第9話 もしかして、彼女?



「お疲れ様です」


「お疲れ様、瀬戸原くん」


「! 篠原さん、こんばんは」


 扉を開き、俺は室内にいる人に声をかける。すると、すぐに返事が返ってきた。

 後ろ手に扉を締めつつ、中にいた人……篠原さんに、頭を下げる。


「こんばんは。今日は瀬戸原くんがシフトに入ってたのね、よかったわ」


「よかった、ですか?」


「瀬戸原くん話しやすいから。それに、対応も丁寧だしね」


 篠原さんはパートのおばさんで、人の良さそうな……いや実際に人の良い笑顔を向けてくる。

 篠原さんは俺のことを話しやすい、と言ってくれたが、俺にとっても篠原さんは親しみやすい人だ。


 バイトを始めたばかりの俺を、なにかとフォローしてくれている。


「篠原さんは休憩ですか?」


「えぇ。

 ……瀬戸原くん、なんだか疲れてる?」


「え……」


 休憩中の篠原さんに頭を下げ、更衣室に向かっていた俺は……篠原さんの言葉に、足を止める。

 疲れているか、など……まさか、そんなことを聞かれるとは思わなかった。


「えぇ、実は少し、家を出る前にいろいろありまして」


「まぁ。大丈夫なの?」


「はい」


 ここで嘘をついても仕方がないので、俺は正直に答える。とはいっても、その内容までも答えるつもりはない。

 体調を気にしている篠原さんとの会話を一旦中断し、更衣室の中へ。荷物を置き、制服を取り出しそれに着替えていく。


 ……家を出る前に、いろいろあったのは事実だ。俺は軽くため息を漏らす。

 結局、久野市さんを家から出すには叶わず。この部屋で暮らすのだから他に暮らす場所もない、と言う久野市さんを、どうするかの判断はその場ではできなかった。


 バイトの時間も迫っていたし……仕方なしに、彼女に家の留守を任せて、家を出た。

 不用心と思われるかもしれないが、もし久野市さんがなにか盗むつもりなら、そもそも勝手に入室していた最初からやっているから大丈夫だ、という謎の信頼があった。


「ん……ま、今は忘れよう。やりますか」


 家に残してきた久野市さんのことが気がかりではあるが、今は忘れよう。

 今は仕事だ仕事。


 更衣室から出た俺は、ちょうど休憩終わりだった篠原さんと共に店内へと向かう。確か、今から俺と篠原さんとでレジ担当だったか。


「今日は忙しいですかね」


「どうかしらねぇ。ちょっと不安だわ」


「篠原さんは、レジ対応早いじゃないですか」


「でも最近、やれクーポンだやれ電子決済だって、いろんなのがあるでしょう?

 おばさんはいろんなことを覚えられないのよ。瀬戸原くんみたいに若い子は貴重な戦力なのよ」


 何気ない会話を篠原さんと交わしながら、直前までレジ対応していた人たちと交代する。

 店内はそれなりに人はいる。24時間対応のコンビニだと、この時間帯が多い、ってのはあまりない。

 強いて言えば、やはり昼時だろうが……平日の昼は学校なので、コンビニの状況はわからない。


 その後、お客さんの対応へと移る。夜でも人は絶えることはなく、忙しくはなくとも暇ではない、という時間が続いた。


「瀬戸原くんは、偉いわね。昼間は学校、夜はバイト……それも、一人暮らしなんて」


「な、なんですいきなり……それくらい、普通ですよ」


「ふふ、照れちゃって。私が協力できることなら、遠慮なく言ってね」


「……ありがとうございます」


 少し、時間ができた間に、篠原さんから話しかけてくる。その内容は、まあ俺のことを偉いというもので……

 手持ち無沙汰の会話だとわかってはいるが、そんなことを言われると、照れてしまうわけで。


 篠原さんが俺によくしてくれるのは、篠原さんには俺と同じくらいの娘がいて、だから気になったのだという。

 実際、時折お裾分けをいただく。俺からもなにかお返しをしたいのだが、お礼をしようにも金の問題があるし、それ以上に素直に受け取ってくれるかどうか。


 俺がお礼をしたところで、俺に気を遣わせてしまった、と考えかねないし……うーん……


「いらっしゃいませ」


 それも、追々考えないとな。一人暮らしで不安だった俺にとって、数少ない安らぎをくれる人だからな。

 高校入学と同時に始めたバイト……それなりに慣れてきた作業。空いた時間は商品の前出しをしたり、一つ仕事をこなせるようになってもまた一つ、増えていく。


 そうして作業をこなしていくと、時間もすぐに過ぎていく。気づけば、俺のシフト終わりの時間が近づいていた。


「いらっしゃいませー」


 コンビニの扉が開き、何気なく目を向ける。何気なくだ、そこに誰がいるかなんて前もって知ることはできない。

 だが、そこには俺のよく知る人物がいた。彼女は、俺の視線に気づいたのかそれともたまたまか……俺に、目を向けた。


 俺と目があったその瞬間、彼女はニコッと微笑み、買い物へと向かっていった。


「あら、今入ってきたお客様、こっちを……ううん、瀬戸原くんを見て微笑んでなかった?

 もしかして、彼女?」


 当然、彼女の視線に気づいたのは、俺だけではない。隣のレジに立っていた篠原さんも、気づくこととなる。

 意味深に笑顔を向けられ、篠原さんもまた意味深に俺と彼女の関係を疑ったわけだ。ここで無関係、と言っても信じてもらえるはずもない。


 なにもない相手に笑顔は向けないし。なにより、彼女は知らない人間ではないので、知らないと嘘をつくこともできない。いやしたくない。


「違いますよ。俺が部屋を借りてるアパートの、大家さんです」


「大家……それにしては、若いわねぇ。瀬戸原くんと同じ高校生……ううん、もう少し上かしら」


「正しくは、大家さんの孫、ですね。彼女は大学生ですけど、本来の大家さんが体を悪くしたとかで、大家代理ってことになってるみたいです」


「あらそうなの」


 篠原さんは、言葉通りに驚いてみせる。口元に手を当てて、だ。

 ……この人わりと役者だよな。だって……


「……というか、このやり取り何度目ですか。篠原さんもあの人のこと知ってるじゃないですか」


「ふふ。ごめんね、なんだか楽しくって」


 こういったお茶目な面が、篠原さんにはある。もう、篠原さんとあの人は初対面どころか、お互い会話する仲だし。

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