試験が終わった後の夏休みと海でのいつもとちょっと違う日常 その2

 都と呼ばれる都市リグレス。

 この領地の首都よりも断然首都っぽい、他の領地から来た者はよくリグレスを首都と勘違いしている、首都より有名、なんなら領主も一年の半分以上このリグレスの別荘で過ごす。

 等のことから、いつからか都と呼ばれるようになり、そのまま定着した呼び名だ。

 リグレスはこの領地の貿易の要の都市であり、陸路、海路、両方において重要な拠点となっている。

 海沿いには大規模な港と大いなる海の渦教団の大神殿が立てられている。

 この大神殿がなければ、そもそもこれほど大規模な港なども人の身には作れはしない。海は基本的に人間の領域ではない。

 海で人がなにかするなら、海神の加護が必要なのだ。

 それと同じで海神の加護下にあるからこそ、港が存在できているような物だ。

 ただ以前は立地がいいとは言い難かった。

 リグレスより東は辺境の地となり、リグレスの南西には今でも人も住めない巨大な暗黒大陸があり、海路での有益な貿易などは望めなかった。

 そもそも暗黒大陸の付近は海路でも近寄るのも危険な地域だし、そもそも暗黒大陸が人にはどれくらいの大きさなのかもわかっておらず、船でも無補給では迂回する事も不可能だ。

 それでは海路の重要な拠点となるはずもない。

 確かに以前はそうだった。

 だが、暗黒大陸を避ける様に大陸内に運河が作られたことによりリグレスの重要度は必要不可欠なものに迄なり上がった。

 運河により西側の領地と船で大量の商品が貿易できるようになり、リグレスの繁栄がはじまったのだ。

 今では南側最大の都市とまで言われているほどに発展している。

 ミア達一行はそんなリグレスに一泊してから、ティンチルへと向かう。

「こ、これが…… 都…… 都の名に恥じない凄いところですね……」

 ミアが馬車からおりて周りを見渡して初めに言った言葉がそれだった。

 ここは馬車駅だがただの馬車駅ではない。

 複合発着所でもあり、ここでリグレス内を移動するための馬車に乗り換える。

 リグレスは都市としてもかなり広い。徒歩だけで移動するのは困難だ。

 リグレス内を定期的に走り回る乗合馬車を乗り継いで移動するのがリグレスでは一般的だ。

 そのためか北側の始点となるこの馬車駅広場は観光客や旅人も多くお土産屋などが店を構えている。ただし出店などは出ていない。

 そのせいなのだろうか、雑多な感じがしなく非常に整備され綺麗で広く洗練されている、そんな印象がある。

「そういえばミアは都に来たことないんだっけ?」

 都の玄関口ともいえる馬車駅広場を見て呆けているミアを見て、スティフィが呆れたように呟く。

「は、はい…… ここ…… こんなところは通ってきませんでした」

 乗合馬車の待受け所がいくつもあり、待受け所ごとに馬車の行き先も違う。

 しかも、そのほとんどの行き先がこの都市内なのだ。ミアの知っている村とはすべてが違う。

 なんなら、リッケルト村全体がこの馬車駅広場にすっぽりと入ってしまうと思えるほどだ。

「ほら、あそこの小高い丘に見えるのが領主の別荘よ」

 スティフィが少し意地の悪い表情を浮かべて、海とは反対側の丘に建てられている、ミアから見たらお城としか表現ができない建物を指さしてそう言った。

 白い城壁で囲まれたその建物は、実際ミアでなくても城に見えなくもない。ただ外見こそ良いものの城としては機能はしておらず、仮に戦にでもなれば一番最初に攻め落とされそうな外側の位置に建てられている。

