犬小屋に入っていた女の子を飼うことになった
梶倉テイク
第1話 犬を飼う
「――私をあんたの犬にして」
「へ……?」
高校生活が始まって2ヶ月。
クラス内での立ち位置も決まって、一緒に過ごすグループなんかも出来てきた頃。
わたしの家の犬小屋にクラスメートが入っていた。
犬のように丸くなっていた彼女から、犬にしてと言われた。
まず女の子が犬小屋にいるという状況からしてひどく現実感がないと言うのに、それがクラスメートであり、さらには犬にしてくれとくればもう正気を疑う。
相手の正気もだし、わたしの正気も。
ついにやばいところまで来てしまったかと、そろそろ本気で病院に行くべきかと真剣に考えた。
彼女は、そんな呆けたわたしを見てから、はやり過ぎたことに気が付いたらしい。
「ごめん。ちょっと飛ばし過ぎた。最初からやるわ。あんた夏伐よね。
「あ、うん。そう、だけど……なんで知ってるの?」
「クラスメートの名前くらいは憶えてるわ」
クラスメートとはいえ、よく覚えていたな。
わたしなんてクラスメートであるはずの彼女の名前を思い出せないと言うのに。
「ごめん、わたし覚えてない……」
「
「あっ……」
そう言われれば思い出す。
隣の席の綺麗な女の子のことを。
犬村さんは犬みたいにふわふわとしたクセのある明るい茶髪がトレードマークで、クラスカースト上位の存在。
非常にモテる女の子だ。
わたしの席は窓際なのだけれど、昼休みによく男の子に呼び出されては告白されているのを見たことがある。
そのたびに玉砕して滂沱の涙を流す男の子たちの山を築き上げていたはず。
地味な黒髪のどこにでもいそうな十把一絡げなわたしとは真逆の存在だ。
そんな人がどうしてうちの犬小屋にいるんだろう。一体どんな冗談なのだろう。どこかにどっきり大成功とか、そんなプラカードを持った人でもいるのかとすら思ってしまう。
そんなわたしの困惑をよそに犬村さんはさっさと話を進める
「ここはあんたの家であってるのよね?」
頷く。
都会のど真ん中にあるにしては大きな木造の平屋で、庭も広くて縁側なんてものもある。
祖母がわたしの為に遺してくれた家だ。
「ふーん、良いところに住んでるね。電気ついてないから廃屋だと思って入っちゃったわ。それはごめんなさい」
「あ、うん……それはいいけど……」
「ご両親は?」
「いない」
「ならちょうどいいね。私をあんたの犬にしてくれない」
犬村さんはわたしの返答を聞いて納得したようにうなずいた。
そして再びあの言葉を言った、犬にしてくれという意味のわからない言葉を。
「い、犬……?」
「そう犬」
「なんで?」
「犬って楽しそうだから。なんの気兼ねもないし、嫌なことなんてなさそうに見えるから」
そう言った彼女は遠くを見ているように思えた。
その瞳は日本人離れした吸い込まれそうな青色で、わたしは思わず目を奪われてしまった。
夏空に負けないくらいに澄み切った瞳で、現実感がなく幻想的な、まるで夢の中のようにすら感じてしまう。
何か悩みでもあるのだろうか。
犬になりたいという気持ちはわかるけれど、どんな悩みなのかは想像もつかない。
気になるのは、どうしてわたしなのだろう。
「なんで……わたしなの?」
「偶然ここであったし」
「友達とかに頼まないの?」
「友達に頼めるわけないでしょ」
確かにいきなり友達があなたの犬にしてって言われたら、わたしなら正気を疑うか冗談だと思う。
やっぱりわたしは正気を失っていたんだと思う。
祖母が死んだばかりで一人きりの家と一人の生活にわたしはきっと病んでしまっていたのだ。
「いいよ」
「嘘、マジ?」
「犬村さんが言ったんだよ、わたしの犬にしてって。それとも冗談?」
「いや本気。でも普通にオーケーされるとは思わないじゃん」
「じゃあ、やめる?」
「いや、なる。ありがたくここ使わせてもらうから」
犬村さんはそう言って窮屈そうに身体を丸めて犬小屋へと戻っていく。
これは駄目だろう。
「そこから出て。うちは室内飼いだったから」
「……犬小屋外にあるじゃん」
「もうずいぶん前に死んじゃったからね。外に出してたんだよ」
嘘だ。昔はちゃんと庭で飼っていた。
でもそこにいさせるわけにはいかない。
女の子を犬小屋で過ごさせるなんてとんでもない、という常識的な考えもあったけれど、一番はこの家に人を上げたかった。
それが犬になりたいと言ったおかしなクラスメートでも。
「ふーん……」
「わたしの犬なら入って」
わたしはさっさと何か言われる前に彼女の手を引く。
犬村さんはとても軽くて、わたしの力でも余裕で犬小屋から引っ張り出して家に入れることに成功した。
抵抗はなかった。代わりに笑い声が一つ。
「夏伐って意外に強情なんだ。大人しそうな見た目なのに」
「犬なら余計なこと言わないで」
「はーい。あっ、ワン! の方が良い?」
「……好きにすればいいと思う」
「んー、じゃあ普通にしとく。ワンは、もっと特別な時にとっておくよ」
特別な時ってなんだと思ったけれど、聞かなかった。
家に上がって居間に通せば、犬村さんは即座に寝転がった。
だらしなく大の字だ。
学校では普通に清楚っぽそうな女の子やっているのに意外だ。
「良い家ー、あー、これくせになっちゃいそう」
クラスの男子たちが見たら百年の恋も冷めるのではないだろうかと思ってしまうくらいの気の抜きようである。
いや、もしかしたらこんな姿を見せた方がよっぽど好かれるのかな?
