第12話 無数の腕(未来、香織視点)
三人が意を決してカフェ『茶寮』の外へ出ると、目の前に広がる光景は、彼女達にとって愕然とした光景が広がっていた。
本来ならば人の通りが多いはずの街の中は、一瞬の間で香織、未来、さくら以外の全ての人間が消失したのか、そこには無人の街の様子だけがそこにあった。
「何…本当に、誰も居ないの?」
「嘘でしょ、一体どうなっているの?」
混乱する二人は、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
左右を見渡しても、人の気配などは一切感じられず、まるで自分達が別の世界へと取り残された様な気分にさせられていた。
『本当にここ、さっきまで居た朧谷温泉街と一緒なの?』
心の中で渦巻く不安に駆られる未来は、自身の胸に手を当てながらキョロキョロと当たりを見回し続ける。
だが、彼女の不安を更に煽るかのように、無人の街の景色は耳が痛くなるほどの静寂に満ちていた。
三人は互いの手を繋ぎながら、無人の街の中をゆっくりと歩いていく。
時折香織や未来が近くの建物の窓の中を覗き込むが、やはり突如として消失したように誰一人として居ない様子だけが映し出されているばかりだった。
何処を見渡しても無人の様子が、更に三人の不安を煽っていくのを感じていた。
「やっぱり、本当に誰も居ないんだ。」
「ねぇ、外に出たのはいいけど…どこに行けばいいんだろ。」
「うーん……」と未来はさくらの言葉に思い悩む。
宛もなく彷徨う訳も行かず、彼女達は次の目的地を何処にするべきか思い悩んでいた。
「あ、ねぇねぇ未来、さくらちゃん。朧光神社にでも行けば、何か分かるんじゃない?」
香織の提案に、さくらと未来は頷いて同意した。
三人は握りしめた手を力強く結びながら、朧光神社へ向かって歩き出した。
足音が響く度に、無人の街に響くその音は不気味に響き渡り、彼女たちの心に異様な重みを与えた。
しかし、不思議なことに、彼女たちが歩き続けるにも関わらず、朧光神社への距離はまるで縮まらないかのようだった。何度も角を曲がり、道を変えながらも、神社の姿は遠くに遠ざかるばかりだった。
「どうして…? なんで神社に辿り着けないの?」
未来は困惑しながらも不安げに尋ねた。
さくらも同じく疑問を抱きながら、周囲の景色を見渡す。彼女達の目に映る街並みの景色はまるで嘲笑うかのように錯綜し、道路は思い思いに曲がりくねっているように見えた。
地図に頼ることもできない状況で、彼女たちはただただ神社を目指して彷徨い続けるしかなかった。
不気味な沈黙が街の中に広がる中、彼女達は幾ら歩いても神社に届かないこの状況に対し、次第に焦りの表情が見え始めていた。
「やっぱりおかしいよ。道が遠ざかったり、さっきの道にも戻るし…これって何か変なことに巻き込まれたんじゃないのかな。」
「目印にしていた看板も、何度も見たもんね。どうしてこんなことになったんだろう…」
未来と香織は、しっかりと手を繋ぎながらも周囲を注意深く観察するが、彼女達の目には何度も見た光景しか映し出されなかった。
次第に掴んだ手に汗が滲んでいくのを感じつつも、今この時に離してしまったら、きっと取り返しのつかない事が起きそうだと感じつつひたすら歩くしかなかったのだ。
途方に暮れながらも彼女たちは一刻も早く神社に辿り着くことを願いながら彷徨い続けた。
周囲の景色はますます歪みを増し、不気味な存在が彼女たちを取り囲むように感じられた。
ふと、その時香織は先程から沈黙を貫くさくらの様子を気にかけて彼女は振り向いた。
そこには既にさくらの姿は無く、空になった香織の手だけが宙を掻くばかりだった。
「さくらちゃん…?」
香織は声を掛けるが、誰もいない静寂の街中では虚しく響くだけだった。
突如として香織の脳裏に過ぎる、嫌な想像。
─────もし彼女が、自分達にとって理解の及ばない異形の怪物に襲われていたら…?
「さくらちゃん!」と香織は脳裏に過ぎるそんな悲惨な映像がチラつき、手を繋いでいた筈の未来の手から離れて先程の道を走って戻っていく。
その時、未来は自身の手から離れて走り去る親友の姿に気づき、その場に足を止めた。
「待って香織!今離れちゃ───!!」
自分が止める間もなく、彼女は一目散に先程辿った道を走っていく。
「香織!!!」と未来はその背に向かって声を張り上げるが、その甲斐も虚しく、彼女の姿は徐々に遠ざかっていくのを見守るしかできなかった。
香織は必死に足音を響かせながら追いかけるが、どんなに走っても彼女の姿が見えない。
心臓は激しく鼓動し、焦燥感が彼女を包み込む。
やがて香織は息が切れ、道端の壁に寄りかかるようにして立ち止まった。
涙が頬を伝って流れ落ちる中、彼女は顔を上げるとその近くにはさくらが驚いた様に目を見開いていた。
「あ、か、香織ちゃん。」
「さくらちゃん!」
悲しみから安堵に変わった涙を流しながら、香織は勢いのままさくらへと抱き着いた。
「もう急に居なくなってびっくりしたじゃない、良かったぁ…見つかって。」
「ぐ、ぐるじぃ……」
「あぁ、ごめんごめん。でも、どうして私達から離れたのさくらちゃん…」
「あぁ、さっき私達以外の人を見掛けたからつい追いかけちゃって。」
香織の心臓の鼓動が少しずつ鎮まり、さくらが無事であることに安堵する。
しかし、さくらの言葉に驚きと疑問が交錯する。
「他の人を見たの?この街で?」
香織は不思議そうに問い返すと、さくらは頷いた。
「多分、まだ近くにいると思うけど…」
さくらが辺りを見回すと、さくらと香織の居る道端からほんの数メートル程先にある、細い路地の傍らに少年が佇んでいた。
彼は白いシャツにサスペンダーを着用し、黒いショートパンツを履いた小柄な少年だった。
その仄暗い瞳がさくら達をじっと見つめていた。
さくらと香織が近づくと、少年は驚いた様に目を見開き、ゆっくりと口を開いた。
「お姉さん達、どうしてここに。」
「ねぇ君、どうしてここに居るの?もしかして、私達と同じように、迷ったの…?」
さくらは少年を安心させるように、優しい声色で話し掛けながら近づいていく。
だが、その少年は細い路地を一瞥した。
「ここ、危な」と少年が言葉を言いかけた途端、突如として細い路地から無数の白い腕が一斉に少年に向かって絡みついていく。
その場に居た誰もが反応をする間もなく、無数の白い腕は少年を細い路地の中へと引き摺り込もうとしていた。「危ない!」とさくらは少年の腕を掴み、引っ張ろうとするが、思いの外に路地から伸びる腕の方がさくらよりも強く、さくらの頭や身体を鷲掴みして引き摺り込もうとしていた。
「さくらちゃんっ!」と香織は即座に動き、さくらの腕を掴む。細い路地から見える無数の腕の先は、闇に包まれていて、どこから伸びているのか全く分からなかった。しかし今の香織にとっては、少しでも油断してしまったら、さくらと少年ごとあの細い路地の隙間に無理やり捩じ込まれてしまうと感じていた。
この細い路地は人が通るには不十分なほど細く、もし路地から伸びる腕に引きずり込まれたら取り返しのつかないことが物語っていた。
「さくらちゃん、その手絶対に離さないでねっ...!」
香織はまるで綱引きをするかのようにしっかりと足を踏み込みながら、さくらの身体を引き寄せる。
「っ...痛い、痛いっ!」とさくらは苦悶の表情を浮かべながら、それでもしっかりと香織と少年の手にしがみつく。
「ごめんね、ごめんね...でも、手を離したら連れて行かれちゃう!」
「ふっ…ぐ...うぅ……!!!」
二人の息遣いが静寂に満ちた街の中で交錯する。
路地から伸びる腕と拮抗するように引っ張り合う。
思った以上に向こうの力が強く、香織はじりじりと引っ張られながらも、守ろうとする意思だけで必死にさくらの身体を引き寄せ、さくらが少年の掴む手を添えるように一緒に引っ張り続けていた。
二人が必死になりながら少年を引っ張っているが、少年の顔は一切変わる様子も見せず、声も一切あげなかった。それに対して、さくらと香織は異様な雰囲気を感じ取っていたが、目の前の少年を見殺しにする訳にもいかない気持ちだけが彼女たちを強く突き動かしていた。
二人の体感時間的に、約五分にわたって路地から伸びる無数の白い腕との綱引きが続いていた。
「あと少し、あと少しだから…!」
玉のような汗を滲ませながら、香織は精一杯に声を張り上げる。その瞬間、突如として細い路地から伸びていた腕の中の一本が少年の手からするりと離れていく。
「今だ!」とさくらはその一瞬を見逃さず、声を掛けると、香織とさくらは呼吸を合わせて力一杯少年を引っ張る。二人の引っ張る力に耐えきれなくなった腕は、一斉に少年から離れ、細い路地の中へと引っ込んでいく。
急に解き放たれたため、さくらと香織はバランスを崩して後ろに倒れこんだ。
「痛た…大丈夫?さくらちゃん。」
香織は尻もちを着いた状態で、腕の中に二人をしっかりと収めていた。
「う、うん…びっくりした。」
香織の胸の中で半ば埋もれた状態で、さくらは顔を上げて答えた。
「良かったぁ…一時はどうなるかと思ったよ。」
香織は安心したかのように、天を仰いで息を吐く。
さくらは慌てて香織から離れ、土埃を払いながら立ち上がった。
「ごめんね、香織ちゃん…立てる?」とさくらは申し訳なさそうに声を掛け、尻もちを着いたままの香織に手を差し伸べる。
「もう、さくらちゃん…これ以上危ないことはしないでね。」
そう言って香織はさくらの差し出された手を掴み、自身も立ち上がる。
香織も同様に土埃を払い、目の前に広がる細い路地に視線を向ける。
先程まで自分たちを襲っていた無数の腕は、まるで最初から存在しなかったかのように、その隙間から見える暗い闇だけが物語っていた。
香織はその時ようやく、先程まで助けたはずの少年を見かけないことに気づき、周囲を見渡した。
「あれ? さっきの男の子は?」
香織が先程の少年を探すと、くいくいと裾を引っ張られた。その方向へ視線を向けると、一切表情を崩さずに少年が香織を見つめていた。ほっと安堵した様子で、香織とさくらは少年を見つめる。
「良かった、君も無事だったんだね。」と香織が声をかけると、少年はぐいと御守りのような袋を三つほど突き出した。
「さっきはありがとう。これ、あげる。」
少年は無表情のままでさくらと香織の手に御守りを押し付ける。
「あ、ありがとう…でもこれって」とさくらと香織は不思議そうに顔を見合わせながら少年を見た。
「御守り、持ってて」と少年は呟くだけだった。
香織は怪訝そうな顔をしながらも、押し付けられた御守りをさくらに一つ分け与えた。
「あぁー、やっと見つけた!」と背後から二人に向かって声がかけられる。
香織とさくらが振り返ると、汗を拭いながら未来が二人の元へと駆け寄ってきた。
「あぁもう、なんで二人共すぐにいなくなったのかな…探すの大変だったんだよ。」
未来は香織とさくらを見て、息を切らしながら怒っていた。息を切らしながらさっきからずっと探したと、怒る未来に対して香織は事情を説明した。
「心配かけてごめん未来。私、さくらちゃんが人を見かけたって言うから追いかけたら…ちょっと大変なことになったの。」
「さっき、私達と一緒に男の子もいたんだよ。」
さくらが少年も一緒だったことを伝えるが、未来は二人の様子を見て、首を傾げた。
「?でも、私が来た時には既に香織とさくらさんだけだったよ?」
「「えっ?」」と香織とさくらの二人が声を上げると、先程までいたはずの少年は、いつの間にか姿を消していた。その代わり、先程まで引っ張り合っていた筈の細い路地の近くにお地蔵様が佇んでいるだけだった。
不思議そうに未来は「どこにもいないよ、夢でも見たんじゃないの?」と呟いた。
不可解そうな様子で二人が見回すと、気づけば街の様子が戻ってきていた。
元に戻った街の様子は、未来、香織、さくらの三人が無人の街に取り残される前と全く変わらない様子で、多くの街の人々や他の観光客が楽しげな様子で行き来していた。
「な、何だったんだろ……あれ」と香織はポツリと呟き、人通りが戻った様子の街の景色を眺めていた。
ハッとした様子で、さくらは自身のスマートフォンを手に持って画面を確認する。
液晶画面に映し出されている時刻は既に13時を回っている頃だった。さくらはスマートフォンの通話画面を開き、急いだ様子で兄である拓海に繋いだ。
通話の呼出音が鳴ると、程なくして応答があった。
「もしもし、お兄ちゃん?今どこにいるの?」
『もしもし、さくらか?どうしたんだ急に。』
「それはこっちのセリフだよ!お兄ちゃんたら、急に神社を飛び出して行くし、いつまで経っても帰ってこないし…街も変なことになってきたし……」
『ちょっと待って、さくらお前どこにいるんだ?』
「え?えぇと、今『茶寮』っていうカフェの近くにいるけど…」
『待ってろ、今行くからそこから動くな。もしかして未来さんと香織さんも?』
「う、うん…一緒だよ。」
『分かった、彼女たちにもその場に居るように言ってくれ。』
「待ってるからね!」
さくらは通話を切ると、未来と香織の方へと顔を向けた。香織は、先程少年から貰った御守りを未来に一つ分け与えている最中だった。
「あ、電話どうたった?さくらちゃん。」
「お兄ちゃん、今来るっぽい。もう一回『茶寮』に戻らない?」
さくらは、先程三人が飛び出したカフェ『茶寮』へ戻ることを提案した。さくらの提案に対し、二人は気まずそうに互いの顔を見合わせる。
「そういえば忘れてた…お勘定、大丈夫かな。」
「不安だから、一旦戻ろっか。」
香織の言葉に、未来とさくらは頷いた。
そして再び、彼女たちは一度カフェ『茶寮』へと戻るために足を進めることとなった。
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