第1955話・交渉するまでに

Side:京極高吉


 穏便な叡山の姿勢に、家中でも驚きを隠せぬ者が多い。伊勢無量寿院や三河本證寺の一件もあり、またかと顔をしかめた者すらおったというのに。


「そうか、謀はないとみるか」


 少し表情の硬い堀田殿が報告をすると、大殿は思案するそぶりを見せた。


 武衛様と大殿の御前にて、若武衛様、若殿、寺社奉行、内匠頭殿、大智殿、絵師殿と共にこの件を話しておる。奥羽代官殿はすでに尾張におらず、入れ違いとなったからな。


「観音寺城から奉行衆が来るまであと二日といったところでしょう。目通りを許すにはそのあとでよいかと存じます」


 そこまで厄介な状況ではないが、公方様を通したほうがいい。本来、奥羽は奥州探題の下で治める地だ。叡山の使者が来てすぐに知らせたので遠くないうちに来る。


「あとは落としどころか。一馬、いかがする?」


「叡山がいずこまで考えておるのか、次第でしょうか。仲裁するのか、略奪した寺の責まで負うのか。仲裁にしても次に同じようなことをした場合、いかがするのかなど分かりませんのでなんとも」


 やはり叡山であっても、それだけでは引かぬか。自ら責を負うなら相応の話を聞く。公卿への態度と同じだな。向こうはこちらの出方を知りたいのだがな。それをいかに示すか。


「難しく考えなくてもいいかもしれません。こちらの政と現状、今後のことを話せばよいかと思います」


「そうね。今までと同じでいいもの。あとは本山で面倒を見ればいいと思うわ。そのための本山なのだもの」


 大智殿も絵師殿も同じか。危ういが、ここで引くと今後も叡山は同じだけこちらが引くと思うてしまう。安易に引けぬのも事実か。


「まあ、確と責を持って仲裁するなら話をするのを再開するのは構いませんよ。振り出しに戻るだけですけど」


 内匠頭殿の言葉に寺社奉行が安堵したのが分かる。これも譲歩と言えるが、内匠頭殿も言うように愚か者が騒ぎを起こした前に戻るだけ。寺と寺領には一切の配慮もない。また与える気がないと言うておるに等しい。


「それは当然だ。それ以上、譲ってはならぬ」


 間を置かず大殿が内匠頭殿の言葉をお認めになり、武衛様も異を唱える気は全くなさそうだな。東国を統べることを考えると致し方ないのだが。


 家中ではもっと厳しき献策を上げる者すらおる。奥羽の件も堕落した寺などすべて潰してしまえと息巻いて、自ら奥羽の地に出向くと願い出た者もおるとか。


 厳しい言い方をすると、最早、寺社は政においては織田家より劣ると認めねば先はない。さもなくば、叡山が自らかの地を食わせるかだ。


 やれやれ、いかになるのやら。此度の使者はまともなようだが、叡山もいろいろと良からぬ噂を聞く。大人しく引くかは、わしにも分からぬことよ。




Side:久遠一馬


 清洲城から戻ると、出迎えてくれた子供たちと一緒に南蛮暖炉で暖まる。


 それにしても怖いね。人って。争いを突き詰めると富の奪い合いだ。寺社は神仏の名前を使うから余計にたちが悪い。世のためを願って宗教を残した開祖は泣いているだろう。


 向こうが知りたいのはこちらの状況と意思だ。それを伝える。今回はその程度でいいだろう。寺社なんてのは様々な宗派がある。叡山相手に妥協をすると、他も同じように妥協しろと騒ぐだろう。


 ほんと、地域で頑張る寺社は印象が良くなったけど、上に行けば行くほど印象が悪くなった。


 元の世界みたいに宗教を聖域化することだけは避けたい。オレが甘い顔をすると、次の世代が変えられなくなる。それだけは譲れないんだ。


「ちーち、おもち!」


「今日のおやつは餅でござる」


 暖まりつつ少し考え込んでいると、ケティとの子である武典丸がすずと一緒にお餅を持ってきた。松の内も明けて一月下旬だけど、うちは来客も多いのでこういうのは多めに用意するから余っているんだよね。


