天ヶ瀬結の事件簿 文芸部事件
乃木口正
第1話 朝の風景
夏休みも終わり数日が過ぎると、オレたちは徐々に学校という日常に感覚が戻りはじめ、一部ではにわかに文化祭に向けた動きもはじまっていた。
朝から鳴り響く吹奏楽部の演奏の音。演劇部の発声練習。合唱部の歌声。そんな、日常的な音を聴くともなく耳にしながら本を読んでいると、「おはようございます。」と声を掛けられた。
二段組された文字の列から視線を上げると、長い髪を三つ編みに結った女子が立っていた。隣の席の天ヶ瀬結だ。
「おはよう。」
オレは素っ気無く挨拶を返すと、再び活字の海へと意識を向ける。
「今日は何を読んでいるのですか?」鞄から荷物を取り出しながら、天ヶ瀬は尋ねてくる。「本の大きさからして、新書ですね。今月の新刊は、確か三冊しかなかったですから、」
ああ、五月蝿い。
「何だって良いだろう。」
本を閉じ、オレは隣に座る天ヶ瀬を睨む。しかし、彼女は何故オレが怒っているのか皆目理解できないといった様子で不思議そうに首を傾げた。
「えー、折角本の話が出来る数少ない友人なんですから、情報の共有をしたほうが良いじゃあないですか。」
大きく一つに結った三つ編みに、おっとりとした垂れ目。その見た目通り、彼女は読書好きな文学少女だ。しかし、普通女の子が好んで読みそうな恋愛小説などには一切食指を動かさず、愛読するのは推理小説や探偵小説の部類ばかり。まあ、オレの同類だ。
その為、彼女は事あるごとにお薦めの作品や今読んでいる作品を聞いてくる。確かに、面白い作品があるのならばオレも聞きたい。だが、そんなに頻繁に聞かれても、そうそう傑作に巡り合えるわけもなく、答える作品などもう持ち合わせていない。それに、小説なんて、人から薦められて読むものではなく、自分が読みたいから読むものだとオレは思っている。
「お勧めがあったら、教えてやる。だから、静かに本を読ませてくれ。」
強い口調で言うと、オレは再びノベルスを開いた。しかし、
「おーい、乃木口。」大きな声がオレを呼ぶ。
ちょうど良いので、ここで自己紹介をしておく。オレの名前は乃木口正。ここ杜亜高校に通う高校一年。趣味は読書と小説を書くこと。
再び読書の邪魔に入った声の主を見遣ると、オレは少し驚いた。呼んでいたのは山下尚吾という、隣のクラスの男子だった。
面識はあるのだが、用事もないのに話をするような相手ではない。なのに、朝からわざわざ教室にまで赴いて、声を掛けてきている。訝りながら、オレは手を上げて返事をした。
「朝からどうしたんだよ。」
「いや、ちょっと相談があるんだよ、」こそこそと人目を避けるような動きで教室に入ってくると、山下は声を潜めて尋ねてくる。「お前、推理小説とか、好きだったよな?」
「ああ、それはお前もよく知っているだろう。」
「まあ、知っているけれども……、」
申し訳なさそうに山下は顔をやや俯かせる。まあ、今更彼だけを攻め立てても仕方のないことなので、これ以上とやかく言うつもりはない。
「で、何の用だよ。」
「ああ、そうだった。実は、文芸部のことで相談に乗ってもらいたいんだ。」
「断る。」
「いや、そんなあっさりと言わないでくれ。頼む、俺を助けると思って。」
両手を合わせ、彼は深々と頭を下げてお願いする。しかし、こればかりはそう簡単に首を縦に振ることは出来ない。
「オレはもう文芸部とは関わらない。いや、そもそもオレを文芸部から追い出したのはそっちだろう。」
冷たく言い放ちながら、オレの脳裏には数ヶ月前の文芸部の様子がありありと甦っていた――
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