アイスクリーム・シンドローム

なぬーく

プロローグ やらかし

「部長と副部長って、付き合ってるんですか?」


 短距離の種目練習の合間、グラウンドで部員たちと休憩をしていると、一つ歳下の後輩が俺たちに言った。

 ドリンクで喉をうるおしていた俺と瑞希みずきは顔を見合わせる。


「私が、京介と?」


「だってそれ、『間接キス』じゃないっすか」


 瑞希が持っているプラスチック製のカラーコップを手で指し示す。

 陸上部ではグラウンドの端にドリンクスペースを用意しており、練習の合間にウォータージャグからスポーツドリンクを飲むことができた。

 他にもコップがあるのに、俺が瑞希に使用したコップを渡しているところを見たらしい。

 瑞希は発言の意味を理解すると、笑いながら首を横に振った。


「たくさん使ったら洗うの大変じゃん? 節約、節約!」


 瑞希はそう言ってコップを俺に返す。

 受け取った俺はもう一杯ドリンクを注いだ。冷ややかな目で後輩に視線を送る。


「お前、『間接キス』とか小学生かよ」


「ひでぇ! 普通気にしますよ!」


「私と京介は中学も一緒だったからね。もう腐れ縁なの」


 ね? 瑞希が無邪気に笑いかけてくる。

 まあな。そう返事をして俺は視線を逸らした。


 ……腐れ縁、ね。


 彼は「つまんねー」と言って、新しいコップを取ってドリンクを注ぐ。


「絶対、付き合ってると思ったんだけどなー」


 俺たちのやり取りを見た人はたいていそういう。

 その度に俺と瑞希は否定してきた。

 人並み以上に仲がいいのに、俺と瑞希は『友達』だった。


「意外だなー。チューぐらいしてそうだもん、先輩たち」


「ちょっと! そういうの大きな声で言わないでよ!」


 瑞希は人目を気にして、周囲を見た。他の部員たちは瑞希にバレないようにチラチラとこちらを見ている。


「でも副部長って陸上一筋だし、恋愛経験なさそうだもんな。やっぱりチューはまだっすよね」


 瑞希が拳を振り上げる仕草をすると、彼はへらへらと笑って逃げていった。

 深追いはせず、瑞希は戻ってくる。先ほどから行っていたストレッチのルーティンを再開した。

 丁寧に筋肉をほぐし、この後の練習に備えている。


 彼女は休憩の間も時間を無駄にしない。

 立ってドリンクを飲んでいる今でさえ、隙あらば屈伸をしたりアキレス腱を伸ばしたりしている。

 そういうところはいつも真面目だ。


 俺たち三年生は、今年が最後の試合だった。

 五月から始まる全国大会の予選まであと二週間。瑞希が真剣になるのも無理はない。

 真面目でブレない瑞希のことは尊敬している。だけど、周囲が見えていないのが玉にきずだった。


「俺たち、もう五年も一緒にいるのか」


 俺がぼそっとつぶやく。

 瑞希は反応しなかった。ストレッチを続けており、俺の声は聞こえていないらしい。

 先ほど後輩が言った言葉が耳に残っていた。

 彼女から恋愛相談をされたこともあるが、彼氏がいるという話は聞いたことがない。もしかしたら俺に隠しているだけかもしれないが、俺の知らない一面があると思うと焦燥感に駆られた。

 俺が一番、瑞希のことを知っていると思っていたのに。

 気持ちがざわつく。なんだか裏切られたような気分だった。


 どうせ腐れ縁だ、たまにはからかいたくもなる。

 俺は瑞希の耳に入るように大きな声で言った。


「瑞希、お前さ。実際、キスしたことないだろ」


 俺はイライラしていた。ちょっと魔が差したのだ。


「俺がになってやってもいいんだぜ?」


 少し笑いを取るだけのつもりだった。

 瑞希はストレッチをめて、見開いた眼をこちらに向ける。


 しまった、と思った。

 気づいたときにはもう遅い。瑞希の表情がみるみる歪んでいく。


「最っ低!!!」


 彼女はそう言い放つと、怒りをあらわにその場を立ち去る。

 その日以来、瑞希は俺と口をきいてくれなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る