「だらしない」
「犬だからねー。それよりお腹空いたんだけど、飼い主さんはお腹を空かせた犬に何かくれたりしないの?」
「……わかった、ご飯にする。食べられないものは?」
「ピーマン嫌い」
「子供?」
「うっさい」
ピーマンが嫌いと言う犬村さんが面白くてちょっと笑ってしまった。
笑ったのはいつぶりかな。
「じゃあ、ピーマンなしね」
台所に立つ。今日は少しだけフライパンが軽かった。
さくっと二人分を作ってしまって食卓に並べる。
並べた料理を見て犬村さんが目を輝かせていた。
「しょうが焼きじゃん。おいしそぉ。夏伐って料理うまいんだ」
「普通くらいだよ」
「これで普通なら私はド下手だよ。食べていいの?」
「うーん」
一応、犬っぽいことしておこうかな。
「待て」
犬村さんは数度目をしばたたかせて、意図がわかったように手を付けようとした箸の動きを止めた。
「お手」
「はーい」
ぽんと、わたしが差し出した手に犬村さんの手が置かれた。
犬小屋から連れ出したときからわかっていたけれど、小さな手だった。
「おかわり」
「はいはい」
犬村さんは犬扱いされているというのになぜだかとても楽しそうにコロコロと笑っていた。
学校じゃ無表情なクール系みたいにすました顔をして笑うことなんて見たことなかったから驚いてしまう。
昔飼っていた犬を思い出す。
サモエドだったから、食事前はこんな風に笑っているように見えた。
うまくできた日は、こうやって――。
「えらいねぇ、よしよし……あっ」
思わず頭を撫でてしまった。手を犬村さんの頭に当てたまま動けなくなる。
犬村さんも固まっている。
「えっ、えっと……食べて、いい、よ」
なんとか声を絞り出すことには成功した。
「あっ、うん」
妙な空気になってしまった。
反省だ。犬扱いとは言え、犬村さんはれっきとした人間なんだから本当に犬として扱ったらダメだ。
「あっ、美味しい! 夏伐やるじゃん」
ご飯に手をつけた犬村さんがそう言ってくれたおかげで妙な空気が吹っ飛ぶ。
「それは良かった」
わたしも続けて食べる。
「…………」
「ん? なんか変な顔してるけど、どうかした?」
「……ううん、なんでもない」
「……ふーん。ねえ、醤油ある?」
「はい」
「ありがと」
「…………」
料理の味がしない。
祖母が死んで一人になってから料理の味がしなくなった。
きっと精神的なものだ。
自分一人の食事が味気ないからだとか、そう思ったから犬村さんを連れ込んだ。けれど効果はないみたいだ。
味のしないご飯を流し込む。
「はー、美味しかったー」
犬村さんは食事を終えると、また大の字になって寝転がっていた。
食卓にはサラダが残っている。
「サラダ残ってるけど」
「犬だから野菜食べられませーん」
「…………」
「ねえ、お風呂まーだー?」
ちょうど沸いたことを告げるアラーム音が鳴る。
「じゃあ、入ってくるねー」
この人、遠慮がない。
「タオル、あるから」
「ん、ありがと」
でも、気を遣わなくてもいいから楽かな。
そう考えて皿を洗おうかなと立ち上がったところで、ぬっと犬村さんが戻ってきた。
「あ、それとも洗ってくれたり?」
「それはないから」
「なーんだ、残念」
「からかわないで」
「ちぇー」
犬村さんはニヤニヤと笑いながら脱衣所に戻っていった。
「はぁ……早まったかな」
後悔が最大瞬間風速を迎えているのは確かなのだけれど。
聞こえてくる水音が、少しだけ。
「落ち着く……」
誰かが家にいるのが、本当に少しだけ落ち着くのは間違いなかった。
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