 とはいえ、現状では人間同士での大きな争いは神々により禁止されているためそのような心配もない。

 それにあの建物はあくまで別荘なのだ。

「え? 別荘なんですか? あんなお城みたいのが?」

 ミアの目から見ると、別荘と言われてもとても綺麗な城に思えてしまう。

 そもそも、ミアにとってお城なんてものは、本の中の挿絵でしか見たことのない様なものだ。無理もない。

「あっ、多分勘違いしてるとおもうけど、ここ、首都じゃないからね?」

 ただただミアが呆けているだけでからかい甲斐がないスティフィは、からかうネタを探すためにミアに話しかける。

 この様子ならミアがこのリグレスをこの領地の首都と勘違いしていることもありそうだったからだ。

 が、

「そもそも首都という言葉があんまり理解できてません……」

 と、ミアが答えると、スティフィも毒気を抜かれた様な表情を見せる。

「ああ、そう、そこからなんだ」

 スティフィも若干驚きつつ、辺境中の辺境で育てばそんなものかもしれないと納得はする。

 ただそのことでからかったりはしない。

 下手にミアの故郷のことでからかうと、ロロカカ神関連のことが含まれていた場合、ミアの本気の怒りを買ってしまう場合があるからだ。

 そうなったミアの怒りをおさめさせるには、ロロカカ神が如何に偉大かという話を延々と聞かなければならない。

 しかも、その話をてきとうに聞き流そうとするものなら、再び最初っから永遠とでも繰り返されるのだ。

 ある種の拷問のようなことを乗り越えなくてはいけなくなる。スティフィもそれは避けたい。

 ミアは故郷のことを嬉々として話してはくれるが、それをからかうようなことをする事だけは、スティフィももうしないと心に誓っている。

「限られた環境の村で暮らしていた私をあまり見くびらないでください」

 ミアは自慢げにそう言うが、スティフィやマーカスにはなにが自慢なのかまったくわからない。

 ジュリーは若干わかってしまう気がするが、それに対して何か述べるつもりもない。

「いや、見くびってはいないというか、よくわからない言い回しなんだけど。ミアって本当に世間知らずなのね。あんなに勉強はできるのに」

 ミアが優秀だとは知っていたが、学院の試験で一つとしてミアに勝つことができなかったことに、スティフィも驚いている。

 しかも、ミアは試験の当日にも山に薬草を取りに行き、その下準備をしてから試験に臨んでいたし、なんなら試験勉強をしていたのを見たこともなかった。

 スティフィはそんなミアを見て、必死に試験勉強してその結果でミアをからかおうと、その一心で頑張っていたがまさか一科目も勝てないとは思ってもいなかった。

 ミアの優秀さ、特に記憶力には目を見張るものがある。

「私も世界の広さを今実感しているところです」

 ミアはしみじみとスティフィにはわからない何かをこの馬車駅から感じ取り、都会という物の一端に感動しているようだった。

「どうします? まだ時間もあるし都観光でもしていきましょうか?」

 いつまでたっても馬車駅広場から動こうとしないミアに、ジュリーが声をかける。

 ミアの持っている特賞の券がある限りは、ここの乗合馬車も乗り放題とのことだ。

 普段なら移動にも馬車賃がかかるところだが、それも気にする必要もない。

「お、お願いします!」

 と、ミアは目を輝かせて色々と見て回る気満々でいる。

「とはいえ、私もそれほど詳しくはないのよね」

 スティフィは何度か来たことのある都市だが、この都市は広すぎる。

 都市の一番外側にあるこの馬車駅から港まで行くのに、ここからシュトゥルムルン魔術学院まで行く時間の半分ほどの時間が掛かる。

 街中を走るので馬車の速度はそれほど出せないとはいえ、驚くべき広さであることは間違いはない。

 数度来ただけで案内できるような場所でもない。

「私もただの学院に行くときに寄っただけでしかないですね。たしかマーカスさんはこの領地の出身じゃなかったでしたっけ?」

 少し困り顔のスティフィを見てジュリーが助け舟を出す。

「そうですが、地元じゃないですよ。もっと田舎で育ちましたよ。海沿いではなく山沿い出身ですね。まあ、何度か来たことはありましたが。観光もいいですが、今日泊まる宿も決まっているんですよね? 先に宿の確認だけは済ましておきましょう。いざ、日が暮れてから向かって泊まれないでは、話になりませんし」

