一の家にしてしんぜよう!
アハハ! アハハハハ!!
敵が逃げていきますぞ!
これで我らの大勝利でございます……。
我らは……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます