ラーメン屋を通り過ぎて

濫(仮)

第1話

 持て余しているのは、“恋愛感情”というものだった。


 自分から誰かを好きになるという経験はなかったし、そもそも恋仲というものを“終わりがある関係”と捉えていたので(今もその認識は変わっていない)、特定の人物に特別な感情を抱くことは避けてきたし、何より病気を患っていた私には、そういう感情にリソースを割けるほどの心理的余裕はなかったので、まさか自分にこういう感情が湧き上がるとは思わなかった。だから、持て余している。

 彼とどうこうなりたいとは思っていない、というより、そういう関係にはなり得ないと考えている。それが自分自身の現状を鑑みて下した、私の結論だった。「相手に自分と付き合うメリットがないから」という理由が一番大きいが、詳細は割愛する。

 私は“恋愛モノ”というカテゴリーに属する全てに大変疎かった。今までアニメ、漫画、ゲーム、小説、映画……などで、沢山の物語に触れてきたが、“恋愛”を主題にした作品にはどれも、ピンとこないというか、水が合わないというか、とにかく“自分とは乖離したもの”という感想で終わってしまっていた。おそらく、物語の登場人物たちに強い共感を抱かなかったからだ。

 恋に焦がれる感情も、誰かを素敵だと思う感情も、全てが分からないわけではない。ただ、人生における優先順位の中で、恋愛は常に低かった。もともと私はそういった欲求が薄く、更にその上、精神的に余裕のない生活をしていたのが災いしたのだと思う。

 だから、私は自身に湧き上がる感情を感慨深く思った。まさか自分が、恋愛感情の当事者になることがあろうとは。戸惑い、意外、驚き、喜びの四つの要素が、その感慨深さを支えた。

 こんなに感情が思い通りにいかないことが今まであっただろうか、と自分に問いてみる。もちろんはじめての経験だ。常に頭のどこかで彼のことを考えている。思考が圧迫されて、気がついたら彼について考えることばかりにエネルギーと時間を注いでいるのだ。気がつくと「こうなったらいい」「ああなったらいい」と未来に起こるifの出来事を想像している。

 我に帰ってから自分の思考回路を振り返って、「我ながら随分と滑稽なことをしている」と思わずにはいられなかった。何故なら、もう既に対象の「彼」とは、以降ほぼ会うことはないからである。彼とはもうほとんど「終わった関係」なのだ。

 なのに、彼と関係が終わった直後に、私の感情が始まってしまったのだった。

 私は笑うしかなかった。恋愛感情が湧き上がった際、私は夜の路上でからから笑っていた。


 ーー第一、帰宅途中に独り、ラーメン屋を通り過ぎようというところで、どうして唐突に恋が始まることがあるのだ。

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