 マーカスは旅慣れているのか先に宿に行くことを提案してくる。

 そして、全員その意見に賛成するように頷いた。

「はい、指定されています! 予約も入っているはずです」

 ミアはそう言って鞄から、渡された書類を取り出す。

 そこにはリグレスで泊まる宿屋の名前と住所、その付近までの案内図、そして今日の日付が後から書き込まれている。

「なんてところ?」

 スティフィはミアと距離を取りつつも気にはなるのか、ミアの覗き込んでいる書類をどうにか見れないかと試行錯誤している。

「この馬車駅から結構遠いですね、海の大渦亭っていう宿屋です」

 ミアは書類にに添付されている案内図を見てそう言った。

 その地図を見る限りは、かなり海寄りで大いなる海の渦教団の大神殿にほど近い位置にあるようだ。この馬車駅からはかなりの距離がある。

 日が暮れるころには乗合馬車はなくなるので、先に移動しておかなければたどり着くのも大変だっただろう。

「げ、大いなる海の渦教団の直営店じゃない……」

 その宿の名を聞いて、スティフィは嫌な表情を隠しもせずに浮かべる。

 デミアス教にとって、太陽の戦士団、大いなる海の渦教団、輝く大地の教団の三大教団は仇敵だからだ。

 神々の名の元に古来より休戦状態ではあるが、お互いに敵と定めていることは変わらないため、その確執は想像以上に深い。

 今、スティフィは見た目だけでデミアス教徒だとわかるような恰好はしていないので、デミアス教徒とばれなければ問題はないだろうが、それでもスティフィにはあまり良い気はしていない。

「となると、特賞の出どころは、ウオールド老ですかね。それは置いといて、海産物の炭焼きが美味しいと評判の宿屋ですね」

 スティフィとは逆に、元とはいえ太陽の戦士団の信奉者だったマーカスは、その宿に親近感を抱く。

 そしてミアは、

「海産物! 私、あんまり食べたことないんですよね、楽しみです」

 と、あまり口にしたことのない食べ物に興味津々だった。

 ミアの故郷リッケルト村は山に囲まれた場所にあるため、海の幸とは無縁だった。

 シュトゥルムルン魔術学院へ向かう途中何度か見かけることはあったが、海産物は獲れる場所が場所だけに、とても高くミアの持つ路銀ではそれを買うことなどできはしなかった。

「確か、栄螺の壺焼きが名物ですね。一度中身を取り出して切り分けて、香草と香油、それと塩とニンニクを入れて、最後に葡萄酒をちょろっと垂らして殻ごと焼いた料理です。一度別の場所でですが食べたことありますが美味でしたよ。旬の時期ではないはずですが、今の時期でも食べれると思いますよ」

 マーカスが自身の記憶を基に語りだす。

「栄螺?」

 ミアは聞きなれない言葉に首をかしげる。

「貝の、巻貝の一種で、こぶし大くらいでトゲトゲした殻を持っていますね。大いなる海の渦教団では、巻貝は縁起物の食べ物とされてるんですよ、なので名物にもなってるんですよ」

「巻貝ですか? 私はカワニナとかタニシくらいしか知りません。後は小さすぎて名前も分からない奴らばっかりです。こぶし大ってことは、かなり大きいんですね」

 リッケルト村の用水路にもいた食べれる巻貝を思い出すが、こぶし大の巻貝などミアは見たことはない。

 カワニナはともかくタニシは美味しかった記憶がある。

 ならきっと栄螺とやらも美味しい物だとミアはまだ見ぬ、いや、まだ食べぬ海産物に思いをはせている。

「そうですねぇ、海の生き物たちは川や湖の生き物と比べて大きく育っている気がしますね。海が広いからでしょうか。巨大な生物、浪漫ですねぇ」

 マーカスはしみじみとした表情で何かを思い浮かべるようにそう言った。

「海、海ですか…… 遠目では見たことはあるんですけど、危ないからと近づかなかったんですよね。でも、海の水はしょっぱくて塩が獲れるっていうじゃないですか! 塩…… お塩…… 必需品の割に高いんですよね」

 海に対してミアの認識は塩が獲れる物凄く広い湖、と言った印象だった。あと人間の住むべきではない危険な場所と聞いている。

 それに加え、海で取れる食材の値段は妙に高いという印象しかない。

 値段が高い理由も納得できるものではあるが、海産物は普段のミアがおいそれと手を出せるものではない。

 けれど、そのミアの発言を聞いて、スティフィがニヤリと笑う。

「海の謎って奴よね。確かに本ばっかり読んでるミアが勘違いしそうなことよね。昔の文献なんかだと海は塩っ辛いって言われてるけど、実際はそれほど塩っ辛くないのよ、知ってる?」

 スティフィがからかうように笑みを浮かべながら、ミアに向かって話しかける。

 人、特に最近ではミアを、からかうことが大好きなスティフィがもっとも活き活きした顔を見せている。

「え? そうなんですか? 確かに塩辛いっていうのは本で得た知識でしたけども。あと本を読みだしたのは学院に来てからですよ、リッケルト村にはそもそも本だなんて高級品はほとんど存在しないですよ」

 ミアもからかわれることに既に慣れてしまっているのか、そのことで怒りもしない。

 驚いた表情を見せるだけにとどまっている。それはスティフィがからかうときは、嘘を言ってからかうのではなく、ミアが勘違いしていることに対してからかうからだ。

 その結果ミアは、新しく本当のことを知れた、と感心することの方が今は多い。

 不思議とスティフィもそれで満足してしまっている。

 傍から見ると仲のいい友人同士がじゃれあっているようにしか見えない。

「最初期は酸っぱくて、古代の海は塩辛かった、って話ですね。将来的にはまた塩辛くなるとも言われてますね。これは神々からの話とも照らし合わせて事実だと思います。でも今は確かに、それほど塩辛くはないという話ですね。一応はしょっぱくはあるそうですが。まだ全く取れなくなったわけじゃないらしいですが、年々海から塩は取れなくなってきているっていう話も聞いていますね」

 海は確かに精霊の領域だが、この世界にも塩田という物はある。

 それは本当に海が精霊の領域となるのは、沖に出てからの話だからだ。

 なので、海岸や干潟、浜辺などで漁や塩田といった物もできなくはない。

 ただ海岸沿いや浜辺でも海の精霊に襲われた、という話もよく聞く話だ。

 海という場所に近づくなら、やはり海神の加護を用意しておいた方が良いことだけは確かだ。

 話は戻って、塩田は海の水の水分を蒸発させて塩を作るものだが、その効率は年々落ちてきているとの話だ。

 ただこれは余り問題視されていない。

「え? じゃあ、塩はどんどん値上がりするんですか?」

 ミアは驚いているが、実はこの世界の塩の値段は需要と供給から決められていない。

 塩に関する神々が年に一度集まり、その値段を決めていて、それが神託として人に告げられるからだ。

 人はそれに従っているので、塩が獲れなくなったからと言って値段が上がるようなことはない。

 ミアが先ほど塩が高いといっていたのは、ただ単にリッケルト村が貧乏なだけの話だ。

 また不思議とどんなに塩が海から取れなくなってきても塩不足になるようなことはない。どんなに塩が獲れないときがあっても、なぜか塩の流通は古来より安定しているという。

 神々が生活に必需品の塩の流通を人知れずに管理している、とも言われている。

 そのことを知っているマーカスは、

「どうなんですかねぇ」

 と笑って見せる。続けて、

「噂でしか聞いたことないですが、沖の方の海水はまだ随分と塩辛いと聞いたこともありますし」

 と話す。

 そのことは事実で、沖の海からとって来た海水は、岸部付近の海水と比べて大分塩辛い。

 これは海の精霊達が、川から流れ出た水を沖へ沖へと遠のけるから、と言われている。

 ただし海に属する精霊は、人間の問いかけには応えないのでその真偽は不明のままだ。

「海、謎ですね……」

 ミアがしみじみと答える。

 その様子がどうもミアの年齢にあっていなく、年老いた老婆のような仕草だったので、スティフィはプッと噴き出している。

 ミアがそのことに気づくと延々とミアとスティフィでじゃれあいだすので、マーカスがミアがそれに気づかないようにミアに話しかける。

 マーカス的には早く宿の確認をして欲しいと思っているからだ。

「海自体が危険な場所ですからね、そうそう調べに行くこともできないんですよ。さあ……」

 それを聞いたミアがふと疑問に思っていたことを口にする。マーカスはそう言った後、早く宿へ向かうことを提案するつもりでいたが、ミアの疑問に遮られてしまった。

「そんな場所で水浴とか大丈夫なんですか?」

 海が、海に属する精霊の領域と知っていれば当然出てくる疑問だ。

 むしろ、この旅行に出る前にその疑問を聞かれなかった方が不思議に思うほどだ。

「そのための水着なる服を、スティフィに渡した券で貸してくれるそうですよ」

