樹海の秘密

森本 晃次

第1話 樹海での自殺

――人が死にたくなるというのは、一体どんな心境になった時なんだろうか?

 そんなことを今までにあまり考えたことのなかった高橋敦が、急に自殺を思い立ったのは、高校を卒業し、地元の出版社に入社してから二年目のことだった。出版社の名前は「のぞみ出版」という。いわゆる地元密着型の出版社である。

 出版社と言っても、地元のタウン情報誌をメインに細々と営業しているだけの零細企業と言ってもよかった。地元のタウン情報誌の発行は、この会社が地元で最初に出したのだが、大手出版社も、全国的にタウン情報誌を発行する機運が高まって、やっと敦の会社の情報誌が地元で根を張ることができそうな矢先に、大手出版社が出張ってきたのだ。

 大手出版社は、情報網と、他の地域の情報も少し入れることで、後から出した不利を克服しようという狙いがあった。その狙いは的中し、次第に敦の会社の情報誌は、押されていった。

 敦が入社したのは、ちょうど、大手出版社がタウン情報誌を発行する前後のことで、会社としては、正直、新入社員に構っている場合ではなかったのだ。

 それまでどちらかというと、のんびりが社風だったのだが、大手出版社に出張ってこられたことで、今までの地道な努力が水泡に帰すと思うと、どの社員もただ事ではないことを肌で感じ、ピリピリしていた。

 もちろん中には、そんなことはどうでもよく、ただ普通に出版の仕事ができればそれでいいと思っていた人もいた。意外とそんな人の方が、出版関係の仕事に長けていて、どこに行っても通用する人が多かった。自分から転職を水面下で進めている人もいたが、中には他の出版社からの引き抜きに遭う人もいた。最初から才能はあったのだろうが、ただ、その才能も実際の仕事の中で磨かれてくることで、表に出てきた人ばかりだった。そうなると、

「俺はこんなところで燻っているような人間じゃないんだ」

 と思うのも当たり前のことであり、大手が出張って来なかったとしても、その人たちは遅かれ早かれ、転職していたことだろう。

 そうなると、残った社員は、大手出版社の進出に真っ向から立ち向かおうという気概を持った人ばかりになり、ピリピリした状態になるのも無理もないことだった。敦はそんな会社から内定をもらい、就職することになったのだ。

 これは敦にとって不幸以外の何ものでもなかった。元々社会人になることに対して、必要以上に怯えていた。何をやりたいかということが定まっていなかったというのもその理由だが、大人になるということ自体に言い知れぬ恐ろしさを感じていたのだ。

 その理由の一つに、

「何となく、記憶が欠落している部分があるんだよな」

 と感じているところだった。

 記憶喪失というほどのものではない。欠落している部分を感じるという程度で、覚えていないからと言って、生活に困ることもなければ、記憶の中で、辻褄が合っていない部分があるという明確なものはどこにもなかった。

 ただ、漠然と記憶が欠落しているという感覚だけがあるというのも気持ちの悪いもので、普段は意識していないだけに、ふと思い出したように意識してしまうと、それまでのリズムが狂ってしまい、自分が今から何をしようとしていたのかということすら忘れてしまうほど、意識が混乱してしまうこともあるくらいだった。

 この思いは、高校二年生の頃からあった。

――何か、思い出そうとしているんだけど、何を思い出そうとしているのか、自分でも分からない――

 という意識が始まりだった。

 最初から記憶が欠落しているなどという思いはなかった。思い出せるはずのことを思い出そうとして思い出せないという、どこか健忘症的なものが自分にあると思い、少し悩んだ時期もあった。

――まだまだ若いのに、健忘症なんて――

 と思っていたのだ。

 しかし、過去にあったことを思い出そうとして思い出せないのであれば、覚えているのは、表面上だけで、実際の内容を忘れてしまっていることがあるとすれば、思い出せないのも無理もないことだ。そう思う方が、

――健忘症ではないか?

 と考えるよりよほど気が楽というものである。

 記憶が欠落しているという意識はまだこの時もなかった。

 そもそも、記憶の欠落という概念がなく、覚えていないことはすべて記憶喪失だと思っていたこともあって、しかも、記憶喪失になれば、まわりの人もおかしいと気付くと思っていた。

 本当は先に自分が気づくはずなのに、気づかないということは、

――繋がっている記憶に疑問が一つでもない限り、記憶喪失などということはありえない――

 という考えがあったからだ。

 すべての記憶は時系列で繋がっていた。もちろん、覚えていないことは山ほどある。しかし、

――途中までしか覚えていない――

 であったり、

――途中からしか記憶にない――

 というものはまったくなかった。

 この思いが今後の敦の将来を大きく作用することになるのだった。

 敦は入社してすぐに取材班について見習いのような仕事をした。これは研修を兼ねたもので、本来なら、事務所で出版についての講義などを受けてから現場に出掛けるのが普通なのだろうが、そんなことも言っていられない。

――会社は俺に、即戦力を求めているんだな――

 と感じることで、高卒という負い目を感じていた敦に、安心感を与えた。

 見習いというのは、当然雑用係であり、不慣れとはいえ、戸惑いを見せたり、行動に機敏さが見られなければ、容赦なく、叱責が飛んでくる。

「こら、そこの新人。ちゃっちゃとせんか」

 先輩社員の怒号が鳴り響く。

「すみません」

 敦も大声で謝ったが、その様子を見て、まわりの人は驚くこともなく、自分の仕事を黙々とこなしている。

――これが、現場というものか――

 この感覚は複雑なものだった。

――もっと、活気のある修羅場のようなものだと思っていたけど、こんなに淡泊なものだなんて――

 コツコツと無難にこなしていけるようになれば、怒鳴られることもなくなるだろう。しかし、修羅場になっていいはずの現場で、こんなに静かなのは不気味さしか浮かんでこない。

――一体、どうしろというんだ――

 自分の立ち位置が分からない。浮足立っているというのとは少し違っている。誰もが静かに冷静なだけに、まず思うのは、

――皆何を考えているんだ?

 という思いであった。

 最初の頃は叱責ばかりであったが、次第に慣れてくると何も言われなくなる。ありがたいことだが、それはそれで不気味でもあった。なぜなら、言われなくはなったが、敦にはアイコンタクトがまだ通じるほどではなかったからだ。

「ツーと言えばカー」

 というほど親密になっていれば、何も言われなくてもいいのだが、まだまだぎこちない態度はぬぐえない。明らかに敦が間違えたと思い、心の中で、

「しまった」

 と叫んだのが分かると、自分の顔が渋い表情になっているのが想像できた。

 もし、自分がまわりの立場であれば、そんな人間がアシスタントであれば、一言二言文句も言いたくなるものだ。それを一言も何も言わず、その場を流しているのだから、流された方は、その場に置き去りにされてしまったかのように感じ、途方に暮れてしまうだろう。

――まるで、架けられた梯子に上って、その梯子を外されて、下りれなくなってしまった時のようだ――

 と感じた。

 最初は、その理由が分からなかったが、次第に分かるようになってきた。

――この人たちは、半分やる気なんかないんだ――

 という思いであった。

 いくら地元の中小出版社とはいえ、取材の現場ではその道のプロがやっていると思っていた。

 実際に、今までは大卒ばかりを新卒として入社させてきた会社だったからだ。高卒でも採用しようと思ったのは、即戦力というよりも、会社内で地道に育てることを目標にしているからだということを、就職指導の先生に聞かされていた。だから、他の誰でもなく自分がその候補に挙がったということは誇らしいことだと思っていたのだ。

 だが、大手出版社の台頭によって、事情が少し変わってきたのも事実だった。研修を兼ねての現場見習いというのを聞かされた時は、想像していたことと違ったので、少し戸惑いはしたが、順応できないほどのことはない。現場においての研修は、今の自分に持ってこいではないかと思うことにした。

 ただ、見習いという言葉を使われると、どうしても、アルバイト感覚になってしまうのも仕方のないことだった。仕事をしているのだから、集中力が必要になる。敦は集中力に欠けることはなかったが、どうしても、アルバイト感覚になると、集中力の持続は困難になってくる。

 ふっと気を抜いてしまうと、それまで何をしていたのか、忘れてしまうこともあり、現場責任者の人から叱られた。さすが現場責任者、集中力を切らせた相手には敏感だった。

 しかし、その現場責任者が、急に辞めると言い出した時は、会社内に衝撃が走った。

 少数精鋭と言えば聞こえがいいが、地元の中小出版社、事務所には十数人しかいない。その中でも、他の会社で言えば、専務クラスの人がいきなり辞めると言い出したのだから大変だ。

 実務レベルのナンバーワンであり、扇の要のような存在がいなくなるということは、取材一つを取っても、収拾がつかなくなってしまう。少なくとも、製品の劣化は避けられるものではなかった。

――とんでもない会社に入ったものだ――

 と思ったが、

「捨てる神あれば、拾う神あり」

 ということわざがあるが、まさにその通りだ。

 現場責任者がいなくなって三か月後、別の責任者が入社してきた。その人は、東京で出版業界をいくつか渡り歩き、ずっと現場一筋でやってきた人だった。その人の入社は再び会社に活気を与え、編集会議も頻繁に行われるようになり、皆もみるみるうちにやる気が戻ってきたようだった。

