村川の述懐


「あんた、鈴原を探してんのか」


「そうです。鈴原健介を探してくれ、という依頼を受けました」


「今頃になって、探す気になったのかよ。物好きな奴もいるもんだな」


 村川国広ムラカワ クニヒロは、不快そうな表情で言った。

 かつて、この男はノトーリアスのリーダー格であった。百八十センチの長身と八十五キロの筋肉質の体は、普通に立っているだけで見る者を圧倒する迫力があった……と言われている。幼い頃には空手を習っており、高校時代はキックボクシングのジムに通っていたという。喧嘩の強さは折り紙付きであり、当時の渋谷で最強ではないか……と噂されていた。

 もっとも村川は、喧嘩の強さだけでリーダーになったのではない。この男は顔がよく、十代の少年とは思えない落ち着きと余裕があった。またコミュニケーション能力も高く、集団の中でも物怖じせず発言できるタイプだ。声は大きく性格も明るく、話をさせると面白い。

 こういうタイプには、放っておいても周囲に人が集まってくる。不良少年たちの集団を束ねるリーダーになるのに相応しい男だった。実際、全盛期の頃はテレビ局や雑誌などから何度も取材を受けている。また、ヤクザや不良外国人たちからも一目置かれていた。渋谷近辺では、下手なタレントよりも影響力があっただろう。事実、芸能人の知り合いも多かった。

 その後、村川らは本格的に裏の世界へと足を踏み入れる。だが、間もなく酒井が通り魔事件を起こして逮捕された。さらに藤田が敵対する集団に襲われて死亡してしまう。

 その後、村川も逮捕された──




 そんな村川と工藤は、例によってカラオケボックスの一室で向かい合っていた。


「本当にさ、あいつに何の用があるんだ?」 


「用があるのは、私の依頼人です。私は、特に用があるわけではありません」


「そうかい。あんたも大変だな」


 村川は、鼻で笑った。

 かつて渋谷で、カリスマ店員が話題になっていた時代があった。この村川も、若い頃はカリスマ扱いされていた者のひとりだろう。

 今は、だいぶ印象が変化していた。頬は痩けており、目の下には深いくまがある。昔はがっちりした筋肉質の体だったが、今はかなり細くなっていた。それも、不健康な痩せ方である。

 もともと顔の造りは悪くない。今でも、女性を惹きつける魅力はあるはずなのだ。しかし、以前と比べると決定的な何かが欠けている。その欠けてしまったものは、若さや筋肉だけではないようだ。


「早速ですが、鈴原のことを聞かせて頂きたいのですが──」


「あのな、俺が知るわけねえだろ。あいつが姿を消したのは、十三年も前の話だぜ」

 

 工藤の質問を遮り、村川は不快そうな表情で答えた。どうやら、鈴原のことは話したくないらしい。

 しかし、工藤は怯まず話を続ける。


「まあ、そうでしょうね。私も、あなたが鈴原の居場所を知っているとは思っていません」


「じゃあ、何が聞きたいんだ?」


「鈴原は、どんな人間でした? あなたの印象をお聞きしたいのですよ」


 聞かれた村川は、ふうと溜息を吐いた。直後、工藤を睨みつける。


「ひとつ忠告しとく。この仕事から手を引いた方がいいぞ」


「なぜです? なぜ、手を引かねばならないのですか?」


「鈴原がどこに行ったかは知らねえがな、あいつはヤバいんだよ」


「あいにくですが、そういうわけにはいきません。引き受けてしまった以上、最後までやりとげる。それが、私の信条です」


「その信条とかいうのを、今回は忘れてくれねえかな。今さら、あんな奴を見つけたところで、誰も得しねえんだよ」


 村川の顔つきが変わっていた。目には、凶暴な光が宿っている。しかし、工藤は怯まなかった。


「そうはいきません。私は探偵です。依頼された以上、仕事は果たさねばならないのですよ」


「あんた、どうなっても知らねえよ。俺は忠告したからな」


「わかりました。私の身に何が起ころうと、あなたに責任を問う気はありません。そこを踏まえた上で、鈴原のことを聞かせていただけないでしょうか?」


「悪いが、何も言いたくねえ」


「そうなると、困ったことになりますよ」


 工藤の言葉を聞き、村川の表情がさらに険しくなった。もはや、完全に相手を脅す時の顔つきになっている。


「困ったことだあ? 何を言いたいんだよ?」 


「あなたが、今どんな生活をしているか、私は知っています。これが公になったら、マズいですよね?」


 聞いた途端、村川は動いた。右手を振り上げ、テーブルを叩く──


「はあ!? どういう意味だゴラァ!?」


「あなたは現在、生活保護を受給しています。にもかかわらず、十日ほど前に覚醒剤を購入しましたよね。今、尿検査をすれば薬物反応が出るかもしれません。そこまでしなくとも、あなたのスマホを調べれば、売人との連絡の履歴が出ますよね」