「じゃ、焼いていこうか」


 まあ、毎日食べているわけでもないし飽きるほどじゃないけどね。


「高い高いなのですよ~」


 チェリーはまだ幼い子たちをあやしていた。ナディと末娘のカメリアもまだいる。一月いっぱいこちらにいて、次の船で戻ることになる。


 ナディはやはり本領のほうが性に合うらしい。


「うわぁ」


 少しずつ香ばしい匂いがして、餅がぷくっと膨らむと、それだけで子供たちは喜んだ。


「久助はなにを付けて食べる?」


「きなこ!」


「わかった。じゃあ、きなこね」


 エルたちと一緒にまずは子供たちから食べさせていくけど、一緒にいる家臣の子たちもウチにいる時は基本的には子供たちと同じく扱っている。


 久助君は一益さんの子だ。毎日じゃないけど、ウチに遊びに来ていて、最初はオレのこともちーちと呼んでくれたんだけどね。今ではちゃんとオレたちのことも覚えてくれた。


 今日はいないけど、孤児院の子たちもいるからね。ここ数年で子供の相手は上達したと思う。


 庶民生まれの性分なんだろうか。世の中のことよりも、子供たちのことのほうが大切に思えてならない。


「クーン」


 ああ、君たちもね。ロボとブランカの一族も大切だ。


「わっわっ、のびる!」


「おいちい」


 みんな笑顔だ。この笑顔が一番だね。


「大武丸、着物が汚れてしまいますよ」


「うん!」


 ふふふ、はしゃいで餅を伸ばして食べていた大武丸がエルに叱られている。返事はいいんだけどね。まだ伸ばして食べている。誰に似たんだろうか?


「ひめ!」


「おもちたべよ!」


 楽しいおやつタイムにちょうどよく来たのは、学校帰りのお市ちゃんだ。ウチの子たちはお市ちゃんのこと、よく遊ぶ友達くらいに思っているからなぁ。親しげに声を掛けている。


「はい、頂きます!」


 オレはお市ちゃんのお餅を焼こう。


「一馬殿、叡山の僧のこと。学校でも少し噂になっておりました」


 遊んで遊んでと周りをロボ一族に囲まれたお市ちゃんに、学校の様子を教えてもらう。宗教関係者が教師陣に多いからなぁ。すぐに噂になるよね。お市ちゃんが教えてくれたということは、子供たちの一部にも耳に入っているんだろう。


「あまり懸念はありませんよ。話し合うのに少し手間がかかっているだけです。近江の上様に報告しているので」


 まあ、この程度の情報は清洲城で暮らすお市ちゃんは知っていることだ。とはいえ、オレの口から懸念がないと教えてあげると安心するらしい。


「御家の政は難しいのでと案じておる先生がおりました」


「そうか。こちらでも気を付けておきますよ」


 妥協は出来ないが、丁寧に理解してもらえるように話す必要がある。争う気はまったくないんだが。


 信秀さんと義統さんとの謁見が行なわれないことで、変な憶測があるらしいな。あれは観音寺城に知らせたから謁見を待たせているだけなんだけど。


 あとは寺社奉行のほうで事前の現状説明と情報交換をしている。


 比叡山も別に奥羽の寺社のすべてに対して口を出す気なんてない。系列の寺社、もっと言えば、比叡山で修業をするような中堅の寺に頼まれて動いているだけだ。


 寺社奉行の話だと末端の寺とか興味なさそうだとか。比叡山の顔を立てて交渉再開だけならすぐ済む話なんだけどね。


 格差と流通をどうするのか。状況を少し相互理解する必要がある。


 まあ、尾張と同じ形で、既得権を召し上げても主な寺社が存続するなら怒らないだろうけど。尾張にも比叡山の系列の寺があって、普通に地域の中核として残っているしさ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る