第2237話・敗戦の将

Side:久遠一馬


 近江から緊急の連絡が届いた。


 六角家宿老の家臣化だ。春からの報告では義賢さんが随分悩んでいたとのこと。


「意思疎通が足りなかったか?」


 これはこちらも反省するべきことだ。オレたちの目指す政治は、特定の人に必要以上に負担や権力が集中しないようにするものなのに。


 過渡期であり、体制も価値観も違うので難しいのは承知のうえだけど、それでもいいことじゃない。


「難しいところですね。負担が大きかったのも事実ですが、問題の根幹は御恩と奉公から連なる武家の欠点と言えるものなので……」


 エルでさえもなにが悪いと一概に言えないか。現状の六角では義賢さん個人の才覚に頼る部分が大きい。懸念はあったんだよね。六角と足利政権は、オレたちのアキレス腱になりうるものだった。


 それ故に、春たちが近江に滞在していた。


「これでようやく六角も変われまするな」


 資清さんの言葉が少し重い。滝川家が甲賀を出て十年だ。長かったと思うのだろう。この時代の人だと特に。


 義賢さんと宿老は、領地整理と利権の統廃合の話し合いをすでに始めているとのことだ。今までも宿老は六角家に従う体裁ではあったが、同時に臣従まではしておらず国人衆たちへの配慮もずっと続けていた。


 でもそれは私利私欲じゃない。六角家と近江のバランスの問題だ。


 奇しくも北畠と六角は互いに競うように前に進んでいる。北畠は家中の和を今も相応に重んじて進めているが、六角は義賢さんと宿老が先に変えてしまったのかもしれない。


 この違いは興味深いものがあり、今後の流れを注視する必要があるだろう。


「誰が治めても近江は難しいからねぇ。ただ、近江には春の決断力が合っているはずだよ」


「そうですね。必要なのは強さです」


 武闘派のジュリアばかりか、セレスもまた今の近江に必要なものが力だというのか。春がいろいろと言ったみたいだし、一応、義統さんと信秀さんの耳に入れておくか。


 正直、六角家の臣従とかほとんど想定していないけど。ただ、義輝さんと奉行衆との調整次第でやれないこともないんだよね。斯波と織田が支える形ならば。


 義賢さんが踏ん張ってくれて助かったけど。斯波と織田が出ていくと、今以上に畿内との対立構造となるだろう。現状では望まぬ争いになりかねない。


 ふと、六角定頼さんを思い出す。血を流さずここまで来られたのは定頼さんのおかげでもある。


 定頼さんの遺言は確実に世の中を変えた。オレたちはそれを義賢さんと共に次の世代に繋いでいかないといけない。


 三国同盟堅持だ。なにがあっても。三好と北条もそこに加わるかもしれないが、なにより三国同盟が争いを抑えている。


 晴具さんのところでも行って少し相談してくるか。六角の現状と今後、大丈夫だとは思うが、あの人の意見は時々ハッとさせられるものが多いからね。




Side:浅井久政


「フフフ……フハハハハハ……!!」


 人目も憚らず大笑いしもうたわ。いつ以来であろうか。


「殿! 御決断いただけるのでございますな!?」


 久しく見ておらぬ顔触れが並ぶ。かつて、織田に敗れた際に生きたまま投降したことにより囚われの身となり、家督も城も一族に奪われた愚か者共だ。


 まだ世が見えず、わしの前に現れるとは。


「あまりに愚かなことを申す故、笑うてしもうたわ。わしは、そなたらを臣下とした覚えなどない。殿などと呼ぶな」


 六角家の宿老らが突如、御屋形様に臣従したとの文が近江全土に届いたことで、愚か者が炙り出されたか。


 六角が揺れておる。国人らは聞いておらぬと騒ぎ、またこれを好機と見たのか一部の寺社も左様な者らに助力し始めた。


 そして小谷城に現れた、こやつらだ。


 今こそ北近江三郡を取り戻す時ぞと、わしを担ぎに来たらしい。


「なっ……」


「今しかございませぬ! 上様を傀儡とし勝手極まる六角を打倒し、浅井家の独立を!!」


 すでにわしが兵を挙げたとて、北近江三郡で集まる者は多くあるまい。六角に不満がある者は出てくるかもしれぬが、それもたかが知れておる。


「断わる。わしのこの命は久遠家の滝川八郎より預かったもの。そなたらにやるには惜しいわ。分を弁えろ、下郎が!」


 生まれ育った北近江三郡もやっと落ち着き、皆が憂いなく暮らせるようになりつつある。


 六角や織田への恨みも忘れ、共に飢えぬ国にしようと動き始めたところぞ。かような下郎のつまらぬ謀で汚してなるものか!