 そう、この男は覚醒剤の依存症……俗に言う「ポン中」なのである。先日も、この男は売人から覚醒剤を買っていた。

 そんな話を聞かされた村川の顔には、まず当惑の表情が浮かぶ。なぜ知っている? とでも言いたげな様子で、工藤を見つめた。

 しかし、次の瞬間に動き出す──


「ざけんじゃねえぞ!」


 怒鳴った直後、村川は勢いよく立ち上がる。だが、工藤は座ったままだった。落ち着いた表情で言葉を返す。


「ここで私に暴力を振るえば、さらに面倒なことになるだけですよ。あなたの方が、そのあたりの事情はよくわかっているはずですがね」


「てめえ、殺すぞ……」


 村川は、低い声で凄む。立ったまま、凄まじい形相で工藤を睨みつけた。しかし、工藤は平然とした表情でその視線を受け止める。両者の言葉にならないやり取りに伴い、漂う空気は危険なものへと変わる。

 しかし、先に折れたのは村川だった。チッと舌打ちした後、どっかと座り込む。

 少しの間を置き、観念した表情で口を開いた。


「はっきり言うとな、あいつは化け物だよ。人間じゃねえんだ」


「そう言っていたのは、あなただけではありません」


「だろうな。俺はな、今までいろんな奴を見てきた。けどな、あいつだけは別物なんだよ。俺は、あいつが怖い。もう、かかわりたくねえんだ」


 顔をしかめながら話す村川には、ありありと恐怖の色が浮かんでいた。鈴原が消えて十三年経つが、彼に植え付けられた恐怖は未だ消えていないらしい。

 そんな表情で語り出した話は、意外なものだった。


「ガキん時は、気に入らねえ奴をぶっ飛ばしてただけだった。それが重なり、気がついたらヤンキーとか呼ばれるようになってたよ」


 どうやら、ここから昔話が始まるらしい。彼の表情も、昔を懐かしむものに変わっている。工藤は、黙ったまま話を聞いていた。


「あの頃は恐いものなしだったよ。喧嘩なら負け知らずだったし、街を歩けばみんなが避けて通る。俺に勝てる奴なんかいねえ、そう思ってたんだよ。で、気がついたら周りに人が集まってた。藤田や東野、それに酒井……当時、ツルんでた奴らのことは覚えているよ。あん時は面白かったな」


 確かに、今よりは面白かったのだろう。

 村川は現在、生活保護を受給している。覚醒剤の乱用により肝炎になっており、また薬物依存に伴う精神疾患により仕事が出来ない……という理由により、生活保護の申請が通ったらしい。

 そんな今よりも、過去の方がずっと華やかなりし時代だったのであろう。語る村川の顔にも、先ほどとは違う表情が浮かんでいた。


「しばらくしたら、誰かがノトーリアスなんて言い出した。当時は、チーマーの全盛期だったからな。で、俺らもチームっぽいの作ってツルんでただけなんだよ。けどな、ジャンキーズと揉めて俺が小島をぶっ飛ばした。そっから、俺たちは一気に上がっていったんだよ。いきなり大ブレイクした芸能人てのは、あんな感じなんだろうな」


 これは違う。

 ノトーリアスとジャンキーズが衝突した日、その場には鈴原がいた。鈴原がいなければ、ノトーリアスは潰されていただろう。村川は自分の手柄のように語っているが、本当の立役者は鈴原である。

 だが、工藤はあえてそのことには触れなかった。黙ったまま、村川が一方的に喋るに任せていた。


「本当に楽しかったよ。渋谷を歩けば、いろんな奴が俺に挨拶してきた。どんな場所にも入れたし、金と女に不自由したことはなかった。銀星会のヤクザだって、俺には道を譲ったんだぜ」


 得意気に語る村川。その顔に、かつてカリスマと呼ばれていた頃の面影がよぎる。

 だが、それは一瞬で消えた。


「でもよ、だんだん怖くなってきたんだ。初めはガキの遊びレベルだった。それが、気がついたら裏社会にどっぷりと浸かってる。しかも、鈴原は酒井と一緒に得体の知れねえことをやっていた。ふたりの周辺で死体がどんどん出てきて、俺や藤田や東野はその後始末をさせられたこともあったよ。そうこうしていたら、藤田が殺されちまった。俺もパクられ刑務所に行き、それからは……」


 そこで、村川の表情が歪む。

 少しの間を置き、再び語り出した。


「十年前、渋谷で俺に逆らう奴は誰もいなかったし、俺の名前を知らねえ奴もいなかった。それが今じゃ、イキッてる中坊すら追い払えねえんだからな。俺は、もう終わっちまったよ」

 