 その人は、いろいろ会社の改革案を持っていたようだが、取材のような現場に関しては、少し偏った考えがあった。

 それまで、タウン情報誌として、どこにでもあるような内容の本を出していた。

 もっとも、元祖はこの会社なのだから、どこにでもあるようなというのは、実際には他の会社がまねしたものだった。

 最初の特集では、デートスポットやパワースポット。カップルがドライブで行くスポットなど、綺麗な写真付きで載せていた。カップルも地元の大学生をモデルにして、

「いかにも地元志向」

 というイメージを表に出していた。

 グルメ情報、ファッション情報にも地元の大学生をモデルとして紹介させている。魁としては、斬新だったのだろう。

 しかし、大手出版社が同じようなものを出してくると、大手出版社が全国展開している中での地元情報という枠を設けることで、そちらの方が主流だったと錯覚する人も出てくる。

 若者が見る雑誌というのは、一人の読者がいつまでも見ているわけではないので、世代交代によって、地元企業がパイオニアであることは忘れられていくだろう。

 ただ、若い連中というのは、どこがパイオニアであるかなどということは関係ない。面白いものがウケるという至極簡単な理屈の元に成り立っているのだ。

 そうなると、地元企業の脆弱ぶりは隠せない。いくら頑張っても、一度大手がその地位を確立すれば、勝ち目はなかなかなかった。同じことをやっていては、二番煎じとしてしか見られない。

「元々は俺たちの領域なんだ」

 というプライドがなかなか奇抜なアイデアへの移行を許さない。

 許したとしても、今までのスタッフでは、奇抜なアイデアなど浮かぶはずもない。

 タウン情報誌を最初に発行した信念の通りに続けることには長けていたが、それ以上の発想は浮かんでこない。入社させた時の理由もそればかりを追求し、今までの路線を踏襲し、誰にでもできる内容の仕事のみを行わせていればそれで十分だったのだ。

 そのために、革新的な新しい発想が生まれる気風は備えているわけではない。そこに持って来ての、パイオニアとしての傲慢さが、見え隠れしてしまうと、もう大手出版社の敵ではなかった。

 実は現場責任者の退社は、大手出版社が裏から手をまわした結果だった。もちろん、そのことが表に出ることはない。何しろ、自分たちのパイオニアとしてのプライドは持っているくせに、

――しょせん、大手にはかなわない――

 という思いもあり、そんな大手が、自分たちレベルの弱小に、わざわざ手を回すことはないだろうという思いもあったからだ。

 しかし、強い者ほど、弱い相手であっても手を抜かず、全力で立ち向かうというではないか、大手には大手の考え方があり、あまりゆっくりもできなかったのだろう。一気にとどめを刺すくらいのつもりだったに違いない。

 しかし、計算通りにいかないのも現実で、まさか出版に長けた人が中小の出版社の門を叩こうなど、想像もしていなかったことだろう。

 新たに加わった責任者の人は、名前を安藤さんと言った。安藤慎吾というらしいが、下の名前で呼ぶこともないので、きっと最初に聞いただけで、皆すぐに忘れてしまうに違いない。

 安藤さんの考え方は、

「どこもやらないような、奇抜な発想を持って、仕事をしていこう」

 というものだった。

 安藤さんは、この街のことはほとんど知らない。全国を彷徨っていて、なかなか一か所にとどまることはなかったということだ。そんな人をよく上層部が入社させたものだと思っていたが、どうやら、会社の方がスカウトしてきたということだった。

 ただ、安藤さんの方もこの会社に興味を持っていたらしく、

「以前から、もったいないと思っていたんだ」

 と、呑み会の時に言っていた。

 皆、話をスルーしていたが、

「以前から」

 という言葉を敦は聞き逃さなかった。以前から気になっていたという証拠であろう。

「のぞみ出版には、新しい風が必要だと思ってね。僕がその風になれればいいと思って、ここに腰を下ろしてみたんだよ」

「安藤さんは、全国をいろいろ回ってこられたとか?」

 安藤さんの隣に座っている課長が口を開いた。

「ええ、全国を回ると、知らないことを知ることができるのは当然だけど、気づかなければいけないことに、どれだけたくさん気づいていなかったかということ、そして、どうすれば気づくことができるのかということを知ることができるんですよ」

「たくさん気づきましたか?」

「ええ、自分のことはもちろんなんですが、自分以外の人が何に気づいていないか、そして気づかせるにはどうすればいいかなどということも勉強になりました」

「そうなんですね」

「まずは、『考え方というのは、人の数だけ存在している』という当たり前のことから意識しないといけないということから始めました。分かっているつもりでも、なかなか自分に納得させるのって難しいでしょう?」

「ええ、そうですね」

 敦はその話を聞きながら、まだ自分が見習いでありながら、

――この人についていくと、結構楽しめるかも知れない――

 と感じた。

「楽しめる」という感覚は、どこか他人事であり、その理由が、

――まだ自分が、この会社の一員になり切っていない――

 という思いから生まれたものであることを感じていた。

「安藤さんは、それから、どう感じるようになったんですか?」

「人の数だけある考え方を一つ一つ直視していれば、纏まるものも纏まらないでしょう? どこかで境界を作って、纏める必要があるんですよ。そのためには、どうしても、捨てなければいけない考えもある」

「ええ」

「前は、どれも捨てずにフォローしようと思っていたんですが、結果は無理だという答えしか生まれてこないんですよ。でも、それでもやらなければいけない。僕は悩みましたね。できるだけフォローするのが、自分の信念のようなものだって思っていましたから、でも、ある時、ふと思ったんですよ。『自分の信念を曲げないようにするには、何かを捨てても、捨てたことを自覚して、それ以上の何かを生み出すことを新しい信念にしていこう』ってね」

「それは素晴らしいことですね」

 と、課長がいうと、初めて安藤さんは訝しそうな表情になったが、それも一瞬だった。

 課長はその表情に気づかないようだったが、距離を置いて見ていると、

「自分が苦労して見つけた結論に対し、軽々しく『素晴らしい』なんて言葉を使わないでほしい」

 と言いたいのだろうと感じた。

 きっと、安藤さんから見て課長は、

――軽薄で浅はかな考えしか浮かぶことのない、イエスマンでしかない――

 と見えたに違いない。

「この街には樹海があるだろう?」

「ええ」

「どうして、誰もあの樹海を取材してみようと考えなかったんだろうね?」

 その言葉を聞いたその場にいた全員が、一瞬にして固まってしまった。まったく声が聞こえなくなり、その場は凍り付いてしまったのだ。

 その様子を見た安藤さんも、固まってしまったようだが、それは他の人が固まってしまった理由とはまったく違っていた。

 安藤さんを含め皆、恐怖に顔が歪んでいたが、樹海という言葉に反応し、顔を歪めた皆に対し、安藤さんは、そんな皆の顔を見て、恐ろしさを感じたのだ。

 そうなると、最初に正気に戻るのは、安藤さんなのだろう。

「どうしたんですか? 皆さん。まるで幽霊を見たような恐ろしい顔になって」

 その後、正気に戻ったのは敦で、

「あの樹海は、、やめた方がいいですよ」

 というと、他の連中も次第に呪縛が解けたように、正気に戻って行った。きっと、敦が答えてくれた言葉で救われたような気がしたのだろう。

「どうしてなんですか? 中に入ってしまうと出てこれないということもあるでしょうけど、近くまで行って、取材してみるだけなら別に問題はないのではないですか?」

 確かに、取材だけなら問題ないのだが、それだけなら、誰もここまで恐怖に顔が歪んでしまうことなどないはずだった。

「安藤さんは、こんなところにポツンと樹海が存在していることを、不思議に思われませんか?」

 と敦が訊ねると、

「そうなんだよね。僕もそれが不思議だったんだ。富士山のような火山が近くにあるのであれば、何となく溶岩を含んだ磁鉄鉱を含んでいるので、方位が分からなくなるということで、『一度入ったら出られない』などという俗説が生まれたりするんだろうけど、この街のように、まったくそんな雰囲気のないところに樹海があるというのは、不思議ではあったんだよね」

 と、安藤さんも答えた。

「青木ヶ原の樹海というのは、世界的にも有名な樹海なんだそうですが、実際には、『一度入ったら出れない』という話であったり、『方位磁石が役に立たない』と言われている話も、本当はそこまではないらしいんです」

「そのようだね。でも、それだけに、この街の樹海というのは、とても興味があるんだよ」

 と安藤さんがいうと、

「じゃあ、安藤さんは、今までに誰もこの街の樹海について、取材を試みる人がいなかったとお考えですか?」

「いわれてみれば、そうなんだよ。富士山以外にも樹海が存在するというのは、実に珍しいわけで、全国的に実に珍しい。今までこの街の人以外誰も知らないというのも何とも珍しい。このあたりの観光ブックのどこを見ても、樹海についての記事はない。だから、取材してみようと思ったのは、ジャーナリストとしての新鮮な気持ちなんだよ」

「それは分かります。でも、世の中には触れてはいけないことがあるんじゃないかって僕は思っているんですよ。この街に樹海が存在する。でも誰もそのことを触れようとしない。今までに触れようとした人はいたと思うんですよ。でも、触れた人がいるのか、そしてもし触れたとすれば、その人がどうなったのか、まったく分かっていないんですよ。そんな恐ろしいことってないような気がして、次第に誰もが樹海に対して話をしなくなり、話をすること自体がタブーのように思われるようになった。だから悪いことは言いません。樹海のことに触れるのはやめてください」

 敦の話は、恐ろしいものだったが、まわりの人も、

――言いたいことを、敦がすべて言ってくれた――

 と思っていた。

 そして、敦だけではなく、皆が口にはしなかったが、言いたかったことが、もう一つあった。

「この街は、実に排他的な街で、よそ者に対して、実に冷たいところがある。表面上は実に優しそうにしていて、他の街から来た人に興味津々に見えるが、実際には次第に自分たちが排他的な人間であるということを確かめるために、興味津々であることを演じたと気が付くんだよな」

 と、自分たちも同じ街の人間として、よそ者である安藤さんを、今は興味津々で見ているが、そのうちに冷めた目で見るようになることを分かっていた。その第一段階のボタンを、安藤さんが自ら押してしまった。それが、今回の呑み会で話題に上った、

「樹海の話」

 だったのだ。

 完全にタブーのはずなのに、話として出してしまったことは許されることではない。排他的な印象以上に、敵を作ってしまったのだった。

 この瞬間、安藤さんは完全によそ者として確定してしまったのだ。

――安藤さんは、余計なことを言ってくれたものだ――

 呑み会が終わって、敦は正直そう思った。

 敦も、以前安藤さんが感じたような疑問を抱いたことがあった。もっとも、同じような疑問は、大なり小なり誰もが抱くものではないのだろうか。この街に樹海がある以上、気にならない人というのはいないはずだ。

 元々この街で育った人は、子供の頃に、しつこく親やまわりの人から、樹海のことがタブーであるということを信じ込まされていたようだ。言われたことを素直に受け取る子供は、純粋であればあるほど、大人の表情が少しでも険しければ、抗うことはできないと思い込むもののようだ。

 どこの街にも都市伝説のようなものは存在しているのだろうが、明らかに存在している樹海というものに対しての都市伝説は、話がリアルであるのも当たり前だ。途中からこの街に来た敦は、まわりから諭されることもなかったので、安藤さんと同じような疑問を感じた。

 しかし、いくら子供のこととはいえ、街のタブーに触れたのだ。話し方は穏やかだったが、明らかにその頃から街の人たちの態度が変わった。いかにもよそ者という雰囲気が滲み出ていて、敦も街の人たちを信用しないようになっていった。

 敦が記憶の喪失を感じたのは、この街に来てから数年が経ってからのことだった。高校時代のことだったのだが、記憶が欠落した部分があるとすれば、この街に来てからのことだという思いが確定していると感じるようになったのは、記憶の欠落を感じてからすぐのことだった。

――この街には、何か秘密がある――

 と感じた。

 樹海のことを誰も何も話そうとしないのがタブーであるということは分かっていたが、ただ、記憶の欠落している部分が、この樹海に関係があるのだということと結びつけることはしなかった。

 敢えてしなかったのだが、結びつけてしまうと、知りたくもないことを知ってしまいそうに思えて恐ろしかった。

 誰も話したがらないことというのは、当然誰もが知ってはいけないことである。つまりは、

「話したがらないのではなく、知らないのだ」

 という考えが生まれてきてしかるべきである。

 どれくらい前から、この街に樹海があるのだろう。富士の樹海のように全国的に有名なものではなく、この街だけのものだ。。

 そういえば、この街に観光などで訪れる人は、この樹海のことを誰も意識しない。確かに観光ブックにも載っていないので、意識する人は少ないだろうが、森というには、広すぎるところで、明らかに、他では見られない大きな木が密接しているところなので、目立たないわけではない。

――ここまで大きな木でできているのだから、思ったよりも、昔からあるものなのだろう――

 という想像は、今だからできるものだった。

 最初に見た時は、確かに異様な感じはしたが、立ち入ろうとは思わなかった。好奇心旺盛な子供で、どちらかというと冒険が好きだったのに、ここだけには立ち入る気がしなかったのだ。

 怖くなかったと言えばウソになるが、それなら、他の友達も誘えばいいだけのことだ。誰もいかないと言えば、その時点で止めればいい。それなのに、敦は立ち入る気が最初からなかったのだ。

 子供の頃に「樹海」などという言葉は思いつかなかった。

「大きな森」

 という表現をしていたが、誰もそのことに触れないので、まだまだよそ者だった敦が自分から言い出すには、早すぎたという気持ちもあった。

 冒険心と、よそ者としてまわりから無視されるリスクを考えれば、さすがに、リスクの方が大きい。それくらい理解できる子供だったのだ。

 ただ、冒険心が中途半端で終わってしまったというのは、あまり気分のいいものではない。その時の気持ちを思い出させることになったきっかけが、この時に安藤さんが話した樹海の話題だったのだ。

 樹海と言っても、入り口には公園ができている。ただ、公園の樹海側の端には、鉄条網が張り巡らされていて、厳重な立ち入り禁止状態になっていた。公園までは誰でも入ることができるのだが、樹海のことは一切書かれていない。

 これは、一種のカモフラージュに見えた。いきなり鉄条網を張り巡らせてしまうと、まるで刑務所か、国境線のようで、仰々しさが生々しく感じられるであろう。そんな雰囲気を醸し出さないように、正面には公園を作って、目をくらませていると言ってもいいだろう。

「昔は、名もない街だったので、観光客が来ることもなかったが、最近は町おこしの効果が功を奏して、やっと観光の街として経営もうまくいくようになったんだ。普通の都市伝説なら黙っておけばいいんだが、あそこまで大きな木が密接している場所を観光客が放っておくわけもない。人が入るのはもちろんのこと、話題になることすらタブーでなければいけないんだ」

 という街の運営の考え方だった。

 この街が脚光を浴びるようになったのは、地元の大学の考古学チームによる発掘が最初だった。

 この辺りは、昔の「クニ」の境でもあり、古戦場としていくつかの発見はされていたが、戦国時代でも初期の城址が見つかったことで有名になった。

 どうしても、戦場の真っただ中になるため、城といっても砦のようなものの集落程度にしか考えられていなかったが、発掘が進むうちに、要塞としても十分大きなものだったことが分かってきた。

 しかも、その要塞は、街も形成していたほどで、この時代には存在しないと言われていた城下町が存在していたのではないかという発表があった。

 発表した地元の教授は、以前から歴史学者としては注目されていたが、なぜか地方の大学に引きこもってしまい、中央に出てくることはなかった。

 樹海とは、少し離れたところにあるので、樹海が注目されることはなかったが、観光客が来るようになると、どうしても、樹海をそのままにしておくことはできなくなった。

「どうして、そんなに樹海が問題なんですか? これくらいの樹海なら、誰かが入り込んだとしても、見つからないということはないでしょう。しかも、今のように携帯電話やスマホ、GPSなどが発達していれば、なおさらですよね」

 という教授の意見はもっともだった。

 だが、町長は言った。

「そういう問題ではないんです。ただの都市伝説と言ってしまえばそれまでなんですが、樹海に入り込んで出てきた人は、もうその人ではなくなっているんです」

「それは記憶喪失ということですか?」

「いえ、そういうわけではないんです。会社の同僚くらいの人であれば、その人の変化には気づかないんですが、もっと親密な人、家族や肉親、彼女や親友くらいになると、違いが分かるそうなんです。でも、どこがどう違っているのかというのを言葉にしようとすると、どういえばいいのか分からないというのが、その人たちの意見なんだそうです」

「それも不思議ですよね」

「ええ、しかも、少しだけなんですが、記憶の欠落している部分があるらしいんです。話の辻褄が合わないという人はいても、その人には分からない。本人にも当然、どこが欠落しているか分からない。分からないけど、欠落しているという意識だけはあるようなんです」

 と答えていた。

 記憶の欠落という意味では、敦と似た状況のようだ。敦はこの話を知らないので、記憶の欠落と樹海は関係のないものだと思っていた。

 町長と教授の間の話は、教授に分かってもらうという意味で、二人きりの話になった。しかし、実際の対策になると、教授を含めた町議会のメンバー全員で話し合われた。町議会のメンバーは、それぞれに意見もあるようだったが、どれも難しいもので、採用されたのが、公園建設という発想だった。

 この街は、人口のわりに、公園の数が少なかった。

 観光の街になる前から、ベッドタウンとして注目されてきたこともあって、人口が増え始めていた。元々は漁村が発達した街で、それ以外の産業が難しかった。農地としての活用には、それほど肥えた土壌ではなかったので、どうしても漁中心の街でしかなかったのだ。

 逆に土地はいっぱい余っていた。陸地はすぐに山が迫っていたので、斜めの土地が多かったため、人の住める場所が少ないと思われていたが、土地の値段は二束三文だった。

 安く土地を手に入れても、建物を建てるためには、平地にするための費用が掛かるため、却ってお金がかかるため、ほとんどの不動産会社や建築会社が敬遠していた。

 しかし、ある不動産業を兼ねている建築会社がここの土地を安く手に入れ、マンションを建てた。どのように安く叩いたのか分からないが、建物を建てられる状態にするまでにかかった費用は、土地購入の差額で充てても十分に余るほどだった。考えてみれば、不動産会社と建築業者が兼ねているのだから、いくらでも安くできる方法はあるというものだった。

 そのおかげで、その不動産会社は、この土地で大儲けをし、さらには、この街への発言権を得るようになった。樹海の存在は知っていたが、最初から手を出す気にはならなかった。

「あんな訳の分からない土地に手を出すようなことはしないですよ。せっかく地道にこの土地での地位を高めてきているのにですね」

 というのが、不動産会社の言い分だった。

 不動産会社は、この街の盟主的な存在になっていて、実際に町議会に社長が立候補し、かなりの得票数を得て当選していた。不動産会社としても、町議会にしても、どちらにも有利だったのかも知れない。

 不動産会社の野望は、この街だけでは終わらない。

 この街を拠点として、県議会へ打って出ようという計画もあったようだ。

 政治への足がかりがそのまま会社の利益に繋がるという考え方で、街レベルではうまくいっているかも知れないが、実際に県議会までいくとどうなるのか? そのあたりは未知数の部分だった。

 ただ、不動産会社の社長と大学の先生とでは、どうも考え方が平行線を描いていて、時々衝突することもあった。公園を建設するという発想も、全会一致で承認されたわけではなく、不動産会社の息のかかった連中の反対票もあったのだ。

 しかし、民主主義は多数決である。いくら不動産会社の息が掛かった連中が派閥としているとはいえ、さすがに過半数を超えることはなかった。いずれは超えるかも知れないが、今はまだその域ではなかった。

 公園を作ることで、密かに公園以外の場所にも鉄条網を張り廻られることに成功した。だが、すべての部分を鉄条網を張り巡らせたわけではなかった。

 実は、樹海の反対側には昔から神社が建っていた。その神社は、小高い丘にあり、この街が傾斜の多い街であるにも関わらず、さほど傾斜の影響を受けていない樹海の唯一傾斜のある部分が、その神社の建っているところだった。

 神社がある小高い丘の切れ目のところから、大きな木が聳えている。神社自体は、街の中心部からは離れたところに密かにあるので、

「本当であれば、神社を中心に街が成り立っているはずなのに、どうして離れているんだろう?」

 という疑問から出発したのが、教授の研究グループが発見した、この街にあったとされる城と城下町の存在だった。

 この神社は本来なら、街の鎮守としての役割があるはずなのに、あまり人が来ることもない。正月や夏祭りの時以外は、ほとんど誰も来ることのない街で、元々五穀豊穣が望めない街なので、どちらかというと、漁村としての鎮守なのに違いない。

 神社が見つめるその下には、漁村が存在していたことを思えば、境内に大漁と書かれた旗が飾ってあるのが、目を瞑れば瞼に浮かんできそうだった。

 神社はそれほど大きなものではない。小高い丘の上にあるので、境内までは石段が続いていた。境内まで上がる石段の下にも、石段を昇り切ったところにも、鳥居が立っているのが印象的だ。

 軽く息切れしそうな程度の石段を上がると、そこには石畳の道が境内まで続いている。お百度石も途中にはあったが、石段までの方が近いことを思えば、境内の規模の小ささを思わせる。

 境内の前にある一対の狛犬。恐ろしい形相をしているのだが、中には、

「ここの狛犬、可愛らしいわね」

 という人もいた。

 可愛らしいと思う人は女性に多く、男性の中で可愛いという表現をする人は一人もいなかった。

 ただ、石段を昇り終わって切れた息を整えながら正面を見ると、境内が小さく感じてしまう。それは、本当の狭さも当然あるのだが、それ以上に、目の前に繰り広げられた光景の壮大さに、目を奪われるからだった。

「境内さえ小さく感じられるこの爽快さ。その理由は、後ろの木々の大きさにあるんだ」

 そのことに気が付いた人がどれほどいるだろう。後ろにあるのは言わずと知れた樹海である。壮大でありながら、その壮大さの原因をこのように分かる人は、それほどいないのは不思議だった。

 境内の裏には、小さな空き地があった。そこには木が生えていない。神社の裏側から、十メートルほど向こうまでは、雑草すら生えていない。ただの空き地だったのだ。

 空き地は起伏が激しかった。

 ただ、そこに元々木が生えていて、後から切り取ったというわけではない。まったくそんな跡が存在しないのだ。

 つまりは、樹海と平地の完全な境界がここにあるということで、きっと公園の側にも昔は存在していたのだろうということは、想像がついた。

 公園には、その横にある樹海を意識する人はあまりいないようだ。

「立ち入り禁止」

 の札とともに、仰々しい鉄条網が張り巡らされているのを見ると、本当ならそこにどんな秘密があるのかを気にする人もいるのだろうが、公園に立ち入るのは、地元の人くらいで、元々閉鎖的な街なので、秘密があっても無理もないと思っている人が多いだろうから、わざわざ意識する人はいないのだ。

 だからと言って、鉄条網が必要ないというわけではない。もしも何かがあれば、閉鎖的な街であるだけに、大きな問題になるのは、必至だった。

 神社の方も、境内の裏にある空き地の向こうに鉄条網が張り巡らされてしかるべきなのだろうが、神社の神主さんが、どうしても承知しないようだ。

「鉄条網なんか張ったら、鎮守様のお怒りを買う」

 というのがその理由だが、

「果たしてそれだけなんだろうか?」

 という意見が結構囁かれた。

 町議会の中では、不動産会社関係の人の意見としては、

「全面に鉄条網を張り巡らさなければ意味はない」

 というものだった。

 これは、不動産会社関係の人の意見でなくとも、普通の人の意見としても、それは当然のことである。

 しかし、実際に地主である神主が反対しているのだから、強制執行ができるわけでもない。

 明らかに事故が起こる可能性があるという根拠があれば、強制執行もありえるのだろうが、樹海に入り込んだとしても、

「そこまで危険なことはない」

 という、樹海研究チームの報告書が正式に公表されてしまっては、むげに強制的なことはできなかった。

 しかも、大学教授側の意見として、

「神社の主張を尊重すべし」

 というものがあっただけに、こちらも全会一致というわけにはいかない。

 神社の主張を無視するわけにはいかないという意見が町議会でも採決され、とりあえず、この問題は、一時棚上げになった。

 つまりは、問題としては残っているが、一旦は鉄条網を敷かないということで決着したということになった。

 公園側と神社側で、樹海に対しての発想は違っていた。神社の神主は、

「樹海というのも、神様のご加護によるもので、神社をそばに作ったのも、その思いがあったからではないか」

 と考えているようだった。

 しかし、神社に残された数々の時代の資料や巻物には、樹海についての記載がまったくなかった。神主の二代前から、古文書の整理や研究を行っていて、その記述には注意深く見てきたが、見つけることはできなかった。

「ひょっとすると、公式に保管されていないのではないか?」

 と考えた二代前の神主は、境内の裏の空き地に注目したようだ。

「ここに埋められているのかも知れない」

 そう思って、いろいろ採掘してみたというが、これもなかなか見つからなかった。

 しかし、それからしばらくして、境内の裏でいつものように採掘していた先々代は、急に悪くなってきた天気を気にしていなかったらしいが、いきなり落ちてきた雷が、樹海の一つの木に落ちたことで、その木の下敷きになって亡くなっていた。

 そのことは、神社と町議会の一部の人たちの間でしか知られていなかった。

「神主が亡くなった」

 というのは噂になったが、その原因は、関係者が墓場まで持って行ったのだ。

 実は現在の神主には知らされていて、現在そのことを知っているのは、今の神主だけだった。

――どうして境内に鉄条網を張ることに反対するのか――

 それは明らかに、先々代の死が影響しているに他ならなかったのだ。

 そういう意味では、ここの樹海に対して一番懸念を抱いているのは、現在の神主だけだということになる。誰にも話してはいけないというジレンマを抱えながら、苦悩の日々を過ごしている神主だったのだ。

 神主は、先々代が亡くなったのは、まだ子供の頃だった。

 神主が亡くなってから、そのことをまわりの大人がどう処理しようかと話し合っているのを知ってはいたが、なぜそんな必要があるのかまで、子供なので分からなかった。

 しかし、大人になって自分が神主になると、先々代の死に対して、先代も苦しみ、そして、それを自分が継承しなければならないことを覚悟しながら、今まで来たのだ。

 神主の得た結論としては、

「なるべく、俗世の人と関わりを持つことなく、この神社を静かに守っていくことだけを考えていけばいいんだ」

 と思うようになった。

 鉄条網の反対も。本当であれば、波風を立てたくないという思いがありながら、反対しなければいけないということがジレンマとなった。

「鉄条網なんて、とんでもない。そんなことは絶対にしないでください」

 と言っても、それだけで引き下がる人たちではない。

 とりあえず法律も勉強し、

「何かあれば、弁護士を立てて、相談しながら、町議会と戦う体制を作らないと」

 と考えていたのだ。

「法律なんて、そんな簡単なものではない」

 と分かっていながら、

「何と言っても樹海の正体を誰も知らないのだから、何かの祟りだとしても、それを説得することなんかできやしない」

 と思っていた。

 いくら神社とはいえ、いや、神社だけに、俗世間からはあまりよくは見られていないはずだ。こちらが、

「どう対処していいのか分からない」

 と思っているのと同様、

「相手からも同じことを思われているに違いない」

 と考えれば、それ以上の発想が浮かんでくることもなかった。

 ただ、それが余計に神主をジレンマに追い込んでしまい、しかも、まわりに理解者が一人もいないという実情を、甘んじて受け止めるしかなかったのだ。

 それでは、この街、あるいは、この街周辺で、自殺志願者の行方が分からなくなったり、行方不明者がこの辺りに潜伏していたことがないのかと言えば、そんなことはなかった。実際に、この街で、自殺しようとしている人がいて、遺書を残して行方不明になった人もいた。

 実際に、樹海に入って捜索が行われたが、遺体も、遺留品も見つかっていない。忽然と消えてしまったのだが、その人の部屋には、樹海を写した写真が、何枚も散らかっていたという。