 どんな服なのだろうとマーカスも疑問に思うがそれほど気にしないし、師匠から貰った券では三人までしか貸し出されないそうなので、マーカスの分まではない。

 水浴びはどうでもよかったが、海の生物の方には興味があってそれを間近で観察できないのはマーカスも少し残念に思っているくらいのものだ。

「神の加護がついた服って話よね。お貴族様たちはなんで好き好んでそんなことするのかしらね」

 スティフィはそう言って、一応は貴族であるジュリーを睨むように見る。

「私をそんな目で見ないでくれますか? 少なくとも我が家ではそんなことをする余裕は全然ありませんよ」

 心外とばかりにジュリーは反論する。

「でしょうね、学院に態々学びに来ているくらいだしね」

 スティフィはあっさりその反論を受け入れる。

 貴族であるならば、普通は学院では学ばずに基本専属の魔術師を雇いその者に習うからだ。

「うちはもう農民とそう変わりませんよ。父も暇さえあれば畑仕事してますし。なんなら学院で生徒として暮らしていくほうが豪勢な生活を送れてるくらいですよ」

 ため息交じりにジュリーは愚痴のようにその言葉を吐き出した。

「難儀なんですねぇ」

 マーカスも半笑いではあるが、ジュリーに同情する。

「今回は福引の賞品で費用も掛かりませんから楽しんでください」

 ミアもジュリーにそう声をかける。

「ミアさん、今回は誘ってくれて本当にありがとう、こんな贅沢滅多にできないですよ」

 ジュリーは心の底からミアに感謝し、この旅行を楽しもうと心に誓う。

 一旦話が落ち着いたと判断したマーカスは今度こそ宿へ向かうことを提案する。

「まあ、道端で話しているのもなんですし、一度宿屋、海の大渦亭に行ってから決めましょうか」

「そうですね」

 ミアも同意して宿の方に行くための乗合馬車を探し始める。

 魔術学院からくる道の景色は変わり映えもなくつまらない物だったが、街中を走る馬車から見る景色は、ミアにとって驚くべき風景でありはしゃぎまわるミアに付き合わされるスティフィは宿に着くころには、疲れ果てていた。


 海の大渦亭はかなり大きな宿だ。

 大いなる海の渦教団の直営店なのでまず資本力が違う。かなり豪華な作りとなっている。

 ミアとジュリーがこんな豪華な宿に本当に泊まれるものなのかと、あたふたしながら、この旅行の書類を持って宿の受付口に持っていくと、

「おお、あなたがミア様ですね」

 その書類に目を軽く通した宿屋の受付係がそう声をかけて来た。

「え? ど、どういうことです?」

 訳も分からずミアがそう聞くと、

「いえ、福引の当選者と言うことで、既に話は伺っております。またウオールド神官長から丁重にもてなすようにとも話が来ていましたので」

 受付係にはニッコリと品の良い笑顔でミアを安心させるようにそう言った。

「もしかしてさ、ミアが福引で特賞あてたのって、実は偶然じゃなかったりする?」

 その様子を見ていたスティフィがミアの肩越しに声をかけ、受付係の反応を見る。

「いえいえ、福引で不正などできる魔術など聞いたことありませんよ」

 落ち着いた様子で受付係はそう答えるが、スティフィは更に追い打ちをする。

「魔術じゃなくても不正くらい…… そういえば、あの福引の店員、よくよく思い出せば、大いなる海の渦教団の教団員だったわね」

 スティフィがミアが福引を引くときのことを思い出していた。

 妙にミアよりもスティフィの方をじろじろと見てきていた。それでスティフィも福引の店員を注意深く見てみたら大いなる海の渦教団の教団員がよくしている首飾りをしていたことを思い出す。

 自分がデミアス教徒だったから、その店員もスティフィのことを見ていたのかもしれない。と、その時は考えていたが、ミアの護衛役であるスティフィを警戒してのことだったのかもしれない。

