第2210話・花火の日

Side:熱田の商人


 あれから二日、今宵、花火を打ち上げることになった。


「随分と銭が掛かったなぁ」


 馴染みの商人は、此度のことに感慨深げにしておる。されど、不快そうではない。熱田ばかりか尾張南部にまで、花火見物に来た者を留め置くようにと差配した。費えは尾張商人組合が出してな。すべて初めてのことだ。


 ただ、異を唱えた者は熱田の町衆では誰もおらなんだ。


「いつも織田様と久遠様にばかり頼るわけにはいかぬ。我らが動かねば織田様と久遠様が動かれたはずだ」


「それはな……」


 久遠様は、己の銭を使うて同じことをしようとされたはずだ。あのお方は左様なお方だ。


「これは戦なのだ。商人にとってな。かつてのように、畿内にいいように使われとうあるまい?」


「ああ、分かっておる。故に出し惜しみはしておらぬ」


 久遠様が尾張に来られて十年だ。いつまでも助けを受けてばかりではあまりに情けない。我らのような一介の商人にまで気を配られ、時には権威ある者らが寄越せと言うのを退けてまで品物を回してくれたのはあのお方だけ。


 武士が戦で織田様と久遠様を支えるならば、我らは商いで久遠様を支えてゆかねばならぬ。商いこそ久遠家の力の根源なのだ。


「今しかないのだ。虐げられていた我ら商人を、真に理解してくださるお方は二度と現れぬかもしれぬ」


 久遠様は、今でも近くに来られると店に顔を出される。なにが売れておるか、困っておらぬかと問われるのだ。


 代金の踏み倒しなども今ではまずあり得ぬ。故に高い売掛金を掛けずとも食うてゆける。


 最早、熱田も津島も清洲もない。皆、ひとつとなり畿内と戦うのだ。




Side:慶寿院


 あれから二日、今日は昼から茶会にてもてなされております。


 桔梗殿より牛の乳で茶を淹れるという琥珀茶を頂きました。暑い日々ですが、私は風味のよい温かい茶が好みなのです。


 白磁の薄い茶器は琥珀茶の温かさが伝わります。それが心地よい。


 ふと見渡すと、皆が穏やかで笑みを浮かべています。互いに疑い、争い、憎しみ合った者たちも多いというのに。


「ここに来ると、皆が穏やかとなりますね」


 私の言葉に侍女と周囲の者は、その意味を察して少し昔を思い出すような顔をしている者もいます。


 尾張に来ると、心穏やかになる。それは私も同じかもしれません。


「上様を始め、皆々様のおかげでございますわ」


 天下一の茶人とも称される桔梗殿は家中に残る因縁を解消する仲介もしているとか。その積み重ねが今なのでしょうね。


 いったい、いくつ表沙汰にしていない功を積み重ねたのでしょうか。


「皆の力を借りる。それとて、とても難しきこと。内匠頭とそなたたちの功はいつまでも残るでしょう」


「恐悦至極に存じます」


 残るのではない。残さねばならぬのでしょうね。二度と日ノ本を戦乱にしないためにも。


「私にも久遠流の教えを授けてくれませぬか?」


「畏れ多きことでございますが、畏まりましてございます」


 足利宗家は残さねばなりません。久遠は縁組を望まぬとなると、あとは茶の湯や日々の繋がりから縁を深めていかねば。


 それに……願わくば、私もまた、新たな世の礎のひとつとならんことを。


 それが、今の世を生きる者の定め。亡きあのお方の遺志を継ぐ者の定め。




Side:足利義輝


 奉行衆が熱田の町衆の動きに驚き騒ぐとはな。一馬と織田ならばやりかねぬと察しても町衆が自ら動くとは思わなんだか。


 まだ左様なことも理解しておらなんだのかと呆れてしまうが、それが人というものなのであろう。


 近頃は奉行衆も励んでおるがな。一馬らが積み重ねた日々には遠く及ばぬ。ようやく近づいたかと思うとあやつはさらに先に行くからな。