 部屋には生活反応があり、行方不明になる前の日まで、そこにいたことが分かっているので、散らかっている写真は、行方不明になる当日か前日にバラまかれたことになる。いかにも、

「樹海で自殺します」

 と言わんばかりの痕跡だった。

 もちろん、全国に行方不明者として手配されたが、まったく情報が寄せられることはなかった。富士の樹海にでも入り込んでいたり、東尋坊のような自殺の名所で、なかなか死体が上がらないと言われているところも捜索されたが、その人を見た人はいないということだった。

 もっとも、自殺者が絶えないところで、いちいち一人一人の顔を覚えているわけもないので、当てにはならないだろうが、行方不明になったことが事実。いろいろな噂が流れるのも無理もないことだ。

「この街の樹海で、死体が見つかっていれば、まだマシなのかも知れないな」

 不謹慎なことを言ったやつがいて、

「何を言ってるんだ。不謹慎だぞ」

 と、声を掛けられるが、声を掛けた方も、本当に不謹慎だと思っているのかも知れないが、確かにハッキリしないよりも、いっそのこと、死体が見つかってハッキリした方が、家族にとって辛いかも知れないが、それ以上に、何も分からずに、先に進めないまま、ずっと辛い日々を送る方が、よほど苦しいに決まっている。

 似たような話は、毎年のようにあった。多い時は一年に五、六件もあり、樹海を捜索するのも、ある程度慣れてきていた。

 しかし、不思議なのは、

「毎回樹海に入っているけど、どうも同じ場所に入ったような気がしないんだ。少しずつどこかが違っているような気がして、それが気持ち悪いんだ」

 と言っている人がいることだ。

 この思いは一人ではなかった。

 口にするのが気持ち悪くて、誰も口にしなかっただけで、そう思っている人は少なくなかった。その証拠に一人がその話題に触れると、堰を切ったように、誰もがその話題に飛びついてきた。

「お前もそう思っていたのか。俺もなんだよ。何というか、前の日と同じ場所に向かっているはずなのに距離が遠く感じられたり、角度が微妙に違っているように思えてくるんだ」

「それは、俺も同じなんだ。俺は、そのことを感じながら、そのうちに、樹海から出られなくなるんじゃないかって思えてきて、恐ろしさが込み上げてきたりする」

 と、もう一人の人が言った。

「やっぱり、小さくても樹海は樹海なんだ。俺は、前を向いていると怖いので、時々木々の影から空を見るようにしている。さっきまで見えていた太陽が木々の隙間に隠れていたりすると、ゾッとしてくるんだよ」

 皆それぞれ樹海の恐ろしさを感じているようだった。

 彼らは行方不明者、捜索のプロだが、最初は地元の人たちが散策していた。最初はあまりたくさん行方不明者がいなかったので、地元だけでできたのだが、これ以上増えると地元だけでは隠しきれずになり、ネットで樹海のことが拡散でもされると、街としては大きな痛手だった。

 さすがに警察に任せるしかなかった。

 最初は警察も、樹海を捜索したことのある人たちから、いろいろな情報を貰っていた。実際に話を聞いてみると、

――そんなこと、信じられないな――

 と思うようなことがたくさんあり、

――やっぱり地元の素人では、我々の域には達しない――

 とまで思っていた。

 しかし、実際に樹海に入ってみると、

「街の人の言っていたことは本当だったんだ」

 と、誰もが口にするようになっていた。

 地元の樹海の恐ろしさは、やはり、最初から地元に根付いて暮らしてきた人が身に染みて分かっているものなので、その言葉をおろそかにしてはいけないということを思い知らされた。

 樹海について、地元の大学が研究をしているという話は、公開されていない。町議会との絡みがあるからで、町議会から、

「余計なことは言わないでください」

 と、かん口令が敷かれていた。

 警察が地元の大学に研究依頼をしたが、結局実ることはなかった。大学側が裏から手をまわしたようだ。

 そのため、中央の大学から研究チームが結成され、実際に研究していたが、結果は何も分からなかった。

 近くに火山があるわけでもなければ、磁場を起こすものもない。樹海が存在するからと言って、危険なものであるという証拠はなかった。したがって、樹海の捜索も、

「危険なものではない」

 という結論で、捜索も早々に打ち切られた。

 ただ、

「どうして、鉄条網なんかを敷いているんだね?」

 と、町議会への質問はあったようだが、

「公園があるので、児童が誤って入り込まないとも限らない。だから、危険の内容にしているだけです」

 と答えていた。

「実際に捜索が入る前、鉄条網のまわりに、さらに一つ柵を設けていたのだが、それは、さっきのような質問があった時、いきなりの鉄条網では、それこそ児童が危険であるという考えから、警察へのカモフラージュ用に、急遽、柵を設けたのだった。

 捜索が行われた数か月は、さすがに街も警察の出入りなどで慌ただしかったが、

「つわものどもの夢の跡」

 でもいうべきか、嵐が去った後は、実に静かなものとなった。

 警察というところは、一度捜索したところは、二度と捜索しないもので、これでこの樹海に警察が来ることは、自殺者がここで自殺をしたという確証が他で見つからない限り、捜索されることはないだろう。自殺の名所として、富士の樹海のイメージから、すべての樹海が自殺の名所ではないということを証明したようなものだった。

 警察公認で、自殺の名所ではないと確定すれば、マスコミもここに注目することはない。ガイドブックに樹海のことが載っていないのは、そのせいであろう。

 ただ、コラム的な記事で載っている本もあったが、ちょっとした興味本位という程度で、却って注目されることはなかったのだ。

 それからしばらくしてからのことだった。

 今までなかったはずの死体が、樹海の中で見つかった。

 どうして見つかったのかというと、それは鉄条網の入っていない神社側から入ってすぐのところで、一人の男が首を吊っているのが見つかった。

 この場合、富士の樹海のように、入り込むことで、二度と出られないという理由で自殺を図ったわけではないので、厳密には、

「樹海が自殺を誘発した」

 というわけではない。

 発見したのは、当然神主で、裏の空き地を掃除するのに裏に入ってすぐに発見したということだ。

 自殺した人は、本当に覚悟の自殺だったようで、足元に靴を揃えて置き、その上には遺書が添えられていた。さらに服装も白装束に身を包み、神主がすぐに発見できたのも、白い色が目立ったからだった。

 遺書の内容としては、まず自殺の原因として、借金苦であった。

 男の年齢は、三十五歳。まだまだ死ぬには早すぎる年齢に思われたが、それだけに、死を選ぶしかないほど追い詰められていたのだろう。

 自殺者の気持ちを分かるはずもないが、同情だけではない何かが頭の中にあり、それが、しばらく樹海で死体が発見されたという事実を忘れることができなくなった理由でもあった。

 敦が、自分が自殺したいなど考えることはないと思っていたが、

「樹海で死体が発見された」

 と、いう話を聞いた瞬間から、何かのリズムが狂ってしまったのかも知れない。

 安藤さんが入社してきてから死体が樹海で発見されるまで、そんなに日は経っていなかった。

 口の悪いやつは、

「安藤さんが入ってから、樹海で死体が発見されるようになるなんて、何か樹海にゆかりがあるんじゃないか?」

 などと言っていたが、もちろん、そんなことを口にできるのは、気心の知れた敦にだけだった。

「おいおい、めったなこと言うもんじゃないぞ」

 と口ではそう言ったが、

――まんざらでもない――

 と感じてしまう敦だった。

 何しろ、新興住宅地として甚句が増えつつあるとはいえ、まだまだ人口的には少ない街、それに人口が増えたと言っても、隣近所など気にすることのない、ただ籍を置いているというだけの若い連中が多くなっただけで、元々の住民はむしろ減ってきている。それだけ昔からいる連中は肩身の狭い思いをしているというより、さらに閉鎖的なイメージが強まったと言っていいだろう。そんな街に住んでいる敦は、閉鎖的な自分たちのことを気づいている人は少ないと思っていた。

――俺も、安藤さんのことを、「よそ者」意識で見ているのかな?

 と感じていた。

 明らかに、他の連中はよそ者意識で見ていた。こんな悪評を内輪だけの話だとはいえ、平気で口にできるのだから、よほどのことなのだろう。

 いや、当の本人である安藤さんも、自分がよそ者として見られていることを、重々分かっているような気もする。

 かといって、安藤さんは元々の住民に対して、媚びを売るようなマネをしているわけではない。

――そんなことをしたって、どうせ無駄な努力に終わるんだ――

 ということを分かっているのだろう。

 無駄な努力を費やして、結局最後に残るのは、疲労と虚しさだけである。

――まるで、水かきもないのに、手をパーに広げて、必死に平泳ぎをしながら、前に進もうとしているようではないか――

 というたとえを想像し、思わず笑ってしまった敦だったが、顔では笑っていても、真剣に笑うことができないのだから、笑顔はひきつっていたに違いない。

 閉鎖的で、排他的な人間性を感じたのは、十歳にも満たない頃だった。小さい頃の敦は、父親の仕事の関係で、何度も引っ越しをした経験があった。

 都会のマンション住まいから、いきなり田舎に引っ越した時、まだ小さかったくせに、自分が都会から来たことを、少し鼻にかけていたことがあった。

 父親の会社も、地元の会社で、県内のどこに転勤になるか分からないような仕事をしていた。ただ、中学に上がる頃には転勤もなくなり、一か所に落ち着くようになった。本社勤務が決まったからだということだ。

 都会から田舎に引っ越した時、カルチャーショックに陥ったのは母親だった。それでも子供の前では健気に笑顔を見せていたので、何ともないと思っていたが、実際にはそうでもなく、夜にはよく夫婦喧嘩をしていた。母のストレスのはけ口は、父親と喧嘩することだったのだ。

 そんな家庭の事情を知らない敦少年は、転校した学校で、最初は都会から来たということで、ちやほやされた。転校してきて一か月ほどは、いつも敦少年の周りには、人だかりができているほどだったが、そのうちに、さすがに億劫になっていった。

 何がきっかけだったのか覚えていないが、きっと誰かに対して、億劫な気持ちをぶつけるような言い方を下のだろう。次の日から、敦少年のまわりに、誰もいなくなった。

 子供というのは残酷で、それからしばらく嫌がらせが続いた。

 学校の下駄箱に靴を入れていると、片方がなくなっていたり、机の中に人の教科書が入っていて、それを敦少年のせいにしてみたりと、小学生低学年の発想なので、それくらいのことだったが、少年にとって、ショックは計り知れないものだった。

 まわりの皆の目が怖かった。蔑むような眼というのは、ああいう眼のことだったのだ。椅子に座っている自分に対して、皆まわりを囲むように胸を張って、顎を突き出して見下ろしている。

――何て冷たい目をしているんだ――

 恐怖に震えが止まらなかった。その頃は分からなかったが、いつの間にか苛めがなくなってしまうと、やっと閉鎖的で対田的な人間性というものの正体が分かった気がした。

 苛めはなくなったが、誰も敦少年のことを意識する人はいない。完全に無視していて、まるで目の前にあっても誰にも気づかれることのない「石ころ」のようだった。

「田舎の人というのは、都会から来た人に対して、最初は物珍しさからなのか、近寄ってくるが、しょせん相手が都会の人間だと分かってしまうと、心を閉ざしてしまう。嫌がらせも平気でするようになるのは、田舎者同士の結束が固いから、集団意識の中で、悪いと思う感覚がマヒしてしまうんじゃないか?」

 という分析をしてみたが、それで苛められたのではこっちが溜まったものではない。こちらもたった一人ではあるが、少しでも抵抗してやろうと思ったものだ。

 敦は、中学受験することに決めた。県立中学を受験し、合格すれば、この街だけの生徒ではない。そう思って、五年生くらいから一生懸命に勉強した。おかげで県立中学に合格し、それまでの閉鎖的な環境から逃れることができた。

 敦は、あまりまわりの環境にすぐに馴染める方ではない。性格的には不器用で、自分が思っていることをすぐに顔に出してしまうところがあったので、なかなか田舎に馴染むことができなかった。

 しかも、苛めを味わうと、相手が謝ってくるまで、意地でも相手に折れるようなことはしたくなかった。

「正直者だが、頑固者でもある」

 というのが、敦の性格の根底にはあった。

 小学生の頃は、田舎を転々としていたので、苛められたのは、最初の田舎の学校だけだったが、どうしても、その時のトラウマが残っていたので、転校した学校でも馴染むことができなかった。

――やっぱりここも閉鎖的なところなんだ――

 それが県立中学に入学を希望した理由だったはずだ。

 しかし、皮肉なことに、中学に入ると、今度は一転して都会暮らしだ。

――本当に皮肉なものだ――

 と思ったが、勉強をしていて損なことはない。

 今までの低俗な連中と違った人たちと一緒にいられることは、嬉しかったのだ。

 だが、今までと違い、まわりは自分と同等か、優秀な連中ばかりだった。気が付かないうちに、自分の気持ちの中に優越感が芽生えていたことを、中学に入って気づかされた。まわりが優秀な人ばかりなので、今度は今まで味わったことのなかった劣等感を味あわされることになった。

 それからの敦は勉強をすることはなくなった。成績も中の上くらいだったものが、中学を卒業する頃には、下の方になっていて、中間一貫教育だったこともあって、高校には進級できた。

 高校時代に知り合った一人の友達のおかげで、何とかグレずに済んだが、あのまま行っていればどうなったか、今から思えば恐ろしい。

 その友達は、何を言っても怒ることはない。ただ、心から笑っているような表情を見たことがなかったのが気になっていた。極端に喜怒哀楽を表に出すことのないやつだった。

 敦も喜怒哀楽をあまり表に出すことはなかったが、今まで自分のまわりにいた連中は、喜怒哀楽を簡単に表に出していた。そんな連中を見ていたので、敦自身が喜怒哀楽を表現することはなかった。何か楽しいことがあっても、相手に先に喜びを爆発されたら、こちらはどんな表情をすればいいのか分からなくなってしまう。

 ついつい相手に合わせてしまう性格は、子供の頃に気づかない間に相手を傷つけてしまっていたことが頭にあったからだ。相手が閉鎖的な連中だったので、それが苛めに繋がったことがトラウマとなってしまったが、本当は最初に自分が相手を傷つけてしまったことが原因だったということは、自分でも分かっていた。

 彼の名前は、飯塚智也と言った。飯塚君は、どうして喜怒哀楽をあまり表に出さないのか、なかなか分からなかった。そんな飯塚君と話をしていると、自分の中にあるものが掘り起こされるようで、自分の中にあるトラウマを再認識できた。

 いや、気づいているつもりで気づいていなかったのかも知れない。飯塚君と話をしているうちに、もう一人の自分が過去の自分を掘り起こしている感覚を覚えた。こんな感覚はそれまでにはないものだった。

――こんな感覚は他の人にはあるもので、飯塚君と知り合えて、自分もやっと人並みになれたんだ――

 と感じていた。

 飯塚君に知り合うまでは、成績がみるみるうちに下がってくることで、自己嫌悪に見舞われていた。

――これが俺の本当の姿なんだ――

 自虐的な考えが頭の中に充満し、何とかそんな自分を納得させようとしている。

 しかし、それは本当の自虐ではなかった。

 自虐を演出することで、自分を納得させようとするのは、まわりに対して気を遣っていると感じさせるもので、言い訳がましい自分を隠そうという思いがあったのだろう。

――まわりの人は、そんな俺の考えを分かるはずもない――

 と思っていたが、そのことを飯塚君に、簡単に看過された。

「他の人も分かっているのかな?」

 と、急に心細くなった敦は、飯塚君に聞いたが、

「そうかも知れないけど、そんなことを意識するんだ」

 と言われて、ハッとした。

「普通、気になるものなんじゃないの?」

「気にはなるかも知れないけど、自虐というのは、人に知られたいという思いから現れるものだって思うんだ。それなのに、まわりが気になるということは、本当の自虐ではないんじゃないかな?」

 と言われて、今までの自分の考えが口から出てくるのを感じた。

「自虐というのは、僕にとっては、アピールのような気持ちでもあったんですよ。だからまわりが自虐な自分を見て、気の毒に思ってくれるのを、期待していたのかも知れない」

「でも、気の毒に思われるのって、自虐をさらに煽るものなんじゃないかな? つまりは堂々巡りを繰り返すことになる。僕はそんな気がするんだ」

 そう言った時、飯塚君は少しくらい表情になった。

 理由はすぐに分かることになるのだが、

「堂々巡りは感じたことがあります。でも、今から思うと、堂々巡りのおかげで、レッドラインを越えなかったのかも知れないと思うと、複雑な気持ちです」

「俺も、以前は自虐の塊だったんだ。君と同じで、苛めに遭ったこともあった。僕の場合は中学時代だったので、相当陰湿なものだったよ。今立ち直ったのが不思議なくらいで、君には同じ経験をしてほしくないと思ってね」

 と言って、飯塚君は腕の袖を捲って、手首を見せてくれた。

 そこには、生々しい傷跡があった。そして、一言、

「躊躇い傷さ」

 と言って、笑い返すことのできない笑顔を、こちらに向けたのだ。

――自殺を考えるようになるまで追い詰められていたなんて――

 と思うと、気の毒というよりも、飯塚君という人間が、急に遠い存在に思えた。

「そんな顔しないでくれよ。本当はそんな顔を見たくないから、誰にも言わなかったんだ」

 悲しそうな顔になった。

 やはり喜怒哀楽を押し殺しているというよりも、それ以上の表情ができないようだ。今までに本当の笑顔や悲しい顔を表に出したことがあるのかどうか、分からなくなってきた。

「自殺をする時って、自分を意識するとできるものではないんだよ」

「どういうことですか?」

「自分以外の誰かになったつもりで、その人から殺してもらうという気持ちにならないと、自分から死のうという気持ちにはなれないということさ。確かに死ぬしかないという思いは強くなる。そこまでは自分一人の感覚なんだけど、ずっと自分一人で考えているだけでは、自殺までは思いきれないんだ。やっぱり、堂々巡りを繰り返してしまうからなのかも知れないね」

 ただ黙って聞いているだけだったが、きっと真剣な表情になっていることだろう。

 しかし、この話を聞くのに、

――相手のつもりになって――

 という感覚では、感じることはできない。

 飯塚君が自殺を思い立った時に感じたように、もう一人の自分を創造して、そのもう一人の自分に、飯塚君のつもりになってもらわなければ、話を聞いていても、納得できるところまでに至ることはないと思えた。

 元々、自殺を考えたことのない敦には、飯塚君の言葉を他人事としてしか感じることができないだろう。その思いは、せっかく話してくれている相手に失礼だという気持ちの表れでもあった。

 飯塚君の手首は今でも目を閉じると、瞼の裏に感じることができる。自殺というキーワードを一番身近に感じたのは、後にも先にもその時だけだった。

 敦は、飯塚君とは今でも交流があるが、飯塚君は大学を卒業すると東京に出ていった。東京の大手企業に就職したが、それなりに悩みもあるようだ。最近は連絡を取っていないが、元気でやっているのだろうか?

