004 ギルド職員の憂鬱


 報酬を貰ったので、ギルドの宿舎で借りている部屋に戻って俺は【携帯鞄Ⅰ】と【武器庫Ⅰ】の中身を取り出し、中身を確認していく。

 剣に鎧、盾。国から貰った勇者の証。火口箱に炭、ロウソク、ランタン、松明、砥石、ナイフ、コンパス、鏡、服に下着に靴下、布切れは多めに。粉石鹸、歯ブラシ、歯磨き粉、爪切り、耳かき。緊急用の回復薬と解毒薬。ただし高価な水薬ポーションではなく、軟膏の回復薬と、ここらでよく見る毒に効く解毒の丸薬だ。あとは補修用の鉄塊とオーク皮。都市周辺の地図。ギルドの資料室にあった各ダンジョンのマップ。様々なこの世界でのことを書き記したメモ帳と日記。白紙の紙の束。炭に布を巻きつけた鉛筆のようなもの。ロックピックツール。ロープ、中折式のスコップ。水筒二つ。バケツ。フライパン。食器。オリーブ油に固形脂、塩と砂糖、胡椒。堅焼きビスケット。干し肉の塊。チーズの塊。ドライフルーツ入りの瓶。小さな瓶入りの野いちごのジャムとベリーのジャム。小樽に入れたブランデー、小樽に入れた飲料水。物品保存用のスライムシートの束。針と糸に鋏。あとは椅子にテーブル。どちらも折りたたみ式。厚手の毛布が一枚。雨除けの外套。野草・茸辞典と魔物辞典、総軍教本写本。

(結構揃ってるな。あとはテントを買うだけでいいか?)

 というか、道具を減らす必要があるかも? 広げてみたがこれで携帯鞄Ⅰの容量の五割程度を使っている。それとも携帯鞄がⅡに強化されて容量が増えるのを待つか?

 嵩張る本は売ってしまうか? いや、野草・茸辞典は野外活動で必須だし。魔物辞典があれば生物の構造が載っているし、金になる部位もわかるから、ダンジョン外でモンスターに遭遇し、野生のモンスターはドロップ品を落として消えないし、討伐したときの解体が楽になる。そして総軍教本写本は俺のバイブルだから絶対に処分できない。

「うーん? 使うんだよな。どれもこれも」

 敷いて言えば炭がいらないかもしれない。燃料なら出先で枯れ枝を集めればいいからな。

 でも教本によれば、炭を燃やせば煙が立たない火になるし、食べれば整腸剤として使えるし、砕けば歯磨き粉にもなる。あとは水の濾過装置にもなる、とあった。

 小樽入りの酒を瓶の酒にすべきか? 買ったときは瓶より樽の方が安かったんだよな。異世界なら元高校生の俺でもたくさん飲めるかな、と思ったけどあんまり飲まないし。まぁ酔っ払えば、いい気分になるのは否定しないが。

「コーヒーでもあればいいんだけどな」

 砂糖とミルクをたっぷり入れて飲むみたいなことはこの世界ではできていない。

 総軍教本に載ってた薬草茶でも作ってみるかぁ? と所持品を眺めながら考える。

「あ、釣り針が欲しいな」

 糸も必要だな。針と糸があれば川で魚が釣れるかも。あとハンマーが必要か。テントを買ったときにハンマーがあった方が楽だろう。ペグを打つときに石で十分かもしれないが、ハンマーがあれば楽だな。あと釘も欲しいか? いや、鉄でなくとも木釘ぐらいなら現地で作ればいいか。

「あと鍋か薬缶か。フライパンでお湯を沸かすのはめんどくさそうだしな」

 いろいろ考えると楽しくなってくる。キャンプの前日みたいだ。

 ただしこれだと物を減らすどころではない。携行鞄が埋まりそうだ。さっさとⅡに変化して欲しい。【アイテムボックス】か【魔法の鞄マジックバッグ】があれば悩む必要はなくなるんだが、そんな貴重なスキルや魔導具は手に入らないしな。あるもので頑張るしかないのだ。

「とりあえず、ギルドの売店行くかぁ」


                ◇◆◇◆◇


 ギルドの売店を担当する受付嬢はその青年が現れたときに、どきりと揺れる感情を抑えて、努めて冷静な顔でそれを眺めた。

(勇者レイジ様だ)

 黒髪黒瞳に、彫りの深い顔立ちをした凄まじい美形の青年勇者だった。

 オリエンタルな容貌に、楽しげな感情を載せて商品を眺めるその姿を見るだけで受付嬢は気分が高揚するのを感じる。

 受付嬢としてはあの美しい男を食事にでも誘ってみたいし、休日に一緒に遊んだりもしたいのだが、ギルド職員側から声を掛けることは禁止されているので誘うことはできない。

 友人関係になれば別なのだが……レイジはギルドの美人受付嬢などに声を掛けるタイプではなく、受付嬢は事務的な関わりを持つだけになっていた。

(レイジ様、今日は何を買うんだろう)

 いつものように装備補修用のオーク皮や金属だろうか? 受付嬢は何を頼まれてもちゃんと対応するぞ、と内心で気合を入れ、外見はそうと見えないように身構えた。

 レイジは売店に入ってきて、商品を眺めている。

 あれが欲しいこれが欲しいと考えている顔をしている。魔導具の棚を見て、物欲しそうにするも値段が高くて買えないのだろう。諦めた顔をして、別の棚に移動していく。

(欲しいから譲れって言えば譲れるのにな)

 いくつか書類を書く必要はあるが、魔導具ぐらいなら勇者特権でいくらでも渡すことができるのに、レイジはその特権を使おうとしない。真面目な男だな、と受付嬢は思いながらも多少は支援させてほしい、と悲しい気分になる。

 異世界から来て、この世界のために戦ってくれているのだ。ここの商品全てを渡したって、レイジに対して報いたとは言えないのだから――それに多少でも支援しないと、ギルドとしても立つ瀬がなくなる。

(ただ、無理やり渡すのも、特権を強要して使わせるのも駄目。それは、ギルドと勇者の癒着を防止するため……なんだけど)

 内心のみで呻く。ただただ、もどかしい・・・・・

 受付嬢の傍にあるガラス張りの商品棚に飾られている魔導具などがあれば、レイジが苦戦していると聞くオークの階層も突破が楽になるのに……。

 【怪力】や【俊敏】のスキルを付与する魔導具の指輪。【火球】や【雷撃】の攻撃魔法を発動させる魔導具の腕輪。

 これら探索に有用な魔導具はだいたい金貨100枚から500枚程度で購入できる。

 高価なアイテムだが、レイジが勇者特権を使えば問題なく無料で貸与することができる。

 なぜならレイジは勇者なのだから。レイジのレベルアップが早ければ早いほど、この世界の住人は助かるのだから。

 なのにレイジは頑なに勇者特権を使おうとしない。使って欲しい。支援させてほしい。店頭には並べていないが、レイジのために高価で強力な魔導具を仕入れてあるのだ。それさえ使えば廃宮廷ダンジョン程度ならば四層だってソロでクリアできるような強力な魔導具である。頼むからねだってくれ、美しい人よ。いくらでも渡してあげるから。ついでに食事にも行こう。奢ってあげるから。

 というかなんであの美しい勇者はパーティーメンバーを募集しないのか。ギルドにはレイジに声を掛けられたくて堪らない、勇者の英雄譚に憧れる冒険者たちがたくさんいるというのに。

 レイジは大陸東方の小国であるヴェグニルドに数十年ぶりに追加された二人目の勇者だ。

 すでにいる勇者は聖女や剣聖などの高レベル高ランクスキル持ちとしかダンジョンに潜っていない。

 だから、レイジはこの都市の住民の期待を一身に背負っている。

 今ならば低レベルの冒険者だって協力できるのだから、一緒に肩を並べて戦うことができるのだから。

 それに貴族たちはレイジのランクが低いことを気にしているらしいが、レイジは勇者なのだ。今、弱くたって何も問題がない。


 ――だって、勇者は無限に強くなれる。


 レイジには無限の残機がある。死んでも復活して、強敵だろうがなんだろうが時間を掛けて殺してしまえるのだ。

 勇者は、戦う意思さえあれば必ず強くなれるからこそ勇者なのだ。

(だから一言、支援してくれって言ってくれれば……ッ)

