――Mary the phantom―― マリー・ザ・ファントム 読み切り版
泉花凜 IZUMI KARIN
💛1💛
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超高層マンションから見下ろす東京の街は、深い霧に覆われていた。
雨がひどい。
ゲリラ豪雨と呼ぶほどではないにしても、まるで異国のような濃い霧に覆われた景色は、かすかな不安を抱かせる。季節は六月。「梅雨寒」などという言葉は自分が生まれる前からすでに死語であったが、今年の梅雨はまさに近年まれに見る気温の低さで、寒いとはこういうことなのかと実感した。思わずエアコンのAIスイッチに手を伸ばして、暖房を入れようとしてしまったほどだ。地球環境のために無駄な機能は使わないよう努力しているが、こうも薄暗く湿った世界の中にいると、気分が落ち着かない。どことなく寂しさが襲う。
ポン……、と音が響き、立体ホログラムの液晶画面が現れる。地上波チャンネルはどこも『ファントム』の話題で持ちきりだ。
『ファントム』は数十年前から世間を賑わせている正体不明の盗賊集団で、現場に一切痕跡を残さない完璧な仕事ぶりから、一部のマニアが崇拝している。ワイドショーでは「怪盗」と名称を使い、数字稼ぎにありとあらゆる場面で話題を出しているけれど、彩紗から言わせれば、『ファントム』はれっきとした犯罪者集団であり、「怪盗」などという軽い表現を使ってほしくはない。
しかし、国民の望むものは自分の心理とは遠いらしく、世間は熱狂的なまでに『ファントム』の動向に注目した。
女性アナウンサーの緊迫した声が聞こえる。
『
現在、記録的な速さで勢力を伸ばしている『ファントム』は、二十二世紀始まって以来の我が国最大の怪盗であり、被害総額は億を下らないと推測されています。
今回、狙われたのは世界的なロボット開発企業、スリーウェーブ株式会社の隠し金庫。現場には警察がすでに到着しましたが、いまだ手がかりらしき痕跡は見つかっておらず、まるで漫画かアニメのようなことが現実に起こって……』
「……何でみんな、泥棒が好きなんだろう」
彩紗は不思議だった。悪党が日本人に受けるのはなぜだろう。普段「正しくあれ」と強制的に社会から規範意識を叩きこまれる反動だろうか。『ファントム』の今現在の人気は、ブームを通り越してもはや社会現象だ。どこかの民間企業が勝手に『ファントム』関連のグッズを売り出して国から注意されたり、模倣犯が全国各地に出没しては警察のお世話になったりしている。
「どこがそんなにいいんだろう」
悪役には、感情移入ができない。
でも他のみんなは、悪役が大好きだ。
もしかしたら自分の感性が間違っているのではないかと疑うほどに。
居心地の悪さを感じ、彩紗はテレビの電源を切った。
立体ホログラムが消え、部屋の中を静寂が満ちる。
数秒と待たずに、リビングルームのドアがノックされる。返事をすると、家事代行AIロボットが顔をのぞかせた。
「彩紗、そろそろお風呂のお湯が沸く時間です。入浴をお願いします」
彼は男性型ロボットだ。自分の世話係を務めており、ボディガードの役目も担っている。ロボットも人間と同様、男性型の方が女性型よりもボディが大きく力が強い。よって彩紗の家のような使い方になる。最新型の機種にアップデートしたばかりで、言葉遣いは生身の人間と比べてよどみなく、流暢にしゃべれる。質疑応答をどれだけ素早くこなせるかでAIロボットの性能が問われるため、優秀なものを使用できるのは権力の象徴とされた。
ため息をつく。今日は学校から帰って以来、疲れが取れない。制服も脱いでいないし、雨で少し濡れた体を拭いてもいない。こんな気分は久しぶりだった。
「
「お風呂……」と言いかけた彼は、彩紗の表情から意思を読み取ろうと一生懸命にスキャニングを始める。少しして、ピコピコと電子音が鳴り、「散歩に付き合います」と判断を行った。
「……お前はいい子だね」
彩紗はふっと笑う。
「私は青年型ロボット。子、ではなく、人、と言い表すのが適切です」
「はいはい」
汎用された言い文句を適当に受け流し、彩紗は財布と定期、腕時計内蔵型スマートフォンだけを持って玄関を出た。
一階ラウンジに下りても、コンシェルジュは特に何も言わなかった。彩紗のそばに
「所要時間は二十分ほどを設定します。それまで付近百メートル以内まで散策可能に致します」
こくりとうなずき、彩紗は
「……寒いね。今年は冷夏かな」
「彩紗、顔色が優れないです。気温の低下に伴い、体調を崩したと思われます」
「そう? 今これ以上ないくらい、気分がいいけど」
「すごい霧です」
「そうだね。日本じゃ珍しいくらい」
彩紗と
前方に、何かが見えたようで、彩紗たちは一瞬、気を取られた。
それは奇妙な格好をしていた。
人間のような、でも無機物のような、正体を見極められない不確かな存在感というべきか。霧がけぶるせいもあり、彩紗は何が自分たちの前に立ちはだかっているのか、判断できずにいた。
それは唐突に、自分たちに向かって突っ込んできた。
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