 樹海で死体が発見されたと聞いた時、すぐに思い浮かんだのが飯塚君の手首の光景だった。

――自殺する時って、どんな気持ちになるんだろう?

 死を目の前にして、「怖い」という感覚が沸き起こるのは、百人中百人がそうであろう。その「怖い」という感覚は、死ぬまでに感じる痛みや苦しみに恐怖を感じるのだろうか、それとも、死んでしまって、この世に未練が残ることを怖いと思うのだろうか? 実際に自殺を試みたことのない敦には分からなかったが、人から自殺の話を聞いたり、自殺死体が見つかったという話を聞くと、そのどちらかを思い浮かべ、結局結論が出ないまま、どこか納得がいかない感覚に陥っていた。

 この感覚は、飯塚君から手首を見せられた時には感じなかった。いつから感じるようになったのか、自分でも分からなかったが、

――飯塚君から手首を見せられた時、もう一人の自分が感じていたことなのかも知れない――

 と思うと、納得できる気がした。

 もう一人の自分を思い浮かべると飯塚君は言ったが、敦の場合は、自然と創造できているくせに、その存在を認識できていないのではないかと思うと、自分も自殺したいと思った時、自殺を計画するところまでは行かないように思えた。計画するのにも、もう一人の自分の存在を意識できなければ、先には進まないと思うようになっていたのだ。

 人が死ぬ瞬間をまともに目の当たりにしたことがあった。

 あれは、大学に入学が決まって、高校卒業してから、卒業記念に呑み会を催した時のことだった。

 メンバーの半分くらいは、高校時代からスナックやバーの経験はあったようで、アルコールを口にしたことのなかったのは、敦くらいのものだった。

 元々、アルコールは苦手だと思っていた。

「甘党の人は酒呑みになるか、まったく呑めないかのどっちかだろうな」

 という話を思い出し、自分は苦手な方だと思うようになっていた。

 実際に、呑み会で出された水割りも、半分も呑めず、何とかさらに水で薄めて、少しtずつ飲んでいる程度だった。

「食べながら呑まないと、酔いが早く回るぞ」

 と言われていたので、何とか食べるようにしたものの、呑みながらだと、思ったよりも腹にもたれるもので、せっかくの料理があまり食べられなかった。

 しかも、あまり広くない店内に、人が密集していることで、息苦しさも感じ、それがさらなる酔いを引き寄せる。気が付けば時間が経っていて、胸やけを感じながら何とか襲ってくる頭痛に耐えながら表に出ると、冷たいはずの風が、心地よく感じられた。

 表では、皆ほろ酔い気分で、大声を出す者、道いっぱいに広がって歩いている連中、普段なら許されないことでも、まるで他人事のように見ていると、頭痛が少しずつ収まってくるのを感じた。

 本当は慣れてきただけなのに、痛みが収まってきたように感じるのは、感覚がマヒしてきた証拠だった。

――頭が脈を打っているようだ――

 と感じると、収まったはずの痛みがまたぶり返してきそうで、

――こんな思いをするんだったら、呑んだりしなければよかった――

 と思うようになった。

 酔っぱらっている連中を見ていると、苦しんでいる自分をよそに好き放題の連中に腹も立ってきたが、逆に、

――放っておいてほしい――

 という思いがあるのも正直な気持ちだった。

 足が攣った時、痛みに耐えながら、

――知られたくない――

 と思って、何とか痛みに耐えていることがあった。

「大丈夫か?」

 などと下手に慰められると、却って痛みが増幅してしまう。

――本気で心配なんかしてくれているわけではない――

 と感じると、余計な心配は却って自分が気を遣わなければいけなくなりそうで、それが嫌なのだ。

――痛みを堪えなければいけないのに、どうしてまわりに気を遣わなければいけないんだ?

 と思うことで、放っておいてほしいと感じるのだ。

 また、本気で心配しているわけではないと、心配そうにしている表情は、痛みを増幅させる表情にしか思えない。わざとらしさは、自分が痛みを感じている時、一番感じられるのではないかと思わせた。

 まわりが自分に構うことなく、酔いに任せているのは、敦にはありがたかった。

 こちらも他の連中に構うことなく、バス停のベンチに座り込んでいた。次第に他の連中の姿が見えなくなってくるのを、ぼんやりと眺めている自分が、その時他人事のように思えた。

 そのバス停の向こうには、国道が見えていた。上を高速道路が走っていて、車のヘッドライトの明るさよりも、テイルランプの赤い色の方が印象的だった。

 視力はいいので、国道くらいまでであれば、普段なら鮮明に見えてくるはずなのに、遠ざかっているはずのテイルランプの真っ赤な色が、どんどん大きくなってくるのが不思議だった。

――視力が悪く、眼鏡をかけるようになって、眼鏡をはずした時が、こんな感じなのかな?

 と感じていた。

 爆音とともに、遠ざかる一つのテイルランプから目が離せなかった。酔っていると、一つのものに目が行ってしまうと目線を切るのは難しいということを後になって気づいたが、一番最初に気づいたのは、本当はその時だったのだ。

 テイルランプが一つであること、爆音が身体にゾクゾクとしたものを与えるほどだったことを思うと、それがバイクであったことは明らかだった。

 バイクの真っ赤なぼやけたテイルランプを意識していたのがどれほどの時間だったのか、そう思うと同時に、

「ガッシャン」

 という音とともに、

「キーッ」

 という引き裂かれるような音がしたのを感じた。

 遠くから、女性の悲鳴が聞こえた気がした。その時はすでに頭痛はなくなっていて、

――酔っぱらっている場合ではない――

 という緊急な気持ちが頭にあったのも事実だった。

 それでも、すぐに身体が動かせるわけではなく、気が付けば、救急車のサイレンの音と、パトランプの回るのが見えた。急に鼻を衝く匂いを感じた。鉄の燃えるような匂いだと思ったのは、ゴムが焼ける匂いだったのかも知れない。バイクからはガソリンが漏れていて、火が上がっていた。

「危ないぞ」

 という声が聞こえ、悲鳴とともに、人が逃げてくるのが見えた。

 後から聞くと、けが人が数名いた程度だということだったが、その場はまるで戦場のようなあわただしさで、逃げ惑う人をその時に初めて見たのだ。

 救急車がサイレンを鳴らし、走り去るのを見ていると、次第に意識が遠くなってくるのを感じた。どうやら夢を見たようだが、あまりにもリアルな惨状が目の前に飛び込んでくる。

 血は飛び散り、夢なのに、匂いも感じた。

――色や匂いを夢が感じるものなのか?

 と疑問に感じていたようだった。

 夢の中では、色も匂いも感じないものだと思っていた。あくまでも、現実世界で感じたイメージを夢の中で見ることで、色や匂いを感じているように感じるのだろう。

「夢というのは、潜在意識が見せるもの」

 という話を聞いたことがあるが、まさにその通りではないだろうか。

 現実世界で、

「以前にも見たことがあったような気がする」

 というのを、デジャブというが、夢の世界では、見たことがあったという意識はないが、潜在意識が見せるものだと考えれば、

「夢というのは、デジャブの一種だ」

 と言えなくもない。

 逆も真なりで、

「デジャブの一種が夢だ」

 と言えないだろうか。

 どちらも正しいように思う。それだけ、夢とデジャブの共通項は多いのかも知れない。

 デジャブを辻褄合わせの一種のように感じている敦は、夢というのも、何かの辻褄合わせのように思うことがある。その証拠として、ちょうどいいところで目が覚めてしまうことが多いからだ。

 ただ、目が覚めてしまうのではなく、覚えていないだけという考えも成り立つ。本当は最後まで夢を見ているのだが、肝心なところから記憶が欠落している。目を覚まそうとしている時に、記憶が飛んでいるのかも知れないとも思えた。

 記憶喪失の人は、すべてを忘れているわけではない。自分が誰なのか、まわりの知っているはずの人を知らないなどという形での記憶喪失なのだ。本当に記憶がないのであれば、食事の仕方や、トイレの使い方など、基本的なことを忘れていないというのもおかしいのではないかと思うのは、敦だけだろうか。

 他の人から、同じような疑問を耳にしたことはない。そのために、自分から問題提起するのが恥ずかしいという思いがあるが、他の人も同じ思いなのだろうか。それとも、何か自分を納得させられる言い訳を、持っていたのであろうか。

 言い訳という意味では、説得力のある考えを敦は持っている。

「完全に忘れていないものは、記憶が覚えているわけではなく、本能で覚えているから、忘れることはないのだ」

 と、自分に言い聞かせてきた。

 記憶喪失の「記憶」というのは、意識しての部分を記憶というのだろう。無意識に行動する本能は、「記憶」される部分とは違った場所に格納されている。記憶喪失には、意識の中でショックを受ける何かが原因となって、失われるものだ。そう思うと、自分を納得させることはできる。

 しかし、疑問という意味で、まだ完全に払しょくされたわけではない。どうしても、言い訳という域を抜けていないような気がするからだ。

 そういう意味で、夢を見ている時に、色や匂いを感じないというのは、あくまでも「記憶」というのが、本能を外した部分での意識だと思っているから、色や匂いを感じないものだと、勝手に思っているだけなのかも知れない。

