魔法を覚えに緑生い茂り獣闊歩する異世界まで来たけど、ここからどう帰ろうか
小早敷 彰良
第1話
夜の街を、二人の少年少女が走っていた。お揃いの短髪でよく似た顔をしている、端正な顔立ちの二人だった。すらりと伸びた手足と美しい獣のような身体だけが二人を明確に分けていて、彼らが男女の双子であることを教えてくれた。
アスファルトを駆ける二人は、街路樹を支えにして、御月町の入り組んだ交差点を急カーブした。
彼らは大荷物を背負っていて、夜道にその荷物ががちゃがちゃと鳴った。そこには水筒や着替えの服が入っている他に、子どもである二人でも使える小さ目な鍋やトイレットペーパー、虫眼鏡なんかもくくりつけられている。
これらは二人が、異世界に行こうと決めたときに集めた、サバイバルのための道具たちだった。大荷物であるはずなのに、二人が走るスピードはまったく衰えることはない。
御月町魔法自治団の団長、半夏生流壱は焦って叫んだ。
「雨夏兄妹、止まれ。後悔するぞ!」
そんな声に耳を貸すようなら、最初からこの逃避行は行われていない。全員がわかっていたが、流壱は叫ばずにはいられなかった。
「異世界には、俺たちの許可がないと行っちゃいけないんだってば!」
大声をあげながら深夜に走る子どもたちを、街の誰も気づかない。
自治団のメンバーの一人が、異世界から持ち帰った魔法を使っているからだ。
異世界に行けば、何でも、だけど一つだけ、魔法を覚えられる。
それは御月町の市営図書館で謎を解き、知性を示した者だけが明かされる秘密だった。
異世界の秘密を守るために、そして、危険な異世界から行って、無事に帰ってこられるように、御月町魔法自治団は存在している。
異世界に行く子どもたちは長年の訓練を経てから、祝福されて送り出されるものだった。なぜなら、それが最後に彼らを見るチャンスなのかもしれないのだから。
二人のように追われながら異世界に向かう者は、流壱が小学五年生の九月に団長になった一年間で、誰もいなかった。
前代未聞の事態に、流壱と自治団のメンバーはがむしゃらに走った。汗だくで足は重い。
同じように走っているはずなのに、それどころか自治団のメンバーと違って荷物を背負っているにも関わらず、追われている二人は汗一つかいていなかった。
「本当に危ないんだって!」
自治団の一人が、泣きそうな声で言った。
逃げる二人、雨夏兄妹たちは、少しだけ申し訳なさそうな顔をしながらも、ちっとも足を止めなかった。
彼らには目的があった。目的地もあった。それに比べれば、何も苦に思わないことにしていたし、気にしないことにしていた。
通っていない小学校の下駄箱をそのまま通り過ぎ、廊下を土足で走る。土ぼこりが廊下に足跡をつける。角を曲がるときに、掲示板のプリントがはがれて飛んだ。
そうしてついに少年、雨夏逢真と、少女、雨夏刻が足を止めるのを、流壱は廊下の端から見た。
雨夏たちが立ち止まってる廊下の窓は、不自然な月銀色の光が外から差し込んでいた。
御月第八小学校の四階南廊下からは、真下にプールが見える。
そのプールは、特別な条件を満たすと、月銀色といわれる特別な銀色に輝き、異世界に行ける。
雨夏たちは窓を二枚開けると、小学五年生の二人の肩ほどにもある窓枠のうえにひょいと立った。
もう間に合わないと悟った流壱は、彼らから十数メートルのところに立ち止まって、声をかけた。
「やっぱり止めにしないか」
逢魔は期待で真っ赤な頬を緩ませた。
「ごめん、でもお母さんのために仕方ないから」
流壱はうつむいた。雨夏たち二人の母親は、二人を産んでからずっと布団から起き上がることができない。最近は息をするのも危ういことすらあるらしい。町内でも有名な話だった。
異世界に行けば、何でも、だけど一つだけ、魔法を覚えられる。
そして、雨夏たちは、魔法を母親の病を治すために使うと話していた。
そんな彼らに御月町魔法自治団が出した結論は、許可を出すまで待て、だった。
異世界内での助けを約束する代わりに、自治団は数年間の訓練と貢献を見返りとする。
雨夏たちは有名な兄妹だった。二人とも運動神経に優れ、知恵も働く。他のクラスにも友だちがいるし、先生からの信頼も厚い。いつも二人で行動していて、息を合わせればできないことはないと言われている。
ただ、知ったばかりなのに、異世界に行きたがっていることだけは、自治団には認められなかった。
自治団のなかで協議が何度も行われた。けれど、結論は同じだった。
だから、この結末は、誰でもわかっていたことだった。
異世界の扉が開く、月銀色に満月が染まった。プールからは塩素と夏の残り香がする。
雨夏逢魔と刻は、窓のふちを強く蹴って、プールに向かって飛び出した。
流壱は急いで窓に駆け寄って、プールを見下ろした。ちょうど、水面がゆれて、元に戻るところだった。
雨夏たちは影も形もない。
「ど、どうしましょう」
自治団員たちの青ざめた顔は、月銀色をしていた。
流壱はため息をついた。
「行ってしまったものは仕方ない」
「ここで、追いますか」
「準備不足だ。まずは会議をしよう」
異世界に行ってしまった者は、帰ってこないかもしれない。自治団は全員わかっていることだった。
ここにいる自治団員は全員、異世界に残る仲間と別れる経験をしているからだ。
団員のひとりがそっと手を組んだ。ことほぎ式の祈りの手印だ。
「呪いある祝福をどうか、得られますように」
祈りの言葉が真夜中の廊下に響いた。
次に、窓から入った風に教室のカーテンがひるがえった瞬間、彼らは姿を消していた。
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