 中坊とは、中学生のことらしい。一昔前のスラングであろう。

 昔の思い出を自嘲気味に語る村川には、渋谷のカリスマと呼ばれていた面影はない。かつては、泣く子も黙るチーマーのリーダー格だった。肩で風を切って渋谷のセンター街を歩き、大勢の人間に頭を下げさせてきた。

 それが今では、ちゃんとした仕事も出来ずぶらぶらしている。生活保護を受給し、どうにか暮らしている状態だ。その上、この男は今も覚醒剤をやっている。

 かつて、この村川ひきいるノトーリアスに潰されたのが、大山(当時は小島)がリーダーを務めていたジャンキーズだ。その後、大山は覚醒剤に手を出し最低のチンピラとなっていた。一方、村川は一気にのし上がり渋谷の顔役にまで昇りつめた。ふたりの立場は、完全に逆転していたのだ。

 そして今では……大山は覚醒剤を断ち、真面目に働いている。己の過去を反省し、過ちを繰り返さぬためカウンセリングも受けている。きちんと更生した、と言っていいかはわからない。だが、本人に更生しようという意思があるのは間違いない。

 一方、村川は生活保護を受給しながらも覚醒剤に溺れる生活だ。世間から見て、決して褒められる生き方ではない。また、裏社会であってもポン中は信用されないのだ。ポン中を尊敬するような人間はいないし、責任ある仕事を任されたりもしない。せいぜいが、山下の手下だった黒沢のように、人を脅す仕事を任されるのが関の山だ。かつて渋谷のカリスマとして大勢の人間から羨望の眼差しで見られていた村川だが、今は誰からも相手にされていないのが実情である。

 今後、また両者の立場が再逆転することはあるのだろうか。その可能性は、限りなく零に近い。

 もっとも、それは工藤に関係ないことである。


「かつて鈴原が、自殺未遂をしていたことは御存知でしたか?」


 村川が一息ついたのを見計らい、そっと聞いてみた。すると、村川は笑いながらかぶりを振る。


「おいおい、冗談はやめてくれよ。あいつは、地球最後の日が来ても生き延びるさ」


「そうですか。鈴原は、既に亡くなっているのではないかと言う人がいましたが、あなたはどう思いますか?」


「バカ言うんじゃねえ。鈴原は、核戦争が起きても生き延びるよ。あいつは、今もどこかで生きてる。何かの拍子に、ひょいと出てくるかもしれねえ。だから怖いんだよ。俺はもう、鈴原とはかかわりたくねえ」


 他の者たちと、全く同じ答えである。工藤は頷いた。


「私があなたから聞きたかったのは、その答えです」


「はあ? どういう意味だよ?」


「その意味は、あなたが知る必要のないことです。では、失礼します」


 そう言うと、工藤は立ち上がる。謝礼金の入った封筒をテーブルの上に置き、軽く会釈して去っていった。




 村川国広……率直に言って、哀れな男だった。

 もし鈴原がいなければ、ノトーリアスはジャンキーズに潰されていたことだろう。その後、村川がどうなっていたかは神のみぞ知ることではある。ひょっとしたら、敗北を機にチーマーを卒業し真っ当な人生を歩んでいたのかもしれない。

 ところが、ノトーリアスは勝ってしまった。本来なら、有り得ないはずの勝利……その勝利が、彼の人生を狂わせた。その後、村川は瞬く間に上昇していく。

 しかも、隣には鈴原健介という怪物がいた。鈴原は、矢口を足がかりに広域指定暴力団・銀星会の内部へと入り込んでいく。こうなると、もはやチーマーなどと呼べるようなものではない。完全なる犯罪組織である。そのままいけば、村川もまた犯罪組織を仕切る側になっていただろう。

 ところが、鈴原は何の前触れもなく姿を消してしまう。そこから、彼らは一気に落ちていった。酒井は通り魔事件を起こし逮捕される。盟友の藤田は亡くなり、村川自身も覚醒剤の所持使用で逮捕される。

 それ以前に……村川は、単にチーマーに憧れ仲間とツルんでいただけだった。急激に変わっていく世界に、順応しきれずにいた部分もある。

 むしろ、彼らより下の人間たちの方が、裏社会にあっさり順応していった。彼らは金になるなら、何でもやるタイプだ。最初から、野望を抱きノトーリアスに入ってきた者たちである。

 特に東野は、キレる頭とよく回る口と冷酷な性格で、今では大物になっている。ノトーリアスの後輩たちも、かつて築き上げた人脈やネットワークにより、表と裏の両方の世界でのし上がっていった。半グレの世界は、ノトーリアスOBが最大勢力となっている。

 しかし、そのいしずえを築いた村川は、もう何の力も持っていない。少なくとも、十代や二十代といった若い世代で、村川の名前を知っている者ほほとんどいない。今や、完全に過去の遺物と化している。


 







 

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