「上様、某の淹れた茶などいかがでございましょう」


「おお、天祐か。ちょうど次の茶が欲しいと思うておったところだ」


 ちょうど飲んでいた茶がなくなった頃、北畠の天祐殿が茶を持ってきた。オレとこやつが揃うと周囲の者の顔が少し引き締まるのが面白い。


 もっとも天祐殿も左様なことは承知のことだ。こうして我らに遺恨がないと示し、共にあるのだと見せることで近江以東を守る気なのだ。


「うむ、美味い」


 足利と北畠はすでに争うてはおらぬが、それでもすべてを水に流すほど因縁は容易いことではない。あと少し……。


 ただ、この男がおらねば三国同盟が成り立たぬ。蟹江で隠居することにより、尾張と一馬を守っておるのだ。天祐殿はな。


「ふふふ……」


「上様、いかがされました?」


「花火が楽しみでな。待ちきれぬわ」


「皆、同じでございましょう。こればかりは上様とていかんともならぬこと」


「ああ、故に待つのが楽しゅうてな」


 もうじき、足利と北畠の因縁を終わらせる。関東との因縁も前古河次第だが、上手く収めることが出来るやもしれぬ。


 ようやく愚かなオレにも乱世の終わりが見え始めた気がする。




Side:久遠一馬


 今日は尾張流茶会。熱田神社の建屋と庭を会場にしたガーデンパーティーだ。


 政治的なイベントのはずだけど……、随分と和やかだなぁ。あちこちから笑い声が聞こえる。


 ほんと、こういう交流が足りなかったんだなぁ。いろいろと忙しいからね。足利政権も尾張の皆さんも。とはいえ、会う機会は今後も定期的に設けないと駄目だな。


 近江政権の最大の後ろ盾は、やっぱり尾張なんだよね。各種調整は常にしているけど、トップ外交のような形は確かに足りなかった。


 今日はジュリアやケティやアーシャも参加しているので、公家衆や五山の僧なんかと話をしている。特にケティとアーシャはあまり政治的な場には出ていないんだけどね。今回は出てもらった。


 実はケティの薬が欲しいっていう頼みはあちこちからある。昔はケティを寄越せという命令口調の要請だったんだけどねぇ。さすがに今ではそんな人はいない。


 結果として薬が欲しいって形に変化した。実際、この時代で一般的な漢方薬ならば作って送ることもある。


 まあ、あとでいちゃもん付けないような信頼関係があるところだけになるが。


「なんともよい茶会でございますなぁ」


 オレはあんまり動かなくていいと言われているのでのんびりしていると、朝倉景紀さんが挨拶に来てくれた。


 相変わらず微妙な関係のままの朝倉だけど、正直なところ戦なんて双方とも望んでいないんだよね。義輝さんの尾張入りに合わせて花火見物に誘ったら、彼と朝倉景鏡が若い衆を連れて来た。


 越前と朝倉家中だと相変わらず反対意見も多いみたいだけどね。義景さんはのらりくらりとかわしつつ交流を続けている。


「ええ、茶会は皆が楽しんでくれることが一番ですから」


 ちなみに越前在住の公家衆とか近江の奉行衆とかが、朝倉に尾張と争わないようにと働きかけている。そういう事情もあって、真柄さんとか景紀さんが交流を深めることが出来るんだよね。


 朝倉としても斯波とは因縁があるけど、将軍と争うのは望んでいないし。将軍を支える斯波と織田と争うのかといわれると、逆らえる人は今のところいない。


 景鏡さんとか史実だと評価微妙だけど、今のところおかしな動きはない。というか彼も尾張との融和派なんだよね。


 正直、越前と争って喜ぶのが、若狭の細川晴元だけなのはみんな知っていることだ。


 斯波と織田に頭を下げたくはないが、晴元と組んで争う気もない。まあ、そんな半端な連中が多いから越前がいつまでもまとまらないんだけど。


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