「え? エルセンヌ教授だけでなくウオールド教授まで本当に動いてるんですか?」

 ジュリーが驚いた様に声を上げる。

 ジュリーのみ、ミアが門の巫女という世界に関係する巫女という話を、詳しく聞かされていない。

 ジュリーの中では、実はミアはなんかすごい巫女で教授たちが取り合いをしている、という認識しかない。

 それはそれで間違いではないが。

「なるほど、それを目ざとくも知った師匠が一枚噛んで来たと…… それならまだわかる話ですね、海水浴券を渡してくるのが絶妙すぎると思っていたんですよね」

 マーカスも腑に落ちたという感じだ。

「そ、そうなんですか? そうだとすると、なんだかすごい悪いことした気分なのですが?」

 ミアが不正に福引を当てられたという事であれば、なんだかいたたまれない気持ちに苛まれる。

 その様子を見て受付係が顔色を変える。

「い、いえ、そんなことはないですよ。そもそも魔術学院の福引で不正できるわけないじゃないですか。あそこの学院長は法の神の信徒なんですから」

「それは…… そうね。あの学院長がそんなこと許すわけはない…… か」

 その言葉はスティフィも納得させる。

 法の守護者たる、カストゥール教の信者である学院長がそんな不正を許すはずはない。

 特にクジや福引と言った運要素が絡むもので、学院などの公的機関が提供するものには特に厳しくその目を光らせている。

 ミアに旅行券を渡したいだけなら、福引という運要素が絡み、さらに学院長の目に触れる事があるような危険な手段を取るのは割に合わない。

「ですよ」

 と、受付係が念を押す。

「いや、師匠が一枚噛んだんではなく、元からウオールド老と結託して企んでしたとか? 師匠は確か、いい実験になるかもしれない、と言っていたんですよねぇ」

 副学院長でありながら、どこか胡散臭いウオールド老と呼ばれる老教授は、確かにオーケンと少し似通ったところがあると、マーカスは思う。

 仇敵同士だが、裏で何か取引をしていてもマーカスは不思議だとは思わない。

「ミアが海で水浴びすると何か起こるって言うの? だったら、福引だなんてことせずに直接渡せばいい話よね?」

 スティフィはそう判断する。

 それに、福引などという手段を使わなくとも、世間知らずのミアを丸め込むのはそう難しいことではない。

 特にロロカカ神が関わらないようなことであるのであれば、ミアを納得させるのはそう難しい話ではない。

 魔術学院の教授であるような人間であれば、誰でもできるような事だ。

「そうですよ、そんな回りくどいことするわけないじゃないですか」

 と、受付係は困り顔でそう言うと、

「いえ、大いなる海の渦教団ですよね? 回りくどいこと大好きじゃないですか?」

 ジュリーまでもが話に入り込んで来る。

 同盟を組んでいる輝く大地の教団の信者にまで、そう言われて受付係も困った表情を浮かべる。

 実のところ、この受付係は何も事情を知らない。知っていることはウオールド神官長から、福引で当たった生徒は色々と苦労してるから労ってやって欲しい、と言われただけだ。

 あとは、学院に提供された旅行券は実はティンチルの海水浴支援団体から提供された物で実はそれほど詳しくは知らなかったりもする。

 受付係からしても困惑するしかない話だ。

「いえいえ、なるべく多く人で縁を紡いで行くというのが教義ですので、回りくどいとか言うのはちょっと……」

「す、すいません」

 そう言われて、ジュリーは素直に謝った。

 そして気づく。少し周りにあてられて、なにかミアを中心に何かしらの陰謀が渦巻いているのではと、勝手に飛躍して考えてしまっていたことに。

 確かに偶然が重なったのかもしれないし、そもそも、陰謀と言われると少し大げさな感じだ。

 結局はただの避暑地への旅行で、それに海水浴という珍しい娯楽がついただけの話だ。

「実際のところ、どうなんですか?」

 ミア当人も困惑しているようで、じっと受付係の人の目を見つめてそう聞くと、

「そもそもが違いますよ。あの特賞は、確かに大いなる海の渦教団から学院に提供されたのは確かですが、それは元々ティンチルの海水浴支援団体から要請があってのことで……」

 と、案内係も困り果てて本当のことを話し出した。

「どういうことです?」

「さあ? 私も詳しくは…… ただ私の知る限り不正などはない、という事だけは断言できますよ。ささ、このご旅行を心からお楽しみください」

 ミアから見ても案内係が嘘をついているようには見えない。

 そもそも案内係が嘘を言う理由もないし、真相を知っているわけでもない。

「そうですか、わかりました」

 ミアはどうも腑に落ちない、と思いながらも、不正はない、という言葉は信じたようだ。


「実際どう思います?」

 リグレスの港周りをてきとうに観光し、夕食を食べ終わったミア達一行は客室へと戻り一息ついていた。

 ついでに本来は二人部屋が二部屋だったが、マーカスが一部屋使い、もう一部屋を、ミア、スティフィ、ジュリーの三人で使うこととなった。

 寝台も別の寝室から運び込まれ少し手狭にはなったが、それでも綺麗で広い室内は満足のいくものだ。

 観光を楽しみ、今まで食べたこともない様な豪華な海の幸が贅沢に使われた食事を存分に味わった後に、聞くのもどうかと思いつつもミアもどこかもやもやした気持ちを声に出した。

「わかんないわね。仮にウオールド教授がなにか企んでいたとしても、それにオーケン大神官が一枚噛んでいるとするならば、私はこの旅行を辞めることは逆にできない立場だし」

 スティフィは何か諦めた様にそう言った。

 表向きオーケン大神官は第五位の大神官で、ダーウィック大神官は第六位の大神官なのでデミアス教的にはオーケン大神官の命を優先させなければならない。

 だが、スティフィの気持ち、というか、欲望はダーウィック大神官に付きたいと強く思っている。

 しかも、第四位のクラウディオ大神官の命もそれを後押ししている。

 だから、オーケンからはダーウィックの犬などとスティフィは言われている。が、それでもその意思を蔑ろにできるわけではない。

「私は連れてきてもらっている立場なので……」

 と、ジュリーは遠慮がちにそう言った。

 ただできれば旅行をやめないで、と顔に書いてある。

「もし不正に私が選ばれたとして、それはどうしてでしょうか」

 ミアが寝台に横になり、宿屋の天井にぶら下げられている煌々と明かりを放つ角灯を見ながら言った。

「んま、門の巫女、その候補に恩を売っておきたかったとか?」

 スティフィがそう言いつつも、あのウオールド老と言われる老教授がそんなことするのか、と疑問に思う。

 大いなる海の渦教団の神官長と言うことを考えれば、確かに回りくどく手の込んだことをしてきそうなので否定はできない、だが学院長の不興を買うようなことをするとも思えない。

「でも今はこうして、不信感を抱いちゃっているわけですけど……」

 ミアはそう言って頬を膨らませて不満げな表情を浮かべた。

「でも、ウオールド教授はここの大神殿の神官長も務めている人ですよ。そんなことしてくるでしょうか」

 ジュリーは冷静になりさえすれば、何らかの不正があったという話には懐疑的だ。

 そもそも、そんなことをする理由がわからない。ミアの事情を深く知らないジュリーにしてみればだが、確かにミアは優秀な生徒だとは思うが、教授たちが取り合うほどかと言われればそんなことはない、と思っている。

 実際のところは、ミアはこの停滞していた世界を動かす鍵となる巫女なので、どの陣営も引き入れたいと思っている。

 そのことをジュリーはまだ知らない。なんだか上位種に認められるようなすごい巫女としか考えていない。

 もちろんそれでも十分に凄い事なのだろうが、生きることに必死で真面目ではあるが実は信仰心が低いジュリーからしてみると、よく理解できない話だ。

「じゃあ、やっぱりすべてが偶然だった、というの?」

 スティフィは自分でそう言いつつ、福引が当たるだけならまだしも、その行先での海水浴券が同時にもたらせられるなどと言うことは、流石に出来すぎだ。

 しかも、あのオーケン大神官が絡んでいる。なにか裏にない、という方がおかしい。

「確かに少し出来すぎている気がしますが、ウオールド教授ならそれほど悪い結果にならないのでは?」

 ジュリーもウオールド教授は胡散臭い、とは思ってはいるが、一応は正義と秩序を重んじる光の勢力の神官だ。

 何か企んでいたとしても、それが悪いこととは思えない。

「いや、確かにウオールド教授だけならね、オーケン大神官が一枚噛んでいるのよ? 何か起きない訳ないじゃない?」

 それに対してスティフィは、冗談じゃない、とばかりに必死な表情で反論する。

「スティフィさん、自分のところの大神官よね?」

 余りにも必死で圧が強かったので、ジュリーはなんで自分のところの大神官に対してそこまで言えるのか疑問に思う。

「歩く厄災とまで言われる伝説の大神官よ? 何か起きないはずがないのよ」

 そう言われて、ジュリーもそんな人だったのかと、今更ながらに思う。

 ジュリー的にはまだ直接会ったことないので、実感がまるでない。

 聞いた話ではサリー教授の父親だと言うことらしいことは耳に届いていてはいる。

 後は、不幸の女神に愛されている大神官、という話も、スティフィからだけれども、聞いている。

 そして、不幸の女神に愛されているからこそ、厄災を周囲に振りまくのだとも。

「ああ、実はそれも含めての実験だったりして?」

 ジュリーはなんとなく思い当たる。

「どういうこと?」

 と、スティフィからすぐに聞き返される。

「実は全部ただの偶然で、その不幸の女神でしたっけ? 大神官もどの程度、影響がでるかの実験とかだったりして?」

 ジュリーは自分で言いながらも無理がある、と言うことは自覚している。

 なので、ちょっとした冗談のつもりで言っただけだ。

「そんなことは、ない…… とも言い切れない…… オーケン大神官が何考えてるんかなんてわかるわけないし」

 と、そう言って悩み込むスティフィがそこにはいた。

「わかりました」

 茫然と僅かに揺れる角灯を見つつその会話を聞いていたミアは決心する。

「ミア?」

「この旅行を途中でやめるのだなんてもったいないので存分に楽しみましょう! 栄螺の壺焼き美味しかったですし、都のパンはなんか硬かったですが、あれはあれで美味しかったですし」

 そう言ってミアは豪華な食事のことを思い出す。

 もうおなかに入らない、と思うくらい食べたのにもかかわらず、また食べたい、と思うくらいには美味しかった。

 それに、もし仮にだけれども、自分に恩を着せるために不正が行われたというのであれば、恩を感じなければいいだけだ、とミアは判断した。

 自分に良くしてくれているジュリーも楽しみにしているようだし、海で水浴びをする、ということ自体もミアからすると楽しそうに思える。

 ならば、十分に楽しんで、その上で恩に感じなければ良い。それだけの話だとミアは思うことにした。

「それでこそミアよ、欲望通りに生きましょう!」

 ミアの言葉に、スティフィは共感する。

 欲望に忠実に生きてこその人間、というのがデミアス教の教えだ。

「う、うーん、まあ、私から言えることはないですから」

 なんとも言えない表情を浮かべてジュリーも内心ほっとしている。

 この旅行は、ティンチルについてからが本番なのだ。

 ティンチルは貴族の避暑地としても有名な場所だ。豪華な食事に海水浴という未知の娯楽。

 貴族なのに貧乏で苦労してきたジュリーにとっては体験しがたいものだ。

「そうよ、連れてきてもらっているだけなんだから」

 と、スティフィはジュリーを完全に下に見てそう言った。

「それはスティフィもじゃないですか」

 すぐにミアは突っ込まれるが、そう言われたスティフィは本当に驚いた表情を見せた。

「そう言えば、そうだった。あれ? 私知らないうちに、私の方がミアに依存し過ぎてる……?」

 絶望のような表情を浮かべたまま、スティフィが固まる。

「明日は朝一番の馬車に乗るんです。もうお風呂入って寝ましょう。うだうだ考えても仕方ないですし、今はこの旅行を楽しみましょう。私に不正までして恩を着せたいって話なら、恩に感じなければ良いだけの話です!」

 なんでそんな表情を浮かべているかわからないミアはスティフィの顔をまじまじと観察しながらそう言った。

「そ、そうね。どうせなるようにしかならないんだし」

 スティフィはゆっくりと表情を戻して、無表情でそう言った。

 ミアを自分に依存させるつもりでいたのに、気づけば自分がミアに依存しつつあったことを自覚してしまいスティフィは驚いていた。

「確かにそうですね。この宿にもお風呂あるんですか?」

 ミアがあんまりにも当然とばかりに言っていたが、ジュリーにはこの宿に、お風呂場があるとは思えなかった。大きい宿だが湯を大量に沸かすような施設は見当たらない。

「え? ないんですか? 学院にだってあったじゃないですか?」

 ミアが何を基準にしてそう言っているかはわからないが、学院にあるのは公衆浴場だ。

 教授たちの個人宅でもない限り、お風呂場があるような家は学院にもない。

「いや、普通はないわよ。ただ、ここは高級宿のはずだしあってもおかしくはないけど……」

 とスティフィも答える。

「そうなんですね。私、都会は全部お風呂付だと思ってました……」

 ミアは不思議そうな表情を浮かべてそう答えた。

 都会に対するミアの想像が、必要以上に高まっている、そんな気がする。

「どうします、公衆浴場はあると思いますが、有料ですよ。それも学院のほど安くはないと思いますよ」

 ジュリーはそう言いつつ迷う。

 懐に余裕があるわけではない、が、明日海水浴なるもの体験するとなると、体を少しでも綺麗にしておいた方がいいのではないかと考えたからだ。

「まあ、宿の受付係さんに聞いてみましょう」

 聞いた結果、この宿屋にはないが、大いなる海の渦教団の所有している公衆浴場が近くにあり、それを無料で利用できるとの事だった。

 



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