第9話

 耳元で小さな電子音が短く鳴った。ヘッドディスプレイが回復した合図だ。赤城は映像を機人目線に切り替えた。

 映ったのは傾いた世界だった。それもそのはずだ。機人は投げ飛ばされて、駐車場に止められていた乗用車に背中を預けるようにして倒れこんだのだから。この不幸な車は誰のものだろうか。

 赤城がそんなことを考えていると、目の前を黒い影が横切った。

 それは人間の動きそのものだった。まるでアクション映画でも見ているかのように機人が動いている。頭はぼうっとしている。まだ夢の中にいるのだろうか。

 そんなことを赤城が考えていると、急に耳元で声がした。無線だ。


「搭乗者の方、無事でしょうか?」


 映像はなかった。どうやら、まだ機能が完全には回復していないようだ。

 赤城が口を開こうとした時、痛みを覚えた。血の味もする。どうやら、口の中を切ってしまったようだ。


「なんとか、生きてはいる」

「こちらは東儀警備保障の篠田と申します。現在、暴走した教習用機人につきましては、制圧が完了いたしました。この後、神奈川県警による現場調査になると思いますので、機人はそのままにしてコックピットから退出してください。もし、どこか怪我をしていて動けないとかあるようでしたら、こちらから救出に向かいます」


 赤城は自分の体でどこか怪我をしていないか探ってみた。肋骨が痛いのはあるが、手足は動くようなので問題はなさそうだ。


「大きな怪我はない。これからコックピットから出るよ」


 そう告げてから、赤城はディスプレイにタッチして機人から退出するためのコマンドを発行する。パソコンでいうところのログオフを機人にして、自分がオペレーターであるという状態から抜け出す。シートベルトを外す時に、また肋骨に痛みを覚えたが歯を食いしばって何とか耐えた。


 コックピットから出ると警備会社の制服を着た人間たちが自分を出迎えてくれた。肩を貸してくれたのは体の大きな男だった。声を聞いたとき、その男が先ほど無線で話した篠田ということがわかった。


 警察の事情聴取がはじまる前に、赤城は東儀警備保障の担当者から質問を幾つか受けた。彼らも彼らで出動記録を残さないといけないそうだ。質問などを担当したのは、先ほどの篠田だった。


 東儀警備保障からの質疑応答を終え、ロビーの椅子に座っていると缶コーヒーを差し出す人間がいた。赤城が顔を上げると、そこには見覚えのある顔があった。


「麻生……なんで、お前が」


 目の前に立っていたのは麻生琉衣だった。麻生は機人用のパイロットスーツに身を包んでおり、肩から東儀警備保障の制服を羽織っていた。


「そんなに驚くことはないでしょ、赤城くん。それにしても、まさかあんたが乗っていたとはね」

「それはこっちの台詞だ。さっきの装甲機人はお前だったのか」

「うん、そうだけど」


 あの機人とは思えない動き。パイロットが麻生であったというのならば、納得がいった。


「こんな形で再会するとはな」


 麻生と赤城は、警察学校の同期だった。警察学校の機人訓練では、麻生はいつもトップの成績を収めており、その後を追いかけるように赤城がいた。まるで自分の体のように機人を操る生徒がいる。当時、警察学校でも話題になるほど麻生琉衣の機人操縦は有名だった。

 警察官になったら絶対に装甲機人部隊に配属されるだろうと思っていたのだが、麻生は警察学校卒業と同時に赤城たちの前から姿を消した。何度か警察学校時代の同期と飲む機会があり、そのたびに麻生の話題が出たが、誰も麻生がどこの部署にいるのかなどは知らなかった。警察庁が極秘の装甲機人部隊を作っており、そこに麻生は配属されたのではないかなどという嘘か本当か良くわからない噂などもあったりしたほどだ。

 そんな麻生との再会がこんな形で訪れるとは思っても見ないことだった。しかも、麻生は警察の人間ではなく警備会社の人間となっていたというのだから、さらに驚きだ。

 お互いに警察官ではなくなっていた。いや、麻生は警察官になったのかどうかもわからない。同期では誰ひとり、警察官となった麻生琉衣の姿を確認していないのだから。

 そのことに触れても良いのかどうか考えながら、当たり障りのない近況などを話していたが、赤城はついに我慢が出来なくなり、口にしてしまった。


「麻生、お前はいつ辞めたんだ」


 その問いに、麻生琉衣は口もとに笑みを浮かべただけで答えようとはしなかった。

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