装甲機人

大隅 スミヲ

第1話

 上空に浮かぶUNと描かれた巨大なジェット機の音が耳ざわりだと感じなくなったのは、いつからだろうか。

 慣れというものは恐ろしいもので、逆にその騒音と呼べるレベルの音が聞こえない方が気持ちが落ち着かなくなったりするから不思議だ。

 耳ざわりな音といえば、もうひとつある。あのサイレンだ。正午になると、川を挟んだ対岸にある製紙工場のスピーカーから聞こえてくる甲高い音。これも最初の頃は、なにごとかと思っていたが、気がつけばあの音が聞こえてくるのが待ち遠しく感じたりもなっていた。まあ、それには理由がある。サイレンの鳴る正午は、ちょうど昼休みに入る時間だからだ。

 そして、きょうも空気を震わせるような甲高いサイレンが風に乗って聞こえてきた。


「もう昼飯の時間か」


 誰に言うわけでもなく朝倉あさくら英輔えいすけはひとり言を呟いた。

 目の前には太いパイプが何本も入り組んだ機械があり、その機械の内部を朝倉が頭に着けたライトで照らしている。朝倉の体勢は仰向けに寝そべっている状態であり、機械は天井から鎖を使って吊り下げられていた。コンクリートの地面と機械の隙間に、朝倉の体がすっぽりと入り込んでいる形だ。


「休憩すっぞ」


 整備班長の中嶋なかじまの野太い声が聞こえて来た。

 朝倉は自分の体を乗せているパネル板をスライドさせるために地面を思いっきり蹴とばし、その反動で機械の下から滑り出る。

 急に明るい場所に出たせいで、目がくらんだ。朝倉が顔を出した場所は、ちょうど天窓から太陽の光が差し込んできている位置だった。

 きょうも快晴のようだ。

 パネルから起き上がった朝倉は、首に巻いたタオルで汗を拭うと、そばに置いてある水筒から冷たい水を喉の奥へと流し込んだ。

 昼休みは一時間だった。正午から午後一時まで。近所の飯屋に出向いてゆっくりと昼食をとる人間もいれば、コンビニのおにぎりなどで手早く昼食を済ませて、そのあとの時間を昼寝に充てる人間もいる。要は一時間の自由時間なのだ。

 朝倉と同じように機械の下にもぐりこんでいた同僚たちも次々と姿を現す。その光景はまるで餌の時間になると巣穴から出てくる小動物のようだった。


「さて、きょうはどこ行くか」


 汗を拭いていた朝倉に声を掛けてきたのは、設楽したらだった。設楽は朝倉より三歳ほど年上だが、ほぼ同期入社であった。設楽とはどこか馬が合い、休暇には一緒に釣りへ出かけたりする仲だった。


「昨日は、なに食べたんだっけ」

「なんだよ、昨日の飯も忘れちまったのか。昨日は……あれ……なに食ったんだっけ」

「冷やし中華だろ。そして、朝倉がごま冷やし坦々麺。おれは餃子とチャーハンのセットだった」


 二人の会話に口を挟んできたのは、中嶋整備班長だった。中嶋は白髪交じりの短髪にタオルをハチマキのように巻いているため、どこか漁師のようにも見えなくはなかった。ただ、着ているのは油で汚れた作業着ではあるが。


「班長、おれ、きょうはカレーが食いたいんすけど」


 中嶋の後ろから現れたのは、身長一八〇センチ、体重一四〇キロという巨漢の豊洲とよすだった。豊洲だけは機械の下に潜り込む仕事を免除されていた。

 なぜならば、過去に機械と地面の間に挟まってしまい、整備班総出で引っ張り出すという救出劇があったからだ。それ以来、豊洲の仕事は重たい部品を運んだり、クレーンオペレータをやったりと別の仕事を振られるようになっていた。


「お、いいな。最近、ガネーシャには行っていなかったからな」


 ガネーシャというのは、近所にあるインドカレー屋の店名だった。二種のカレーが選べ、ターメリックライスとナンが食べ放題。さらにサラダとドリンクまでもがついているというサービス。そして何よりも、インド人シェフの作るカレーが美味いのだ。カレーは全部で五種類ある。バターチキン、シーフード、キーマ、ベジタブル、そして曜日によって種類が替わる日替わり。辛さはカレーの種類によってランク付けされてはいるのだが、日によって同じカレーであっても辛さが違っていたりする。朝倉たちはそれをシェフの気まぐれなどといって楽しんでいる。

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