生者に願いを
赤い紅茶
第一章 鏡の世界の殺人鬼
第1話 プロローグ
目を覚ますと、白い天井が目に飛び込んできた。横になっているようだ。
そのまま上体を起こすと、なぜか掛け布団が体のすぐ下に敷かれていて、ベッドの上にいることに気が付く。
「気が付いた!」
声のした方を見ると、制服の上から白衣を着た同年代くらいの女子いた。ショートとセミロングの中間の長さの黒髪に整った鼻と口に凛とした目が特徴的な女の子だった。思わずドギマギしてしまう。
「調子はどうですか?」
体の不調はなさそうだった。しかし、自分自身について思い出そうとするが、頭にモヤがかかっていて、記憶がすっきりしない。
「記憶が……、思い出せない……」
女子が心配そうな表情でこちらを見つめて、「名前も思い出せませんか?」と訊いてきた。
「それは大丈夫、俺の名前は
俺自身の名前は憶えていた。
やや冷静になって、自分の着ている服装を見てみる。病院服のようだ。
「ここが、どこですか?」
「診療所です」
部屋は狭く、白を基調とした壁紙に床には木のタイルが貼られている。
「少しお待ちください。先生呼んできます」
女子はドアを開けて出ていった。
一人になったところで部屋を冷静に見てみる。室内はベッドや小さな棚、観葉植物など、必要最低限なものしかなく殺風景だが、窓からは、手入れが行き届いた芝生や木々が見えた。
室内に目を戻すと、奇妙なかけ時計を見つけた。文字盤は見慣れたアラビア数字だが、文字が反転し、数字の位置も反対で、秒針も逆回転していた。ここは鏡の中の世界なのか? 思わず頬をつねってみたが、ちゃんと痛みはある。
女子が白衣姿の男性を連れてきた。優しそうな眼をした四十代くらいの男性だっだ。
「
「中沢修一です」
「中沢くん、記憶が思い出せないと言うのは本当かい?」
「はい。一部、覚えていることもあるんですけど……」
「ゆっくりでいいから、覚えている内容を話してくれるかな」
と言われて戸惑った。俺は養護施設にいた人間だった。
「……俺と養護施設の職員さんの顔と名前、それから……」
俺は思い出して、記憶のある情報を伝えていく。
中学を卒業したことは覚えていたが、それ以前の記憶も頭に靄がかかっている部分が多い。例えば、修学旅行に行ったのは覚えているのに、行き方を覚えていなかったり、施設の友人がいたことを覚えているが、その友人の顔と名前がわからないと言った感じだ。特に記憶がないのが、最近の出来事や、友人関係だった。
「能力――超能力は憶えてないのかい?」
「はい、ええと……、超能力ってなんですかね」
「そうか、超能力の存在も忘れていると」
天宮先生は真剣な表情で、少しの間、黙って考え込んでいた。
「学校の教科は覚えているかい?」
「……国語、数学、物理、英語、体育、化学、歴史ですか?」
「実はもう一つ教科として超能力がある」
――今日の能力検査の結果もダメだったみたいだな。
それはテノールの男子の声だった。男子の顔は靄がかかっていてわからない。
――勉強すればいつかお前も使えるようになる可能性がある。
男子はプリントを見ているようだった。俺が何か言ったんだろう。男子は顔を上げて、
――論文だ。俺には目標がある。
「何か思い出せたのかい?」
「実は――」
俺は今、思い出したことを伝えた。
「フラッシュバックだね。どうやら、能力が記憶を取り戻すキーワードだったようだ。恐怖心のようなものはあるかい?」
「少しだけあります」
「そうか。他にも試してみよう。恐怖心を感じたらすぐに言ってくれ」
天宮先生はそう言って、「車は?」と訊いてきた。
「知っています」
「能力石エンジンは?」
俺は頭を横に振った。
「話を変えよう。ちょっと負荷がかかるかもしれないが、気になることがあったらすぐに教えてくれ」
俺は頷く。
「盗難事件……、殺人事件……」
怖い。俺は耐えられなくなって、その場で頭を抱えた。
「大丈夫かい?」
天宮先生が優しい声で訊いてくる。顔を上げると、天宮先生と女子が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫です」
「どうやら、先ほどのワードが記憶の鍵になっているようだ」
殺人事件がキーなのか、でもどうして?