 何しろ、目が覚めるにしたがって、夢の意識は遠のいていくのだから仕方がない。遠のいていくのも、

「夢というのが、現実世界と明らかな境界を持っていて、意識していては通り抜けることのできない結界を通り超えることができることで、夢の中の意識を犠牲にしているのではないか」

 という考えに近づいているからなのかも知れない。

 事故現場というのは、本当に悲惨なもので、それまで真っ赤に感じていた色が、事故現場を見てしまったことで、意識はいきなりモノクロに変わってしまった。

――血の色は真っ赤よりも、真っ黒の方が恐ろしい――

 テレビの残酷シーンが映し出される時、時々モノクロの演出があるが、カラーよりも、生々しく感じられたのを思い出していた。

 しかも、動いているシーンよりも、スライド写真のように、一枚一枚残虐なショットを写される方が、気持ち悪く感じた。

――子供の頃の記憶がほとんどだけど……

 今から思えば、酔いも手伝っていたのか、目の前に惨劇を見た時、モノクロだったのを覚えている。一枚一枚同じ時間でのスライドだったはずなのに、シーンによっては、他のシーンの何倍も目に焼き付けようとしたのか、シーンがなかなか変わらなかったものもあった。

 惨劇のシーンをくどくどと書き連ねる気もしないが、いかにその惨状を表現できるかということを考えると、やはりモノクロの場面をイメージしてもらうのが一番だと思う。実際に忘れていた記憶を引っ張り出した本人である敦も、モノクロのシーンが最初に思い浮かんだのだから、その時見た映像を、

――これは夢なのではないか?

 と思いたい一心から、心の中で色を消してみたが、実際に色を消してしまうと、これほど惨劇を脚色するものもないことに、今となって気づいたのだった。

 人は、この世のものではないと思えるようなものを見ると、

「夢であってほしい」

 と思うものだ。

 例えば幽霊を見たり、人の死に立ち会ったりすると、そこから逃げたい一心から、夢に逃げようとする。

 しかし、夢というのは、本当に逃げることで、救われる場所なのだろうか?

 実際に夢の世界を見てきた人はいない。夢の世界からは帰ってこれるので、死の世界とは違うものだと思っているが、本当に夢の世界からは帰ってこれるのであって、死の世界に入り込むと、絶対に帰ってこれないと言い切れるのだろうか?

 子供の頃から、

――帰ってこれないところに入り込むのが一番怖い――

 と思っていた。

 小学生の頃、家の近くに廃工場があった。自分が物心ついた頃にはすでに操業しているわけではなかったが、不気味な感じもなかった。一年、また一年と、さびれていく跡地には、雑草が生い茂っていた。

 友達の中には、わざと廃工場を選んで鬼ごっこをしようと言い出すやつもいたが、怖がりだった敦には、とても廃工場で遊ぶ気にはなれなかった。

 廃工場跡には、大きな冷蔵庫があった。人が二、三人くらいは言っても、まだスペースがあるくらいのものだったが、傾いていて、扉が半分開いていた。

――間違って入り込んで、もし扉が閉まっちゃったら、どうなるんだろう?

 恐怖の原因はそこにあった。

 一番の恐怖を想像しておきながら、

――本当の怖さは、まだ他にあるのでは?

 と感じていた。

 今だと、本当の恐怖が分かる気がする。

 入り込んでから、扉が閉まってしまうと、真っ暗な中に閉じ込められる恐怖、そして、誰にも気づかれることはないという果てのない言い知れぬ恐怖。そして、すぐに死んでしまうのではなく、いずれ、水も食べ物もなく、酸素もまともに供給できないその場所で、もがき苦しみながら死んでいく恐怖。

 実際に想像することは不可能だった。

 テレビドラマなどで、殺人の場面をボカシながら映しているが、閉じ込められて、苦しんでいる姿というのは、ボカス以前に、テレビでの放映に耐えられるものではないだろう。

 しかし、人の想像力というのは、人それぞれではあるが、果てしないものである。想像しようとすればできなくはないが、誰もが想像することの恐怖を知っているからなのか、想像することをしない。

 そのことについて、考える余地もなく、考えないようにしているが、敦は敢えてそのことを考えようとしている。

 それは、子供の頃に見た目の前で起こった惨劇を、少しでも和らげて思い出そうとする表れなのかも知れない。

 しかし、本当の恐怖を想像しようとしている自分に気づき、ハッとして、想像するのを止めようとする。

――何かの力が働いて、恐怖へといざなおうとしているのではないだろうか?

 と、余計なことを考えてしまう自分は、どうかしてしまったのではないかと思うようになる。

 夢もデジャブも、自分の中に持っている記憶の奥に封印した恐怖体験を、少しでも和らげるために見るのではないかと思えてきた。

――ということは、生まれ持った恐怖が、最初から記憶の奥に封印されていたのではないか?

 という想像も成り立つのではないか。

 夢とデジャブは、共通点が多いと思いながらも、そのことに気づかないのは、それぞれを一つにして考えると、恐怖が相乗効果をもたらして、現実世界との結界が破れてしまうのではないかと考えてしまう。

 敦は、

――死体を目の当たりにした時の恐怖――

 あるいは、

――冷蔵庫に閉じ込められる恐怖――

 その二つを、いつも心の底に秘めていたのかも知れない。

 余計な想像をすることもなく、今まで生きてきたが、絶えず不安と背中合わせだったような気がしている。この街で出版会社に就職したことをあまり深く考えないようにしてきた。

 もし、この街に樹海がなければ、ここまで意識もしなかったかも知れない。しかし、現場責任者として安藤さんが入社してきてから、敦の考え方が少し変わったのも事実だった。そんな時、樹海から自殺死体が発見されたという話を聞いた時、しかも、それが神社の裏手にある空き地から少しだけ入ったところだと聞いた時、少し不思議な気がしていた。

 最初はその不思議に感じた思いがどこから来るのか分からなかったが、よく考えてみれば、確かにおかしい。

――樹海の中で自殺するのであれば、富士の樹海のような、一度入ったら出られないと言われるようなところですればいい。しかし、わざわざ、ここの樹海を選び、自殺方法も首を吊っての自殺だったというのは腑に落ちないんだな――

 そう考えた。

 首吊り自殺であれば、別にこの場所でなくともいいではないか。

 しかも、後から聞いた話では、自殺した女性は、この街の住民ではないという。少し離れたところに住んでいて、別にこの街に会社があるというわけでもない。縁もゆかりもないこの街でわざわざ自殺する理由もないだろう。

――ひょっとして、彼女の自殺の原因が失恋にあるとすればどうだろう?

 とも考えた。

――失恋の相手がこの街の男で、当てつけにこの街で自殺を試みた――

 そう考えてみたが、これもおかしい。

 だとすれば、遺書に相手の男に対しての恨み言を書いておくべきだろうし、相手の男の部屋の近くで自殺をすればいい。わざわざこんな入り込んだところで、いくら樹海の浅いところで自殺したとはいえ、すぐには発見されないこんなところを自殺の場所に選んだというのが不思議だった。

 この自殺に関しては、不思議なことが多すぎる。

 遺書の内容からも、自殺の原因に繋がるようなことは何も書いていなかったという。ただ、自殺することに決めたので、ここで死にますと書かれているだけだった。

――死ぬということが恐ろしくなかったのだろうか?

 敦の友達の飯塚君も自殺を試みたことがあったというが、その時の躊躇い傷を見せてもらったことがあった。

「自殺しようと思っても、なかなか思い切れるものではない」

 と言っていたのを思い出した。

 確かに、自殺しようと思った人が、本当にその場で自殺できるのであれば、もっとたくさんの人が自殺しているに違いない。

「人って、誰だって一度くらいが、自殺を考えるものさ」

 死にきれなかったが、自殺を考え、未遂に終わったとしても、覚悟を一度は決めた人間がいうのだから、説得力はあった。

 そういう意味では、一思いに死ぬことのできた人を、

――潔い――

 と思うこともできる。

 さすがに尊敬まではできないが、初志貫徹という意味では、立派な最期だと言えなくもない。こんなことを言うと、

「バカなことを」

 と言われるに決まっているが、いくら死を選んだ人とはいえ、初志貫徹できた人のことを、バカ呼ばわりなどできる人はいないだろう。そんな権利は、存在しないのだ。

 いろいろなことを考えていると、

――僕も、おかしくなってきたのかな?

 という気分になってきた。

――死ぬのなんて怖くない――

 と思うようになり、

――どうせ、人は誰もが一度は死ぬんだ。死を覚悟した時に死に切れるのが、一番幸せなのかも知れない――

 とまで考えるようになった。

 年老いて死んでいく時、苦しまないとは誰が言えるだろう。今なら、苦しまずに死ぬ方法さえ見つかれば、その時に死んでしまった方が、覚悟という意味では楽ではないか。

 そう思うと、生きていることの意味がどこにあるのかということを再確認してみたくなった。

――僕は何のために生きているんだろう?

 自分の中からは何も答えてくれない。こんな時に限って、もう一人の自分も沈黙していた。

――人が自殺したくなる気持ち、分かってきたような気がする――

 そんなことを感じた。

 こんなことを考えるということは、自分がネガティブになっているからだろう。何か原因があるのではないかと思ったが、思い浮かばない。

――樹海が呼んでいる――

 次第に自殺への意識が強くなり、ついには、そんな風に考えるようになったのだ。

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