神宮寺桜花という少女
「君、名前は?」
手を膝の上で組んだ少女は俺を一瞥すると「神宮寺桜花です」とぶっきらぼうに答え、安物のインスタントコーヒーで満たされたマグカップに視線を向ける。
「では神宮寺さん、君はどういった用件で俺に会いに来た」
「仕事を依頼する為です。貴男のような便利屋を利用する者が仕事の話以外でこんな場所に来ますか?」
「率直な感想をありがとう。だが、俺が聞いているのはそんな問答ではない。君が何故俺を訪ねて来たのか聞いているんだ。答えて貰おう」
「私の姉を探して下さい。それだけです」
マグカップを見つめたまま少女、神宮寺桜花が呟く。
「人探しなら他を当たった方が良い。俺は確かに便利屋と呼ぶ職に就き、様々な仕事を請け負ってはいるが人探しだけは絶対にしない。いいか? 君が頼るべき人間は警察機関や探偵といった人に関する能力を持つ者であり、俺のような雑用ばかりに労力を割く人間じゃない」
俺の言葉に神宮寺は切れ長な瞳をもって意見を述べようとする。だが、彼女は白く細長い指先を弄るばかりで言葉を発しようとはしない。
「人探し。丁度いい、君はこの平日の昼下がりにこんな事務所を訪ねる人間だ、何故俺が人探しの依頼を拒否するか教えてやろう。探すという行動は時間と労力に見合っていないのだよ。分かるか? 探す分だけ時間という貴重な資源を浪費し、精神は疲弊する。無駄だと思わないか? 此処までご苦労、帰れ」
椅子を回し、窓の向こう側を見る。相変わらず外は雨が降っており、事務所の窓から見える路地は薄い靄が掛かっていた。気温差による現象である事は理解しているが、こうして見ると何処か不気味な様相にも思える。
時刻は十四時丁度。今日は依頼料金を踏み倒そうとしている輩から金を取り建てようとしていたのだが、突然の来訪者により時間を食ってしまった為、別の仕事に取り掛かるとしよう。そうだ、期日まで余裕がある仕事を片付けようか。雨の降る平日であれば教会に依頼人の老人が居る筈だ。彼に調達した品を渡しに行こう。
「……」
「君、そもそも今此処に学生が居る事自体が可笑しいと思わないか? 学生の本分は学業にあると思うのだが、君はその本文を疎かにしてこの場に居る。学費と生活費を稼いでくれている親御さんに申し訳ないと」
「両親は居ません。十年前に交通事故で亡くなりましたので」
「それは申し訳ない、気遣いが足りなかった。だが、俺は君の依頼を受ける気は無いし、どれだけ金を積まれても人探しだけはしない。分かったなら帰れ」
新しい煙草に手をつけようか否か。俺は伸ばした手を引っ込め椅子から立ち上がると、カーテンレールに掛けていたハンガーからジャケットを引っ手繰り袖を通す。
「……今日は、雨が降っていますね」
「そうだな」
「雨の日は何かがありそうな不安感があります。雨は全てを流し尽くし、まっさらな大地にしてしまう不安感。私は、雨が嫌いです」
「奇遇だな、俺もだよ」
「便利屋さん、一応貴男の名前を聞いてもいいですか?」
「神城銀次。ただの便利屋の神城銀次。今もこれからも、神城銀次だ」
「……ありがとうございます。神城さん」
少女は鞄を持ったまま立ち上がり、俺を少しだけ見つめると事務所を後にする。その後ろ姿は何処か哀愁を誘うものであり、疲れているようにも感じられた。
人探し。それは最も時間と労力を無駄にする行為であり、何の実りも無い塵芥の塊のような仕事だ。
過去、俺は一人の男を探す依頼を受けた事がある。提示された金額に目が眩み、一度請けた仕事は必ず成し遂げる信条を胸に男を探し出した。
男は真夜中の湾港の闇に紛れていた。未使用のコンテナの影に倒れ、その身体は鼠に齧られ損壊されていた。男の所持品を漁ると借金の明細や各金融会社のカードが見つかり、己の死を見つけてくれた者への遺書も見つかった。
苦い経験が脳裏を過る。無知故に男を追い詰め、死へ歩ませてしまった己を恥じる。もし俺が仕事の依頼を受けず、別の用で男に会っていれば悲劇的な結末ではなく、もう少しマシな未来があったと思ってしまう。人探しとは、労力と金の問題ではない。その後の話の問題なのだ。
鍵と貴重品をポケットに突っ込み玄関ドアのノブを握る。
「……」
ドアノブが妙に重かった。そっとドアを開けると、反対側のドアノブに神宮寺が持っていた鞄と同じ鞄が掛かっていた。
閉じられたジッパーの上には一人の女性の顔写真が載せられており、その写真を手に取りマジマジと見る。
何処か神宮寺と似ている雰囲気がある綺麗な女性だった。切れ長な瞳と高く整った鼻筋。流れるような黒髪。テレビや広告でよう見る女優にも劣らない容姿を持つ女性は、優しい笑顔で幼い少女を抱いていた。
「……」
人探しの依頼は絶対に受けない。受けないのだが、他の仕事を熟しながら調べてみよう。神宮寺という少女のたった一人の家族を調べてやろう。金を置いていかれたから、これは別件の依頼であると解釈する。
俺は顔写真をポケットに入れるとビルの階段を下り、ビルの外へ向かう。
外は雨が降っていた。雨が降っていては足であるバイクは使えない。俺は少しだけ溜息を吐くと雨の中を歩く决意を固め、薄い靄と重い雨雲に包まれた街へ足を進ませた。
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