「質問を続けさせてもらってもいいかい?」
「はい」
学校の人間関係のことを訊かれたが、小学校と中学校のどちらもあやふやになった。特に友人関係については壊滅的だった。
「どうやら、記憶喪失の中の系統性の解離性健忘だね」
「系統性ですか?」
と俺が訊くと天宮先生は頷く。
「特定の内容に関連する記憶を忘れることだよ。中沢くんは超能力に関係することを忘れている。それから交友関係だね」
「超能力って、本当にあるんですか?」
「僕の手を見てくれ」
天宮先生が杖のようなものを出し、手の平に向けると、驚くべきことに白い光とともに水が溢れ出す。俺は思わず目を疑った。
うそ……、だろ……。
「俺、異世界に来たのか!?」
女子と天宮先生は顔を見合わせていた。
先ほどの女子同年代くらいの女子が食事を運んできてくれた。訊けば天宮先生の娘さんで
お盆に置いてある食べ物はおかゆと煮物だった。こちらの世界と同じ食事のようだ。お腹がすいていたので、感謝の言葉を伝えて、すぐに食べようとしたが、スプーンを握った右手に軽い痛みが走り、スプーンをお盆に落としてしまった。
「まだ治りかけだから、痛みがあるなら使わない方がいい」
天宮先生の助言に従い、左手でスプーンを握って食べ始める。
「料理には見覚えがあるかい?」
「はい、おかゆと煮物ですよね」
食べ物の口当たりは良かったが、甘みや旨味がなく、味があまり感じられなかった。
「味はどうですか?」
と天宮菜衣が笑顔で尋ねてくる。料理は苦手なタイプなのか。
「お、おいしいですよ」
俺は嘘を付いた。
天宮先生に入浴を勧められて、お風呂に入った。
浴室内は特別なことはなく、シャワー、シャンプー、石鹸なども完備されていた。
俺は鏡を覗いてみた。少し強面の顔が、こちらを見ている。記憶にある自分の顔だった。
右手を動かすとまだ少し痛みがあるが、左手は自由に動かせた。利き手は右手だが、当面は左手を使うことにする。
風呂から上がり、天宮菜衣が用意してくれた病院服に着替える。服はボタンが左利き用で右手が使えない俺にはちょうど良かった。天宮菜衣が気を使って用意してくれたのか?
廊下を出たところで天宮菜衣と出くわした。彼女はパッと笑顔を作り、
「お湯加減はどうでした?」
と訊いてきた。
「ちょうどよかったです」
「それはよかったです」
「俺が当時、着ていた服はどこに?」
「明日、部屋に持っていきます。今日は部屋に戻って休んでください」
「お世話になります」
俺は挨拶をして、自分の病室に戻った。
ベッドに横になると期待感と少しの不安感が襲って来た。大丈夫となぜか漠然とした安心感があった。
目を閉じると心地よい眠気を感じた。
あっさりとした味の朝食後、天宮先生による触診や口頭で診察が行われた。訊くところによると、再生医療によって右手を治したらしい。
治療前は重傷で右手は切断されていたそうだ。その衝撃的な話に俺は呆気に取られて何度か右手を確認したが、接合部の痕跡などはなく綺麗な状態だった。これも超能力らしく、生命操作で腕ごと再生したそうだ。
検診が終わると、天宮が服を持ってきてくれた。学校の制服のようなズボン、ワイシャツ、そして革靴だった。当時、俺が着ていたものだという。
それからベルトに付けるポーチだ。中を見て驚いた。携帯電話と財布、学生証が入っている。財布の中身を見ると、特徴のない笑顔と東京都第一区第一高等学校と書かれた学生証があった。財布の中には一万円と小銭がいくらか程度だった。印字されている文字や数字はやっぱり鏡文字になっている。携帯電話にも触れてみたが、パスワードでロックがかかっているためわからない。
ワイシャツは病院服と同じように、左利き用だった。ズボンも同様のようだ。記憶では俺は右利きだった。
俺の記憶が間違っているのか?
よく考えてみれば、左利き用の服なんてあまり聞かないような気がする。
悩んでも答えは出なかったため、左手でボタンを留めて、ズボンを履き、ベルトを締める。
「さて、外に行くか」
俺は窓から靴を放り投げて外に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます