第2102話・分かれる道
Side:千秋季光
とうとう神宮の大宮司が出てきたか。早いと見るか遅いと見るか。分からぬがな。
此度は寺社奉行のみならず、外務方の京極殿と武田無人斎殿もおる。最早、我らの手に負えぬことになったので同席を願った。
そしてもうふたり、神宮の者らが何者だと怪訝な顔をする御仁がいる。内匠頭殿の奥方であるナザニン殿とルフィーナ殿だ。ナザニン殿は外務殿と呼ばれることもある。
両名ともあまり表に出たがらぬ御仁だがな。さすがに手に余ると思われた京極殿が連れてきたようだ。
「必要とあらば、我らの命を以て償いまする」
長々とした謝罪のあと、左様なことを口にした。
覚悟は立派なれど、殺すと面倒になる故、十中八九殺さぬと見透かしておろう。その気になれば先に自害でもすればいいのだからな。やらぬということは、見透かしておるとみて間違いあるまい。
「御用向きは承った。されど、受けることは出来ぬ」
神宮の大宮司殿と主立った神職が平身低頭で頭を下げる様にいかんともいえぬものがあるが、運が悪かったなとしか思えぬ。
「何卒、武衛様と弾正様にお取次ぎを……」
まずは謝罪したという形がほしいらしいな。今後いかになるか知らぬが、時世が変わった際に己らは悪うないと言いたいのであろう。
「守護様も大殿も会われぬ。此度の件、守護様以下、家中の皆が神宮に失望した。神宮領を返して縁を切れという声も多い。神宮がすべて悪いとは言わぬが、堕落し身勝手な寺社に皆が嫌気を差していたところの、この一件だからな」
顔色が悪うなる者、困り果てて助けを求める者。様々だな。神宮だけは違うと皆が信じておったところを裏切られたのだ。
最早、仁科をいかにしようと夜殿と明け殿の面目を立てようとも、もとには戻らぬ。
「所領を戻し、昔に戻るならば善処出来る。他ならぬ神宮だ。それが一番面目を守れるのではないか? それならばすぐにでも力になれるが……」
面目を第一とするなら、独立がよいと思うがな。そもそも仁科三社のうち神宮の末社である二社を独立させるのは承諾するというが、己らは拒むというのもあまりいいとは思えぬ。
「それでは我らが立ち行かなくなりまする」
「祈りで解決すればよかろう。それが本分のはず。古より所領を得て祈りで生きておったはず。それを出来ぬと申すのか?」
なりふり構わず情けに縋るような大宮司殿を京極殿が一言で切って捨てた。役目とはいえ、神宮相手にそこまで言えるのはたいしたものだ。いずれ報復されることを恐れる者は寺社奉行方にも多いというのに。
「それは……」
大宮司殿は二の句を継げぬほど絶句した。
「私は久遠ナザニン。短い間でしたが、私どものような下賤な者とお付き合いいただきありがとうございました。二度とお目に掛かることはございませんが、主に代わり御礼申し上げます」
畳みかけるようにナザニン殿が別れの挨拶を述べると最早、とどめを刺したようなものだな。命を以てと示したというのに、許さぬことが信じられぬと見える大宮司殿は唖然としておる。
後手に回ったな。仁科三社如きで神宮が揺らぐとは思わなんだのであろう。
まるで朝廷の有様を見ておるような気分だわ。厄介で面倒しかない。誰も関わりとうないというのに、久遠家が古くからあるのだからと配慮をしておったのだ。
敵と味方も区別出来ぬほど驕るとは。明日は我が身だな。気を付けねばなるまい。
あとは、北畠が上手くやろう。
Side:諏訪満隣
神宮の使者に頭を下げられるとはな。勘違いしてしまいそうだわ。
信濃衆や尾張から来ておる文官や武官の下を訪れておるとのこと。皆、一様にお方様の命を守り、丁重にもてなしておるらしい。
以前ならば一時の怒りで怒鳴り散らす者もおったであろうがな。お方様がたが神宮相手に信濃を守ろうとした一件は、すでに信濃中の元国人ばかりか、土豪や寺社にまで広まったかもしれぬ。
故におかしなことをする者は少なくとも信濃衆の主立った者にはおらぬ。
「皆、神宮の立場に理解してございましょう」
「はい。おかげさまで僅かなりとも安堵しております」
紫衣を許された尼僧とのことでよほど聡明なのか、こちらの腹の中を察しておるような顔をしておる。とはいえ控えておる者らは理解しておらぬな。
誰かが泥をかぶらねばならぬならば……。
「すべてはお方様の下命があればこそ。子々孫々が困らぬようにと、ご下命をくだされたのだ。すべては神宮と我らのため。御身を晒してな」
「……そうではないかと思っておりました」
控えておる者らは驚くものの、清順殿は驚くこともなく受け止めた。嘘ではないな。この御仁ならばこそ、お方様はあそこまで申されたのであろう。
「某もまた神道を歩む者、故に伏してお願い申し上げます。お方様がたの御覚悟、決して汚さぬように」
丁重にとは命じられたが、こちらが嘆願するなとは命じられておらぬ。諏訪の家に生まれたわしならば、このくらい言うても構わぬであろう。
争いの種になることではないのだからな。
「確と承りました」
やはり清順殿は格が違う。されど、控える者らはあまり信じられぬな。もう少し手を打っておかねばならぬか。
後日、わしは諏訪神社の大宮司を務める者を呼んだ。
「竺渓斎殿、お呼びとか」
「うむ、これに署名して神社に残してほしいのだ」
わしは一連の経緯を知る限り記した書状を書き上げた。それにわしと大宮司の署名を記し、後の世に残すつもりだ。
「これは……」
「決して他言するなよ。誰かがお方様がたの思いと御覚悟を後の世に残さねばならぬ。神宮がお方様がたを罪人とせぬようにな」
功とするつもりもなければ、これで諏訪神社を高める気もない。ただ、まことのことを残したい。かようなことを考えたのは初めてだ。
神宮など信じられるか。他ならぬ諏訪神社を擁する諏訪家に生まれたわしだから分かる。奴らは必ずや事実を捻じ曲げるはずだ。
「承りました。確と残しましょう」
いつの日か、久遠家が苦境に陥った際にこれが世に出て役に立つことを願う。それにより、諏訪と信濃の恩返しとならんことを。
臣下には臣下の、神職には神職の戦いがあるはず。わしにはこのくらいしか出来ぬ。
◆◆
久遠家において対外交渉を担ったとされる外務の方、久遠ナザニンと久遠ルフィーナが公式の場に登場するのは永禄四年、十一月。伊勢神宮の使者との交渉の場である。
長年、中央を離れ、外交経験が乏しい斯波家においてナザニンは外交技術の伝授をしていた記録はあるものの、公の場に出たとの記録はこの時が初めてになる。
ルフィーナに関してはナザニンの身辺警護をしていたと伝わっていて、表だった活躍はあまりないが常に共にいたという記録がある。
仁科騒動により悪化した関係の改善のために、神宮は大宮司を筆頭に主立った者で尾張に謝罪に出向いていたが、それを拒み、別れの挨拶をすることで事実上の絶縁を突き付けている。
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