獣の国

@monsutera888

第1話

 丘の山頂にたどり着くと、さきほどまで視界をおおっていた樹林が開け、大きな湖の周囲を取り囲むように森が広がっているのが見えた。

「いい景色! あそこが植物たちの村なの?」と、隣を歩く少女に話しかける。

「そう。あの湖を囲っている森が全部そう。人間ではないから森が彼らの村」

 あっさりとした口調で答えた彼女は、言い終わると頭まで隠したコートを脱ぎ始めた。

 フードから黒い髪の毛と、大きな立った耳があらわれた。

 狼の獣人の彼女、ロウは森の中では髪の毛や耳、尻尾の毛に虫がつくのを防ぐためにコートを纏っていた。

 汗をかなりかいたようで、シャツを胸元まではだけさせているが、女のわたししかいないのだから、あまり気にしていないのだろう。

 わたしもシャツのボタンを下着が見えない程度には開け、皮のジャケットはとうに背負ったザックの中だった。

「暑かった。森の中を通る時は流子が羨ましい」と、ロウがつぶやく。

「私はどんな道でも早く歩けるロウの足が羨ましいよ」

 おどけて答えて見せると、ロウが釣られて笑った。

「あそこにも人間はいるかな」

 ロウは首をたてにふる。

「きっといるだろう。むこうに谷があるだろう?

 湖の周辺はいくつかの山に囲まれて盆地のようになっていたが、その向こうに山の切れ間が見えた。

「あの先には山羊角の獣人たちの集落があったが、数ヶ月前に私たちの村に何人か逃げ延びてきた。ほかの仲間達はみな人間の国に滅ぼされたらしい」目を伏せながら、言葉を続ける。

「ごめん」

「なぜ君が謝るんだ。流子は人間だけど、わたしたちの味方だろう?」

 私たちがいる幻国と呼ばれる地帯には人間は住んでいない。ここの住人達は、獣人やエルフのような亜人たちから、精霊のように身体を持たないようなもの達まで様々だ。

 その中で、わたしは唯一の人間だった。

「わたしの同族が酷いことをいっぱいしているのが申し訳なくて・・・」

「だが、きみは幻国のためにいまここに立っている。そんなきみをわたしは信じるよ」ロウの紅い瞳が真っ直ぐにわたしを貫いていた。

「それに、流子は龍神さまに力をもらっている。わたしたちの神さまが、流子を信じたんだ。わたしたちが信じなくてどうするのさ」

 おどけたような喋りかたでわたしのことを励ましてくれた。鋭い犬歯をみせてニカっと笑うと、湖に向かって歩みをすすめるように促した。

 村に着いたのは、それから一時間ほどあとのことだった。

 

 村といっても、樹木の村なのではたから見たのではただの森にしか見えなかった。

 頭上から話しかけられるまでは。

「ようこそおいでくださいました。私はこの村の長を任されております、クスノキです。悪しき人間どもを撃ち倒すべくこの世界にいらっしゃった、龍の子と呼ばれる流子さまにお会いでき、たいへん光栄です」

 木にあいたうろに響かせたような低い声だった。

 歓迎の挨拶をしてくれたのは、周りの木よりもひときわ大きいクスノキだ。

 口や顔は見当たらないが、木々の隙間からさざめく音が聞こえるように、話しかけてくる。

「歓迎ありがとうございます。こちらには人間たちがなにか動いていないか確認にうかがいました」相手の口調に合わせて丁寧に言葉を選びながら要件を伝える。

「・・・実は、一つお願いしたいことがございます」

 若干の間を開けて、おずおずと声が降ってきた。

「われわれは地面に根をはっているため動けませんが、近くに生えているほかの植物を通して、会話をするのです。遠く離れた場所の鳥のささやきを聞いたり、どこに雨が降っているか知ることができます。そちらの獣人のロウさまは、この村が見下ろせる丘の上でコートを脱がれたのではありませんか?」

 思わずぎょっと目を見開いてしまった。コートを脱いだ事を当てられたのはもちろん、隣に立っているロウの名前はまだ言っていない。

「丘の上からは大きな湖が見えましたでしょう? 今わたしたちがいる場所からちょうど湖を挟んだ反対側にわたしと同じくらい大きな桜の木がおりますが、数日前から彼女の声が聞こえなくなってしまいました。これはなにかあったに違いありません。どうか、様子を見てきていただけませんでしょうか?」


 湖の対岸には、植物がなにもなかった。

 湖に面した一部だけかろうじて木が残っており、少し森の中に入ると、そこには掘り返された土と焼けこげて黒い炭になった樹木だけが残されていた。

「ひどいな」と足元の炭を掴みながらロウが言う。

「木材として使っているのかと思っていたけれど、ただ焼き払っているなんて・・・」

「クスノキが対岸の様子がわからなかったのは、対岸の植物がすべて殺されていたからか」

 ただ森に火を放つだけではこうはならない。雨が降ることもあれば、木の種類によっては、表面だけしか燃えないものもある。丹念に、一本一本の木々を焼き尽くすよう手を尽くしたのだろう。

 一体どうやったらこんな酷いことができるのか。

 身体のなかでなにかが沸騰していくような感覚を感じていた。

「流子、あちらで音が聞こえる。まだ人間がいるかもしれない」

 大きな耳でわたしには聞こえない音を拾ったのだろう。ロウの耳がまっすぐ上に立ち上がっていた。

「急ごう!」

 ロウが示す先にまだ人間がいるのなら、この報いを受けさせないといけない。

 

 人間たちはまさに破壊の限りをつくす最中だった。

 鎧をつけた人間が、数十人で大きな木を解体していた。

 揃いの黒光りする金属鎧は、人間の国の軍隊のものだ。

 もはや地面に倒された木は周囲にピンク色の花を、まるで血飛沫のように散らしていた。

「クスノキが言っていた桜の木だろう。間に合わなかったか」息をひそめながらロウが言う。噛みしめた唇からはうっすらと血がでていた。

「いまからでも助けよう。彼女をこれ以上傷つけさせたくない」

 ロウと目を合わせおたがいの意思を確認しあう。

「行こう」

 茂みから同時に飛び出した。

 

 ロウが地面が抉れるほど深く蹴り出し、近くにいた人間にとびかかる。

 横なぎに払った右腕が兵士を吹き飛ばし、地面にしたたかと叩きつけた。

「ゴアアアアアアアアァァァ!!!!」

 咆哮しながら、次々と兵士に飛びかかっていく。

 突然の騒ぎに人間たちは統制が取れていない。その隙に桜の木に駆け寄る。

「もう一人いるぞ! 打て!」

 木の上に乗っていた数人の兵士が気付き、銃をこちらに向けた。

 破裂音とともに、肩と腹に衝撃が衝撃がはしる。当たってしまった。

 しかし、わたしは止まらなかった。

「効いてないぞ! もっとう」

 言い終わる前に、木の上に駆け上がったわたしが前にふり出した脚が腹にめり込む。そのまま木から落ちていった。

「殺せ! 殺せ!」

 銃よりも近い間合いに入られた兵士たちは剣を抜き、わたしに振りおろした。

 それをわたしは左手の甲で受け止める。

 ガキッと鈍い金属音が鳴り響く。

「な、なんだそれは!」

 シャツの袖を切り裂かれてあらわになったわたしの左腕は、うっすらと青い鱗に覆われていた。

「ごめんなさい。効かないんです」

 受け止めた刃を振り払い、拳を兵士の顔に叩き込む。

 それを見ていた周りの兵士たちにざわめきが広がる。

「あの鱗! あいつ龍だ。幻国の龍の戦士だ!」

「戦車を持ってこい! 銃や剣じゃ傷つけられないぞ!」

 林の向こうから重機が動くような音とともに、鉄の塊が現れた。二本足に腰の上に大きな頭がついたようなそれは、人間の軍が使用する戦車だ。頭の上についた砲身がこちらを向いている。

「打て!」

 轟音を合図に、砲身から勢いよく炎が噴き出た。

 生身なら一瞬で焼き尽くされる炎の中を戦車に向かって飛び出していく。

 皮膚が焼けこげる感覚と共に、鱗がその部分を覆っていく感覚がある。

 戦車に振り下ろそうとした手は、手のひらが倍ほどに以上に大きなっており、ナイフのような鉤爪が生えそろっていた。

「アアアア!」

 勢いをつけて戦車に手を振りおろす。金属の装甲は引き裂かれ、全体がひしゃげながら地面に叩きつけられた。もう立つことが叶わないことは、明らかだった。

「降参すれば見逃す! 武器をおいて!」戦車を踏みつけながら、わたしは叫んだ。

 服はさきほどの炎ですべて焼け落ち、全身があらわになっている。薄い青色の鱗に覆われ、腰のあたりからはいつの間にか胴ほどの尻尾が地面にたれている。

「わたしは幻国の龍。あなたたちに勝ち目はない」

 威圧するように低い声で言いながら、周囲をみわたす。

 ロウの周囲にはまばらに兵士たちが地面に横たわっていた。あるものは鎧が破られ、あるものは真っ二つにされて地面に突き刺された剣の間で怯えるように俯いている。

 残りの兵士たちも、もはや戦う気力はないようで次々に武器を落としていった。

 素手で金属を砕けるような相手と戦う気力などないだろう。

「怪我人を連れてお前たちの国に帰れ!」

 その一言を合図に、兵士たちはわれ先に散り散りとなって逃げ出した。

 

 兵士たちが全員逃げたのを確認したのち、クスノキのもとに戻り、桜の最後を伝えた。

「なんと痛ましい。わたしに守れる力があったなら・・・」

 表情は見えないが、それでも深い悲しみが伝わってくる。心なしか、枝がなにかの重さによってしなっているように垂れ下がっている。

「人間たちはまたこの森に来るでしょう。幻国の守備隊がこの森を守るように努めさせていただきます」ロウが言う。

「ありがたい。わたしたちもできる限り協力させていただきます。もう、桜のような悲惨な結末を迎えないように」

 ところで、とクスノキが話を区切る。

「流子さま。なぜ人間たちを逃したのですか。」

 責めるような口調だった。

「あの場で殺してしまっては、復讐のためにさらに多くの兵士がこの森を焼き尽くしたでしょう。逃してこの森に近づかないように教訓をあたえるのがよいとおもってのことです」と、わたしは常日頃から自分に言い聞かせている言葉を反射的に口にした。

「本当にそれだけですか? わたしは違う理由をかんがえているのです」

 クスノキは、はっきりと言い含めるように言葉をつづけた。

「自分と同族である人間を殺したくないから逃したのではと」

 その一言は、真っ直ぐにわたしを射抜くようだった。

「・・・違うとは言い切れません」

「あなたは人間と幻国、どちらの味方なのですか」

 責めるようなクスノキの声が、わたしのひ弱な答えにかぶされる。

「流子は幻国の味方です。我々の龍神さまが選ばれたのだから」

「それが分からぬ! なぜ龍神さまは人間に力を与えられたのだ。幻国の者に与えれば済む話であろう」

 クスノキは怒っている。

 旧知の仲だった桜の木を殺されたのだ、その気持ちはもっともだろう。

「わたしには、龍神さまの考えはわかりません」

 ただ、とわたしは続ける。

「わたしがこの力を授かったのは、人間を滅ぼすためではなく、世界に安定をもたらすためであるとおもっています。いま、人間はこの世界のバランスを大きく欠いている。それを正すために」

 わたしの答えを聞いたクスノキは、それっきり押し黙りってしまった。

 

 

 降りてきた丘を登り直し、この森に来た時に景色を眺めた頂上にたどり着いた時には、すっかり夕暮れになっていた。

「あの爺さんが言ったことは気にしなくていい」ロウは慰めるように言った。

「ありがとう。でも、わたしもクスノキと同じことを考えたことがあるんだ」

 なんで自分なんだ、と。

 幻国の神様である龍神さま。その力を授けられたものは、龍のごとく戦える。

 戦いの際は全身が銃や剣が効かない鱗に覆われ、金属を引き裂く剛腕と鉤爪。わたしにはまだできないが、おとぎ話によると天候を操り、神通力を操れるそうだ。

「人間の罪を贖わせるためにわたしに力を与えたんじゃないかって・・・」

 人間に人間を裁かせるために。

「わたしはそうは思わない」

 ロウが、言葉を続ける。

「龍神さまは、きっと流子に託したんだよ」

 なにを、と首を傾げたわたしを見据えながら、ロウは続ける。

「人間と幻国がこの世界で一緒に暮らせる未来を作れるように。だって、同じ人間の流子が言って聞かせたら人間も言うことを聞くかもしれないだろう?」

「それは、そうかもしれないけど・・・」

「わたしは、わたしの子供や孫、そのまた孫の時代になっても人間と血みどろの争いを続けたくない。だから、流子はわたしにとっての希望なんだ」

 ロウは続ける。

「わたしは流子を信じてるよ」

 まぶたを閉じて、微笑みながらわたしに気持ちを伝えてくれる。こんなに嬉しいことはない。

 風が私たちの髪を揺らしていた。

 もうすぐわたしがこの世界にきてから一年が経とうとしていた。

 

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