 請われれば、いくらでも支援する用意がある。

 レイジが勇者特権のことを知らないなんてことはないだろう。

 この国にいる女好きで有名なもうひとりの勇者なんて、女を漁るためだけに特権を連発することもあるぐらいなのだ。それだけ好き勝手に動いている同輩の噂がレイジの耳に入らないはずがないのだから。

 しかしレイジは頑なに、自分ひとりで活動していた。

(プライドが高いのかなぁ)

 優しげな風貌をしているし、礼儀も正しいが、性格は頑固なのだろうか。

 レイジのことが知りたい。だけれど勇者の中には他者に親しげに振る舞われることが苦手な勇者もいるので、冒険者たちの方から勇者に声を掛けるのは禁止されているから、どうして一人なのかと聞くことができない。

 レイジなら、メンバーさえ揃えばオークぐらい楽勝だろうに。

 ソロで二階層を探索できるのだから、レイジ一人の実力はオークを一体倒すだけなら問題なく通用するはずなのだ。

 だからパーティーメンバーや強力な装備さえあれば、三層の突破だってできるはず――ここまで考えたところで声を掛けられた。レイジだった。

「いいですか?」

「あ、は、はい」

「これください」

 レイジが受付嬢の前に立って、商品をカウンターに置いていく。釣り針に糸、ハンマー、鍋、薬缶、タープ。

 銀貨一枚と銅貨十二枚です。と受付嬢が手早く計算して言えばレイジは薄い財布からじゃらじゃらと貨幣を取り出してお金を払ってしまう。

(一言、タダでよこせって言えばそのまま渡せるのに)

 勇者特権を使えばダンジョン攻略に必要な消耗品は自由に徴発できる。なのに、レイジはそれをしない。

 もちろん勇者の中には金を払わずに商品を貰うことを嫌がる勇者もいるので徴発を強要することはできないが、そういう勇者はもともと強力なスキルを持っていて、いくらでもお金を稼げる勇者だ。

 レイジのような銅貨十数枚が一日の稼ぎの勇者が張るような意地ではない。

 苦しいなら手伝わせてほしい。

 勇者特権を使って武装だけでも強化してほしい。勇者が鉄の剣なんて安物の武器を半年も使わないでほしい。

 鍛冶屋街に行けばレイジのためにミスリルの剣を用意しているドワーフ鍛冶がいるはずだ。だというのにレイジは一度も鍛冶屋街に行っていないという。勇者のために剣やそのほかの装備を用意したのに、顔すら見せてくれないのだとドワーフたちが嘆いていたことを受付嬢は思い出す。

 というか、レイジ様。荷物持ちぐらい雇ってもいいのでは? なんて受付嬢は思ってしまう。

 鍛冶屋街でドワーフが待っているように、奴隷商に行けば、奴隷商がレイジの訪れを待っている。

 レイジのために綺麗所の戦闘奴隷や性奴隷を用意して待っているのだ。

 勇者の傍にいれば奴隷だって強くなる。売った奴隷商の箔にもなる。ついでにこの国の国民がきちんと勇者に協力している女神への証明になる。

 だというのに、レイジは武器屋にも奴隷商にも行かない。レイジが使っている店は、ギルド併設の売店と武器屋と食堂だけ。

(レイジ様、支援させてほしいです……)

 今日も渡せなかった魔導具を頭に思い描いて、受付嬢は去っていくレイジを見送ることしかできないのだった。


 そんな受付嬢が、レイジが迷宮都市を出ていった、と聞いて膝から崩れ落ちるのはその数日後のことであった。


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