「……この腰抜けがぁぁ! 先代様ならば! 先代様ならばぁぁぁ!!」


 集まった者のひとりが錯乱したように叫び、刀もないままわしを殺めんと迫りくるが、かようなところで死ねぬ! 


「斬れ!」


 控えていた幸次郎と腕利きの者らが、わしの前を塞ぐと男を斬り捨てた。他の者はその様子を信じられぬと言わんばかりの顔で呆けておる。


「何故で……ございますか?」


「左様、皆で北近江三郡を治めておった頃に戻りたい。我らはその一心でございます」


 ほう、まだ話の分かる者がおったか。


「わしは戻りとうない。それだけじゃ」


 二言目には父上の名を出され、思うままにわしを操らんとしたそなたらの顔など見とうないわ!


「幸次郎、その者らを捕らえろ」


「はっ!!」


「とのぉぉ!」


「今一度! 今一度お考え直しを!!」


 最後まで騒がしい下郎どもめ。


「あの者らはいかがなさいまするか?」


「御屋形様に知らせを出せ。始末するのか観音寺城に送るのか。すべてはそれからだ」


 血で染まった広間を下男が片づけ始めると、わしはそのまま庭に出た。


 戦下手の愚か者であっても、僅かばかりの面目と意地がある。忠義の八郎に教えられた敗戦の将としての道を貫きたいのだ。


 誰に認められるわけでもないがな。


「殿、少し騒がしくなる家もあるかもしれませぬが……。あ奴らに賛同する者も相応におりましょう」


 しばし考え込んでおると、片桐孫右衛門が姿を見せた。


「構わぬ。すぐに収まる。宿老の臣従は曙殿の仲介だ。愚か者の動きなど承知のことだ。くれぐれも迂闊なことはするなと厳命しろ」


「ははっ!」


 ようやくだ。近江が変わる。これで父上の名を聞くこともなくなるであろう。


 少しばかり戦に強いからと愚か者に要らぬ夢を見せるとは、父上も罪なことをしたものよ。京極家ですら、すでに織田の重臣として北近江に興味すらないというのに。


 ふと吹き抜ける風の冷たさに身震いする。


 まだ秋には早いのだが……。



◆◆

 永禄五年、七月。六角家宿老である、蒲生、平井、後藤、進藤、目賀田の五宿老が六角義賢に正式に臣従したことが、六角家家伝に記されている。


 足利義輝の権勢もあって二代続けて管領代として政権の次席だった六角家は全盛期を迎えていたが、内情は旧来の守護大名のままであり、とりわけ宿老の力は無視出来ぬものであった。


 当時すでに尾張では織田家が中央集権化をほぼ完了しており、いち早く近代的な統治体制に移行しつつあったが、六角家はそれを習いつつも上手く自家の改革として実行出来ていなかった。


 これには同じく旧態依然とした足利政権や近江内にある寺社、それと畿内と隣接するという立地もあり改革が難しい状況であったことが理由であると分かっている。


 ただ、そんな六角家を動かしたのは、八風街道と千種街道を荒らしていた賊討伐の山狩りに関わる情報が漏れたことに由来する。


 宿老の中でも人一倍尾張を学んでいた蒲生定秀はその現状に激怒し、このままでは六角家に先はないと断固たる決意のもとで所領の献上を義賢に申し出ている。


 定秀としては六角家と蒲生家が生き残るには必要なことだと決断したが、これが予期せぬ形で義賢を追い詰める形となった。


 奇しくも直前には六角義弼が尾張で定秀の面目を潰すようなことをしており、このままでは蒲生家のみならず皆が織田に仕官すると離れるのではと考えたとされる。


 事態を重く見た定秀は、近江滞在中である曙の方こと久遠春、夜月の方こと久遠夏、夕暮れの方こと久遠秋、早朝つとめての方こと久遠冬の四名に仲介を頼み、彼女たちが同席することになった。


 ただし、その場の具体的な話は残っていない。


 言い伝えとして残る話では、春が義賢と宿老たちに今後どうしたいのかと問い掛け、今の形が不満ならば好きにしてもいいと言ったとある。


 同時に六角と義賢は、織田と久遠で必ず守るから心配無用と話したとあり、宿老たちが六角を離れることさえ容認したと伝わる。


 内容が口伝であり、武勇に優れた春故に誇張された可能性もなくはないが、分かっている限りでも春たち四名が義賢と宿老を仲介して、正式な臣従に導いたのは確かである。


 これは、この時に交わした誓紙が現存している。


 当時は天下人と言われることもあったが現代では苦労人と言われる六角義賢にとって、一番の苦難はこの時だと語る歴史学者もいる。


 これ以降、六角家は織田家に習いつつ守護大名から近代的な統治体制へと移行するきっかけとなった。


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